シンプルな話と推理しにくい謎の関係
……流石に、叔母さんもこの申し出には驚いたらしくてね。
はい分かりました、とは行かずに、ちょっと戸惑ったそうよ。
今まで、そんな事を言ってくるお客さんはいなかったから。
いえ、正確に言えば、百円玉を十円玉十枚にして欲しいとか、千円札を百円玉十枚にして欲しいとか、そういう頼みをしてくるお客さんは、そこそこ居たの。
後、十円玉を一円玉十枚にしてほしい、という人も、珍しいわけではない。
お釣りの端数を揃えるのに、一円玉は結構使うから。
だけど、そのお客さんが求めるような、百円玉を五円玉二十枚にしてほしい、というのは、コンビニの店長になってそれなりになる叔母さんにとっても、初めての経験だった。
だって、五円玉って、正直あまり使う機会が無いでしょう?
使うにしても、一枚二枚のことが多いから……二十枚一気に欲しい、というのは、少し変な頼みよね。
そのせいで、この時の叔母さんは、「この人は、本当に五円玉が二十枚欲しいんだ」とは考えなかった。
そうではなく、「本当は何らかの事情で五円玉が数枚欲しいが、持っている硬貨が百円玉しかないので、仕方なく五円玉を二十枚欲しい、と言い出しているんじゃないか」と考えたそうなの。
要するに、「五円玉が二枚必要なので、この百円玉を五円玉二枚と十円玉九枚に両替してください」と言うのが面倒くさくて、全部五円玉にしてください、と言ってきていると思った、ということね。
その方が、より有り得そうというか、自然な流れでしょう?
だから、叔母さんは五円玉を渡す前に、そのお客さんにこう言ったそうなの。
確か、「五円玉の必要な枚数を仰っていただけたら、残りは十円玉で払いますよ」、と提案したらしいわ。
だけど────その男の人は、有難迷惑、という風な顔をして、こう言った。
「いいえ、全部五円玉でください。五円玉じゃないと、意味ないんです」
……そこまで言われたら、もう、断るのも変な話だから。
叔母さんは、要望通りレジから五円玉を二十枚出して、彼に手渡した。
五円玉を受け取ったその人物は、相変わらず急いだ様子で、すぐに店の外へと走って出て行ったそうよ。
貰った二十枚の五円玉は、見もせずにポケットに突っ込んでいたそうだけど。
話としては、基本これだけ。
今までの謎と比べれば、シンプルな話ね。
だけど、十分に不思議な話でもある。
実際、叔母さんは昨日から、この件は結局何だったのか、気になって仕方がない──それこそ、訪ねてきた私に聞かせるくらいに──ようだし。
この男の人の行動には、解せない点が多く存在するわ。
まず、その人は一体、どういう理由で急いでいたのか?
そして、急いでいた割にまずガムを買っていったのは、どういう理由なのか?
五円玉をそこまでして欲しがったのは、何故か?
何故、全てが五円玉じゃないと意味が無いのか?
そして、彼は二十枚の五円玉を抱えて、どこに行ったのか?
どれも、気にしすぎと言えば気にしすぎではあるのだけど。
真剣に考えてみると、意外と、合理的な説明がつかない。
さっきも言ったように、五円玉って、あまり大量に使う機会が無い。
だというのに、コンビニに駆け込んでまで、五円玉を二十枚手に入れないといけない理由は、何か?
桜井君、そして、レア。
この謎、解いてもらえる?
そこまで言い切ってから、神代は口をすぼめて、ふう、と息を吐いた。
さらに、場所代替わりに購入したジュースを、一口飲む。
いい加減、喉が渇いたようだった。
そして、ジュースの缶をテーブルに置いてから、こちらに視線をやり。
さあ、どうだ、という感じの表情をした。
──神代自身、真相が気になって仕方がない、という感じの目をしているな……。
話の感想よりも先に、僕はそんなことを思った。
音楽室の一件もそうだったが、相も変わらず、日常の細かなことを気にする人だ。
いくら彼女の叔母さんが気にしていたからと言って、これをただの「日常の話題」ではなく、「日常の謎」として捉えるあたり、実に神代だなあ、と思う。
まあ、今更のような神代の性格の確認は、そのあたりにして。
僕は今度こそ、今聞いた話について考えこみ、その思考をそのまま口に出した。
「話を聞いた限りでは、起きている事自体はシンプルな割に、推理がしにくい話だな、と思う。……二十枚もの五円玉を、急いで用意しないといけない理由、か」
こうして口に出してみるとより分かりやすいが、中々想像できないシチュエーションである。
神代の言う通り、五円玉を使う時と言うのは、必要となる数は大抵一枚か二枚だ。
そもそも、「五円」玉である以上、二枚使う時にはそれこそ十円玉を使えば良くなるので、三枚以上必要となる機会自体が無い。
言ってしまえば、五円玉と言う物は、最初から大量に使うことは想定されていない通貨なのである。
その五円玉を、急いで二十枚用意する。
それも、両替を受け入れてくれるかどうかも分からない、コンビニに駆け込んでまで。
訳が分からない。
──レアも、今一分かっていなさそうだな……。
早々に思考が詰まった僕は、チラリと横目でレアの様子を伺う。
そこでは、椅子の一つに陣取ったレアが、芝居がかった様子で「うーむ」などと言いながら、腕を組んでいた。
どうやら、彼女が憧れるところの探偵になり切っているらしい。
ただ、その推理は彼女の憧れほどには順調には進んでいないのだろう。
陶器のように綺麗だった額にはしわが寄り、唇も無意識に尖っている。
これじゃないか、という仮説も出てきてはいないようだった。
──と言うか、そもそもレアって、五円玉とか百円玉とか見たことあるのか?
