言われまくっている噂と言ってなかった嗜好の関係
一応、空白となった木曜日の分だけ時間はあったのだが────それでも、約束の金曜日はすぐにやってきた。
僕の主観としては、レアとの会話を終えた次の瞬間には、授業の終わりを告げるチャイムの音を聞いたような感覚である。
「ん……まだ、午後二時か」
五限目の授業と、帰りの会が終わった瞬間、部活に向かうなり帰宅するなりで、クラスメイトたちが一斉に立ち上がる。
それを尻目に、僕はすぐに帰ることなく、とりあえず時計を見つめてみた。
ウチの学校は時間割の都合上、金曜日が五限までしか無い。
だからこそ、週末を前にしてこんなに早くに帰ることが出来るのだが────今日に限っては、その早めの終了時刻も、やや持て余す感じがあった。
というのも、あの後でレアが告げてきた、お別れ会の集合時刻というのが、午後三時くらいに来て欲しい、というものだったのである。
交換留学の最終日という事で、神代と共に、事務的な手続きやら貸してもらった物の返却やらがあるらしく、最初の一時間はどうしても行けない、というのだ。
そもそも、木曜日を丸々買い物に費やしたこと自体、今日はその用事のせいで買いに行く時間がないから、という理由らしかった。
まあ要するに、今から一時間、僕は暇、という事である。
どうしようか、とぼんやりと考えた。
何をするでもなく、余暇時間としては微妙な感覚なので、何をする気にもなれず、ボーっとしてしまう。
これがもっと短い待ち時間だったら、素直に生徒会室で待っていたし、もっと長かったなら本格的に暇を潰す──気になる本を読むとか──のだが、一時間という微妙な時間が、行動を迷わせていた。
何もしないのであれば長すぎるが、何かしようと思うと短すぎるのである、この時間は。
──と言っても、教室でボーっとしているのもアレだしな。適当に図書室でも行くか……。
あそこなら、まあ、適当にダラダラしていてもそう文句は言われないだろう。
そう思いつつ、僕が通学鞄を手に持とうとすると、背後から唐突に声が掛けられた。
「……あれ、桜井。何でまだ残っているんだ?」
反射的に振り返ると、そこには見慣れた姿がある。
教室の後ろの方の座席から立ち上がっている、深宮の顔だ。
部活用のスポーツバッグを手に持っているところを見ると、今まさに荷物をまとめてサッカー部に行こうとしていたところだったらしい。
既に多くのクラスメイトが教室から出払ってしまい、かなりスカスカになった教室内で、彼は僕の姿を見咎めたようだった。
恐らく、帰宅部の僕がまだここに居るということ自体を、疑問に思ったのだろう。
彼の思考を察した僕は、先んじて説明をした。
「この後、生徒会の方でちょっと用事があるんだ。だから、すぐに帰るわけにもいかなくて、ちょっと時間を潰している」
「へえ、そうか。だけど、用事……?」
何かを思いついたように、深宮は目を瞬かせる。
そして、こんなことを聞いてきた。
「それは、あれか?生徒会の神代さんとか、留学生の女の子とかの感じか?」
「そうだけど……詳しいな?」
コイツに対して、あの二人のことを話したことあったっけ、と思い、僕は驚いて返事をする。
基本的に、あの二人との間に起きたことは──あまり言いふらすような内容でも無いので──他言していないのだが。
だから、そこで僕は、当然のことを聞いたつもりだった。
しかし、深宮にとって、それは信じられない答えだったらしい。
彼はその場で即座に目を見開き、「バッカ……お前!」と絞り出すような声を発した。
「知ってるに決まっているだろう、最近、お前ら三人の噂は、毎日のように学校の中で流れてるぞ?」
「へ?そうなのか?」
「そりゃあ、校内屈指の美人と、元々話題になりやすい留学生の美少女のコンビだ。話題にもなる。特に、その二人が何故かお前みたいな、普通な奴とよく一緒に居るんだからな」
