伝達と真意の関係
「まあそもそも、吹奏楽部の部員が練習をサボりたかったなら、壁野の協力は必須だった、という事情もあったんだろう。だってほら、壁野はいつもあの掲示板の辺りで作業しているから」
「……ああ、確かにそうね。仮に彼の協力を得ないまま練習をサボっていると、彼が小窓から偶然それを覗き見てしまう可能性がある。だから……」
彼の立ち位置的に、望む望まないに関わらず、協力は必須、ということだ。
実際、壁野自身も言っていたことである。
だから最低でも、口止めくらいはしておく必要があったのだ。
そうでなければ、どこかで教師に告げ口をされる可能性が出てくる。
「だけど、思った以上に壁野の方が乗り気と言うか、どこかのタイミングで協力を申し出たんだろうね。それで、あいつはただ吹奏楽部のサボりを黙認するだけじゃなく、見張り役も引き受けたんだ」
「因みに、それを引き受けた動機は何だったのかしら?何か、食事でも奢ってもらったとか?」
「うーん……そこはちょっと分からないけど」
正直、そこに関しては何とでも考えられる気もする。
それこそ、実は壁野には吹奏楽部に気になる女の子がいて、印象を良くしたかったとか、そんな感じの理由かもしれない。
何にせよ、男子中学生が女子のお願いを聞く理由など、いくらでもあるだろう。
「じゃあ、そこは何かしたい理由があったとして……彼は普段の作業をしながらも、見張り役を兼ねるようになったのね?」
「そうだと思う。まあ、元々あの掲示板の辺りで飾りつけのためにずっといるんだから、壁野からすれば大した手間でもない。普通に、作業のついでに、見張りを続けていたんだろう」
恐らく、謎の発端となったあのミスの音も、壁野は何度も聞いているはずだ。
僕の前では「集中していたから聞こえなかった」と言っていたが、あれは多分嘘なのだろう。
何せ僕の推理通りなら、あの廊下では、全く同じタイミングで、全く同じ音が何度も何度も聞こえるのだ。
あれで何も気が付かないというのは、流石に考えにくい。
……事情を分かっていたからこそ、聞こえていても黙っていた、と言うのが、一番妥当な考えだと思えた。
「じゃあ、貴方が脚立を使って中の様子を見た時、部員たちが練習をしていたのは、壁野君が貴方が来ることを伝達した、ということ?」
「そうだと思う。……最初に壁野に話しかけてから、実際に中を見るまで、十分くらい時間があった。多分、その隙に伝えたんだ」
あの時、壁野は拘っている紙細工があるから、とか何とかいって、しばらく作業を止めなかった。
そして、何度か脚立から降りたり、また昇ったりしながら、作業を続けていた記憶がある。
僕は暇なので、その近くをウロウロしていただけで、あまり彼の動きを見ていなかったが────あの時、彼は上手い具合に小窓の近くに近づいていたのだろう。
そして、小窓を介して中の部員に危機を伝えたのだ。
良く分からないが、吹奏楽部の様子を調べている奴が来たぞ、バレないようにちゃんと練習しているフリをしよう、と。
「だけど、その伝達方法って、具体的にはどう言う物なの?普通に声で呼びかけたら、流石にバレちゃうだろうし……」
そこまで説明したところで、新しく疑問が湧いたのか、神代が問いを発する。
的確な問いだったので、僕は確かに、と相槌を打った。
確かに、呼びかけて危機を伝えるというのは、中々に難しい。
特にこの場合、危機と言うのは、廊下の方から誰かが来たことを意味する。
要するに、大声で中に呼び掛けるようなことをすれば、その訪問者にバレてしまうのだ。
もっと言えば、第二音楽室の中は録音音声がスピーカーからガンガン鳴っている──少なくとも、外に漏れ聞こえるくらいの音量ではあったはずだ──ので、音による伝達自体が難しい。
見張り役が危機を伝えるには、何か音以外の連絡方法が必要、ということになる。
────しかし、この連絡方法については、既に見当がついていた。
故に、僕はそれを提示する。
「多分だけど……連絡に関しては、壁野と吹奏楽部員の中で、予め取り決めがされていたんだと思う」
「取り決めって、どんな?」
