一話
Link another world
「く…ぁ」
小さな呻き声は、夜の雑踏に紛れ誰の耳にも届くことは無かった。
地面に光り輝く円形模様は、彼の身体を捕らえたまま離さない。
「機械仕掛けの神様も、最先端の魔術には敵わないようですね?」
彼によく似た顔を持つ少年は、長い髪を指先で弄りながら苦しむ姿を嘲り笑う。
「お、前は…一体…」
「僕ですか?僕は…そうですね、新たなる神といった所でしょうか?…欠陥だらけの貴方とは違うんですよ、ストレイトさん」
ストレイトの眼の色が変わる。
「何が目的だ…?」
「それは…この世界を僕の物にすることですね」
「…!」
「その計画を実行するためには、貴方が邪魔なんです。消えてください」
魔法陣が眩い光を出し始める。
「やめ…っ!」
キーンと高い音が鳴ったと思えば、光も、魔法陣も、そして彼自身もまるで元から無かったかのように消え失せてしまっていた。
「ふふ…はははは!これで邪魔な奴はいなくなった…さぁ、早く計画にうつらなくては…」
「レイン~。わたし退屈しちゃったんだけど」
後ろから。いや、少年の影というべきか。本来人が出てくるはずのないところから、彼女は現れた。黒いツインテールに、ゴスロリ風の衣装を身にまとっている。
「…ああ、すみません…これで準備はすべて整いましたよ」
「じゃあ、いよいよわたしたちの番なんだね!」
「ええ。」
少年と女の不気味な笑い声が木霊する、夜の街。
他に聴こえる音は風の声だけ。
2人が去った後、建物の影に潜んでいたもう一人の人物は、ふっとため息を一つついた。
「…このままじゃ、だめ…」
少女は、振り返ることなくどこかへ走り去っていった。
…その場に落ちて取り残された、黒い帽子を拾い上げて。
ピピピピ、と鳴り響くアラームで、フィアーノは目を覚ました。
「ん~…あと五分~…はっ!?!?!?」
がばっ、と音を立てて上体を起こした。勢いで布団が床に滑り落ちる。
「やっば…!今日打ち合わせあるからいつもより早く出なきゃいけないんだった~!」
あわわわ、と口走りながら着替えたり顔を洗ったり、最低限の身だしなみを整え、フィアーノは家を飛び出した。
「それにしても、なんで忘れてたんだろう…」
今まで遅刻することこそたまにあったものの、こういう打ち合わせがある等大事な日はまず遅れることなく到着していたのだ。
「…そんなことより、急がないと…!」
通勤ラッシュで混み合う駅を颯爽と駆け抜けるフィアーノ。後ろから追いかける少女がいることには、どうやら気付かなかったようだ。
「ま…まって…」
「…へ!?誰!?」
「あ、あたしは…」
「ごめん、後にしてくれるかな!?」
「あ…わかった…はぁ…」
少女を残し、なんとかフィアーノは待ち合わせ場所に到着したようだった。
「…とのことで、今回のライブのプランは…って、フィアーノさん?聞いていますか?」
「はっ…はい!ごめんなさい…」
まだ眠気が残る中、打ち合わせがスタートした。
「まず、会場なんですが…アリシアの大会場でやろうと思っているんですが…」
「いいと思います!あそこ、広くて歌いやすいんですよね」
「…だそうです。反対意見のある方は?…いませんね。では決定で、手配しておきます」
「ありがとうございます!」
フィアーノは何かに違和感を覚えた。
「(なんか新鮮な感じ…わたし、そもそも打ち合わせに参加したことあったっけ…)」
いやいや、自分の意見をしっかりと認識して、その考えで通してくれる身の回りの人などいなかったはず。実際、自分は事務所にも所属していないし、プロデューサーもマネージャーも居ないのだから。
打ち合わせが終了し、会場を出て歩く。久しぶりに昼に帰宅することができた。
「せっかくだし、遊びにでもいこうかなぁ」
ぬっ、と。少女が影から出てきた。
「あ、あの…」
「…あ、朝に声かけてくれた子だよね…?」
「うん…あの…あのね…」
