14.黒咲葉菜「わたくしは、やられてしまいました」
わたくしがこれほど容易くやられるとは、思いもしませんでした。
昨日のお三方が、わたくしの前に姿を見せました。
オオカミさんと、キツネさんと、モグラさんです。
もし手を出されたら、瞬殺して差し上げようと考えました。
勿論、実際に殺めるわけではございません。
「少々、大人しくしておいてください」
「はいでスワン」
わたくしは、あひるが入ったリュックサックを、道の端に置きました。
お相手からの攻撃に備えるためでございます。
ところが突然、あのお方が現れたのです。
左様です。緑埜さんです。
この方に、わたくしの乱暴な姿をお目にかけるわけには参りません。
仕方ありません。
苦渋の選択ではございますが、緑埜さんには彼らに倒されていただきましょう。
そして、緑埜さんが気絶なさったのち、お三方を瞬殺して差し上げます。
緑埜さん、お許しください。
その後は、わたくしが心を込めて丁寧に看病をして差し上げますから。
「嗚呼っ!」
刹那、オオカミさんのしなるような右脚の回し蹴りが、緑埜さんのお顔に飛びました。
お速い! これが世界王者の蹴りでございますか!
お顔はお止めいただきたかったのですが、もう間に合いません。
しかし突如、驚愕すべきことが起きました。
緑埜さんが、一瞬でオオカミさんとモグラさんを倒したのです。
オオカミさんの回し蹴りを、左手一本でお止めになった緑埜さんは、右足でオオカミさんの軸足を払い、その場に倒れるオオカミさんの下を滑り抜け、その先にいらっしゃったモグラさんのお顔に下からの夏塩蹴が輝きました。
更に、着地の際、曲げた右脚を倒れたオオカミさんの腹部に落としたのです。
お二人は、お気を失われました。
まさに、瞬殺でございます。
緑埜さんが、これほどお強いとは……存じ上げませんでした。
わたくしの口は開いていたことでしょう。
緑埜さんの優美な動きに見惚れていたのですから。
「危ない!!」
緑埜さんがわたくしの背後をご覧になり、叫びました。
背後を視認すると、キツネさんの持った刃物がわたくしの腹部に迫っていました。
無意識でした。
わたくしは刃物を左手で払い落し、右肘で彼の顎を打つと、キツネさんはその場に倒れました。
やってしまいました……。
恐々と緑埜さんのお顔を拝すると、彼は目を見開き、更には口も開いていらっしゃいました。
「偶然です! たまさかです! 僥倖です!」
わたくしが慌てて弁解しながら、緑埜さんに近づくと、彼のスラックスのおしりの部分が破れていることに気付きました。
きっと、オオカミさんの下を抜けた際に破損したのでしょう。
「おしり……」
わたくしが、破れている部位を進言すると、
「見てません、見てません!」
何故か、緑埜さんは慌てた様子を見せました。
わたくしには考えが及ばない、何か熟慮をなさった結果のお言葉なのでしょう。
わたくしが緑埜さんの臀部を指でさし示すと、彼はその部位を見て
「あ、ほんまや。……サラさんも」
そうおっしゃい、わたくしの服の脇の部分を指し示しました。
視認すると緑埜さんのご指摘の通り、服の脇の部分が少し裂けておりました。
キツネさんの刃物があたったのでしょう。
戦いの後の僅かな静寂を切り裂くように、突然、けたたましい音が響きました。
パトカーのサイレンでございます。
ボーイの佐山さんが、三人に囲まれたわたくしをご覧になって、通報なさったのでしょうか。
「逃げるで!」
「え!? ですが、わたくしたちは被害者で……」
そこまで申し上げた直後、わたくしは思いなおしました。
オオカミさんもおっしゃったように、『こんな時代』です。
警察の方はわたくしたちのお話を聞くこともなく、逮捕しようとなさるかもしれません。
目の前では三人の男性がのびているのですから。
わたくしがリュックサックを拾い上げ、
「逃げましょう」
そう申し上げると、緑埜さんはわたくしの手首を掴んで走り出しました。
勿論、わたくしも一緒に走りました。
走りながら緑埜さんの横顔を拝見しているわたくしの胸は、ドキドキときめいています。
わたくしは緑埜さんの強さと優しさに、いとも容易くやられてしまいました。




