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生きるとはえらいことだ  作者: myeong
8/8

【2d夜】今にわかる

【2日目投票】

菊地、水落、吉脇、堤、矢口→鬼生田

佐久間、来島、浮田、川本→菊地

鬼生田→来島


 意外と割れた。というか、正直危なかった。菊地は背中に汗の冷たさを感じた。

「うぐっ」

 顔を真っ赤に染めた鬼生田がパーカーの裾を掴んで立ち上がった。しかし愚直に「死者」を遂行するつもりなのか、言葉は発さず粛々と部屋を出て行こうとする……前に振り返って一言。

「おにぎりいただきます」

 棋士室にいます宣言だ。意地悪に捉えれば、生存が救済条件とは関係ない人外陣営としての余裕か、仲間へのエールとも見える。ただ、奨励会員がプロ棋士たちを残して先に帰るというのも味が悪いだろうから、素直に受け取っておくべきか。色は霊結果が出ればわかることなのだから。

 それにしても、鬼生田の来島票は何だったのだろう。取り立てて来島に疑いを持っていたようには見えないが……逆説的だが、菊地を白く見ていて票を散らそうとした?あるいは、穿ち過ぎかもしれないが、残った灰と片白の中で一番入れやすい場所に入れた……?

 どちらかと言えば後者ではないか、と菊地は思う。来島は奇人だが、こういうゲームで自分に投票されて傷ついたり根に持つタイプではない。興味の向く対象として人間関係というものが稀薄なのだ。そう考えると、これは奨励会三段なりに悩んだ結論としてはしっくり来る。

 加えて言えば、今日の鬼生田吊りも、議論のなかで名前が挙がった鬼生田か菊地の二択となれば薄々想像できる範疇だ。実際、菊地の下位者は全員鬼生田のほうに投票している。要するに、どちらか選ぶなら明らかに鬼生田のほうが入れやすいのだ。川本は少し特殊だが、一応同期だし、佐久間説に同調している節もあったのでここはわかる。また、序盤なので致し方ないのかもしれないが、ここまではハッキリした推理というより半ば消去法で選んでいる者が多いように思う。経験者の中に黒取り型がいなさそうなことも影響しているかもしれない。気持ちはわかるし実際菊地も他人のことを言えた柄ではないが、運ゲーの要素が濃くなってしまっている。


(……しかし、これは変則人狼ゲームにも程があるだろ)

 少なくとも現時点までは、大事な投票にさえ狭いムラ社会の中での関係性、立ち位置がそっくりそのまま反映している。女流棋士の堤や、奨励会員の矢口は役職を引いたおかげでその輪の中から抜け出しているが、本来灰にいれば早期に退場してもおかしくないポジションだ。

 会長はリストラと言いつつ、なるべくプロ棋士を残したいのだろうか。しかし、それとて人外が女流や奨励会、職員などに固まった上で勝ってしまえば、意味のないことになる……。オンジェイはしっかりカードを切っていたし、彼がマジシャンでもないかぎり、さすがに役職を仕込むということまでは考えられない。


 もうひとつ、今になってあらためて引っかかることがあった。

 それは「投票後の弁明」の機会が、会長の説明によるかぎり与えられていないことだ。同数票でも決選投票ではなくランダム、つまり必ず毎日1人処刑されてゆく。まあ、それはいい。それはいいのだが、この編成は狩人がいる。回避CO不可能という前提は、はたしてゲームバランスとして如何なものだろう。村にとって打撃なのか、それとも2匹しかいない狼に不利に働くのか。

 ……面倒くせえ。菊地は頬をつねった。だが、考えねば。脳みそが汗をかくまで。思考停止した瞬間、勝負は終わる。そのことを自分は身体で知っている。



 鬼生田は一段一段踏みしめながら階段を上った。何だか、酷く疲れていた。

(もうちょっと喋れたら良かったのにな……。でも浮田先生の「冴えんなあ」が生で聞けたのは嬉しかったな)

 身体は泥のように重いのに、そんなささやかな幸せとともに4階の棋士室のドアを開けると、十畳の和室のなかに、壁を向いて寝転がった吾妻と、おにぎりを食べている山井の姿が見えた。

