本音と独り言の関係
「ここか……神代が言ってたのは」
自転車を止めてから、僕は思わずそう呟く。
本来の帰り道とは反対方向へ、十分ほど自転車を走らせた場所にある店────「すずもり文具店」。
初めてくるところだったが、なんとか辿り着けたようだった。
──パッと見た感じ、まあまあ古いな。ただ、話通り結構大きい。
ヘルメットの紐を緩めつつ、僕は無意識にそんな観察をする。
規模としては、小さめのスーパーくらいはあるだろうか。
少なくとも、そこらのコンビニよりは遥かに大きい。
神代がそこそこ大きい、と評していたのも分かる話だった。
僕の通学路からは外れているので、来たことはなかったが、恐らくこのあたりの子どもにとっては、重用されている店なのだろう。
──そして、まだ涼森舞は、帰ってきていないか……。
チラリ、と横目で店の隣にある一軒家──涼森と書かれた表札があるし、母屋なのだろう──の駐輪場を確認する。
見たところ、学校からの距離的に、通学に使われているであろう自転車は、まだ置かれていなかった。
まあ、当然だろう。
今の時刻は、午後五時前。
部活をしている生徒の下校完了時刻が午後六時十五分なので、随分と余裕がある時間帯だ。
要するに、講演が終わって放課後になった後、普通に漫研で活動しているであろう涼森舞は、まだ学内にいる訳で。
ここに、現れるはずもない。
「だからこそ、チャンス、か」
ボソリ、と小声で呟く。
その後、僕は静かな動きで、すずもり文具店の駐輪場に自分の自転車を停めた。
さも、自分がただの客であるかのように。
「いらっしゃいませー」
店の中に入った瞬間、あまり大きくない音量で、ありふれた言葉が飛んでくる。
やや嗄れた、中年女性の声だ。
──涼森舞の、お母さんの声かな?
適当に当たりをつけ、声が聞こえてきた方向を振り向けば、そこにはレジがあった。
当然、エプロンをつけた店員もまた、レジスターの隣に位置していることが確認できる。
胸元に視線をやれば、そこにあるのは「涼森」と印字された名札。
予想通り、と言って良いだろう。
──じゃあ、聞きたいことに関しては、あの人に確かめれば良いか。ただその前に、何か買い物を……
そう決めて、僕は顔の方向を元に戻した。
いくらなんでも、文房具店に入ってすぐ、レジの方を凝視していては怪しまれる。
不審に思われない程度には、買い物をしておく必要があった。
尤も、僕がここに来た目的からすると、レジで涼森舞の家族と話せる機会さえあれば、その状況に至るまでの理由はどうでもいい。
そう考えた僕は、適当なシャープペンシルを一つ掴み、すぐにレジの方へと歩いて行った。
「これ、一つお願いします。袋は要りません」
「ハイハイ、ありがとうございます」
無造作にそれをレジ前に置くと、手慣れた様子で、涼森舞の母親がレジスターを操作する。
……ただ、手慣れてはいるものの、その作業は迅速に、とはいかなかった。
端的に言えば、遅いのだ。
えーと、などと呟きながら、彼女はレジスターのボタンを弄り、妙な操作をしている。
どうやら、神代が言っていた通り、家族揃って機械音痴というのは、確かなようだ。
──というか、普段は流石に他の店員がやっているけど、今日は他の人が休みで、代わりにこの人が店番に入った、ということかな?そうじゃないと、流石に普段の営業が困るだろうし。
何となく、そんな推理をした。
この推理が正しければ、ある意味では、今日のこの店の状況は、僕にとっては幸運だったとも言える、
こう言う場面でなければ、涼森舞の家族に話しかける機会は減っただろうから。
故に、涼森母がレジスターの操作に手間取る隙をついて。
僕は、この機会を逃すまいと、すぐに彼女に話しかけた。
「あのー……涼森舞さんの、お母さんですか?」
僕の言葉が届いた瞬間、涼森母はえっ、と言う感じな顔をする。
突然話しかけられた事自体に、驚いたのだろうか。
慌てて、僕は補足を入れた。
「あ、僕、涼森舞さんの友達で……その、ここが彼女の家だと聞いてたんで」
実際のところ友達でも何でもなく、神代の話の中でしか聞いたことがないが、取り敢えずそう言っておく。
嘘をつくことにはなってしまうが、相手の警戒を解くには打って付けの話だと思ったのだ。
事実、そう言った瞬間、涼森母は僕の着ている制服を改めて確認して、相貌を崩した。
「あら、そうなの!……だったら貴方、舞と仲が良いの?」
「ああ、まあ、程々に……ただ」
つい口を滑らした、と言う感じの口調を、僕は維持する。
そのまま、さらりと言葉を続けた。
「涼森舞さんが、漫画の賞を取るための大作を描き始めてからは、中々忙しいらしくて、ちょっと会話も減りましたけど」
──さて、どうなる?
