お菓子の穴と異国の関係
多くの人にとって果てしなくどうでもいい事だろうが、今まで散々言ってきた通り、僕はバウムクーヘンが嫌いである。
百合姉さんへの片想いが砕け散ってから、一月近く。
現在では十一月になってしまったが、それでも尚、この想いはブレる事がない。
季節の巡りと共に、肌寒い日が増えてきた今日になっても、僕はバウムクーヘンが嫌いなままである。
何なら、時間を追うに従って、以前よりも強くなってきたくらいだ。
つい最近など、財布の中に転がっていた五円玉を見ただけで、ついついバウムクーヘンを連想してしまい──どちらも、穴があって黄色っぽい。似ていると言えば似ているのだ──どういう訳か泣けてきてしまった。
いよいよ重症というか、ここまで来ると慢性疾患である。
ただ────同時に。
この時期になると、僕にはある変化が訪れていた。
平たく言えば、この頃から僕は、バウムクーヘンについて随分と詳しくなっていたのである。
一見、矛盾しているように見える変化だろう。
しかし勿論、この変化にも理由がある。
簡単に言うなら、「怖いもの見たさ」と言うことになるのだろうか。
なんというか、バウムクーヘンについて嫌がっていながらも、スマートフォンを弄っていたり、本を読んでいる内に、ついつい関連記事を読んでしまうのである。
インターネット上の百科事典とか、そう言うのを。
気にするな気にするな、と思いながらも、視線がふとバウムクーヘンという文字列に惹きつけられてしまう、と言うべきか。
負の方向に気にしすぎた結果、それを目にする機会が自然と増え、何とはなしに調べてしまうのだ。
だから、バウムクーヘンの発祥(その原型は紀元前にまで遡る)だとか、各国での広まり具合(本場ドイツでは、日本ほどポピュラーでは無いらしい)だとかについて、今の僕は妙に詳しい。
それどころか、バウムクーヘンに限らず、他の西洋菓子の類についてまで惰性で読み込んでしまい、変な雑学ばかり身についた。
それらの知識は、まあ、ほぼ知ったところで役に立つ事のない物たちだが────その中で少し、面白いな、と思った豆知識がある。
それは、バウムクーヘンとも形が似ている、ドーナツについての豆知識だ。
長くなるが、結構興味深い話なので、少し語ってみることにする。
この雑学の根幹は単純な物で、要するに、子どもが一度くらいは抱きそうな、ある疑問に関する事である。
その、ある疑問というのは────何故ドーナツには穴があるのか、という疑問である。
ドーナツという物は、球形の物もあるが、一般的にはリング状のそれがメジャーである。
ドーナツを描け、と日本人に聞いたなら、かなりの人が輪っかを描くことだろう。
しかし、よく考えれば、この穴は結構不思議な存在なのだ。
というのも、似たような形をしたバウムクーヘンと違い、この穴は製法上の必然性が無い、という特徴があるからだ。
バウムクーヘンの場合は、まだあの形になる理由が分かる。
あれは製作される時、まず芯棒が存在して、そこに年輪状に生地を塗っていくため、必然的に穴が生まれるのだ。
しかし、ドーナツはそんな作り方はせず、普通に揚げて作る物であるため、形は本来自由自在なはずだ。
だと言うのに何故、リング状のドーナツがここまで広まったのか?
というか、世界で初めてあの形のドーナツを作った人は、何故わざわざ穴を開けたのか?
