僕と少女の関係
────これまた、「後になって考えるからこそ分かること」、なのだが。
この時の僕の精神状態は、控えめに言ってもヤバかったと思う。
自暴自棄と言うか、感情的と言うか。
それは、深宮の提案に対して、半分とは言え期待したことからも明らかだ。
だって、そうだろう?
僕はもう、その提案について「傍迷惑」「僕が女好きだと思われるだけ」だと、理性では認識しているのだ。
その効果はともあれ、いくら何でも、良いやり方ではないな、と。
理屈では、判断出来ている。
しかし、それでも期待していた。
このやり方で、何か変えられるのではないか、と。
そんな動機で告白される方が、どれほど迷惑なのか考えもせずに。
本当に、失恋した僕と言うのは、最低な事しか考えていなかった気がする。
普段なら、もう少し理性的だった……などと言っても、言い訳にもならないか。
事実、僕はこの提案を鵜呑みにして────学年でも指折りの女子に、告白をしに行ったのだから。
ただ、失恋の痛みからさっさと逃れたいという、あらゆる方面に失礼な願いだけを抱いて。
「来てくれるかな……」
深宮から例の提案を受けて、少し経った日。
自分のクラスでもある教室の真ん中で、僕はある人を待っていた。
時刻は、午後五時前。
最後の授業の終了からは、二時間近く経過した時間帯だ。
帰宅部の僕としては、この時間まで学校に居るというのは、まあまあ珍しい事態である。
以前もそうだったが、流石にこの時間ともなると、教室に生徒は残っていない。
それどころか教師も残っていないので、完全に教室は無人と化していた。
何らかの部活動で使われる教室なら、こういうこともないのだろうが。
「この階、そもそもそう言う教室少ないんだよな……先生もほとんどいないし」
廊下の方を見つめながら、ふとそう呟く。
実際、僕の目が届く範囲では、特に歩いている人物はいなかった。
体育会系の部活の掛け声が、外から多少聞こえるくらいである。
要するに、この教室やその付近は、放課後の校内では基本的に無人。
しかも、忘れ物をした生徒のことを考えてか、原則として鍵が閉まっていない。
……勝手に中に入ってしまい、内側から鍵を掛けてしまえば、それだけで一人きり、或いは二人きりになれる環境、ということだ。
「ここまで告白に向いた教室も、そう無いな……まあ、僕にとっては好都合だったけど」
今日の行動を振り返りながら、ついそんな言葉を呟く。
実際、ここまでの流れは、非常にスムーズなものだった。
深宮の提案で頭が一杯になり、その衝動に突き動かされるまま、相手を呼び出す手紙を書いたのが、昨日の夜。
同級生の目を盗み、その手紙を相手の机の中に滑り込ませたのは、今朝早くの事だった。
呼び出した相手は他クラスの女子生徒だったため、手紙を忍ばせるのは中々の苦労ではあった。
他の生徒が来ていないくらいの朝早くに登校したとは言え、誰にも見られなかったのはまあまあの奇跡かもしれない。
──あの手紙がちゃんと読まれたなら、来てくれるとは思うけど……だけどまあ、今時手紙って言うのも古い手だよなあ……。
本当なら電話で、とかアプリで、とか言うのが楽なのだが、生憎と僕は相手の電話番号もメールアドレスも知らなかった。
だからこそ、意思を伝える手段は手紙しか無かったわけだが。
それでも、手紙の中には、出来る限り綺麗な字で時刻と場所を指定してある。
可能な限り、悪印象は抱かれないようにしたつもりだ。
後は、果たして、向こうが来てくれるか否か。
──まあ、一時間待って現れなかったら、その時は諦めよう。
終いには、そんなことまで考えたところで────不意に。
形だけ閉めていた教室の扉が、コンコン、と音を立てた。
「……桜井君?手紙通り、来たけれど」
無人の教室を震わせる、綺麗なアルト。
同い年の女子生徒の声とは思えない程の、しっとりとした大人びた声が、廊下から響いた。
──来てくれた……。
その事実を認識し、心臓がドクン、と跳ねる。
今更ながら、自分が──その真意はどうであれ──彼女に告白しようとしている、という事実を正しく認識出来てくる。
指先が、軽く振動した。
