友愛と片想いの類似関係(Episode II 終)
どうして、涼森舞がそのような行為に至ったのか。
そこは、厳密には分からない。
ただ、類推は出来た。
そもそもにして、小学生からの友人でも、中学生になったらあまり話さなくなってしまった、というのは、大して珍しくも無い事例だろう。
僕自身、かつては仲が良かったのに、今では殆ど話さなくなってしまった友達というのは、何人もいる。
深宮のような、ずっと仲の良い友達というのは、寧ろ稀だ。
人間関係──特に僕たちのような、子どもの人間関係──なんて、所詮そんな物、という事なのだろう。
残酷な話だが。
しかもこういう場合、友達と疎遠になったり、険悪になったりするのには、明確な理由が存在しない場合もある。
何となく会話のテンポが合わなくなったとか、単純にクラス替えだとか、実にしょうもないきっかけで、友達というのは減っていく物だ。
これは、中学生の肌感覚として分かる話だった。
だから涼森舞も、最初はそうだったのでは無いか、という気がした。
神代のどこが悪いとか、そう言う明確な理由があったのではなく────ごくシンプルに、何となく、距離を置くようになったのでないか。
元々、長期間制作していた漫画を描き終わり、その結果を待つと言う、緊張する時期に差し掛かっているという事情もある。
故に、あまり積極的に遊ぶ気にもなれない。
かと言って、今更秘密にしていた将来の夢について語るのも、少々手間だ。
そんな「何となく嫌」という感覚に従って、彼女は時間があったはずの夏休みでも、遊びの誘いを断ったのではないか。
恐らく、涼森舞としては、直接的に言葉を言う事なく、自然と疎遠になりたかったのだろう。
この雰囲気で察してくれ、くらいに思っていたかもしれない。
しかし────それでも、神代は遊びに誘う事を止めなかった。
これは、当然と言えば当然の事だ。
彼女の話では、元々は週に二、三回は遊ぶくらい、近い距離感だったのだ。
神代からしてみれば、多少距離を置かれた程度で、すっぱりと縁を切れるはずもない。
だが、神代のその熱意も、涼森舞からすれば鬱陶しかったのだろうか。
折しも、漫画の賞も受けとり、夢である漫画家として活動していけるかもしれない、と思い始めた頃である。
元友人に対して、あまり気配りをする余裕も無かったのかもしれない。
そのために────彼女は、何時も自分の事を気にかけてくる神代に、悪意を抱き始めた。
要するに、いい加減ウザイな、と思い始めたのだ。
この時、神代にとって幸いだったのは、流石に彼女も、神代に対して直に「ウザイ」と言うような事はしなかった、という点だ。
いくらなんでも、そんなやり方では角が立つと思ったのだろう。
もっと言えば、神代はその容姿から、学内でも目立つ存在なので──特に関わりのない僕ですら、存在は知っていた──そうやって直接傷つけてしまうのは、躊躇われたのかもしれない。
注目度がある女子生徒を相手にしている分、揉め事を起こせば、変な噂も立てられやすい。
だから、彼女はあんな事をした。
神代の前でわざと大金を使い、敢えて事情を説明せず────相手をひたすら困惑させる、という地味な嫌がらせ兼縁切り行為を。
普通なら、こんな事をしても、涼森舞には大したメリットはない。
何度も言うが、不審がられるだけだ。
だが、逆に言えば、この行為は涼森舞からすれば、大きなデメリットも無い。
普通、人が周囲から怪しまれるような行動を自制するのは、周囲との関係を壊したく無いからだ。
しかしこの場合、涼森舞は神代との関係を出来れば壊したいくらいなのだから、極端な話どう怪しまれてもいい訳である。
大前提として、友人関係を持続させる気すらないのだから。
だからきっと、どうぞ疑ってくれ、くらいに思っていたはずだ。
神代に対して、直に縁切りを告げるのはアレだが、向こうが勝手に離れてくれるのは、涼森舞としては大助かりになる。
ついでに、賞金で大人買いをする様を見せつけることで、ある種のマウントを取ることも出来て、願ったり叶ったりだ。
つまり、自分の事を適度に怪しませつつ、もう近づかないように促す事。
そんな、趣味と実益を兼ねた縁切り行為として、例の買い物はあったのだ。
尤も、神代はそんなことをされても尚距離を置かず、僕に相談までしてきた訳だが……。
────以上が、僕の推理した事だ。
同時に、神代に「第二の謎」を語られた時点で、僕が薄々察し、隠したことでもある。
