嫌いな物と理由の関係
何度も繰り返して言うことだが、僕はバウムクーヘンが嫌いである。
百合姉さんの結婚式からそれなりの時間が経過した今も、未だに嫌いでいるほどなのだから、猛烈に嫌いだと言っても良いだろう。
もし、一番嫌いな物は何か、と誰かに問われたなら、真っ先にバウムクーヘンの名前を挙げるのは、まず間違いない。
────だが、しかし。
もし、その後に、二番目に嫌いな物は何か、と問われたなら。
どう返答するのかは、自分でもちょっと分からない。
バウムクーヘン以外に嫌いな物が無い、と言うわけでは無い。
細々とした嫌いな物なら──パクチーとか、虫とか、定期試験とか──数えるまでもなく、沢山ある。
しかし、多くの人がそうだと思うのだが、僕は嫌いな物については、二位以降の順位を設定していない。
他のと比べてどうって訳でもないけど、何か嫌いだな、という印象しか無いのだ。
だから、占いのサイトなどを暇潰しに見ている時、「次の内、嫌いなものを上から三つ選べ」などと書かれていると、結構困ってしまう。
ただ────それでも、嫌いな物に順位をつけるなら。
バウムクーヘンの次に嫌いな物として、僕は、「気まずい雰囲気」を挙げる。
特に、僕とその周囲の人が、全員で黙りこくってしまい、時間が延々と過ぎてしまうような、どうしようも無い気まずさ。
ああいうのが、どうも苦手だ。
……尤も、これ自体は大して珍しい話では無いだろう。
そもそも、「私は気まずい雰囲気が大好きです」なんて人、そうそういない。
一番嫌いなバウムクーヘンこそ、他人からの理解を得られにくい答えだろうが、この二番目に関する回答については、多くの人に分かってもらえる話なのではないだろうか。
しかし────しかし、だ。
僕の場合、その「気まずい雰囲気」に対する嫌い方は、ちょっと過剰だ。
端的に言えば、気まずさを振り払うために、変な行動に出てしまうことがあるのである。
例えば、僕は中学一年生の頃、クラスの学級委員長をしたことがある。
それも、担任に選ばれたとかそういう事情があったわけでもなく、純粋に立候補して、だ。
断っておくが、僕は本来、そういうのを率先してやるタイプでは無い。
正直、手間ばっかり増えるし、可能な限りやりたく無いとすら思っている。
だが、立候補してしまった。
何故か?
その理由は単純だ。
今まで言ってきたように、気まずい空気が嫌だったからである。
……小学校や中学校の時の記憶を振り返れば、誰しも覚えがあるだろう。
学級委員長を決めるために、誰か立候補したい人は居ませんか、と問われた時の、クラスの気まずさを。
誰も目を合わせず、誰かが決めてくれることを祈り、時計の音だけが響くような、あの時間を。
こういう時、いつも委員長になっているような優等生とか、何にでも手を挙げるようなお調子者がいると、話は楽だ。
だが、あの時の僕のクラスには、そのどちらも居なかった。
そのせいで、非常に気まずい空気になったのである。
だから僕は、つい。
その場で手を挙げて、立候補をしてしまった。
ただただ、この気まずい空気をさっさと終わらせたくて。
我ながら気が小さいと思うのだが、僕には、そういうところがある。
何かを断ったり、参加しなかったりすることで、気まずい雰囲気になってしまうくらいなら。
いっそのこと引き受けてしまおう、と諦観混じりの決意をしてしまう、という面が。
だから、今思えば。
僕が神代の要請通り、「第一の謎」を解いたのは。
それどころか、彼女に「第二の謎」についてはまた連絡する、と言われた後、律儀にその連絡を待ったのは。
この、気まずい雰囲気を嫌う性格のせいかもしれない。
奇妙な状況下とは言え、ここで神代の頼みを断ったら、ちょっと気まずいな、とか。
一つ謎を解いたのに、残りは解かないとか言ったら、それも気まずいよな、とか。
そういう思考が、僕を動かしていた、ということである。
無論、他の理由も含まれてはいるだろう。