「な、何かな?」
「…何か…変わったこと…なぁい…かな…?」
「えっ?」
少女はおどおどした様子で続ける。
「なんか…違和感感じる出来事とか…なかった…?」
「えーっと…」
「そうだよね…こんなちっこいのに、急に聞かれても困るよね…どうせ痛い奴に絡まれたーとか思ってるよね…うん…」
「ち、違うよ!…確かに、質問の意味はよく分からないんだけど…」
「ご、ごめん…あ、あたし…人と話すの、苦手…でさ」
もじもじと、少女は俯いた。
「うーん…あ、そうだ!」
「えっ…?」
「君、この後暇だったりしない?」
「暇っていうか…その…やることはない…けど」
「わたしの家に来ない?」
「へっ?」
「ちょうど美味しいお菓子貰ってさ。わたし一人じゃ食べきれ無さそうだから一緒にどうかなって。その質問にもゆっくり答えだせるかもだし!」
「そ…そんな…悪いよ」
「いいの!ほら、ついてきて!」
「あ、ああぁ…まってぇ…」
フィアーノに手を引かれるまま、少女は連れていかれるのだった。
「…お、邪魔…し、します…」
「そんな緊張しないで。ほらあがってあがって」
「うぅ…」
がちごちに固まったまま、その場で棒立ちしているのを無理矢理座らせて、お湯を沸かした。
「君…シリエの人っぽくないけど…どこから来たの?」
「あたしは…デライドから、来たよ。生まれたのはアリシアなんだけど…いろいろあって、デライドに住んでいたの…」
「へぇ…というか、そもそも名前聞いてなかったね。なんていうの?」
「な。名前?え、あー…」
「どうしたの?」
「か、神原らいと…だよ…」
「かみはららいと?」
「…あ、ここ風に言うなら…らいと・神原…?」
「ふーん、じゃあカミハラちゃんって呼ぶね!」
らいとは一瞬困惑の顔を見せたが、「まぁいいか…」と小さく呟いた。
「きみは…フィアーノ・イライザ。だったっけ…アイドルをしながら、シリエの長でもあるんだよね…」
「そうそう!まぁ、長になる前と何も変わってないのと一緒だけど!強いて言うなら、他の国のトップの人たちとのかかわりが増えたくらい!」
「そうなんだ…」
「あ。お茶入ったよ!あとこれマカロン!はい!」
「ありがとう…ま、まかろん…?」
「うん!食べたことない?」
「初めて見た」
珍しいものを見る目でまじまじとマカロンを見つめるらいとに、フィアーノはふふっと笑って、
「美味しいよ。わたしのおすすめは…フランボワーズかな。食べていいよ」
「本当にいいの…?」
「いいのいいの!遠慮しないで食べちゃって!」
「い、いただきます…」
はむ、と一口齧ったらいとは、顔を赤くしてため息をついた。
「美味しい…」
「よかった!他にもあるから食べてってね」
「うん…ありがとう…」
「…それにしても君、いくつなの…?かなり幼く見えるんだけど…」
「そ、それを聞いちゃう…?」
「ごめん…」
「いいよ」らいとは微かに微笑む。「少なくとも…君より五歳は下だと思う」
「そう…どうして、シリエに?」
らいとの瞳が少し開いた。フィアーノも息を呑む。
「あ、あたし…お兄ちゃんを探してるの」
「お兄ちゃん?」
「うん」らいとは、うつむいたまま喋っている。
「あたしのお父さんもお母さんも、あの戦争で死んじゃって。あたしはお兄ちゃんと一緒に、なんとか終戦まで生き残った。…でも、ある日突然お兄ちゃんがいなくなっちゃって」
「…」
「あたし…お兄ちゃんにずっと頼って生きてきたから…お兄ちゃんがいないと、何もできなくて…だから、戦争が終わってから今までの八年間…ずっと…探して歩いてきたの」
時々言葉に詰まりながらも、一つずつ言葉を紡いでいる。
「…それで、シリエまで…」
「そう…アリシアも、ベータランドも、デライドも…全部探して。お兄ちゃんは生きてるって、そう信じて…」
らいとは俯いたまま黙り込む。
「カミハラちゃんのお兄ちゃん…わたしは生きてるとおもうな」
「フィアーノ…」