「あ、ああ、居るよ。入って……」
「そう。待たせてごめんなさい」
俺が言い切る前に、扉がガラリと開けられる。
途端に、俺の両目が自然と彼女に吸い寄せられた。
俺に呼び出されたその人物────この学校屈指の美少女、神代真琴に。
──改めて見ると、本当に綺麗だな、この人……。
自分で、告白のために呼び出しておきながら、ついそんなことを考える。
今日に至るまで、彼女相手に相対したような機会など無かった。
だからこそ、正面からまじまじと見たことなど、この瞬間が初めてな訳で────無意識に、その流麗さに呑まれてしまう。
彼女の容姿を言葉で形容するなら、どうなるのだろうか。
こう、顔面のあらゆるパーツが、最も美しい並びで配置されている、と言うのが一番正確だろうか。
薄い唇も、細い鼻筋も、ぱっちりとした大きな瞳も、その全てが理想的な場所で、理想的な美しさを発揮している。
無論、年齢の割には高い背──僕より背が高い──や、それに伴いすらりと伸びている手足も、美という観点では負けていない。
セミロングに伸ばされた髪もまた、異様に艶やかだった。
彼女が着ている服だと思うと、不思議と制服のセーラー服も際立って綺麗に見えてくる。
──今まで、同じクラスになったことは無かったけど……そりゃあ、噂になるよなあ。
扉を開け、ゆっくりと歩み寄ってくる彼女を呆けて見つめていると、そんな納得が襲ってきた。
実際、この中学校に入学して以降、しばしば聞こえた話なのである。
この学年には、テレビに出てくるような美少女と比較しても、決して見劣りしない生徒が存在するらしい、と。
何人もの生徒が彼女に挑み、そして散っているのだ、と。
百合姉さんに夢中だった都合上、特に気に留めていなかった話なのだが、それでも覚えてしまう程度には何度も聞いていた。
だからこそ、深宮の提案を聞いた時、彼女の事が最初に思い浮かんだのだ。
相手のことは全く知らないが、それでもこれほど相応しい人も居ない。
無理そうな女子相手でもとりあえず告白していけ、という状況に、最も適合する相手。
神代真琴こそ、その無理目な女子だろう、と。
……そう言う訳で、面識など一切ないくせに、こうやって呼び出したのだ。
「……それで、話って何?」
教室の真ん中に佇む俺の、二メートルくらい手前にまで歩いてきた神代が、首を傾げながら口を開く。
その動きだけで彼女の髪がさらさらと揺れ、僕の目を奪った。
本当に、ちょっとした仕草でも絵になる人だ。
「あ、うん。ありがとう、来てくれて」
「別に……生徒会の仕事、今日無かったから」
だから暇だった、と言いたいのだろうか。
こちらを安心させるように、神代が僕に向かって微笑みかける。
その動きだけでも、彼女の優しさと言うか、僕への配慮が伺い知れて、また一つ感心してしまった。
同時に、そう言えばこの人、生徒会の書記だったな、と昔聞いた話を思い出す。
確か、去年の時点で立候補していたのだったか。
──っと、感心している暇無いな、告白しないと……。
変な方向に逸れた意識を、慌てて元に戻した。
ただ呆けているだけでは、目的を果たすことは出来ないし、来てもらった彼女に悪い。
流石に、冷静さと理性が死んでいても、それだけは分かった。
だから────気負うことなく、躊躇うことなく。
恥ずかしがりはしながらも、あまり調子を崩さないままで、僕は彼女に向き合う。
「……ええと、じゃあ、神代さん。少し、話をしたいんだけど」
「ええ、どうぞ?」
慣れた様子で、神代が手でこちらに行動を促した。
彼女としても、既に僕の目的は察しているのだろうか。
その態度には、一種の余裕すら滲ませているように感じる。
故に。
僕もまた、普段と変わらない調子で「その言葉」を発した。
百合姉さん相手に、終ぞ言えなかった言葉を。
「…………好きです、付き合ってください」
本当に彼女のことが好きなわけでは、無かったからだろう。
全く詰まらず、噛むこともなく、綺麗に発音できた。
告白のお手本のような、純粋な文字列。
言い切ると同時に、すっと頭を下げる。
自然、沈黙が周囲を包んだ。
──……これで、良いんだよな……?
