レアの推理と僕の推理の関係
「まず、簡単なところから確認しておきます……マコト、良いですか?」
「え、あ……うん」
突然問いかけられた神代が、気圧されたようにして頷く。
どうして質問が飛んできたのか、分からない様子だった。
しかし、その反応にある種満足気な顔をしつつ、レアは問いを重ねる。
「マコト、答えてください。今の話に出てくる人は、百円玉を五円玉に両替しました……これによって、その人はどうなりましたか?具体的に、どういう変化をしましたか?」
「どうなったって……単純に、二十枚の五円玉を手に入れたんだと思うけど」
何を今更、という感じで神代が返答する。
すると、レアは、むふー、と満ち足りたような表情をした。
どうやら、推理小説によくある、「名探偵が物凄く基礎的な話を敢えて繰り返し、ギャラリーに返答を求める」というお約束を実行できて、満足しているらしい。
──実際にやられてみると、さっさと結論を言え、と言いたくなるな……。
思いがけず、これまた推理小説によく出てくる、「事件解決を焦り、探偵にヤジを飛ばす観客」の心情を理解してしまい、僕はシュールな面持ちになる。
まあ、流石にレア相手にそれを言うことはしなかったが。
僕がそんなことを思っているのを知ってか知らずか、レアは目を閉じて、さらに話を進める。
「今、マコトは良いことを言ってくれました。両替をすると、枚数は増える。つまり、体積も増える、ということです。重さで言うなら、間違いなく百円玉一枚よりも、五円玉二十枚の方が重いでしょう?」
「まあ、そうでしょうけど」
「そして、重いということは、その重さで人を傷つけることも出来る、ということです。このことから、一つの推理が成り立ちます。つまり……」
一拍、二拍と、間違いなく意図的にレアが間を設ける。
そして、その微妙な時間を過ごしてから、レアは待ち望んだ結論を告げた。
「マコトの叔母さんが目にしたその人は、多分、殺人犯です!その人は、二十枚の五円玉を使って、事件を起こしたんです!」
……聞いた瞬間、あっ、という感触が僕の中を走った。
察する、という奴だ。
要は、一発で分かってしまったのだ。
あ、これはポンコツな推理が来るな、と。
隣を見れば、神代も同じような顔をしていた。
──と言うか、よく考えたら、レアの日本に対する誤解をまだ解いてなかったな……そう言う意味では、変な結論が出てくるのは当たり前か……。
五円玉を見せる前に、そこを言い含めておくべきだったな、と僕は軽く後悔する。
しかし、レアはもう止まらない。
こっちも何となく止めにくい雰囲気だったため、彼女の推理は一切の横やりなく、続行することとなった────。
「まず、とあるところに、とある人物に対して深い恨みを持つ男の人がいたとします。その理由は、私も分かりません。何にせよ、人を殺したいと思う程の、凄い恨みがあったんです」
「そして、その人物は昨日、偶然、殺したい対象を見つけます。そしてその場で、相手を殺そう、と決意したんだと思います」
「だけど、その人、困ったはずです。だって、あくまで偶然歩いていただけなので、彼は凶器になる物を持っていません。持っていたのはせいぜい、財布の中に転がっていた百円玉だけです」
「このままだと、彼は素手で殺人を犯すことになってしまいます。よほど力に自信が無いと、出来ないことです。普通なら、諦めた方が良いでしょう……だけど、ここで彼は名案を思い付きました」
「それが、百円玉を両替して、五円玉にする、という方法です。硬貨だって、集めれば結構重くなります。だから、それを靴下とか、袋とかに詰めて振り回せば、十分に凶器になるでしょう?ブラックジャックとも呼ばれる、アレが出来るんですから」
「そう言う意味では、一円硬貨の方が、量は多いのでしょうけど……そこはまあ、貰う枚数が百枚になってしまって、そもそも両替を断られる可能性が高くなりますから、諦めたんでしょう。かといって、流石に十円の方では量が足りない。それで、五円玉で……ええと、ダキョウ?したんです」
「……そして、彼は急いでコンビニに訪れました。走っていたのは、うかうかしていると、殺したい相手に逃げられてしまうからでしょう」
「最初にガムを買ったのは、単純に、両替だけを頼むと、断られるかもしれないと思ったから。ほら、まずは普通の買い物をした方が、店員さんも断りにくいでしょう?彼だって、両替を申し出やすいですし」
「そうして、何とか両替は上手くいって、二十枚の五円玉を手にした彼は、すぐにそれを靴下やレジ袋に詰めて、標的のところに向かったんです」
「そして、殺人が行われました……驚くべき犯行、です」
「その後、ですか?……そこが、この推理の肝です。私、知ってます。確か日本では、神社に言った時、オサイセン、という物を投げ入れるんですよね?」
「だから多分、犯人は殺人の後にコウリンジンジャに向かって、凶器として使った二十枚の五円玉を、オサイセンを入れる箱に放り投げたんだと思います。その中なら、大量の硬貨があっても不思議じゃありませんから。安心して、凶器を処分できます」
「この方法で犯人は凶器を隠蔽し、一般人の中に紛れ込みました……そうやって、一連の恐ろしい事件が完結したんです!」
どうです、という感じで、推理を言い終わったレアがこちらを見やる。
何となく、その雰囲気に乗せられるようにして、僕と神代はパチパチと拍手をする。
実際、真偽はどうあれ、聞きごたえのある話ではあった。
──と言うか、最初の言葉を聞いて想像した物よりは、合理的な話だったな。意外と、ポンコツとも言い切れない話だった気がする。
正直な感想として、そんな事を思う。
最終結論こそ、日本は殺人事件が頻発しているという誤解を前提で進んでいるため、突飛な物になっているが、そこに至るまでの論理展開は、結構理屈として優れたものだった。
