順番と当然の前後関係(Episode III 終)
『マ、マコト……』
『何話しているんだろう、と思ってちょっと立ち聞きしてたら……凄い解釈をするわね、二人とも』
やや湿った肌をした腕が、画面の端からにょきっと伸びる。
そして、伸ばされた手はレアの肩を掴み、引きずるようにして画面外へと連れて行った。
状況を飲み込めていないレアが、「キャッ」と悲鳴を漏らすが、もう遅い。
彼女は、座っていた椅子から転げ落ちるようにして、PCのカメラでは追えない領域に消えてしまう。
絵面だけなら、完全にホラー映画のワンシーンである。
「……あー、えーと、神代?」
『ええ、何かしら、桜井君』
何もない壁だけを映すようになった画面に、とりあえず、という感じで呼びかけてみると、いつも通りの神代の声が聞こえてきた。
どうやら、姿こそ無いが、パソコン画面のすぐそばにいるらしい。
「そのー、何故、画面に入ってこないんでしょうか……?画面に何も映っていないというのは、中々怖いんですが」
少々聞かせにくい感じの話をしていたこともあってか、無意識に敬語で問いかけてしまう。
もしかすると神代は、人に見せられないくらい怖い顔をしているのか、という気がしたのだ。
しかし、幸いなことに、あっさりとその懸念は否定された。
『ああ、今、お風呂上がりで、ちゃんとした服を着ていないのよ。本当に、下着姿だから』
「あー、それで……」
『それでも、見たい?』
「いえ、遠慮しておきます」
本気だか冗談だか分からない言葉を、すぐに遮断しておく。
ここで「見たい」などと言えば、何がどうなるか分かったものではない。
『エイジー、マコトが下着姿なのは本当ですよー。別に、怖い顔をしているとかじゃないですー……』
次に、神代よりもう少し遠い位置からレアの声が聞こえた。
どうやら、彼女もやや位置が離れたとはいえ、近くにいるらしい。
画面に入ってこないことからすると、神代に動きを抑えられているようだが。
『それで?私が、思い通りにならなくてどうこう、と言うのは、何?』
「えーと、僕たちの話、聞いておられましたか」
『最後の方だけね。……敬語、やめてよ。寂しいから』
煩わしそうに、或いは少し悲しそうに、神代はそんな要請をする。
それを察して、僕は慌てて居ずまいを正す。
──顔が見えないから分かりにくいけど、割と本気で悲しんでないか、神代……?
もしかすると、先程の僕たちの推理を聞いて、本気で傷ついているのだろうか。
だからこそ、こうやって話に乱入してきたのだろうか。
だとしたら、とりあえず事情説明くらいはしないと、と自然に思った。
彼女が何かを考えているかは未だに不明だが、流石にこのまま放置と言うのは、後味が悪すぎる。
だから、今までの話をすることに、躊躇いは感じなかった。
「少し、今までの神代の行動について、レアと僕で話しあっていたんだ。さっきの話は、その中で出てきた仮説で……」
そうして、僕は今までの会話の流れを説明した。
無論、依然として神代たちは画面の中に出てきていないので、僕としては壁の模様を映す画面に、ひたすら解説をする形になっている。
果たして彼女たちが、未だに話を聞いているのか、もう立ち去ったのか分からないまま────それでも説明した。
やがて、神代が乱入する直前のところまで説明し終わり。
僕が一息ついたところで────神代が、ボソリと呟いた。
『私が色々と話を隠しているのが悪いんだから、文句は言えないけど……貴方の想像する私って、かなり性格悪いわね』
「いや、それは、こう。可能性としてはあり得るな、くらいの想像だから」
『いいえ、少なくとも最後の推測に関しては、可能性としても成り立たないわ。だって……』
そう呟いてから、微かに、彼女が髪をかき上げるような音が響いた。
『自慢みたいになってアレだけど……私、中学生になってからでも、告白されたこと、一度や二度じゃないもの。それだけでも、今の推理が間違いだって、分かるでしょう?』
「え?」
一瞬、彼女が何を言っているのか、分からなくて。
しかし次の瞬間、一気に内容を把握する。
「……あっ、そうか。当たり前だけど、僕以外の人だって、今までにたくさん、神代に告白してるんだよな。神代、それだけ綺麗なんだし」
『……貴方に言われると、思いの他、恥ずかしいわね』
「そして、今神代が特に付き合っている人がいないのなら……つまり、今までの人は普通に振っている、ということか」
そうだ、よく考えてみれば、神代の言う通りだ。
つい最近まで、百合姉さんのことばかり考えていて、同級生たちの告白やら恋愛事情やらに疎かったため、考えつかなかった。
今更確認するまでも無いことだが、神代は、モテる。
いくら何でも、この容姿で一切そう言う話がやってこない、というのは、健全な中学生としてまずあり得ない。
今は特に行事もイベントも無い十一月であるため、そう言う話は大して聞かないが、それこそ夏休みの時などは、たくさんの告白を受けたのではないだろうか。
そして、いくら何でも、それら全てに「四つの謎」のような無理難題を吹っかけていたなら、それこそ噂になっているだろう。
あの美少女は、告白相手に何か凄い要求をしてくるらしい、という感じで。
しかし、現実にはそうなっていない。
この事実こそ、神代が実際にはそんなことはしていなかった、という状況証拠になっているのだ。
要は、彼女は告白されるたびに、普通に「ごめんなさい」と振っているのである。
つまるところ、彼女は直接的に相手を振ることも、それで悪印象を抱かれかねないことも、恐れてはいない。
僕とレアの推理は、「神代が直接的に振るのはやりたくないから、相手に諦めてもらおうとしているのではないか」という前提で話が進んでいるので、この事実だけで、推理が破綻するのだ。
「そっか。じゃあ、今の推理は、全て邪推か」
『まあ、そうなるわね。他の部分に関しては、今はコメントを控えるけど』
──他の部分……何故四つと断言できたのか、というあたりか?
