【1d夜】歩ばかり山のほととぎす
【初日投票】
菊地、水落、山井、佐久間、来島、浮田、吉脇、堤、鬼生田、矢口、川本→吾妻
吾妻→吉脇
「なんでやねんっ!」
何度もハンカチで拭っていたのに未だテカテカと光る額に血の気をのぼらせて吾妻が喚いた。彼だけは吉脇を指していたが……それ以外の11人の指は笑えるくらいピッタリ吾妻の方を向いていた。
「わてが狼っぽいとか誰も言うてはらへんかったやん!せやのに何で満場一致やのっ」
「回避COはありますか?」
吉脇が冷たい目で問う。
「なんもないがな!わて素村や!」
「あー!あー!あー!」
南風原会長が遮る。
「僕悲しい!本日の処刑者は勝間……じゃないや吾妻に決まりました。彼は死者となりこれから発言することが出来ません。というか退室してもらいます。一応ね、4階の棋士室を開けてるから、そこにいてくれる分には良いよ。僕優しいから棋士室にもおにぎりとかお菓子置いてる。ふふ、天国ルーム」
「いや、そんな、せやかてこれ、もうわてゲームセットやん。いる意味ないやん……」
吾妻は酸欠の金魚のように口をパクパクさせながら、それでも意外と悪あがきすることなく俎上を去った。このまま帰るのか、それとも何だかんだで棋士室に行くのかはわからないが、そのしょぼくれた背中は普段のあの男らしからぬ景色だった。
(やっぱりそうなるよな……)
菊地はまた指をポキポキ鳴らした。ここにいる12人のうち、吾妻以外は広い意味での連盟の「身内」なのだ。余程怪しい人物がいない限り、まず自然な人情としてお互いには入れづらい。特に勝ち残った場合、この人間関係はこれからも何十年と続いて行く。いずれは「いやあ、あの時こいつ俺に投票しやがってさ」なんて笑い話になるのかもしれないが、少なくとも当面は味が悪いことこの上ない。
会長は吾妻を放逐したくてこのゲームを提案したのか?確かに、通常のダミー有りや占い結果持ちのルールなら情報量は格段に上がる。しかし、このやり方だとどうしても初日は陣営問わず、いわば「切っても心が痛まない人間」に票が集まることは避けられない。吾妻が人狼ならLWにとって災難だし、霊能者や狩人でも村側にとって最悪だが、それをわかっていてなお、初手はこうせざるを得ないという結果は目に見えていた。
「よーしよーし!それではこれから夜のターンだ!」
こんな深夜でもハイテンションの69歳元名人は上機嫌で場を取り仕切る。
「ひとりずつ隣の部屋へ行ってオンジェイ立ち会いのもと役職持ちと人狼は行動を決めてね。繰り返すけど1分だから迅速に!ちなみに村人も含め、時間が経たないうちは出てきちゃダメ。きっかり1分。順番は……ええっと、吾妻の左隣から時計回りにしようか。じゃあまずそこのでっかい三段」
不安げな表情で鬼生田が立ち上がる。春先だというのに、パーカーの脇のあたりにうっすら汗が滲んでいるように見えた。
「ちなみに、夜のターンの間は休憩も兼ねてるからトイレとか雑談オッケーよ。あんまり議論っぽくなっちゃったら僕止めるけど!会長だから!」
ふう。パイプ椅子にもたれて息を吐いた。投票も厳しかったが、今夜の襲撃もそれなりに難しいだろう。吾妻が狩人の可能性はかなり低い。悪目立ちはいつものことだが、仮にも経験者なのだから、さすがにあれはない……というか、おそらく素村だろう。そう思いながら彼を吊ってしまった自分に嫌気が差すが、縄数に余裕がある以上、残しておけばノイズになりうる吾妻に投票するというのは決して悪手ではないはずだ。そんな文脈で菊地は自分を慰めた。
「なんかお腹空いちゃった」
吉脇が言い訳がましくテーブルの上のチョコレートの包装を破って一粒頬張った。真顔のほっぺたがもぐもぐ動く。
