証言と興味の関係
「……どういうこと?」
言い切った、という感じに笑う神代には悪いが、訳が分からない。
自然、僕はそっくりそのまま、話を聞き返すしかできなかった。
いや、というかそもそも────。
「あれは単純に……その、部員が演奏をミスしたってだけじゃないのか?それが偶々、大きな音だから耳についているだけで」
何故こんな問いをするのか、とか、何故そんなことが気になるのか、とか、気になることは色々あった。
だがそれ以前に、最初に気になったことは、これだった。
この問いは、そもそも問いとして成立していないのではないか、と思ったのだ。
「練習なんだから、ミスすることくらいあるだろうし……何を解けばいいんだ、僕は?」
「んー……それはそうかもしれないけど」
そう言って、神代は人差し指を自分の顎に軽く添える。
その表情は、明らかに「どう伝えればこの疑問が分かってもらえるのか」と悩んでいるような物だった。
歯痒そう、というか。
「……私も、一度だけこの音が聞こえただけなら、誰かがミスしたんだ、と思うだけで済んだかもしれない。だけど、さっきも言った通り、私は今日のこれも含めて、三日連続でこの音を聞いたの」
そう言って、神代は僕の反応も待たずに、その事情を語りだした。
<神代真琴の証言>
ええと、二日前の話なのだけどね。
その日は丁度、代表委員会──各委員会の代表と生徒会メンバーが集まって、その月の目標とかを決める会議ね──がある日で、私も生徒会メンバーの一人として参加したの。
まあ、代表委員会自体は、放課後になってすぐに始めたこともあってか、二時間くらいで終わったけど。
そしてその後、私はここに決定事項を書きに来たの。
あそこ、ほら、第二音楽室のさらに奥。
廊下の壁の一部分に、大きな掲示板が設置されているでしょう?
厳密に言えば、一つの物じゃなくて、二つに分かれているけど。
私たちから見て近い方──第二音楽室に接している方ね──には、壁新聞部の作っている新聞が貼ってあって。
そしてその隣──壁新聞の奥ね──は黒板になっていて、生徒会からの伝達事項とかが書いてある。
壁新聞の方は、今も、壁新聞部の男子が作業をしてるわね。
三日前に私が来た時にも、彼が居たと思うけど。
……え?桜井君、彼と知り合いなの?
クラスメイトなんだ……知らなかった。
ええと、話が逸れたわね。
とにかく、私は二日前、あの掲示板に代表委員会で決まったことを書きに来たの。
書記としての仕事の一つが、それだったから。
私としては、慣れた作業だったわ。
だから、普通に文字を書いていたのだけど────その最中に。
突然、第二音楽室の方から聞こえたのよ。
先程と同じ、こう、ちょっと凄い楽器の音が。
何分、初めて聞く音だったから。
ビックリして、書いている文字が歪んじゃって。
そのおかげで、よく覚えている。
怖くなって、その場で振り返ってしまったくらい。
……まあ勿論、そのミス自体は普通に流されたらしくて。
今と同じように、聞こえてくる練習の音は、すぐに元に戻ったわ。
私も、この時はそれで納得した。
ちょっとビックリしたけど、誰かミスしたんだな、と思っただけ。
それで、続きの伝達事項を書いて、その日は終わったの。
ただ、この話の本番はここから。
その次の日──つまり、昨日ね──またこの場所に来た時に、私はまた、不思議なことに遭遇した。
……昨日って、ほら、先生たちの研究会があるか何かで、授業が午前中しかなかったでしょう?
十二時くらいに授業が終わって、一時間くらいで給食も終わって、その後はすぐに解散、みたいな。
だから、私も生徒会メンバーとして、殆ど午後一杯、生徒会室に居たのだけど。
そこで作業をしている時に、会長に「昨日書いた掲示板、文字が間違っているから、直しておいて」と言われたの。
昨日、例の音でびっくりしたせいか、私、掲示板の文章を書き間違えていたのね。
別に構わないと言えば構わないのだけど──そもそも、生徒会からの連絡なんて、ちゃんと見ている人は少ないしね──見栄えがアレだから、直した方がいいよ、と。
それで、私はすぐにその誤字を訂正しに行った────確か、午後三時くらいだったかな。
普段ならおやつの時間なのに、とかいう会話を会長とした記憶があるから、間違いない。
勿論、これは前日の決定事項の記載に比べたら、簡単な作業なのだけどね。
間違っている文字を二、三個、書き直すだけだもの。
だから、さっさと終わらせようと思って、適当に書いていたら────。
また、例の音が第二音楽室から聞こえた。
あの、誰かがミスしたような、管楽器の変な音が。
……その日の驚きは、前日の比では無かったわね。
音自体にも驚いたけど、それ以上に、二日連続で、という奇妙さがあったから。
え、何で私だけこんなに連続して、この妙な音が聞こえるの、と思ったの。
最初に聞いた時には、「誰かがミスをしたんだろう」と思っていたけれど……。
何だか、二日連続で聞いたせいで「それだけじゃないんじゃないか」という気がした。
だって、そうでしょう?
ミスっていうのは、そんな意図して起こすような物じゃないでしょうし……今聞いたような、大きな音を立ててしまうようなミスは、本来なら少ないはず。
凄い初心者が楽器に触っているならともかく、今は十月なのだし。
仮に練習をしているのが一年生だったとしても、ある程度は慣れている頃でしょう?