「おっ!三段くん来ちゃったか!」

 口から米粒が飛ぶ。鬼生田は気付かないふりをしてそっと拾った。奨励会員根性というわけでなく、生来こういうのが気になる性質なのだ。

「吾妻ちゃんがアマ三段あるとか言うから飛車落ちでやったんだけどボコっちゃって、二枚落ちでもボコっちゃって、彼、見ての通り不貞寝。へへへ」

 山井はこのシチュエーションに不自然なほど明るかった。数十分前、半泣きで部屋を出て行った人間と同一人物とは思えない。だが、将棋指しは将棋を指してさえいれれば幸福なのだ。無論負ければこの世の終わりかと言うほど辛いし、悪手を指せば自分を切り刻んでしまいたくなる。けれど、やっぱり、将棋は格別だ。特別だ。

「まあ、無粋だから天国ルームではCOはなしにしようや。でもよ、知っての通り俺は噛まれてるから人狼じゃない。つまりどっちみちもうアウトだ」

 潜伏狂人の筋は?と鬼生田は一瞬思ったが、さすがにこの人に限ってそれはないだろうなと考え直した。なにしろ新四段の頃、当時としても既に時代遅れの原始中飛車で勝ちまくっていた不器用な豪腕の持ち主なのだ。

「そんなわけで歯応えのある相手が欲しくてよ。なんつっても、『プロ棋士山井康夫最後の一日』だ。元新人王と指せるなんてなかなかないぜ?一番行こう」

 鬼生田は何だか得体の知れないほど大きな「有り難い」という気持ちがむくむくと盛り上がってくるのを抑えきれなかった。若手時代の輝きこそ今の山井にはないが、それでも高段者と並の三段が盤を囲める機会などそうそうない。

「あ、あのっ」

「何だ?」

「山井先生の中飛車が見たいです!」

 困ったな、というように山井は苦笑して、おしぼりで手を拭った。

「……つまり、お前は俺が一番勝ってたときの戦法で来い、って言ってんだな?」

「はっ、いえ、そういうわけでは」

「いいよ別に。平手だぞ、いいか」

「は、はい!お願いします!」

 鬼生田は大きな身体を丸めて嬉々として盤の前に座った。おにぎりのことなどもうすっかり忘れている。山井が「王将」を、鬼生田は「玉将」をつまみ上げた。

「先後決めんでええの?」

 寝ていると思っていた吾妻が突然肩越しに発言した。

「おっ、不貞寝男。振り駒頼めるかい?」

「あいよっ」

 吾妻が起き上がって盤側に座り直す。

「10分切れ負けだ。言っておくが、俺は強い。客観的に言ってそこそこ強い。緩めてやる気もない。叩きのめしてやる」

「はっ、はい!」

 駒を並べ終わった両者は姿勢を正して沈黙した。

「それでは、山井先生の振り歩先です」

 もったいぶった口調で吾妻が上手の歩を5枚取り、手の中で振り……シャカシャカ……放つ。歩が3枚。

「歩が3枚出ましたので山井先生の先手番と決まりました。それでは、よろしくお願いします」

 鬼生田と山井は一瞬目線を合わせ、ゆっくりと頭を下げた。

「お願いします」

 ピリリ、と少し遠いどこかで空気が鳴った気がした。


「よーし!それじゃあ夜のターン行っちゃおう!今度も吊りの左隣から時計回り。なので、小さいほうの三段!」

 矢口が席を立つ。彼が言っていた「ちょっと考えてること」とは一体何なのだろう。まあ、明日になればわかるか。……自分が生きていればの話だが。

 今日ここまで疑いを持たれた自分が噛まれるとはあまり考えられない。SG位置をみすみす潰すのは悪手だ。やはり今夜は役職抜きにかかるのではないか、と思う。死者は吾妻、山井、鬼生田。それぞれ狩っぽいフレーバーは大してなかったが、ワンチャンを狙うのならこのあたりがタイミングとして自然ではある。自分ならどちらに行くか。俺は霊かな……。2-1で死んだ3人ともに白なら、残り狼数がわからない方がパターンが増えるぶん疑心暗鬼につながる。

 GJが起こらないかぎり明日は8人だ。もう既に残り3縄。人外が吊れていなければ相当厳しい闘いになる。希望的観測をすると狂人が既に落ちていて真狼、灰か片白にLWなのだが、都合の良い考えは休むに似たり、である。


 一座の表情を伺ってみる。

 矢口はジャケットの袖を触りながら、特に変わった様子はない。堤と吉脇はさすがに今日は雑談に興じる余裕がないのか、それぞれ無言でお茶を飲んだりお菓子を食べている。浮田はいつも通り。来島は誰かに話しかけたそうだが、他の全員が「話しかけるな」オーラを放っているためか、場を見回しているだけだ。佐久間は右斜め上を見つめて何やら考えている。そして水落が帰ってきた。


