第3話 ヒロキ&九尾
「ヒロキよ、もういっそのこと汝れがすっかり作り直してしまえばよいのじゃ」
「バカ言ってんじゃないよ。夏休みを全部使ったって終わらないよ。それに今はそんなことを言ってる場合じゃ……」
「フンッ、余裕のないヤツじゃ。そんなんでは女子にモテんのじゃ」
「よく言うよ。既にオレには……」
「天狐の依り代、可憐がおるってか? おのろけごちそうさま、なのじゃ……イタッ、汝れもよもぎもこの九尾の頭をぽんこぽんこと叩き過ぎなのじゃ」
「今のは九尾が悪いんです。今度また可憐ちゃんにそんなこと聞かれたらもう、両手をついて謝ったってゆるしてもらえないかも、ですよ」
「とにかく、つまらん、つまらんのじゃ、退屈なのじゃ。こんな殺風景な部屋にいつまで居らねばならんのじゃ。おい、ヒロキ、早う片付けるのじゃ」
さてさて、今、よもぎたちがいるここはヒロキさんが通う大学の研究室です。やっぱり大学って高校とは違うなぁ、なんとなくすごいところにいる気分になってしまいます。
そんなところによもぎだけでなく九尾もいて、大丈夫なのか、って?
はい、大丈夫です。だって今は夏休み。だからヒロキさん以外は誰もここに来ることはないのです。
ならばなぜヒロキさんだけがここにいるんでしょうか、夏休みなのに。
それはヒロキさんが先生と先輩方から直々にお願いされたからなんです。
「よもぎ、九尾、ちょっといいか?」
今から三日前のこと、ヒロキさんはスマホ片手によもぎたちに言いました。
「研究室の先輩からメールがあってさ、週末は大学に行かなきゃなんだ」
その話の内容はこうなんです。
ヒロキさんの研究室では計算化学って言うプログラムをネットで公開してるんだけど、夏休みに入ったあたりからその調子がよくないんですって。ちょっと前までは何も問題がなかったのに最近になって、なんだっけ……そうそう、システム……システム・ダウン? そのダウンがすごくよく起きるようになって、それでプログラミングが得意なヒロキさんに原因を調べて欲しいって。
さっすがヒロキさん。ここはいいところを見せないと、ですね。
「それにしてもバイトで散々システムデバッグやらされてるのに、休日は研究室でもデバッグなんて、ひどい展開だよ」
でもでも、ヒロキさん、そんなこと言ってるけど、なんだかヤル気満々みたい。
よもぎはヒロキさんといっしょにいるとなんとなく気持ちが読めちゃうんですけど、ヒロキさん、今は可憐ちゃんって彼女もできたし、就職も決まったしで、とっても充実してるのがわかるんです。
九尾なんておまけがいるけど、ヒロキさんもなんだかんだ言いながらもこの子とはうまくやってくれてるし、おかげでよもぎも楽しい毎日なんです。
ところで、この九尾について少し説明しないと、ですね。
実はこの子は金毛九尾之狐って悪いヤツだったんです。霊力とかいう超能力みたいなのを持ってる人に憑りついてはその力を吸い取って自分のものにして、それでゆくゆくは何かを企んでたらしいんです。
でもシロさん……あ、シロさんは可憐ちゃんに憑いてる天狐って言う、とっても偉い狐さんで、なんとなんと1500歳ですって。で、そのシロさんに悪だくみを見破られて九尾は冥界に送り戻されたんです。
あのときはよもぎもヒロキさんもその悪だくみに巻き込まれて、ほんとに大変だったんですよ。
それでその後の九尾なんですけど、年齢遡行って罰を受けて、こうして子どもの姿にさせられて、今はここにいる、ってわけなんです。
だけどこの九尾、罰のおかげで見た目は10歳くらいの女の子なんだけど、でも頭の中はあの「お屋形様」なんて呼ばれていい気になってた頃のままのような気がするんですよね。
ヒロキさんとのやりとりを見ていてもそう感じることがあるんです。確かに能力とか霊力は落とされてるみたいなんだけど、それ以外は実は変わってないんじゃないかな、なんて思う、今日この頃なんです。
あっ、九尾がまたヒロキさんにちょっかい出してる。もう、九尾ったら、俗世でもう一度修行しなおせ、って言われてるのに、思い通りにならないといたずらしてみたりでぜんぜん徳なんて積めてないよ。これじゃよもぎも管理責任とかいうのを問われちゃいます、まったくもう。
