探偵好きな少女と探偵を動かす少女の関係
え、と思って僕はその場で振り返る。
今のところ、僕が見つめる掲示板付近には他に人が居ない。
エイジ、という呼び名といい、僕を呼んでいるのには間違いがないと思ったのだ。
そうして、振り返った先を見て────僕は思わず、目を見開いた。
それはもう、演出過剰なドラマのそれくらいに、真ん丸と。
──外国人?……それも、凄く綺麗な……。
掲示板から三メートルほど離れた、廊下の一区画。
丁度、第二音楽室の前あたりに、一人の少女が立っている。
まず目に入るのは、整えられたショートカットをしている、金色の髪。
染めて作ったのではないな、とすぐに分かるくらい自然な色で、そこだけが輝いているような色合いだった。
抜けるような肌の白さも相まって、薄暗い廊下でもよく映えている。
さらに、キョトン、とした感じで僕を見つめてくるあどけない表情もまた、印象に残った。
ほっそりとした顔立ちといい、瑞々しい碧眼といい、人形のような綺麗さであり、かなりの美少女だ。
しかも、首から下のスタイル──海進中学校の制服を着ていた──も年不相応に良く、隙が無い。
まあ要するに、映画の中から抜け出てきたような、凄まじい美少女がそこに居た。
視界に入った瞬間、思わず二度見、三度見をしてしまうレベルである。
そしてもっと驚いたのは、彼女の顔を見た事がある、という事だ。
──この人、さっきのポスターの……。
ふと思い出されることがあり、僕はもう一度振り返って、先ほどまで見つめていたポスターに視線を戻す。
当然ながら、そこには変わらない文言と、モデルの少女が写っているわけだが。
──やっぱり、この子か。留学生の一人の……。
そこまで確認して、ようやく僕は得心する。
同時に、状況が脳内で整理され、何となくだが現状を推測できた。
何故このような少女が学内に、と思っていたのだが、後ろのポスターを考えれば、推測は出来る。
詰まるところ、目の前に居るあの子は、海進中学校にやって来た交換留学生なのだろう。
それで、学校から貰ったのであろう制服に身を包んだまま、校内を見学でもしているのだ。
──いや待て、だけどその場合、何であの子は僕の名前を呼んだんだ?
自然、次の疑問が浮かんでくる。
しかし、僕がそれについて考えるよりも先に────その少女の方が、ツカツカとこちらに向かって歩いてきた。
えっ、と驚いてしまい、僕は静止する暇もない。
元々大して離れていなかった事もあり、彼女は一気に僕の目の前、それも息がかかりそうなくらいの至近距離にやってくる。
そして、グン、と顔を上げて、こう言った。
「んーと、エイジ、ですか?サクライエイジ……さんで、合ってますか?」
「え、あ……はい」
眼前の少女が抱えるある種の真剣さと言うか、圧に負けて、僕はただその場で頷く。
しかし、そんな僕は置いてけぼりにして、彼女は迅速に表情を変化させた。
というのも彼女は、僕の返答を聞いた瞬間、パァッ、と音が聞こえてきそうな勢いで表情を明るくして。
さらにペコリ、と頭を下げたのだ。
「ええと……初めまして、私、レア・デュランと申します。フランスから、交換留学生としてやって参りました」
突然始まった挨拶は、彼女の他の日本語に比べると、とりわけ流麗だった。
今までの言葉は、決して意味が分からない程では無かったが、それでもイントネーションや会話の間に、多少の違和感が生じている。
しかしこの挨拶は、よほど練習したのか、日本語のネイティブスピーカーなのではないか、と錯覚するほどスムーズだったのだ。
だから、と言うわけではないが、何となく、僕は反射的に挨拶を返す。
名乗られたからには名乗り返さなければ、などと、脊髄で考えたのかもしれない。
「あ、はい……桜井永嗣です。どうも、よろしくお願いします」
そう言って、事情もわからないまま僕は頭を下げる。
すると、顔を上げた少女────改め、レア・デュランは、再び顔色を明るくした。
「マコトから、話は聞いてます。会いたかった、です!」
「……マコト?」
一瞬、誰だ、と思う。
何せ、漢字を当てようと思えば、「誠」やら「信」やら、どうとでも表現できる字だ。
音だけでは、男性名か女性名かすら分からない。