「キクチセンセイ」

 オンジェイに呼ばれる。もっとも、変わらず何もやることがない。

「……オンジェイってさ、居飛車党?振り飛車党?」

「ワタシハ居飛車党デス。横歩取リ急戦ガ好キデス」

「じゃあこないだの旭日杯オープンのさ」

「クロダセンセイガ、駒得ニナゼカ裏切ラレテシマイマシタ」

「そうそうそう!そこなんだけど」

「50ビョーウ……」

 わかりました。菊地は肩をすくめながら隣室へ戻った。


 椅子に腰を下ろし、ぼんやり自分の人生を思い返してみる。

 坂の多い街、西荻窪で両親ともに教師の家庭に生まれた菊地は5歳で駒の動かし方を覚え、アマチュア級位者の祖父とよく将棋を指した。最初は半分祖父の暇つぶしの玩具みたいなものだったかもしれないが、1年経つうちほとんど負けなくなり、小学校から都内の道場に通い出した。小学校低学年でアマ三段(今思えばずいぶんと甘い三段だ)、調子に乗っていた彼が真に将棋の奥深さ、楽しさ、厳しさに気付いたのは柏の将棋センターと出会ってからだった。なにしろ、席主兼師範がプロの誉田九段ということもあり、ここでの段級位認定は相当辛く、客観的に見て一般の道場と二、三枚は違う。つまり自分の実力はせいぜい初段、なんなら1、2級でもおかしくないのだった。

 既にプロ入りしていた兄弟子も佐久間を筆頭に3人おり、それが皆まだ売り出し中の若手ばかりだったから、普通は指導や普及よりもまず目の前の対局に集中するところ、師匠の人柄か、センターの居心地良さか、誰彼問わず週に一度は道場に顔を出すような雰囲気が出来上がっていた。菊地はそんな恵まれた環境のなかでのびのびと指した。小学校6年生、センターの四段に昇段し、小学生名人戦で3位に入った初夏、奨励会受験を願い出た。

 (フミくんはまだちょっと早えんじゃないかなあ……ま、いいでしょう、君は居飛車一本槍だから力で上には上がわんさかいるってのを知っといたほうが良い。ウチで平手でやれる相手ももうほとんどいねえもんな)


 奨励会入会試験は拍子抜けするくらいあっさり合格した。後で思うと、この年は不作で、同期からプロになった人間はいない。

 アマ四段改め、奨励会6級からのスタート。B(降級点)を取ることもなく順調に昇級昇段を重ね、高校1年生の秋から三段リーグに参戦する。記録としては悪くないスピードだ。ただ、そこからが長かった。


 11期、5年半。長いと言っても特筆するほど酷いものではない。だが、それまでの出世が早かった分、ここでの足踏みは堪えた。常にそこそこの成績は残すものの、リーグでは大抵6~10位あたりが菊地の指定席だった。そのことに切歯扼腕しなかったと言えば嘘になるが、将棋への情熱自体が薄れることはなかった。弱いから負ける。見損じも、頓死も、読み切れなかった詰みも、全て自己責任だ。ただひとつ、奨励会の仲間、将棋関係者からの評価が「将来のタイトル候補」から徐々に「八段にはなるだろう」「プロにはなれるだろう」と下方向に変わって行ったのは耐えがたかった。

 混戦模様の中、順位差の頭ハネの恩恵も受け、13勝5敗。21歳の4月1日付で菊地郁文新四段が誕生する。それから10年余。C級1組、通算201勝189敗。勝ち星昇段の六段まではあと少しだ。生涯戦績も一応勝ち越しではある。とは言え、大局的に見れば並の五段。サメ、カツオ、イワシの分類で言えばカツオとイワシを行ったり来たりという感じ。つまり、ヒエラルキーの中でこのクラスはイキの良い若手にすれ違いざま斬り倒されるような位置であり、また、力の衰えたベテランに負けたとて「まさか」と驚かれることもない、そういう存在なのだ。

 

 (十で神童、二十歳でただの人、三十過ぎればくすぶりか……)


 菊地はこめかみを強く揉んだ。ぐるぐると血の回る感覚。今の自分は華やかな中盤戦に入った盤の中央から遠く離れ、ひとりぼっち立ち尽くしている端歩だ。目の前に敵はおらず、背中に味方も負っていない。


 いつか、光れるのかなあ。


 声には出さず、そうつぶやいた。




 

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