「誰かが来た時には、赤色の折り紙を小窓から室内に投げ込むっていう取り決めだよ。壁野からすれば簡単な行動だし、音に頼らない分、簡単に危機が分かるだろう?赤色は目立ちやすいしね」
昨日、脚立から降りた時の廊下の様子を、僕はもう一度思い出した。
あの時、廊下に置いてあった壁野の作業道具には、変化が起こっていた。
作業道具の一つである折り紙の束────その一番上が、青色の折り紙になっていたのである。
これは、ちょっとおかしな話だ。
というのも、最初に壁野に話しかけた時、一番上に置かれてあったのは、赤色の折り紙だったはずなのだから。
赤色は良く映えるので、ちゃんと覚えていた。
つまり、僕が最初に壁野に話しかけてから、脚立を使って中の様子を覗くまでの間に、どこかしらで赤色の折り紙が使用された、ということになる。
完全に邪推だが、その使用機会こそ、「危機を伝えるために小窓から放り込む」というものだったのではないだろうか。
「実際、結構効率的な手段なんだよ、これ。窓の近くに一人部員を座らせておけば、それだけで連絡手段として成立するし、互いに無言でも連絡が出来るし」
「そうね。後は赤色の折り紙を受け取った部員が、他の部員に対して、見せかけでもいいから楽器を持つように言えば良いから……」
もっと言えば、この手段においては、仮に第二音楽室の中に投げ入れられた折り紙が見つかっても、いくらでも言い逃れが出来る、という利点がある。
顧問教師に見つかろうが、「いやー、すいません。作業中に手が滑ったんです」とか言えば良いのだから。
多少は叱られるかもしれないが、そこから吹奏楽部のサボりまで発覚はしないだろう。
それくらい良く出来た方法だったからこそ、壁野も吹奏楽部について聞いてきた僕に対して、適当に追っ払うのではなく、中を見せて疑いを晴らさせる、という方法を選んだのだ。
僕が中を覗いた時点では、投げ入れた折り紙も第二音楽室内で処分していただろうし、部員全員が楽器をちゃんと用意できていた。
その偽装の完了を確認してから、彼はあの提案をしたと見て間違いない。
要するに、神代が何度も聞いたあの音は、決して彼女を狙って聞かせていた、というわけではなかった。
神代は偶然、授業終了から二時間後に、あの辺りに行く用事があっただけだったのだ。
あの音を作ったのは、もっと別の条件だ。
練習をサボりたかった吹奏楽部員と、それに協力した壁新聞部の部員。
それに、赤色の折り紙と録音機械。
この辺りの条件が組み合わさった結果、例の音が毎日聞こえた。
何というか、小さな謎から、意外と大きな事情が見えてくるものである。
「……まあ、そう言う訳で、大体謎解きは終わり。第二音楽室の中までは調べていないから、物証は無いけど」
「いえ、ここまで理論がしっかりしているのだから、恐らく真実でしょう。……だけど、吹奏楽部がサボり、ね」
うーん、と軽くうなって、神代が頬に手を添える。
「そうだとすると、生徒会のメンバーとして、何か言っておくべきかしら?吹奏楽部の部長にでも……サボりって、決して良いこともないのだし」
──あー、そうなるのか。生徒会ってそういうのもするんだな。
神代が生徒会書記であることを思い出し、僕はちょっと納得する。
確かに、妥当な対応だった。
ただ────。
「吹奏楽部を庇うわけではないけど……多分、要らないと思うよ、注意とかは」
「そうなの?」
「うん。そもそも、第二音楽室の様子を見る限り、部員内でも流石にサボりはちょっと、という人もいるみたいだし」
僕が中を見た時、「練習をしよう」と呼び掛けていた女子部員の姿を思い出しながら、僕はそう言ってみる。
恐らく、僕に中の様子を見られていると、壁野の警告から知っていただろうに、それでも声を上げた、あの生徒を。
今思えば、あの部員は第二音楽室内の生徒の中でも真面目と言うか、サボりに納得していない人だったのだろう。
だから、全員が楽器を持ったタイミングで、ああ呼びかけたのだ。
あの後、機械の周りで色々と揉めていたことや、今日もミス音が聞こえた──つまり、録音音声は今日も流れている──ことを考えると、成功はしなかったようだが。
