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バウムクーヘンと彼女と謎解きと  作者: 塚山 凍
EpisodeⅢ+α:「゛」の悲劇
49/94

理解と納得の関係

 ──最後までこの調子だったな……本当にどうしたんだろう?


 もはや心配を超えて、僕は呆れのような感情まで抱く。

 そのことは勿論、口には出さなかったが、何となく、雰囲気で伝わったのだろうか。

 神代はそこで不意に顔を上げ、こちらを見つめ返してきた。


「……何?どうかした?」

「あ、いや……」


 やや強めに問い返されて、思わずどもってしまう。

 ここで、心配していたんだ、と正直に伝えるのは簡単だったが、先程問いただしてしまった分、同じことを繰り返し聞くのは躊躇われる感じがあった。

 仕方なく、僕は適当に感想を求めてみる。


「……ちょっと、神代はどんなことを思ったのか、気になって。ほら、いつも推理の後は、感想みたいなことを言ってくれるから」

「感想?……そうね」


 意外と真剣な顔で、神代はその場で考え込んだ。

 反射的にでっちあげた理屈だったが、割と神代の興味を引く言葉だったらしい。


 それとなく、場の雰囲気が、僕とレアの二人で神代の締めの一言を待つような感じに変わる。

 そうして僕たちの視線を受け止めたまま。

 神代はじっくりと考えるようにして、こんなことを口にした。


「推理の感想というか、話全体の印象なのだけど……私は、何というか、その彼女さんは本当に彼氏さんのことが好きなんだなあ、と感じたわ。本当にもう、好きで好きでたまらない間柄なのかな、と」

「……ふーん?」


 少しだが、意外な感想が出てきて、僕は軽く首を捻る。

 何というか、あまり神代が言わないような言い回しがされているような気がしたのだ。

 いや、まあ、言いたいことは分かるのだが。


 ただ、僕以上にレアの方が、彼女の感想に引っ掛かったらしい。

 彼女は僕よりもさらにエグイ角度で首を傾げ、思わず、と言った体で質問をした。


「それはまた、何故ですか、マコト?私は、どちらかと言うと、そういう小さな理由で喧嘩しちゃうのは、互いに疑い合っているからなのかな、とちょっと感じましたけど……マコトは、そうは思わなかったんですか?」

「うーん……勿論、そう言う側面もあったのでしょうけど」


 軽く、愛おしさを籠めたような笑顔で、神代はレアを見つめる。

 その様子は、同級生に説明をするというより、大人が子どもに対して、何かを教えているような仕草だった。


「だけど、ほら、最終的に二人は結婚したのでしょう?それも、後になって、桜井君に対して軽いクイズとして話している……これはつまり、些細な喧嘩なんて笑い話に出来るくらい、仲が良いということじゃないかしら。互いに好きだからこそ、疑ってしまった、というか」

「むー……アレですか、日本語で言う、『喧嘩するほど仲が良い』ということわざですか?」

「それも、多分、ちょっと違うわね。きっと……相手を信じる気持ちも、相手を疑う気持ちも、同じ所から生まれている、というだけのことでしょうから」


 まるで実際に体験したことのように──それこそ、恋愛に関しては百戦錬磨だ、とでもいうように──一切ブレることの無い口調で、神代はそう言い切る。


「文字を読み違えて喧嘩した、というと外聞が悪いけど……多分、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ただ仲が良いというだけなら、変な名前を見つけても、深く詮索せずに終わりでしょうから」

「……そう言う物ですかね?私、気になる物があったなら、どんな物でも首を突っ込んで調べますよ?」

「ええ、レアはそうでしょうね。でも、そう言うことを問いただすのに、結構勇気が要る人も多いの」


 再び、宥めるような口調。

 そこから、軽く気合を入れるように、彼女は髪をかき上げる。


「……本当に相手が好きじゃなかったら、結婚一ヶ月前という微妙な時期に、問いただすなんて決断は出来ないでしょう?彼女は別に、怒りっぽい人でも面倒くさい人でもなく、()()()()()()()()()()()()()()()、喧嘩をしたんじゃないかしら。ここで聞いておかないと、ちゃんと結婚できない、と無意識に思っていた」


 そう問いかけてから、彼女は、話のまとめに移る。


「彼女は、相手のことが好きだからこそ、勇気を持って不審な名前について問いただした。そして、相手が好きだからこそ、喧嘩の果てに誤解を解くことが出来たし、途中で相手の幼馴染からされた説明も信じた。今回の謎は、結局のところそういう話よ。……そう言う意味では、これは」