……結論から言うなら、その理由は、ごく単純である。
僕が読んだ本によれば、「火を通りやすくするため」らしい。
特に料理をしたことがない人でも、何となくの感覚で分かると思うが、穴の無い円柱状のドーナツや、球形のドーナツを揚げようとすると、中心部はどうしても熱が届きにくくなってしまう。
最悪、周辺が完成しても中が生焼け、というのも十分にあり得る。
だから、ドーナツには穴が開けられたらしい。
表面積を増やし、あの穴の部分からも熱せられるようにする事で、出来損ないが生じないようにしている訳だ。
そして、ここからが僕が面白いと思う点なのだが────人類がこの発見に辿り着くまで、すなわち、元は球形の物が多かったドーナツに、穴を空けるようになるまでには、かなりの時間がかかったらしい。
というのも、ドーナツ自体はかなり昔から存在したのに、リングドーナツが広まった時代と言うのは、まあまあ最近(十九世紀頃)なのだ。
言ってみれば、人類史においてはかなりの期間、ドーナツと言えば穴が空いていない物が常識だったのである。
だからきっと、昔の人に今のドーナツを見せても、それがドーナツと判断される事は無いだろう。
当時の人にとってのドーナツと言うのは、穴が無くて、たまに生焼けになるお菓子、と言う認識なのだから。
それが今では、穴が空いている物こそ普通なのだから、時代の進歩の結果とは言え、不思議な感じがする。
そして、不思議な感じがするからこそ、面白く思うのだ。
当たり前と言えば当たり前の事だが、僕が常識と感じている事であっても、時代や場所が変われば、それは非常識になり得る。
古今東西、世界の全ての地域で通用する常識など、存在しないのだから。
強いて言えば、この「絶対的な常識など無い」という事実こそ、ある意味絶対的な常識に近い概念と言えるだろうか────。
────などと言う事を、僕はある日、学校の掲示板の前でぼんやりと考えていた。
勿論、声になど出してはいない。
ただ単に、そこに貼ってあるポスターを目にして、何となく考えた事である。
……何せ、そのポスターというのは、次のようなタイトルをしていた。
「海進中学校・交換留学プログラム 〜フランスの風〜」
海進中学校というのは、僕や神代が通う中学校の名前である。
とりたてて特徴も無い、普通の公立中学校だ。
そして、その学校名の隣にあるまあまあダサいキャッチコピーの下には、金髪碧眼の美少女の写真が貼られていた。
どうやら、留学生の一人を使って、ポスターを作ったらしい。
そして、そんな写真映えする少女の足元には、プログラムを実施する期間が明記されていた。
見たところ、ちょうど昨日あたりから始まっているようだ。
──そう言えば、ちょっと前の全校集会で、校長が言ってたな……何か、この市の姉妹都市から留学生が来るって。その姉妹都市って言うのが、フランスにあるのか。
ポスターを見て、ぼんやりと僕はその内容を思い出す。
確か、このプログラムの一環として、夏休み前に海進中学校の三年生が、何人かフランスに行っていたはずだ。
その後、十一月になって、今度はフランスの方から留学生が来る、という話らしい。
ポスターを見ながら僕は、素直に、また変わった行事だな、と思った。
ただ、これは本来、僕には全く関係の無い話だ。
正直なところ──フランスには悪いが──語学留学にも異文化交流にも、そこまで強い興味はない。
せいぜいが、「フランス→ヨーロッパ→バウムクーヘン」と異様な連想ゲームをしてしまい、上記のように長々とした雑学を振り返ったくらいか。
普段なら、それすらもせずに、素通りする感じの企画である。
だが────それでも、少し目を引く点があった。
「交換留学生は、留学中は生徒会メンバーのお宅でホームステイをします、か」
ポスターの下に、コピー用紙を付与する形で挿入されている、注釈。
それを見て、僕は自然と神代の事を連想した。
前にも確認した事だが、神代は現在、生徒会の書記を務めている。
そうだったからこそ、以前この掲示板に訪れ、「第一の謎」に遭遇したのだ。
まあ要するに、この交換留学生というのは、現在神代の家に滞在している可能性が高い、という事である。
生徒会メンバーというのは、確か五人くらいしか居ない。
留学生が複数名来るらしい事を考えると、神代の家だけがホームステイから外れている可能性の方が低い。
──いやまあ、だから何だ、という話ではあるけど……。
そこで、自分が物凄くどうでもいい事を考えている事に気が付き、僕は自嘲しつつ顔をポスターから外した。
どうも最近、ふとした事から神代について考える機会が、妙に増えた気がする。
まあ、前回の終わり方を考えると、仕方のない面もあるのだが。
──だけど、コレは完全に関係のない話だしな……前回の事があったからって、別にホームステイが失敗する訳でもないだろうし。気にする事はないか。
別に僕がこの話に興味がある訳でもないし、留学生の存在が僕の生活に関わってくる事も無いだろう。
強いて言うなら、神代はしばらくこの留学生の相手にかかりきりだろうから、「第三の謎」の襲来は遅くなりそうだ、と分かるくらいか。
「まあ、どうでもいい話題である事には変わりないし、帰るか」
考えた末、僕はようやくポスターから視線を外し、軽く伸びをする。
生徒会の名前があったため、ついまじまじと見つめてしまっていたが、もう時刻は放課後である。
いい加減、帰宅部らしく家に帰るとしよう。
────などと、考えた瞬間。
「んー……?彼って、もしかして、エイジ、ですか?」
日本語を発音し慣れていなさそうな声が、唐突に、背後から降ってきた。