サボりに反対する部員は、確かにいる、ということでもある。
故に、生徒会から何も言わずとも、これからも、彼女たちが色々と動いていくのではないかな、という気がした。
だとしたら、吹奏楽部の問題は、吹奏楽部の部員たちで片を付けるのが、一番良いのではないだろうか。
他者から無理矢理指摘をされても、反発心を生むだけかもしれない。
要は、特に何も言わなくても良いだろう、ということだ。
本当にどうしようもなくなったら、その時にまた動けばいい。
……そんなことを、僕はつらつらと語ってみる。
しばらく黙っていた神代は、やがてゆっくりと頷いて。
貴方がそう言うのなら、そうしてみようと思う、と言った。
「ええと、じゃあ、吹奏楽部の問題はそれでいいとして……桜井君」
「何?」
「今の推理、本当に凄かった……改めて、お礼を言うわ。解いてくれてありがとう」
そう言って、神代はパチパチ、と拍手をしてくれる。
同時に、彼女は軽く微笑んだ。
「こんな風に謎を解いてくれる人、見たことが無いわ。それも、私が謎を提示してから一日しか経っていないし……本当に、推理小説の中の探偵みたいだった」
「いや、そんな良い物じゃないよ」
過剰に褒めてくれる神代に対し、僕は手を振って否定する。
そうだ、これはそんなに良い物じゃない。
こんな、レールが予め用意された中で行われた推理なんて、大して凄い物ではないはずだ。
──と言うか、ここに至っても本心を言わないんだな、神代……。
眼を細め、神代の様子を観察しながら、僕はそんなことを思う。
推理している間の気分とは、また違った思いが僕の中を埋めようとしていた。
結局、神代の本心は何なのだろう、という疑問が。
……ここで言う「本心」とは、何故「四つの謎を解け」などと言い出したのか、とか、そういう方向の話ではない。
そちらも確かに謎だが、今僕が気にしているのは、また別のことだ。
僕がこの「第一の謎」に挑む中で、ふと気が付いた真相。
神代がこの「第一の謎」を、僕に紹介出来た理由。
そのあたりに関する、彼女が僕に隠していることだ。
もしかしたら、僕が「第一の謎」を解けば、その点についても教えてくれるかもしれない、と思っていた。
だが、今の様子からすると、そう言うわけでも無いらしい。
僕の推理を聞いた神代は、ただニコニコとしていて、何も言ってくれなさそうだった。
──となると……直に聞くしかないか。
そう思って────いよいよ僕は、その言葉を発する。
神代に関する、真相を。
「……ねえ、神代」
「ん、何?」
キョトン、とした顔で神代が反応する。
その顔は相変わらず綺麗だったが、僕の決意を変えるほどの力は無かった。
だから、僕は一息に問いかける。
「一つ、聞きたいことがあるんだけど」
「え……何かしら?」
「単純な話だよ。……神代は、今の僕の推理の内容を、本当に初めて聞いた?」
あまり、詰問する雰囲気にはならないように気を付けた。
しかし、確かに教室の中の空気が変わってしまう。
それを知ってか知らずが、神代は表情を変えない。
「何を言っているの?……今日になって貴方に呼び出されたのだから、今日初めて聞いたに決まっているでしょう?」
本気で不思議そうに、神代が返事をする。
だが、それが嘘であることは、もう分かっていた。
いや、正確には、嘘と言うのも少し違う。
僕に対して、自分の一部を隠している、と言うべきか。
何故か、僕はそのことが異様に気になった。
聞かずにはいられない、と言うか。
だから、ためらうことなく、僕はその点を突いた。
「だったら、何故、昨日僕が告白した後、僕を第二音楽室前に連れて行ったんだ?そして何故、丁度よく、あのミス音を聞かせることが出来たんだ?……練習開始から二時間くらいで聞こえるあの音を、ピンポイントで」
軽く、身を乗り出す。
そしていよいよ、僕は本当の意味での推理を始めた。
「神代は……ずっと前から、この件の真相に気がついていたんじゃないか?僕に解かせるまでもなく」
神代が、軽く息を呑んだのが、不思議なほどはっきりと分かった。