それなのに、何故、吹奏楽部の部員は、二日も連続して、同じような目立つミスをしているのか。
それも、私が第二音楽室横の掲示板に居る瞬間を、見計らったように。
勿論、考えようと思えば、妥当な説明は考えられるけどね。
そもそも、二日連続してあの大きな音が聞こえたにしても、その音を出した人が、同じ人とは限らないもの。
私が聞いたのは音色だけだから。
例えば、一日目にある部員がミスをして、あんな音を出してしまって。
それに影響されたのか、次の日に似たようなミスを別の部員がした、という可能性──つまり、私が連続してあの音を聞いたのは、ただの偶然ということ──はある。
或いは、部員たちが、練習の途中で雑談でもしているとしたら?
会話の最中で、「昨日、○○ちゃんが凄いミスしてたよね。こんな感じだったかな」とか言って、わざと昨日の音みたいな音を出している可能性もあるかもしれない。
要するに、私の考え過ぎという可能性は高いのだけど……それでも。
何となく、気になった。
まるで、私に聞かせるためだけに、私が掲示板に来た瞬間に、この音が響いているような気がして。
……そして、その次の日、つまりは今日。
貴方と一緒にここに来たけど、やっぱり、聞こえた。
あの、変なミスの音が。
ねえ、桜井君。
この謎、解いてもらえる?
私、どうしてもこの件の真相が、気になっているの。
「……三日連続して派手なミスをする、吹奏楽部、か」
話を聞き終わった僕は、思わず腕を組んでいた。
そして、頭の中でぐるぐると様々な可能性を思い描いていた。
最初、彼女が朗々と二日目の話をしてきた時には、正直面喰らっていたのだが。
いつの間にか、話を聞いている僕自身、謎の内容が気になってきていた。
何というか、「確かに不思議だな」と思い始めたのである。
滅茶苦茶緊急性がある、という訳でも無いのだが、それでも、不思議ではある。
要は、日常で起きていることながら、日常的なことでは説明がつきにくい事例なのだ。
日常の謎として、お手本のような物かもしれない。
……気がつけば、僕は彼女に告白をしたことや、これを解くことで彼女と付き合えるとか言った前提条件を、綺麗に忘れかけていた。
そのくらい、興味の方向がずれてきたのだ。
実際、僕にそう思わせるくらい、彼女が体験したことは謎だらけだった。
彼女の言う通り、ただの偶然で済ませると、この話は少々納得できない。
果たして、ただの偶然がそう三日も続くものだろうか、という話になるからだ。
しかもその全てを、彼女は直に体験している、と来ている。
つまるところ、彼女がここに来た時に限って、第二音楽室から例の音が響くのだ。
特に二日目の例など、神代の話が正しいなら、彼女が掲示板の前にいた数分程度の間に、ピンポイントで起きている。
今日もそうだ。
彼女と僕が来てすぐ、図ったようにあの音が鳴った。
偶然というより、作為的なものを感じる。
要は、彼女の疑念は、確かに考えすぎなきらいはあっても、そうおかしくはない、ということだ。
彼女の存在が、何かのトリガーになっている──つまり、何者かが何らかの理由で、神代に聞かせるためだけにその音を奏でている──と神代が考えるのも、分かる気がした。
では、偶然ではなく、何らかの故意なのか?
そう考えてみれば、神代ばかりが何故かあの妙な音に遭遇する、ということ自体には説明がつく。
ただ、だからと言って、合理的な理由が思い浮かぶわけでも無かったが。
と言うのも、そちらの可能性を考えた場合、動機がさっぱり分からないのである。
毎日毎日、練習中にピンポイントであんな耳につくミスをすることに、何の意味があるのか?
どうしても、そこで詰まってしまう。
もっと言えば、神代も言っていたが、意図的にミスをすることなど、そもそもにして難しいという問題もあった。
楽器には詳しくないが、ああいうミスの音は意図していないから出てくるのであって、意図的に出そうとしても別の音が出るだけの気もする。
音色に寸分の狂いもなく、前日と同じミスを繰り返すという行為は、言葉にするのは簡単でも、いざ実行しようとなると、実質不可能なのではないだろうか。
プロの音楽家ならもしかすると可能かもしれないが、この場合音楽室に居るのは普通の吹奏楽部の部員たちなのだし。
肯定と否定。
推論と反証。
それらが、螺旋を描いて頭の中でぐるぐると回っていく。
どうにも、思考が止まらなかった。
神代では無いが、真相が気になる。
出来れば、あー、そうなのかー、と思える説明が欲しい。
そんな考えが、僕の頭の中で湧いてきた。
だから、だろうか。
神代の前で、僕は無意識に言葉を発する。
「確かに、おかしいな……どういう理由で起こっているんだろう、これ」
聞かれているかどうかも分からない、独り言に近い単語たち。
しかしそれでも、神代からすれば、自分が抱える謎を分かってもらえたのが嬉しかったらしい。
神代は不意に、パッと笑みを浮かべた。
そして、軽くこちらに詰め寄ってくる。
「本当?……一緒に考えてもらえる?」
彼女のその表情には、微かに圧があった。
ここまで聞いたのなら、ちゃんと考えて欲しい、という期待が透けて見える、微妙な圧力。
悪意と言うよりは、もっと純粋な願いから来ている物だろうか。
そうでなくとも、彼女のように容姿の整った人の懇願と言うのは、妙に迫力がある物だが。
だから、というわけでも無いのだが。
僕自身の好奇心と、彼女の願い。
それと──多分無意識に感じていた──僕の失恋を癒すためだけに時間を取らせたという、彼女への引け目。
この辺りの心情が複雑に絡み合った末。
僕は、彼女の要請に頷いていた。