「リスかお前は」
「なんでよぉ……フミくんも食べる?」
「いや、俺いらね。甘いもん嫌いだから」
本当はそれより酒が飲みたくてしょうがなくなっているのだが、さすがに酔っ払ってこのゲームで負けでもしたら、一生自分を許せない気がする。
「おふたりはずっと仲が良いんですよね?」
珍しく堤が会話に乗ってきた。いや、珍しく、というのはただ自分が彼女のことをよく知らないだけで、見た目の印象で勝手におとなしいと決めつけていたのかもしれない。
「そんなことないよ。ないけど、もう20年くらいのつきあいだもんね」
「ああ。小学生名人戦の準決勝でぶっ飛ばされてからな」
「えええ、すごい!」
堤の切れ長の目が見開かれる。
「別にすごかないだろ、こいつ結局次で負けたし」
「え、え、でも、女の子で準優勝って、小学生名人戦の最高記録じゃないですか?」
確かに。菊地はつまりその年3位だったわけだが、テレビ放映される準決勝以上に女子が登場するというのは極めて珍しい。10年に1人いるかどうかで、しかもそれが小学4年生というのは空前絶後だ。堤が中学生女流棋士として脚光を浴びたのはまだ記憶に新しいが、遡れば吉脇も中学生でプロ入りしている。……もっとも、そこから15年以上経って女流初段というのはなかなかの低空飛行ぶりだ。三十路五段の菊地に言えたことではないが。それでも自分たちはプロになれただけ充分幸福な側だと思う。なんとなれば、彼らが上位進出した年の小学生名人は、奨励会級位者のままで退会していったのだ。
「フミくんはねえ、なんかその頃から何かに憑かれたみたいに居飛車一辺倒だったのよ。馬鹿みたいに矢倉!矢倉!たまに角換わり!」
吉脇はまたチョコレートに手を伸ばす。昔から目の前に食べ物があると手を伸ばさずにいられない。恋愛ももしかしてそうなのか。余計なことを考えてしまった。
「……矢倉は将棋の純文学なんだよ。お前だって一つ覚えの四間飛車だったじゃねえか」
「吉脇さんは今もそうですよ」
くすくす、と堤が笑う。先ほど「吉脇が怪しい」と言っていたくせ、この切り替えの早さは何なのだろう。
「やだもー!」
吉脇も笑いながら堤の肩をバンバン叩いている。菊地には女性の精神構造がよくわからない。
そうこうしているうち、堤の番が来て、吉脇もその次なので自然と会話が終わった。手持ち無沙汰になった菊地は誰かに話しかけてみようかと思ったが、何となくそれぞれがざわざわと喋っていて、特別話が出来そうな相手は見当たらなかった。ので、対局前ルーティンをふたたび試みる。と、
「菊地先生」
隣の水落が口を開いた。ちょっと意外なところだ。
「ん?」
「いや、あの、こんな時に言うのも変なんですけど」
塩顔王子は目線を合わせない。距離的に無理ないことではあるが、いじいじと下を向かれたまま喋りかけられると若干イラッとする。
「一昨日の対局、あんな序盤で桂馬を跳ねるのか、って疑問だったんですけど、後で調べたらめちゃくちゃ良い手でした」
「お、おう……」
あれは最新型に近い一手だった。流行りの、という感じだが。
「なんて言うか、菊地先生ってちょっと古風な居飛車正統派……って思ってて」
「それがコンピュータみたいな手を指して驚いたか?」
「……ていうか、まだまだ進化されてるんだなって」
へえ。菊地は少し水落の印象が変わった。弱い奴だという認識自体は動きようがないが、ヘボ五段たる自分の棋譜までチェックしているのか。
「キクちゃんは誉田先生の秘蔵っ子だからなあ」
山井が割って入ってくる。
「なんつうか、誉田一門って皆居飛車の業?カルマ?みたいなの抱えてるよな。あ、マサやんは別として」