固唾を呑んで、僕は涼森母の様子を伺う。
最悪、僕の今までの推理が完全に間違っていたなら、「漫画、何それ?」という反応もあり得る。
しかし、彼女の反応は────。
「あらー、そう!そうねえ、だったら、六月くらいまでは、遊べていないのね?その後も、やっぱり担当さんがついて、あの子も準備が忙しいものねえ」
軽く、そう言った。
そして、こう続ける。
「まあただ、デビューはゆっくり時間をかけて、とか仰っていたし……最近は遊べるんじゃない?実際、夏休みくらいから、舞は暇そうにしてた時もあるもの」
「……そうですか」
「そうよ。暑いとか、漫画を描くための練習だとか言って家に篭って……そのくせ、賞金はこのくらい貯金してくれだとか、誰それの電話は断ってほしいだとか、煩かったんだから」
元々、お喋りな人なのだろう。
涼森母は、僕の前で、必要な情報を全て語ってくれた。
世間話をするように、軽く、何も気にしてもいないような口調で。
だが、それを聞いた僕は────自分の推理が当たった事を知り、一気に気分が重くなった。
正直に言えば。
この推理は、外れて欲しかった。
僕のためでも、涼森舞のためでもなく。
神代真琴と言う、一人の女の子のために。
「結局のところ……神代と涼森舞の友人関係って、どう言うことになるんだろう……?」
何とかレジスターを操作し終えた涼森母から商品を受け取り、今度こそ帰宅する途中。
どうにも足に力が入らなかったため、自転車を漕がずに手押ししながら、僕はそんな事を呟いた。
脳内に思い浮かぶのは、この数時間で取り込んだ情報たちだ。
例えば、ついさっき、神代に語った推理。
そして、それを言う前に気がついていた、矛盾。
真相を覆い隠すために、僕がついた嘘と。
恐らくは、涼森舞がついていた嘘。
最後に、今しがた、涼森母から聞いた話。
この辺りのことが、頭の中でグルグルと走り回る。
何なら、虚飾の部分が多すぎて、推理をした僕自身も訳が分からなくなってきたくらいだった。
──ちょっと、考えをまとめておこうか。
何とはなしにそう思って、僕は軽く周囲の様子を見た。
幸いというか何と言うか、文房具店に赴く時間を調整した結果、帰宅部の下校時刻とも、部活組の下校時刻ともずれたらしく、通学路には殆ど人が居ない。
これならまあ、独り言くらいは呟いても大丈夫だろう。
そう判断して、僕は口を開く。
ただぼんやりと考えるのが、どうにも辛くて。
いや、正直に言おう。
僕の本音としては────この真相を、声に出さないまま抱え続けると言うのが、辛かったのだろう。
だから、僕はさながら推理小説内の探偵のようにして、推理を虚空に向かって述べていった。
「さて────」