嫌でも噂になるんだよ、と言いながら、深宮は僕の前の席に座った。
部活に行く時間を遅らせてでも、言いたいことがあったらしい。
興奮収まらない、という感じで、彼はその場に留まった。
「やれ、神代さんとお前が手を繋いで音楽室の方を歩いている様子を見た、やれ、講演会の途中で二人で抜け出した……結構、目撃証言があるんだよ。他にも、コンビニで三人集まっているのを見たとか、ハンバーガー屋でデートしているのを見たとか言うのもあったな」
「あー……」
噂になっている、と聞いた瞬間には驚いてしまったが、こうして聞いてみると、納得してしまう。
なるほど確かに、身に覚えがある行為ばかりだった。
学内で起こった前者二つのみならず、校外で集まっていた後者二つに関しても、誰かしらに見られていたらしい。
いやまあ、狭い地方都市の中学校の校区内でウロチョロしているのだから、他の生徒に見られても全くおかしくない話ではあるのだが。
それにしたって、世間は狭いな、と僕は軽く呆れた。
「本当に、そんなに噂になっているのか?この一ヶ月、周囲から聞かれるとか、そう言うことは無かったけど」
「そりゃあ、噂を聞いた奴が直接聞きに行くのを躊躇っているだけだ。元々、お前はそう顔の広い奴でもなかったし、初対面の奴に真偽を確かめるのもアレだろ?」
「ふーん……」
──何か、口ぶりが本当に真に迫っているな……そこまで噂になっていたのか、僕たち。
考えてみれば当然のことではあるのだが、あまりにも周囲が大きく変化していることを感じ取り、僕は軽い驚きを覚える。
もっと言えば、深宮が当然のようにこのことを知っているということ自体、何気に凄まじい。
深宮は明るい奴だし、僕より余程友達の数も多いだろうが、それでも別に学校内の事情通とか、そんな存在なわけではない。
要は、そこまで噂話を好むタイプでは無いのだ。
そんな深宮がここまで知っているのだから、この話は、噂好きでなくてもつい聞こえてしまうくらい、有名な話なのだろう。
丁度、僕が女子の噂に対して興味が無かったにも関わらず、神代の存在について知っていたようなものだ。
神代の美貌と同レベルの影響力で、僕たちの行動は注目されているらしい。
思えば遠くに来たものだ、とそこで僕は妙な感慨を覚えた。
この一ヶ月ちょいで、酷く周囲の環境が変わっている感じがある。
──まあ、その環境の変化のきっかけとなったのは、まさに目の前に居るコイツだけどな……。コイツの提案から僕は告白に走ったんだし。
ふと、そんなことを思う。
すると、まるでそれを見計らったかのように、深宮がこんな質問をした。
「……なあ、桜井。因みに、なんだが」
「どうした?」
「思い当たることがありすぎて、今まで聞けてなかったんだが……お前がそういう風に神代さんとかと遊んでいるのは、もしかして、俺のアドバイスを……」
ああ、とそこで僕は文意を察する。
そう言えば、成果報告というか、僕があのアドバイスをどう実践したのか、深宮に言ったことが無かった。
神代の謎行動やら、百合姉さんの一件やらで何かと忙しく、ここ最近、彼とはそう長い話が出来ていなかったのである。
──どうせ暇だし、ちょっと事情説明でもしておくか……。
軽く事情説明でもしておけば、一時間くらいすぐに経つだろう。
そう思った僕は、一ヶ月前の僕の所業について、軽く述べることにした。
「……ああ、そうだ。僕はあの後、神代に告白した」
「マジかよ……」
「まあ、うん。尤も、別にOKが貰えたわけでも無くて、変な状態になっただけだけど。それで、神代と色々話すようになって、彼女の家にホームステイしているレアとも話すようになったんだ」
その変な状態の根幹──「四つの謎」を解けば付き合えるとか言う話──について、僕は詳しく説明しなかった。
言ったところで、理解してもらえるとは思えない。