何やら気になる言い回しを、意図的かどうかは知らないが神代がこぼす。
この言い方だと、そちらに関しては正解だ、とも解釈できるが。
しかしそれについて深く考える前に、神代が話を続けてきた。
『……以前、言ったでしょう?私が何を考えているのかは、五番目の謎になるって』
かつてと同じ言葉を、神代はそのまま口にする。
そして、画面の外から、こう断言した。
『今の状態で謎を解くのは、ちょっと早いわ。勿論、何の理由もなくこんなことをしている訳では無いのだけど。……そのあたりは、最後にしましょう?』
「……四つの謎を、全て解き終わってから、か。君が、僕だけに謎解きを頼んだ理由は」
『ええ、その通り。桜井君には、もうしばらくの間、私に付き合ってもらうわ。その方が、きっと、貴方にとっても良いことだと思うから』
我儘な話だとは、自覚しているけどね、と。
やや自嘲するような声が、PCのマイクに拾われた。
──貴方にとっても……?
一方、僕はまた、気になる言い回しが出てきたことを気にして、微かに顔をしかめる。
相も変わらず────意味は把握できなかったが。
『……大体、誤解は解けたかしら?そうだとしたら、申し訳ないけど通話を切ろうと思うのだけど』
「ああ、そうだな。いい加減、寒いだろうし」
『えー、もう終わりですかー?』
レアは不満そうな声を漏らしたが、致し方ないだろう、という気はした。
と言うのも、画面上には相変わらず何も映っていないが、説明中も特に衣擦れの音は聞こえなかったし、彼女は下着姿のままだろう、と分かっていたからだ。
空調はついているだろうが、それでもこの季節には厳しい格好である。
流石に、邪推の撤回のために風邪をひかせるのは申し訳ない。
だから、通話がここで終わることには、異存は無かった。
「じゃあ、こっちも通話を切って……あっ」
『何?』
『何ですかー?』
意図せず言葉を断絶させてしまい、神代とレア、双方の疑問の声が飛んでくる。
しかし、それに先んじるようにして、僕は声を発した。
「ごめん、最後に言っておかなくちゃならないことが、あと一つあった」
『何かしら?』
「いや、感想と言うか、感謝というか……別れ際が忙しなくて、言ってなかったから」
そう前置いてから、僕はパソコンの前で頭を下げる。
間違いなく見えていないだろうが、まあ、こういうのは、気持ちが大事だろう。
特に、一緒に遊んだ友人たちに謝意を述べる場面なら。
そういう思いの元、僕は口を動かす。
「今日は、謎解きやら自己紹介やら、色々あったけど、本当に楽しかった。……神代、レア、誘ってくれて、ありがとう」
今更かな、と思いつつも、そこでもう一度頭を深く下げた。
ちょっと馬鹿丁寧過ぎる気もしたが、しておいて失礼なことでも無いだろうし、まあ良いだろう。
特に、先程は変な邪推をして神代を傷つけてしまった節もあったので、それへの謝罪も込めて、僕は頭を下げておく。
数秒程、そうしていただろうか。
もういいか、と踏んで僕は頭を上げる。
……それとほぼ時を同じくして、最後の声が響いてきた。
『こっちも、楽しかったわ、桜井君。丁寧に、ありがとう』
『私も、楽しかったです!ありがとうございました!』
「えーと、どうも?」
どう返せばいいのか分からず、変な返事をしてしまう。
それが雰囲気で伝わったのか、クスッ、と神代かレアか、どちらかの笑い声が聞こえた。
僕は、そのことをちょっと恥ずかしく思いつつ、マウスを動かして「会話終了」のところにまで持っていく。
そして、それを押した瞬間────。
『私、やっぱり、貴方のそう言うところ……』
こんな声を、スピーカーが流した、気がした。
──あれ、会話、続いているか?
慌てて、僕はマウスから指を放そうとする。
しかし、時既に遅し。
マウスによるクリックを確認したパソコンは、忠実にそのコマンドをこなし。
言葉の続きを再生することなく、その画面を閉じていた。
そう言う訳で、僕は言葉の続きを聞けず。
彼女が、どういう言葉を言おうとしていたのかも、よく分からないままだった。
後から思えば、鈍すぎる、とも思える思考回路だが────この時の僕が分からなかったのも、それはそれで仕方がない。
それこそ、例の五円玉の穴のような物だ。
僕たちにとって当たり前であるあの穴が、レアには当たり前で無かったように。
すなわち、常識に食い違いが発生していたように。
僕の常識と、神代の常識は、食い違っていたのだから。
この時点ではまだ、僕は、神代とは告白の時に初めて会話した、と思っていた。
これでは、真相など、分かるはずもない。
そして、僕がこの食い違いに気がつくのは、この後の話。
とある謎の中で、そのきっかけを掴む事になる。
ただしそれは、神代の提示する「第四の謎」の中ではなく、よりにもよって百合姉さんが持ってきた、「三・五番目の謎」の中で、のこととなるのだが。
このこともまた、当時の僕は知らなかった。