特に、「最初にガムを買ったのは、両替を頼みやすくするためではないか」というところは、実際そうだったのではないだろうか、と思える妥当性がある。
他にも、屁理屈に近いとは言え、五円玉でなければ無かった理由や、大量の硬貨が必要だった理由を説明しているあたりも、意外にちゃんとしていた。
さらに言うなら、最後の「賽銭箱に硬貨を入れて凶器を処分した」と言うのも、リアリティに目をつぶれば、推理小説のトリックか何かに使われそうな面白さがあるものだ。
謎を解いた探偵に対して、「大した想像力だ。推理作家になったらどうですか」と返すのは、推理小説における一種のテンプレだが────実際にレアが推理作家になったら、結構面白い小説を書くかもしれない。
……ただ、これはあくまで、リアリティを無視すれば、という話。
現実的に考えると、レアの推理には突っ込みどころが無数にある。
その一つを、申し訳なさそうな顔をしながら、神代が口にした。
「レア……ええと、ごめんなさい。質問をしていい?」
「はい。何です、マコト?」
「その、分かりやすいところから聞くけど……レアの推理だと、犯人は何らかの理由で、人を殴り殺したいと思っていたのよね?」
「そうです!」
「……だとしたら、何故犯人は、その辺に落ちている石とかを凶器として使わなかったの?わざわざ硬貨の両替なんてするより、よっぽど殺傷能力があると思うのだけど」
うっ、とレアが分かりやすく言葉に詰まる。
どうも、「犯人は両替をした」という結論ありきで物事を考えていたため、そちらの可能性は考えていなかったらしい。
「それに、賽銭箱に五円玉を入れて処分したとしても、結局は血のついた五円玉がそこから見つかっちゃうから、どこかでバレちゃうと思う。指紋だって、そこについているだろうし」
「えーと、それは……」
「それにね、レア。一番大事なところなのだけど」
そう前置いてから、神代ははっきりと大前提の間違いを指摘する。
「そもそも、昨日この辺りで、死体が見つかるようなことは、起きていないから。そこまで治安は悪くない場所よ、この辺りは」
「……むー」
つまらなそうな感じで、レアが頬を膨らませる。
何というか、そこを言っちゃうのか、という不満が透けて見える顔だった。
この様子からすると、レアもこの辺りの治安が良い──少なくとも、推理小説程は殺人事件が頻発しない──ことは、薄々分かっていたらしい。
まあ、本人がこうして街中を歩いたのだから、多少は感じ取って当然だが。
それでも、自分が好きな世界の事を諦めきれないのか、もう少し彼女は粘った。
「……まだ、死体が見つかっていないだけ、という可能性はありませんか、マコト?それこそ今この瞬間にでも、頭を固いもので殴られた死体が見つかるかも」
「可能性だけで言えば、ゼロではないでしょうけど……」
いくら何でも、という顔を神代がする。
それを見て、これ以上粘っても流石に自分の考えが受け入れられることは無い、と察したのか、渋々レアは頷いた。
「まあ確かに、この辺り、あのコウリンジンジャの影響か、人通りが多いですから、死体が見つからないというのは考えにくいですね。それこそ、私の留学生仲間もたくさん、ツアーでこの辺りに来ましたし」
そう言って、むー、とまたレアは唸った。
また、新しい仮説を考えているらしい。
しかし、その前に────僕の中で、今のレアの言葉が、妙な引っ掛かりを生じた。
──留学生仲間が、たくさん?
些細な、頭の中の閃き。
神経細胞の、ごく微小な発火。
それに気が付いた時には、僕は声を出していた。
「……待って、レア」
「む?どうかしましたか、エイジ?」
きょとん、とした顔をこちらを見つめるレアを前に、息を整える。
今、真相への重大な手掛かりを、目の前にしている自覚があったのだ。
しかし、推理と言うのは繊細な物なので、質問の聞き方一つで、真相が霧散してしまうこともあり得る。
ここでの問いは、正確にしておく必要があった。
だから僕は、しっかりと文章を脳内で練って、それから彼女に問いかけた。
「レア、場違いな質問で悪いんだけど……コンビニに入る前のレアの話に出てきた、留学生仲間って、合計では何人いるんだ?」
「えっ……確か、私含めて十九人とかですけど。海進中学校に来たのは、五人ですけど、他の中学校にも行きますから」
何を今更、という風に、レアが答える。
隣を見れば、神代も同じような顔をしていた。
恐らく、ホームステイ先としてこの交換留学に関わっている彼女は、留学生の総数についても知っていたのだろう。
だが、僕はこの事実を、この瞬間まで誤解していた。
なまじ、例のポスターで「留学生は全員生徒会メンバーの家で滞在する」という話を聞いていたため、日本に来た留学生の数は、大して多くないだろう、と無意識に判断していたのだ。
そうでなければ、これまた大して多くない生徒会メンバーの家に、彼らが泊まれるはずが無い、と思って。
だが、事実はそうでは無かった。
となると、後は────。
「レア、ごめん、もう一つ聞く。……昨日の、そのレアが断ったというこの辺りの観光名所を巡るツアー。あれは、結局何人参加したんだ?」
続けてそう問いかけると、レアがこてん、と首を傾げる。
どうやら、覚えていないらしい。
まあ、彼女自身は参加しなかったのだから、その概要についてそう知悉してはいないだろうが────しかし、首を傾げながら、彼女はこう言った。
「分かりませんけど……確か、空港で写真撮影をして、その後、参加希望者は手を挙げるように言われて……皆、結構手を挙げてましたから、大部分は参加したんじゃないですか?それこそ、私以外は、全員行っていたかもしれないです」
それを聞いた瞬間、僕の中で、「第三の謎」は粗方解けた。