「だって…カミハラちゃんがそう思うなら、きっとそうなんだよ。…わたしにも、お姉ちゃんがいたから」
「フィアーノに?」
「そう…生き別れちゃって、ほとんど会ったことも無いんだけど、ただ「いた」ってことしか知らないけど。でも分かるんだ。…お姉ちゃんは、本当に居た。って」
フィアーノはいつも通りの眩しい笑顔を浮かべた。
「そうだね…あ、ごめん…こんなくらい話して…困るよね…」
「いや…こっちが言わせたようなものだし。わたしこそごめん」
「謝らないで…話せて、ちょっと落ち着いた。…それより、さっきの話に戻していいかな?」
「さっきのって、「違和感」の話?」
「そう。…本当に、突飛だとは思うんだけど、大切なことなの…」
「うーん…あ!」
フィアーノが突然大きな声を上げた。
「なんかそういえば…いつもやっているはずのことが、なんか新鮮に感じたような…」
「…うん」
「そういうこと、かな?」
「…ありがとう…例えば?」
「例えば…いつもは寝坊しないのにしちゃったーとか、そういえば一人暮らしのはずなのに鍵二つ持ってるし…言われてみれば、変なことだらけなんだよね…」
フィアーノは少し顔を青くした。らいとは真剣な顔で聞いている。
「フィアーノ…」
「な、何かな…」
「…何か、「大切なこと」忘れてない?」
「大切な、こと…」
「…「大切な人」、かもしれないけど」
「人…忘れ…あれ…?」
「…」
「…忘れてる気がする…絶対、忘れちゃだめなことを…覚えてなきゃいけないこと…!」
フィアーノは頭を抱えた。
「そう、だよね」
らいとは納得したように頷く。
「あのさ、フィアーノ…」
らいとは持っていた鞄から何かを取り出す。
「これに…見おぼえない…?」
フィアーノの視線の先にあったもの。それはキャップ型の黒い帽子であった。
「…!」
抜けていたいくつのもパズルのピースが一気にはまり込んだような。そんな感覚がフィアーノを襲った。
「思いだした?」
「思い出したというか…なんで忘れてたんだろう…怖い…」
「大丈夫…それが普通…というか、思い出してくれてよかった」
「…そうだよ。わたしのマネージャー…居たじゃない…。朝いつも起こしてくれるし、何なら朝ごはん作ってくれるし、洗濯もしてくれるし、オフの日は部屋の掃除もしてくれるし、打ち合わせにも代理で出てくれるし…」
「…フィアーノのマネージャーさんって、年配の女性ではないよね?」
「あー!!違う!!口が滑った!!ママじゃないです!!割と若めの容姿端麗な口の悪い野郎です!!!!」
「…だよね。それ褒めてるのか貶してるのか分かんないんだけど…」
「あーーーー…終わった…わたしがほぼ何もしてないことがバレた…なんならこの家もわたしの家じゃない…」
「えっ!?じゃなくて…大事なのそこ?」
「違う、よね…」
一通り騒いだ後、フィアーノは真剣な表情に戻る。
「どうして忘れてたんだろう…しかも、周りの人もなんにも違和感を示してないし…というか、この場に居ないって時点でおかしいし…」
フィアーノはうーんと考え込んでしまう。
「フィアーノ…魔術って…好き…?」
「魔術?」
「うん…まぁ」
「そう。こっからの話は、魔術が大きく関係するから…ちょっと非現実的かもしれないけど…頑張ってついてきて」
「了解…ってあれ?どうしたの?」
そこまで言ってらいとは、ぴたっと固まってしまった。
「今日一日のエネルギーを…使い果たしました…」
「え?」
「あたしはコミュ障なので…喋るのにはエネルギーを使うのですー…」
「え?え?」
「電池切れですー…ぱたっ」
「えっ!?ちょっ…あ、寝てる…」
らいとは、そのまま床に倒れ込んで寝てしまったようだ。
「魔術が関係…どういうこと、なんだろう」
すやすやと眠る彼女に毛布をかけながら、考える。
「よくわかんないけど…ストレイト…戻ってきてくれる、よね?」
不安を胸に、フィアーノは呟いたのだった。




