真の推理と好き嫌いの関係
つい先程、僕は神代の前で長々と推理を語った。
彼女の提示した「第二の謎」について、さも全てを解き明かせたかのように、話してみせたのだ。
……あの推理は、自分で言うのもなんだが、まあまあよく出来ているものだったと思う。
事実、話を聞いた神代は、ある程度納得したかのような素振りを示していた。
もっと言えば、後付けの確認にはなってしまったが、漫画の賞を取って云々、と言うところは、さっきの涼森母との会話で確証が取れている。
僕が推測した涼森舞の行動は、事実だったのだ。
少なくとも大筋では、あの推理は合っていたと言っても良いだろう。
────ただし。
実を言えば、あの推理には、二点ほど大きな欠陥が存在する。
いや、正確に言えば、僕が敢えて言葉を濁した部分が二つある、と言ったほうがいいか。
あの推理は、涼森舞のこれまでの流れを追っているかのように見えて、実は全く説明出来ていない部分を内包しているのだ。
その内の一つは、知ってか知らずか、神代が推理を聞いた後に指摘している。
最後に呟いていた言葉────何故、漫画の賞に関する話を自分にしてくれなかったのか、という疑問だ。
ここが、僕が神代に語った推理では説明出来ない。
あの場では身バレを恐れてとかなんとか言って誤魔化したが、ぶっちゃけた話、あんなものは説明になっていない。
というのも──これまた神代が言っていた事だと思うが──本当に涼森舞が身バレを恐れるなら、そもそも賞金を、事情も説明していない他者の前で使わない筈だからだ。
というか、話の大前提として、そう推理したからこそ、僕は彼女が犯罪には関わっていない、と断言したのである。
事情を知らない第三者の前で大金を使えば、怪しまれるなんてのは分かりきっている。
要するに、僕があの場で語った推理は、「何故涼森舞が大金を持っていたのか」は説明していても、「何故涼森舞が神代の目の前でそのお金を説明も無しに使ったのか」は説明していないのだ。
いくら受賞したのが嬉しかったにしても、合理的に考えれば、そんな行動をする理由は無いのだから。
仮に、どうしても友達の買い物の最中に、そのお金を使いたくなったにしても────。
「神代に事情を話して、言い触らさないように頼むとか、そういう手段を選ぶよな、普通……」
自転車を押しながら、僕は誰もいない空間に向かってそう声を発する。
ほんの少しだけ、反響するかのように音が響いたのが、やけに耳についた。
……まあ、詰まるところ。
未だに、涼森舞の行動については、謎が残っているというわけだ。
大金にしろ。
漫画を描いていたことにしろ。
賞を取った事にしろ。
口止めや事情の説明について────なぜ、神代に頼まなかったのか?
ここが、涼森舞の行動における、最大の疑問点。
同時に、僕が言及を避けた事の一つだった。
「……そして、推理の欠陥はもう一つある。こっちは、欠陥と言うよりは、矛盾点、なのだろうけど」
そう呟いてから、僕はその矛盾を確認した。
これまた、彼女に語っていた段階で、気がついていた事だ。
この矛盾が発生しているのは、涼森舞の行動のうち、夏休みのそれに関してである。
神代に話した推理の中で、僕は涼森舞の夏休みについて、「今までとは違う大作を描くために使った」と説明した。
だからこそ、遊びに誘っても断らざるを得なかったのだ、と。
だが、よくよく考えれば、これはおかしい。
何故かというと、神代が体験した通り、涼森舞は夏休み明けすぐに遊びに行った際、大金を使っているからである。
夏休み全てを使って漫画を描いていたとすると、この時期に賞金を受け取っていたというのは、まずあり得ない。
いくらなんでも、賞の選考が早すぎる。
この場合、どう計算しても、投稿してから一ヶ月も経たないうちに賞を貰い、賞金を使っている事になってしまうのだ。
普通、実際に賞金が支払われるまで、もっとかかることだろう。
つまり、夏休みに漫画を描いて投稿していたと仮定すると、賞金を貰う時期がおかしくなるのだ。
……だからこそ、ここで、話を逆に考える。
すなわち、賞金を貰う時期が夏休み明けの九月位とした場合、いつまでに投稿していれば話がおかしくならないのか、考えてみる。