顔を下に向けたまま、そんな事を思う。
そして、自分の計画したことは、ちゃんと出来ていたか、と自問自答した。
無理そうな女子が相手でも、とりあえず告白しておく。
勿論振られるだろう──何しろ、殆ど面識が無いのだ──が、それでも多少は意識してもらい、関係を近くする。
冷静な視点で見れば、糞野郎以外の何者でもないのだが、僕はついにそのまま突っ走ってしまった。
まあ、どうせ振られるだろうから、迷惑は大してかけないかもしれない、という予測もあったのかもしれないが。
大概、自棄である。
これで、本当に良かったのか。
今更、そんな罪悪感に満ちたことも思って。
しかし、もうどうしようもない、と思考を打ち切る。
……僕が、そんな自問自答を繰り返しつつ、頭を下げているうちに。
大して時間もかけず、神代は返事をした。
────分かった、いいよ、と。
「……え?」
「どうしたの?」
「いや……その……言っている話の意味が、えーと……分からなくて」
あやふやな口調で、僕はそう返した。
下げていた頭も、慌てて跳ね上げる。
何か、信じがたい言葉が聞こえた気がしたのだ。
言い間違いか何かでは無いか、という思考が、先に浮かんだ。
しかし、神代がそこで口にしたのは。
先程までと、全く変わらない言葉だった。
「だから……いいよ?私、貴方の彼女になってもいい」
「え……えー……?」
……形だけとはいえ、告白をしているのは僕の方なのだから、このリアクションは本来おかしいのだろう。
しかし、本心だった。
何故、そう言う返事が返って来るのか、全く分からない。
何度も言うが、僕は彼女と一切の面識がない。
こちらは噂話を通してその存在を知っていたが、彼女の方からすれば、僕のことなど視界にも入っていなかったことだろう。
どうして、そんな浅い関係性の相手からの突然の告白を、こうも簡単に受けるのか。
というか、仮に彼女が僕に好印象を抱いていたとしても、「まずはお友達から始めましょう」とかの言葉が返ってくるのが普通じゃないだろうか。
どうして、こうも即断即決が出来る?
思考が纏まらない。
理性が機能しない。
まずは自分の事情を説明しようとか、本音を言ってしまおうとか言った、この場ですべき正しい対応も、混乱の中で消えてしまっていた。
自然、僕は何も言えないまま、ただ彼女の目の前で、酸欠の金魚のように口をパクパクと開閉させる。
それだけしか、出来なかった。
そんな僕の様子を見て、神代は薄く、微笑む。
彼女の雰囲気は、何故か暖かな感じがした。
そして────不意に、僕の目の前で、彼女は軽く指を立てる。
そのまま彼女は、また変なことを言い出した。
「ただし……私が貴方の彼女になるまでには、ある条件があるの」
「へ?……条件?」
「そう。何様のつもりだ、と思うかもしれないけど……それでも、貴方に頼み事がしたいのよ」
──頼み事……?
どうしよう。
本気で、何の話を持ち出しているのか分からない。
初対面で告白しに来た男子中学生に、彼女は何を望んでいるのか。
しかし、流石の僕も、そのことを直接は問いただせなかった。
言葉に出来る程、冷静さを取り戻せていなかったというだけだが。
そのせいか、僕は既に話題に出ていることだけを、機械のように聞き返す。
「頼み事って、何……?」
「謎解き」
さらっと、神代が明言する。
そして、こう続けた。
「私の身の回りにはね、えーと……四つ。そう、四つの『日常の謎』があるわ。貴方には、それを解いてもらいたいの」
それが出来たら、私は貴方の彼女になる。
最後に、彼女は話をそう締めくくった。