 ────痴話喧嘩にまつわる、のろけ話かもしれないわね、と。

 図らずも、僕が百合姉さんの前で感じたことと、似たようなことを言って。

 神代は、今回の「三・五番目の謎」を締めくくった。




「うー……ちょっと、分かんないです……私は、好きな人の事はとことん好きになっちゃって、疑いもしないかも、です」

「そうね、勿論、それも悪くないのだけど」


 未だに納得できなさそうなレアと、彼女とあやすようにして話す神代。

 彼女たちは、実に微笑ましいやり取りを続けながら、スタスタと歩いていく。


 元々、特に座る場所も無いために歩いていただけなので、目的地があるという訳でも無いのだが。

 それでも、立ち止まる理由も無かったのだろう。

 適当な方向に彼女たちは歩き続け────僕は二人についていくようにして歩いていった。


 そう、二人に遅れるようにして、僕はのっそりと歩き。

 歩きながら、神代が今話した事を思い返していた。




 ──本当に好きじゃないと、そこまで怒れないと思うの。




 意味もなく、無意識に。

 何となく、その部分だけが。

 僕の頭の中で、何度もリフレインしていた。


 というのも、その言葉を聞いた瞬間。

 僕の中で、思い浮かぶ言葉があったのである。


 それは、ここに来て、神代やレアと合流する直前の話。

 咄嗟の嘘で、デートに行く、などと言った時に、百合姉さんが見せた反応。

 あの時、彼女は────。


 ──僕がデートに行くって言った時は……「永ちゃんも思春期だね」と、「ちょっと寂しいけど頑張ってね」、だったなあ……。


 そうだ。

 彼女は、まず軽く微笑ましそうな顔をして。

 その後、励ましてくれて。


 ────それだけだった。


 彼女の態度は、仲が良かった少年の成長を喜び、見送る態度。

 ほれぼれしい程洗練された、子どもを見守る大人の姿、だった。


 最初から、比べる物では無いと分かってはいるが────それでも。

 自分の彼氏に女性の影があった、今回の一件と。

 僕が気になる女の子がいる、と伝えた時の反応。


 ()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 ……そんな気持ち悪いことを、改めて感じてしまう。




 もう、神代もレアも、姿が見えない。

 一人で歩きながら、僕は黙々と考える。


 所謂、自分の心に整理をつける、という奴だ。

 今こそ、その時だと思ったのである。




 ──本当に好きじゃないと、そこまで怒れないと思うの。




 また、頭の中でリフレインが起こる。

 それに任せて、思考を進める。


 ……そうだ、当然の話だ。

 結婚を約束した彼氏の部屋で、女性の名前を見つけて、怒ることも。

 久しく会っていなかった、昔から顔見知りの少年に彼女の影があると、喜ぶことも。


 全て、百合姉さんにとっては、普通の反応だ。

 常識的な物と言ってもいい。




 ──本当に好きじゃないと、そこまで怒れないと思うの。




 だけど、その常識を────今の今まで、僕は分かっていなかった気がする。

 頭では理解していても、実感はしていなかったというか。

 簡潔に言えば、中途半端な理解のままで止まっていたのだ。


 ある意味では、仕方の無い話だ。

 百合姉さんの結婚の話を聞いて以降、僕は彼女に碌に会っていなかった。


 結婚式も軽く挨拶する程度で済ませたので、失恋したなどと言っていたが、実際のところ、百合姉さんが相手の男性と仲良く過ごしている姿自体、見たことが無いのである。

 それを見たら、いよいよ、完璧に打ちのめされてしまう、と思って。




 ──本当に好きじゃないと、そこまで怒れないと思うの。




 しかし、今回の一件で、どうしようもない程理解した。

 何なら、自分で謎を解くことで、これ以上も無い程実感してしまった。


 女性の影に対する対応という、彼女の素が最も現れやすいであろうケースを通して、あからさまなほどはっきりと分かったのだ。

 百合姉さんから見た、僕のポジションが。


 分かり切った話だ。

 彼氏に対して怒ったのは、神代の言う通り、本当に相手が好きだから。

 絶対に一緒にいたいと、願っていたから。


 僕に対して励ましたのは、あくまで僕が、近所の子どもとしか思われていないから。

 百合姉さんからすると、隣人の幸福というのは、喜ぶべきものだから。

 それ以上の感情は出てこないものだから。




 ──本当に好きじゃないと、そこまで怒れないと思うの。




 ああ、そうだよ、神代。

 君の言うことは、この上なく正しい。


 きっと、ずっと前から。

 僕が、彼女の結婚に気がつく前、初恋の真っ最中だった時期ですら。


 僕に彼女が出来たら、百合姉さんはきっと、この上なく喜んでくれたことだろう。

 だって僕は、近所に居る年下の知り合いで。

 それ以上では無いのだから。


 ごくごく、自然な話だ。

 百合姉さんは、結婚したのだから。

 僕は、最初から最後まで、そう言う対象では無かったのだから。




 ──本当に好きじゃないと、そこまで怒れないと思うの。 




 勿論、これらのことは全て、頭では分かっていたことではある。

 もしかしたらまだチャンスがあるかも、なんて、流石に恥知らずすぎて考えたことも無い。


 しかしそれでも。

 今この瞬間までは、心の底から納得していなかった気がした。


 ほんの僅かだが、自分の初恋が、始まる前に終わってしまった事に対して、理不尽さを感じないでも無かった。

 自分が一番悪いのに、被害者のような気分でいたことは、否定できない。


 だからこそ、こんなに長く引きずった。

 だからこそ、変な告白までした。


 しかし、そんな情けない悪あがきも、今日終わった。

 これほどまでに対応に差があると、自分で推理した以上、認めないなんてことは出来ないのだから。


 ああ、そうだ。

 事実は一つ。


 ()()()()()()()()()




 ……リフレインを打ち切り、僕は顔を上げる。

 そして何とか、呼吸を続けた。

 一つの常識的事実を、心の真ん中に受け入れながら。


 僕は、失恋した。

 そして、百合姉さんは、ちゃんと幸せになった。


 こんな、当たり前のことを。

 僕は、百合姉さんの結婚から一ヶ月以上かけて。


 ようやく、「理解」ではなく、「納得」出来た。


 ずいぶん長くかかったな、と僕は自分に軽く呆れる。

 ただ、まあ。

 この事すらも、神代の言葉に合わせるのなら。


 本当に好きじゃないと、そこまで怒らないように。

 本当に好きだからこそ、ここまで時間を費やしたのだ、という事なのだろう。

 そういう事で、勘弁してもらおう。

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