無論、この推論が本当に正しいのかどうかは、涼森舞と直に話した事も無い僕には、分からない。
話の性質上、本人に確認するのはまず不可能なので、真相を確かめる手段も無い。
だが、大筋では外れていないだろう、という気はした。
それは、僕が自分の推理に自信を持っているからではなく。
単純に、神代や涼森舞と同様に、中学生として生活する僕の感覚として。
この推理は、間違っていない、と思えてならなかった────。
「まあ、究極的には、よくある話なんだろうけど……段々疎遠になった友達が、距離感を察してくれって感じのオーラを出すのは」
大分僕の家にまで近づいてきたところで、僕はそんな事を呟いてみる。
そして、ウンウン、と頷いてみた。
そう、よくある話だ。
人間関係が、時間と共に変化していく事も。
距離を置きたい友達が頻繁に話しかけてきて、「ウザッ」と思う事も。
決して、珍しいことではない。
というより、僕自身も含めて、誰しもが経験することだ。
何なら、今この瞬間だって、何度も起こっているのだろう。
だが、どういう訳か。
僕にはこの話が、よくある物だ、の一言では流せなかった。
どうにも、やるせないのだ。
何故かと言えば────。
「何というか……神代が、心の底から涼森舞の悪意を疑っていないって言うのが、変にキツいな。片方はずっと仲良くしたくて……でも、もう片方は縁を切りたがってる、ということだし」
つい、そんな言葉が漏れる。
同時に、再び溜息が自転車のハンドルを温めた。
こんなことを言う僕も、神代の付き合いは、その実一月も無い。
だから、彼女の性格について、知悉している訳でも無い。
だが、「第二の謎」を聞く中で、嫌でも理解していた。
あの心配は、本物だ、と。
推理中も感じていた事だが、今回の一件は、「第一の謎」とは真剣さが違った。
あちらは、所詮解けなくても誰も困らない話だったが、今回の神代は、どうやってでも真相が知りたい、という態度だった。
一切の裏なく、神代は、心の底から涼森舞の事を心配していたのだ。
自分と距離を置こうとされていることにも、気が付かないくらいの真剣さで。
そうでなければ、犯罪に関する講演を聞くだけで不安になり、僕を連れ出すようなことなど、するものか。
……彼女の、ある種空気を読めないほどの純粋さが、今では辛い。
彼女の、過保護とも取れる心配が報われないことが、どうしても歯痒い。
ただ、この感覚が妥当な物なのかは、正直分からなかった。
もしかすると、客観的に見れば、友人間の雰囲気を察することの出来なかった神代の方が、悪いのかもしれない。
この話の見方を変えれば、涼森舞の方こそ、雰囲気を察してくれない友達に付き纏われてしまっている被害者だ、という言い方だって出来る。
厳しい言い方をすれば、今回の一件は、神代が勝手に心配し、勝手に思い悩んでいたと言うのも間違いではなく────その見当違いの努力が報われないのは、当然なのかもしれない。
──それでも……僕が神代の方に共感しているのは、何故だろう?
ふと、そんな事を考える。
何故、僕が辛く思っているのか。
神代の自業自得だな、と冷たく切り捨てることが出来ないのか。
少しばかりそれを考えて────大した時間をかけることなく、答えは降りてきた。
「ああ……そうか。この状況、片想いに似てるからか。相手にもされてない人の事を、大切に思い続ける点が、特に」
意図せず、声に出してしまう。
僕の家に近づく事で、百合姉さんの実家が見えてきたからだろうか。
自然と、その重ね合わせは見抜くことが出来た。
「そうだよな。……要するに神代は、一方的に涼森舞の事を大切にしてた訳で。その辺りが……」
向こうからすれば、一緒にしないでほしいかもしれないが。
どういう訳か、僕の報われない片想いと、状況的に被るのである。
初恋相手に対する恋愛感情と、友人に対する親愛の情という差はあるが、それでも、報われない想いを抱えていたのは間違いない。
だからこそ、僕はこの真相を知った際、神代の方に共感したのだ。
例え一方的なものであっても、想いが届かないと言うのが、どれほど辛いのか体験しているから。
無論、片方が相手を大切に想った時、もう片方は絶対に誠意で返さなければならない、なんてルールはどこにも無い。
僕の片想いが成就しなかったのが、常識的には当然の事だったように────神代の心配が無駄に終わる事も、きっと当然で。
だけど僕は、その報われなさを、笑いたくはなかった。
「さて、じゃあこの真相は……結局、どうしようか」