「おい九尾。おまえ、いい加減にしろよ。気が散って集中できないじゃないか」
「それは汝れの修行がまだまだ足らんからじゃ。もっと徳を積むのじゃ」
「うるせ――、今のセリフ、そっくりそのままおまえに返してやるぜ。ああ、もうっ、とにかく向こうに行ってろ」
う――ん、確かに今の九尾はヒロキさんの邪魔ばっかしてるように見えるんだけど、でもでも、九尾なりになんとかしようとしてるようにも見えるんですよね。
「ほら、九尾、頭をどけろって、モニターを覗き込むなよ、見えないって」
「ヒロキよ。汝れは野原で四つ葉のクローバーを探すときはどうするのじゃ?」
「九尾、おまえ……いいかげんにしろよな、何をわけのわかんないことを……」
「いいから答えるのじゃ、汝れはどうするのじゃ?」
「そりゃ、丹念に探すさ、エリアを区切って順番に。なんだかんだでそれしか方法はないだろう。急がば回れって言うし」
「ふん、ダメじゃの。ダメダメじゃの」
あっ、九尾ったらヒロキさんを怒らせたかも。質問しておいて全否定はないよね。ほら、ヒロキさんたら黙り込んじゃったじゃないですか。
「ヒロキよ、ひとつ頼みがあるんじゃが」
「いいからおまえは向こうでよもぎと茶でも飲んでろ、って」
「なあ、お願いじゃ、この九尾の頼みを聞いてほしいのじゃ」
「ああ、わかった、わかったよ。ただしひとつだけだぞ。それでそれが済んだら向こうでおとなしくしてること、いいな」
「承知なのじゃ」
あっ、ヒロキさん、九尾と何かやってる。席を立って歩いて行った先には……あの四角い機械は何? あとは、紙? そうか、九尾に頼まれて何か印刷するのかな。
「いいか九尾、このプログラムは意外と大きいんだ。そのプログラムソースをプリントアウトしろなんて、100ページ近くだぞ。それにおまえ、プログラミングなんて知らないだろ、なにしろ1000年前の生まれなんだから」
なんだかんだでヒロキさん、九尾のお願いを聞いてあげたみたい、あれだけ言い合いをしてたのに。でもでも、それがヒロキさんのいいところなんですよね。
それで……あれ?
九尾が紙の束をもってこっちに来ましたよ。
「おい、よもぎ、汝れも手伝うのじゃ。これを順番に床に並べるのじゃ」
もう、九尾ったら人使いが荒いなぁ。よもぎはあなたの傀儡とか言うのじゃないし、それに今のあなたはあのお屋形様でもないんですからね。
「よし、こんなもんじゃな」
100枚の紙を並べ終えると、そう言って九尾は満足そうに並んだ紙を眺め始めたんです。10列×10行にキチンと並べたのを、なんだかカッコつけて偉そうに腕組みなんかしちゃって見下ろしてるんですよ。
でも九尾ったら、これが何かわかってるのかなぁ。
だってだって、A4サイズに細かい字で英語みたいなのがびっしり、1枚に80行もあるんですよ。それが100枚もあるんです。
最初は遠目で見ていた九尾はそのうち腰に手をあてたまま少し前かがみになって、「ふむふむ」なんて知った風な顔で眺め始めたらと思ったら、今度は急に真面目な顔になって黙り込んじゃって、そして……
「よもぎよ、汝れにはわからんじゃろ」
あっ、なによ、その勝ち誇ったような顔は。ちょっとイラッっとするんですけど。
「これじゃ、これじゃな。どうじゃ、この九尾にかかればこんなもんじゃ」
そして九尾は何番目かな、ずいぶんと終わりの方の紙を手に取るとそれをもう一度丹念に見て、ニヤッってしたんです。それで今度はヒロキさんに向かって声を掛けたんです。
「ヒロキよ、どうじゃ、そちらの首尾は」
「……」
「おい、どうなのじゃ」
「……」
「ぐぬ、汝れは妾を無視しておるのか? ならこれでどうじゃ」
九尾は手にした紙をヒロキさんに見せながら、またまた偉そうな態度で言うんです。いくらなんでももう少し謙虚さが必要ですよね、九尾には。
「妾にはわかったのじゃ。もう問題解決なのじゃ」
「九尾、おまえにC言語なんてわかるのかよ。それにいくらなんでも早過ぎるだろ、こっちはまだまだプログラムを追っかけ中だってのに」
「妾にはその、Cなんとかはわからん。じゃが気の乱れやら調和の乱れはわかるのじゃ」
「気? 調和?」
「そうじゃ、これを見るのじゃ」