「俺は三間飛車に命を懸けてるからね」
確かに、兄弟子は異色の存在だ。職人肌の棋士で、極端に言えば佐久間の採用している戦法は現在150人からいるプロで他に指す者はひとりもいない。
「秘蔵っ子が32歳の勝ち星昇段五段ですよ。師匠泣いてんじゃないかな」
「そんなことないだろ。『弱いけど筋良し!誉田将棋の後継者はフミくんだ!』ってこないだ解説の時言ってたぜ」
山井のフォロー。ギャンブル狂いは別として、基本的に悪い人ではないのだ。やや過剰な馴れ馴れしさもバブル経験世代と思えば理解できないこともない。それでも時として鬱陶しいのは鬱陶しいが。
しかし、それはさておき、後継者云々は師匠のリップサービスというか、とにかく弟子がかわいくてかわいくて仕方ない気持ちがだだ漏れしているだけなので客観性に著しく欠ける評価だ。うちの一門は弟子が多く、現役プロだけで10人もいる。その最上位は名人への挑戦権を賭けたA級にいて、要するに、自分や佐久間はパッとしないほうの弟子である。それでも分け隔てなく愛してもらえるのはありがたいことだが、勝つか負けるかの世界、成績が伴わない実情の鬱屈と言ったら百万言にもし難い。きっとそれはこの中では水落が一番よくわかっているだろう。
「おっ」
佐久間が呼ばれて出て行った。
戻ってきた面々を一応見回してみるが、目立った変化は見いだせない。女性陣はお菓子を食べながら談笑しているし、来島は何かブツブツと呟きながらひとり精神的要塞に籠もっている。三段勢にも特に変わりはない。浮田は……やっぱり寝ている。
「キクチセンセイ」
オンジェイに手招きされて隣室に入った。普段は控え室として使われている八畳の部屋。やはり蛍光灯に照らされた無機質な空間で、長机、パイプ椅子、アコーディオンタイプの仕切りがあるくらいだ。
もっとも、菊地は村人だから特にすることはない。1分間ここで過ごすだけだ。とはいえ、黙っているのも変かと思って訊いてみた。
「オンジェイはチェコのどこらへん出身なの?」
どこそこ、と言われてもチェコのことなど全く知らない以上、話が膨らむわけもないのだが。
オンジェイは時計に目を遣りながら答えた。
「50ビョーウ……イチ、ニ、サン……」
わかりました。10を読まれるギリギリ前に、菊地はその部屋を出た。
「さーて!さーて!恐ろしい夜が明け、朝になりました。本日の犠牲者は……」
GMと言いつつ特になにもしていない会長のここぞの見せ場である。
「山井!ざんねーん!」
マジか、というような表情で山井が立ち上がる。
「あー……。はい。そう……ですか……。でも、俺はアウトだけど、でもさ、なんつうかさ、それでも村の勝利を祈ってる……。こんなんだけどさ、かつての新人王だぜ?将棋大賞新人賞取ったこともあんだぜ?……そんなにヘボな将棋指しじゃなかったと思うんだ……たいしたもんじゃないかもしれないけど俺の運まで持ってってくれ。あ、あ、あ……後は任せる」
最後のほうは涙声だった。オンジェイに肩を抱かれて彼は退室した。
正直、なぜ山井?というのがおそらく菊地も含めた灰の感想だろう。真狂仮定、さすがに2分の1で占いを抜きに行くのはハイリスクだし、村側がどうしようもない投票を半ば強いられたのと同様に、狼側も初日の襲撃は考え物だったと思われる。とはいえ、山井が狩人臭を出していたかといえばそんなことはなく、積極的に発言していたわけでもないから「意見食い」とも思えない。何より、川本が指摘したようにプレッシャー皆無の素村感が強く感じられた。面倒くさい。菊地は頭を抱えた。
「今日も10分とろうかー!」
会長の声が少し遠くから聞こえてきた。