ようやっと家に帰り、荷物を部屋に置いてから。
ふと、僕はそんな事を呟く。
これで、「第二の謎」にまつわる全ては明らかになった。
僕が何故こんな気分になったのかも、把握できた。
しかしまだ神代は、この真相を知らないままだ。
僕が核心を伏せた、あの推理しか聞いていないのだから。
そうなると、僕がこれからできる事は、二つ。
──もし全てを話せば……まあ、神代は傷つくよな。というか、明確な証拠のあることでも無いし、信じないかも。
まず、そんな事を考える。
実際、仮にこの推理を話したところで、神代が理解してくれるかどうかは、かなり怪しい。
普通、知り合って間もない僕より、小学校からの友人の方を信じるだろう。
──だけど、言わないままだと、さらに関係が悪化する可能性もある。最悪、神代がもっと嫌な思いをするかもしれない。
もう一つの選択肢もまた、反射的に頭に浮かんだ。
嫌な話だが、決してあり得ない事では無い。
事実、僕の推理を聞いた神代は、「漫画で忙しいのなら、関係を配慮する」という節のことは言っていたが、それ以上の事は察していなかった。
仮に、彼女がこれ以降も遊びの誘いなどをした場合は、涼森舞の方が暴発するかもしれないのだ。
ついでに言えば、これはあくまで神代と涼森舞の間のことなのだから、本来なら雰囲気などに任せず、二人で話し合うのが一番良いのではないか、という考えもあった。
仮に僕が話さなかった場合、その話し合う機会を、二人から奪ってしまうかもしれない。
要は、真相を伝えるも地獄、伝えないも地獄、という事である。
さて、真相を解いた者として、どうすべきか────などと、静かな部屋で考えていると。
突然、僕のスマートフォンが、明快な着信音を奏でた。
「えっ……誰?」
あまり無い事なので、驚いて僕は画面を見やる。
そして、そこに映った名前を見て、もう一度驚いた。
「神代……何で?」
スマートフォンを持つ手が、情けないことに軽く震える。
確か彼女は、講演が終わった後、普通に生徒会の活動に参加していたはずだ。
帰宅部である僕はともかく、彼女は活動があったため、そこで別れたのである。
その彼女が、まだ下校時刻にもなっていない──まだ、午後五時半くらいだ──時刻に、何故電話をしてきたのか。
その理由を少し考えて────程なく、呟く。
「まさか……自分の聞かされた推理の欠陥に、自分で気が付いたのか?それで、確かめるために電話を?」
まさか、とは思いつつ、いやでも、彼女も結構鋭かったよな、という納得感もある。
講演終了の余波で流れてしまったが、最後の方は疑問を抱えていたようなところもあった。
特に、二つある推理の欠陥の内、「賞金を貰うのが早すぎる」という点は、話を細かく振り返れば、誰にでも分かることである。
生徒会の活動をしながら、彼女が聞かされた話を反芻していたとすれば、その矛盾に気がついてもおかしくは無い。
「と、なると、僕無しでも気がつくのは時間の問題か……?じゃあ、僕がやるべき事は……」
言うべきか、言わざるべきか。
踏み込むべきか、誤魔化すべきか。
一瞬、迷う。
そのせいか、顔も横に逸らしてしまった。
だが────。
顔を向けた先で、僕は意図せず、自分の机に視線をやってしまう。
そこには、未だに未練がましく飾ってある、百合姉さんの写った写真があった。
それを見て、ふと、百合姉さんの結婚式の日に感じた事を、僕は思い出す。
バウムクーヘンを呪いながら、ギャーギャー言っていた時の記憶だ。
──そう言えばあの時、せめて告白くらいしておけば、みたいなことも思ったんだよな……。
僕はかつて、百合姉さんに告白すらしなかった。
だから、僕の初恋は、始まる前に自動的に終わってしまった。
僕が百合姉さんを真剣に好きだったと言うことすら、きっと向こうは知らないのだろう。
もし、神代に何も知らさなかったのであれば。
このまま、僕の知らないところで問題がややこしくなり、ひっそりと傷つくようなことになったならば。
その時、彼女は。
自分の抱いた想いが一切届かずに終わってしまうことになり────せめてもうちょっと話し合っておけば良かった、と後悔してしまうのではないだろうか。
ある種、僕と同じように。
────数秒考え込んだ後、僕は改めて、自分のスマートフォンを見つめる。
着信音は、まだ鳴り止んではいなかった。
何というか、神代の必死さとか、覚悟が見える気もする。
だから、僕はその想いに表情を引き締めて。
えいやっ、と受話器のマークに指を置いた。