九尾ったらヒロキさんにその紙を見せながら説明を始めたみたいです。よもぎもいっしょに聞いてみます、意味はさっぱりだけど。
「ヒロキ、ここじゃ。ここを見るのじゃ」
九尾が指さしたそこにはこんな風に書いてあったんです。
0831: a[0] = function1( a[i] );
0832: val = a[0] + cnt;
0833: pRet=function2(val)*pi;
0834:
0835: addr = pRet;
そうしたらヒロキさん、「あっ!」って声を上げたままちょっと固まってしまったんです。
「どうじゃ、ヒロキ、汝れのぽんぽこりんな頭で理解できたか?」
「あっ、ああ、これって……おまえが言ってるのはこの行のことだよな?」
う――ん、よもぎには何が何だかわからないけど、ヒロキさんも九尾も納得したようにその紙を見つめてます。
「この行って、これは誰かが後から追加した行なのか?」
「そうじゃ、そのとおりじゃ。こいつの元々の作者は几帳面なヤツだったようでな、見やすいようにきちんと成形しておる。しかしその行だけは違うのじゃ。余裕もないしなんとなく雑な感じがするのじゃ。ほれ、名は体を表わすと言うじゃろう、こういうところには何かが潜んでいるものなのじゃ」
「確かに九尾の言うとおりだ。ここ、計算結果を格納した場所のアドレス値を入れるべきなのに計算結果そのものを入れてる。これじゃうまく動くわけがない」
ヒロキさんはイスを引いて座りなおすと、急いでパタパタパタなんてキーボード叩いて、あっという間にこんなふうに書き直したんです。
0833: pRet=&(function2(val)*pi);
それで他の行との見た目をそろえると、最後にヒロキさんが直した、って目印をつけてました、こんな風に。
0833: pRet = &( function2( val ) * pi ); // Hiroki Ohta changed.
「これでどうだ、オレのコメントも入れておいたし」
「ふむ、自信はあるのじゃな?」
「ああ、おそらくこれで大丈夫だと思う」
「そうか、ならば正解じゃろう」
「九尾、おまえ……」
「ふん、妾にはコンピューターなんぞ解らん。じゃが、調和や空気というものには敏感なのじゃ」
えっ?
九尾がそれを言う?
いつも余計なことを言ってチョップされてる九尾が空気に敏感とか、言う?
「ヒロキよ、妾は先にも言うたが、汝れは『木を見て森を見ず』なのじゃ。こういうときこそまずは落ち着いて全体を見渡すのじゃ。さすれば、このように乱れを見つけることができるのじゃ」
なんか、九尾がヒロキさんにお説教みたいなこと言ってますけど、でも今回だけは感心したのかヒロキさんも九尾の話に耳を傾けてます。
「ヒロキ、さっそく試してみるのじゃ。おそらくそれで解決じゃろう」
「よし、やってみるか」
そしてヒロキさんは画面とキーボードをにらめっこで、またまたパタパタと何かを打ち込んでボタンを押したら、今度は神妙な顔で腕組みして画面を見つめ始めたんです。その隣では九尾がヒロキさんと同じポーズで画面を見上げてるし、なんだか妙に絵になってる二人です。
「よし! いいぞ、コンパイルもうまくいったし、テストデータも問題ない」
ヒロキさんはさっそくスマホでメールしてます。きっと解決した、って報告をしてるんだと思います。
「九尾、ありがとうな。おまえのおかげで助かったよ」
「お、おう。どういたしましてなのじゃ」
そしてヒロキさんと九尾は、まるでアメリカのドラマでやるように、お互いにグーに握ったこぶしをコツンってやって、とても満足そうな顔をしてました。やっぱりこの二人っていいコンビなんですね。
「にゃはは、どうじゃ、よもぎ。少しは妾を見なおしたか。これで徳も積めたしポイントも加算じゃろう」
もう、九尾ったら、少しは見直してあげてたのに、それにせっかくいい雰囲気だったのに、だけどそれが今の一言で台無しです。ほんとにこの子はいつも一言余計なんだから。
ねぇ九尾、あんた、調和や空気には敏感だったんじゃないの?
第0章 初めての方でも安心です
―― 幕 ――
次回は
「第一章 キャッスル・オブ・ストレイキャッツ」
でお会いしましょう。