先述したように、変な理由で告白しに行ったため、引け目があるとか。
僕自身も結構神代の動機について気になっていたから、理由が知りたいとか。
だが、それらの理由は、あくまでサブ。
メインはきっと、気まずい雰囲気にしたくなかったから、ということになるのだろう。
平たく言えば、今更神代に向かって、「あのー、僕が告白したのは実は別の理由があって……別にどうしても付き合いたいって訳じゃ無いので、謎解きの方はこれで終わりでいいですか」と頼めなかったのだ。
情けないと言えば、情けない理由だ。
人によっては、僕のことをひどい、不誠実だ、と思うかもしない。
というか僕自身、意気地のない話だな、と思っている。
しかし、ほんの少しだけ、自己弁護すれば。
僕たちくらいの年齢だと、大なり小なり、学校では「空気」というものを気にしている、という事情もあった。
要するに、ほぼ初対面の神代が相手であろうとも、「空気」が気まずくなるのが、嫌だったのだ。
そう、空気。
僕たちのような中学生が、全員気にしている物。
だけどその全員が、さも気にしていないように振る舞っている物。
自分たちでコントロール出来るはずの物でありながら。
しばしば、逆に自分たちがコントロールされてしまう物。
今回の「第二の謎」の根幹は、これだった気がする。
まあ、これまた、後から思えば、というレベルの話だったが。
「えー、このように、援助交際に関する被害事例は後を絶たず、卑劣な犯罪に巻き込まれる例も……」
中学生の体育館内を、やや嗄れた声が駆け抜けていく。
声の主は、地元の警察の安全課だか、少年課だかに勤務する年配の警察官だ。
中学生が犯罪に巻き込まれる危険性の説明云々、という事で、講演に招かれた人物である。
「えー、これにより、我が県での発生数は……」
──生々しいな……いや、現実に起きていることなんだから、当然だけど。
ぼんやりと講演を聞きながら、僕はそう思った。
同時に、座りっぱなしだと尻が痛いな、とも思う。
丁度、「第一の謎」を解いてから、一週間経過した頃の話だ。
生活安全教育とかいう名目で、二年生全員が集められたこの講演会が始まってから、約二時間。
いい加減、体育座りのまま話を聞いている僕としても、体の限界が近かった。
言い訳のようになるが、決して、講演に集中していないわけではないのだ。
寧ろ、現役警察官の体験談だけあって、話としては凄く興味深いものである。
悲惨な犯罪の例を聞くパートだけでも、素直に「ああ、やっぱりそういうことってしちゃいけないな」と思うぐらいには、心に染みた話だった。
ただ、それはそれとして、こうも同じ姿勢でいると、体の節々が痛い、という話である。
正直、今すぐに立ち上がって屈伸がしたい。
──ただ、そんなのが許される雰囲気じゃないな……。
痛む腰を支えながら、チラリと周囲のクラスメイトの様子を伺う。
一人くらい、姿勢を崩したり、楽な格好──胡座座りとか──をしている生徒が居ないかな、と思ったのだ。
一人でもそういう生徒が居れば、何というか、僕もそれが出来る感じになる。
だが、生憎なことに、そんな楽な姿勢をしている生徒はいなかった。
この手の講演にしては珍しく、全員話に集中している雰囲気だった。
恐らく、僕のように楽な姿勢になりたがっている生徒もいるのだろうが、我慢しているというか。
──皆、真剣に聞いてるな……やっぱり、話がリアルだからかな。
そう思って、僕はもう一度講演者と、彼の用意してきたスライドを映すスクリーンの方を見た。
そこでは、何個目かの犯罪に関する実例が示されている。
──女子とかは話が身近だからか、特に真剣に聞いてるな……ちょっと、足を崩すのは無理か。
横目で周囲の様子を伺った末、僕はそんな結論に達する。
最早足が痺れるくらいだったが、仕方がない。
そう諦めて、もう一度前に視線を戻したところで。
僕よりもう少し前に座っていた神代と、何故かバッチリ目があった。