僕自身、よく分かっていないのだから。
しかし、それだけでも深宮相手には十分に衝撃的な話だったらしく、彼は目を白黒とさせていた。
表情も驚きから呆れまで次々と変化しており、実に目まぐるしい。
そして、最後は感情が突き抜けて行ってしまったのか、変にしみじみとした表情になった。
「そうか、実行したのか……正直、何もアドバイスできないままなのが嫌で、適当に絞り出した助言だったんだが……実行したんだな」
「……今では反省しているよ。いくら何でも、傍迷惑な振る舞いだった。……というか、そんな苦し紛れの言葉だったのか、アレ」
意外なところで変な事実が分かってしまい、僕は思わず突っ込む。
最終的にやることを決めたのは僕なので、今更グダグダ言う気は無いのだが、それでももうちょっと、確信のある助言では無いかと思っていた。
「てっきり、深宮の体験談かな、とか思ってたんだが。違うのか?」
「いや、即興でひねり出したんだよ、あの時。俺が彼女に告白したのだって、流石にもうちょっと知り合ってからだから」
ブンブンと手を振って、彼は釈明をする。
どうやら本当に、真剣な言葉というわけではなかったらしい。
そして、そのことを申し訳なく思ったのか、彼はさらに言葉をつづけた。
「……言い訳するわけじゃないけど、本当にあの時のお前、顔が酷かったしな?帰り道に自殺でもするんじゃないか、みたいな顔だったしな?だから、何も言わずにはいられなかったというか……まあ、すまん」
「顔が酷かった……?」
──そんなだったのか、僕?
深宮の言葉の一部分が気になり、思わず、僕は自分の頬を撫でた。
そんなに、当時は思い詰めた顔をしていたのだろうか。
正直なところ、自分でも、当時どんな表情をしていたかは、よく思い出せないのだが。
行動面から言って、とんでもない状態だったのは確かだが────それにしても。
一見して変だと分かる程、落ち込んでいたのだろうか。
だとすると、相当みっともないが。
「……まあ、失恋の余波で、バウムクーヘンを嫌いになるくらいだしな。酷い顔だったんだろう、とは思うよ」
とりあえず、反応しないのも変なので僕はそう言って置く。
すると、深宮はポカン、とした顔をした。
「バウムクーヘン?それがどうかしたのか?」
「……あれ?言ってなかったっけ?」
「聞いたことないぞ」
全然意味が分からない、と言いたげな顔で、深宮が首を左右に振る。
聞いたけど忘れたとかでもなく、本当に初耳だったらしい。
──あの時、深宮相手に愚痴を言いまくった記憶があるけど……流石に、バウムクーヘンを嫌い出したことまでは言ってなかったのか?ただ単に、失恋した事だけ伝えて……。そう言えば、そうだったような気もするな。
何となく、僕自身にとっては当たり前のことなので、当然言っている物だと思っていたのだが、どうやらあの時の僕は、愚痴語りの中でも、そこに関しては口にしなかったらしい。
あの状況の中でも、流石にそんなことを言えばさらにドン引きされてしまう、と思ったのだろうか。
だとしたら、変なところで働く理性もあった物である。
というか、よくよく考えてみれば、僕は例のバウムクーヘン嫌いに関しては、誰にも言ったことがない。
結婚式で貰ったバウムクーヘンは普通に両親に投げ渡したので、それを嫌って云々、というのは語っていないし、その他の人には失恋の経緯自体口にしていないからだ。
何気に、あの嗜好の変化は、僕の中でひっそりと起きたことなのである。
「なあ、本当にどうしたんだ?バウムクーヘンがどうしたって?」
「あ、いや……何でもないよ、うん」
話が気になった様子で詰め寄る深宮相手に、僕は適当に話を誤魔化す。
知られていない以上、わざわざ教えることも無いだろう、と思ったのだ。
せっかく、僕以外は誰も知らない、隠すことの出来たエピソードなのだから。