彼女を見ているうちに、僕はふと、そんなところが気になる。
神代の話によれば、彼女が日本に来て、まだ一日しか経っていない。
細かい硬貨については、よく知らないということも十分にあり得る。
一ヶ月の留学なのだから、ある程度の日本円は換金して用意しているだろうが、その日本円は恐らく紙幣だろう。
五円玉やら十円玉やらを、空港でちまちま用意したとは考えにくい。
それこそ、話を聞いている最中も、五円玉とは何か、分かっていなかったのではないだろうか。
そう思った僕は、無意識に自分の財布を漁り、彼女の前で小銭──上手い具合に、五円玉も百円玉もあった──を提示していた。
「……レア、一応言っておくけど、今の話に出てきた五円玉や百円玉って言うのは、これだ。特に参考にはならないかもしれないけど、置いておくよ」
そう言って、僕は机の上に二枚の硬貨を置き、レアの方に滑らせる。
彼女は、目の前に転がってきたそれらを、難しい顔のまま見つめ────そして唐突に、目を真ん丸にした。
「……エイジ、マコト。その……この、黄色くて穴が開いたコイン。これ、五円玉ですか?」
「そうだけど……どうかした?」
「いえ、確かに、漫画の描写からするとそんな感じでしたけど……んー」
問いに対しては、神代の方が返答した。
しかし、その言葉も聞こえないかのように、レアはしばし、五円玉を見つめていた。
変な例えだが、天然記念物の動物でも観察しているかのような様子である。
──何だ?五円玉がそんなに珍しいのか?
まあ、この様子からすると、五円玉を生まれて初めて見たようだから、物珍し気に見ること自体は、不思議でもなんでもないのだが。
それにしたって、妙に五円玉を珍しがっているように見せる。
隣に置いた百円玉は、放っておかれているのに。
その理由が何なのか、一瞬思い浮かびそうになって────しかし、その前に、神代の声が響いてきた。
「それにしても、何故一円玉でも十円玉でもなく、五円玉が必要だったのでしょうね……桜井君、分かる?」
「いや、まだ……そっちは、何か思い浮かんだ?」
まだ何も思いついていなかったので、とりあえず、神代に質問を返却する。
すると、えーと、と悩みながら、苦し紛れのようにして神代が仮説を提示した。
「物凄く安易な推理をすると、その人は熱心な五円玉コレクターだったとか……。それで、この店には実は珍しい五円玉があって、それを集めていた、とか」
そんなことを自分で言ってから、即座に神代はブンブンと顔の前で手を振り、「ナシ、今のは、ナシ」と言う。
ちょっと、安易すぎて口に出したのが恥ずかしい推理だったらしい。
実際、この推理は僕も思いついてはいたが────説明のつかない点がある。
と言うのも、両替を申し出るのはともかく、その後がおかしいのだ。
「……本当にコレクターだったのなら、多分、両替してもらった五円玉を、その場で確認したんじゃないか?何年発行の物が稀少価値が高いとか、そう言うのあるだろうし。と言うか、それを確認しないと意味が無いというか」
「そうよね。だけどその人は、すぐに走って出て行ったそうだし……」
少々、レア物の硬貨を求めてきたコレクターには、そぐわない言動である。
そもそも、仮に本当に、このコンビニのレジ内にレア物の硬貨があり、それを手に入れるために彼が両替を申し出たのだとしても────その場合はその場合で、何でそんなことを知っていたのか、という新たな疑問が生まれるだけだ。
どうにも、この線で片を付けるのは、難しい気もする。
「これが一円玉なら、使う機会も多いから大量に両替して欲しい、という人がいても不思議ではないのだけど……五円玉だから、より不思議よね。コレクターではないとすると……ちょっと私には、思い浮かばない」
「二十って数字も、何か意味があるのかな?ただ単に大量に欲しかったのか、それとも何らかの理由で、二十枚無いと意味が無い状況だったのか……」
うーん、とまた詰まる。
なまじ話がシンプル過ぎる分、手掛かりが少なすぎるのだ。
どうにも、思考が進まない。
「レア、何か、思いついたことはある?どんな推理でも、聞いてみたいくらいなのだけど……」
推理に限界が来たのか、神代は不意にレアに話を向ける。
すると、未だに五円玉を見つめていた彼女が、ふにゅ?という顔で視線をこちらに向けた。
どうやら、ようやく五円玉への興味は薄くなったらしい。
「……今の話を聞いて、何かこれは、という意見は無いか?」
話を聞いていなかったようなので、僕は今一度質問を繰り返す。
すると、レアはパアッ、と顔色を明るくし、グイ、と体をこちらに寄せた。
そして、当然のようにして、こう告げる。
「要するに、推理、ですね?……私、推理、あります!」
「……え、あるの?」
「はい!さっきからのマコトの話を聞いて、思いついたことがあるんです!」
勢いよくそう言ってから、レアは胸を張った。
それを見て、僕と神代はおおう、とのけぞる。
同時に、何だか予想外の展開になってきたな、と互いに思っているのが分かった。
しかし、そんな僕たちを尻目に、レアはビシッ、と人差し指を立て、天を指さす。
さながら、謎解きショーを始める探偵のような動作だった。
この動きも、どこかで練習してきたのだろうか。
だが、僕がその思考も、十分に進める間も無く。
レアは、こんなフランス語から話を始めた。
「Maintenant ……」