ただ、流石に今回は、数秒して正解に辿り着けた。
何せ、ついさっきまで頭に浮かべていた少女の名前である。
「ええと、すいません。……マコトって、神代真琴、のことですか?」
「はい!マコトは、私のホーム……ええと、げしゅくさき?です」
表現できる単語が咄嗟に出てこなかったのか、少々怪しい言い回しになっていたが、意味は把握した。
要するに、先程した推測は合っていた、と言う事だろう。
神代は、いつからかやって来た少女との、異文化交流真っ只中にあるらしい。
となると────。
「……あっ、居た!」
そこまで考えたところで、聞き慣れた声が背後から聞こえた。
最早、声の主を確認せずとも誰かは分かる。
だから、僕はすぐに反応した。
「神代か……?」
そう言って視線を廊下の奥に向けると、タタタ、と神代が駆けてくる音がする。
本来廊下は走ってはいけないのだが、そうも言ってはいられないのだろう。
かなり真剣な顔で走り寄ってきた神代は、レア・デュランの隣で急停止し、さらにその勢いのまま彼女の腕をガシッと掴んだ。
「やっと見つけたわ、レア。すぐ居なくなるんだから……」
微かに息を荒げながら、状況説明もそこそこに、神代はそんなお小言を口にする。
そして、その言葉だけで、大体の状況は把握できた。
しかし、腕を掴まれた少女の方も負けてはいない。
彼女は神代のお小言をものともせず、キラキラとした瞳をたたえたまま、僕の方をビシッと指さした。
「だって、マコト。見つけたんです!マコトの言ってた、えーと、Détective……探偵を!彼ですよね?」
「ええ、そうね。合ってはいるわ。けど……」
軽く頷いてから、神代は、軽く少女の額に手を添え、身を引かせる。
「それより先に、ちょっと離れましょう、レア。桜井君、近づかれ過ぎて、困っているから」
……そんなこんなで、初邂逅を果たしてから。
僕がようやく事情を聞けたのは、何かと尋ねてこようとするレアを引っ剥がし、三人で僕のクラスの教室にまで流れ着いてからだった。
かつて「第一の謎」を解いた時と同様、人が殆どいないのを利用したのである。
「ごめんなさい、桜井君。この子が、レア・デュラン。昨日から、私の家にホームステイしている子よ。……因みに、交換留学の話、知ってる?」
「ああ、まあ……」
正確には、詳しい部分はついさっき知ったのだが、二回説明させるのもアレなので、頷いておく。
すると、さらに予想と違わない説明が続いた。
「レアは、明日から授業にも参加するのだけど、ほら、学校の位置や設備について、紹介しておく必要があるでしょう?それで……」
「放課後を利用して見て回っていたら、突然走り出して見失った、と?」
「そう言う事。……結構、好奇心が旺盛な子らしくて」
そう言いながら、神代は自分の隣に座るレアの方を見つめた。
そこでは、レアが忙しなく、教室内の様子をキョロキョロと観察している。
周囲の何もかもが物珍しい、と言わんばかりの様子だった。
──本当に好奇心が凄いな……というか。
ふと、聞いておかなければならない事があったのを思い出し、僕はそちらを口にする。
「この子、僕の名前を知ってた上、探偵とかなんとか言ってたけど……何か話した?」
「ああ、それは……」
何か思い出すような顔をしながら、神代が口を開こうとする。
しかしその前に、探偵、という言葉を聞いたレアが、キラリと目を輝かせてこちらを振り向いた。
そして突然、こんな事を言う。
「それは、私が頼んだ事なんです、エイジ!私、探偵、好きなので!」
「え……そうなのか?」
「はい!ランポも、ヨコミゾも、頑張って読みました!それを原文で読みたくて、日本語を勉強したくらいです」
力強くそう言って、レアは軽く拳を握る。
彼女の動きはエネルギーに満ち溢れていて、背後にはオーラのようなものまで幻視できた。
何というか────心の底から、彼女は推理小説と探偵が好きなんだな、と一発で分かる動きだったのは、確かである。
──フランスから来た、探偵好きの少女……。
これはまた、神代に続いて変な女の子が来たな、などと。
彼女のエネルギーに充てられて、何も言えずに呆けた僕は、そんな事を思うのがせいぜいだった。
 