無論、僕もその賞やら投稿の規定やらについて知っているわけでも無いので、完全な妄想になるが────普通、賞の選考という作業には、二、三ヶ月はかかるのではないだろうか。
もし、涼森舞が挑戦した賞がより大規模なものであれば、もっとかかるかもしれない。
そこから逆算すると、少なくとも九月に賞金を貰うためには、今年の六月あたりよりも前に、漫画を書き終えていなければならない。
どれほど遅く見積もっても、夏休みに突入する前には、もう作業は終えているだろう。
そしてこの推測が正しい場合、涼森舞にとっての夏休みは、あまり忙しく無いものだったはず、ということになる。
何せ、投稿するための大作は、描き終えているのだから。
もしかすると、次の投稿のための準備に取り掛かっていた可能性はあるが、時間をかけて作品を作るスタンスにした以上、常に忙しいという訳でもないだろう。
少なくとも、神代の誘いを全て適当な理由で断るというのは、解せない。
……ここに、矛盾が発生する。
九月の時点で賞金を手に入れた事を考えれば、夏休みは本来暇なはずで、全ての誘いを断っていたのが少しおかしくなる。
かといって、その夏休みを漫画制作に充てていたと考えれば、賞金を貰うのは、もっと後のことになってしまう。
あちらを立てればこちらが立たず。
どちらの説も、成立していないのだ。
これこそ、僕の推理に含まれる、二つ目の欠陥である。
勿論、これに矛盾を感じるのは、ただの考えすぎ、という可能性もある。
単純に、漫画自体は夏休みまでに描き終わっていたが、その後に別の予定が入っていたとか、そういうスケジュールだった可能性は、捨てきれない。
だからこそ、僕は直にすずもり文具店に出向き、確かめたのだ。
涼森舞が大作の漫画を描き終え、それを投稿したのが、何時なのか。
それを確かめるために。
そして────。
「あのお母さん、漫画で忙しかった時期について、六月まで、と言っていたよな……そして、夏休みは暇そうにしていたことも多かったと」
先程の話を、頭の中でもう一度振り返る。
この話から確認できることは、二つ。
一つは、やはり僕の推測は正しく、涼森舞は六月くらいまでに漫画を描き終え、投稿していた、ということ。
だからこそ、九月には賞金を受け取れていたのだ。
そしてもう一つは、やはり彼女にとっての夏休みは、時間があるものだった、という事だ。
少なくとも、暇そうにできるくらいには。
まあ、当然だろう。
いくら賞を取った漫画の作者だろうが、出版社側が中学生をそこまで拘束するはずもない。
事実、涼森母の口ぶりでは、担当編集者は涼森舞という漫画家を、じっくり育てていく方針だとか言っていた。
……詰まるところ、今までの話をまとめると、こうなる。
涼森舞は、夏休みには別に忙しくもなかった。
漫画を描いてもいなかったし、他の用事も無かった。
だというのに、神代の誘いを断り続けたという事は────。
「忙しい云々は関係なくて……純粋に、神代と一緒に出かけるのがもう面倒だから、全ての誘いを断っていたっていうのが、一番しっくりくるな……事情を説明しなかったのも、もう嫌っていたから、と考えれば矛盾がない」
それを口に出した瞬間、思わずため息が溢れでた。
これはまた、嫌なことに気がついてしまった、と思って。
「そして、一緒に出かけるのも面倒な友達であるはずの神代と、わざわざもう一回出かけて大人買いをしたのは……お金を見せびらかして楽しむため、ということになるよなあ」
証拠もなく、確信もなく、証言も無い。
だが、突端な想像よりは遥かに起こりやすそうで、如何にも、中学生の女子にありそうな話。
それが、僕が辿り着いた推理だった。
……最初に断言した通り、涼森舞は、犯罪には関わっていなかった。
法に触れるようなことも一切していなかったし、持っている賞金だって、疚しい物では無い。
普通に、本人の努力で手に入れた物だ。
だが、だからといって、悪意を持っていない訳ではなかった。
寧ろ神代に対しては、明確に悪意を向けて行動していた。
つまりは、そういう事なのだろう。