【1d昼】着眼大局、着手小局
「昼のターン開始だよ!あっ、秒読みの記録係連れて来てないや。はははは冗談に決まってるじゃない」
オンジェイにそれぞれの役職を知らせたのち、ゲームがスタートした。
会長の声は、おそらく誰の耳にも入っていなかっただろう。菊地はぐるりと周囲を見渡した。胸ポケットに入れたカードが、気のせいか熱を持っているように感じた。
そもそもこの面々のなかで、自分がその性格をよく知っていると言えるのは兄弟子の佐久間と同年代の吉脇だけだ。この2人には特に変わったところがなく、いつも通りに見える。だが、マイペースな佐久間、集団内での位置調整が上手く人狼経験者の吉脇、という前提から考えるといくらでも疑いの目が育ってくるように思う。
三段のふたりは生意気と天然、とタグ付けをしてひとまず放っておくことにする。吾妻と川本はそれぞれ別の意味で読みづらい。たとえば吾妻なら、勝敗を別にしてこの場をリアル狂人的に引っかき回して満足しかねない印象だし、川本は何を引いてもいつもの地味でオーラのない川本だろう。
山井はルールを把握してから、やけにやる気になっている。これが殴り合いで決めるゲームなら一抜けだろうにな、と思えるほどたくましい上腕二頭筋がスーツ越しに盛り上がっているのがわかる。水落は上目遣いに各自の表情を探っているようだ。堤はまだ挙動がぎこちないが、少なくとも石化は解けたようで、右頬の小さなニキビを時折触っている。そして浮田の現状は「たぶん起きているだろう」としか言えない。
「この編成とレギュレーションだから、占い師は初日に出しちゃって良いと思う」
吉脇が口火を切った。
「さすがに3-1とか2-2にはならないだろうし」
「……活気に満ちた時代が来そうね。もっとも、少々騒がしいけど、沈滞してい」
「俺占い師ッス」
来島のどこかからの引用を遮ってCOしたのは矢口だった。いいとこの坊ちゃん風の見た目ではあるが、瞳の奥に潜む好戦的な光は、いかにも「将棋指し」のそれだ。つまり、自分本位で、ひたすら自意識が強そうなタイプ。とはいえ、彼はいわば「強い三段」の方だから無理もないかもしれない。順位差による頭ハネに泣かされてはいるが、本来なら年齢制限ギリギリまでリーグに留まっているような格ではない。
吉脇の言には一理ある。5縄なので2人外が露出した時点でほぼ詰み。そこまで言わずとも大勝勢だ。
「あのう」
間の抜けた、モチを溶かしたような声がした。
「わし、占い師なんやけども」
浮田が腹の上の定位置から外した右手をふらふらと挙げた。
「……浮田先生が対抗スか」
矢口の頬が軽くゆがむ。
「他は?他に占い師がいるなら今出てください!後になって出てきても認めないよ?」
吉脇がテーブルに両手をついた前のめりの姿勢になってひとりひとりの顔を見渡す。おどおどした目はもはや何かを決意したかのように据わっていて……それと、たしかに、これは、質量感のあるおっぱいだ。南風原会長が予備のパイプ椅子に座ってニヤニヤしている。
それ以上、対抗は出なかった。
「じゃあ、占い師候補は浮田先生と矢口くんね。霊能者はとりあえず今日は任せるわ。襲撃はあるけど潜伏霊能に当たる確率はかなり低いし、乗っ取りの危険性はあまり考えなくていいはず。初手で役職が抜かれる可能性と天秤にかけたら、あたしはどっちでもいい」
そう言うと、ひとりひとりの顔に目をやる。レスポンスは返ってこない。菊地はどちらかというとフルオープンが好みだし、確霊すれば間違いなく村側の人間――つまり灰の吉脇ではなく――に仕切りを委ねられるぶん有利ではないかと思うのだが、今回の特殊ルール、つまり勝利陣営でも生存が救済条件ということを加味すると、初日に霊能者を開けてしまうのは不憫な気もする。何も出来ないまま墓場行き、というのは辛いし、人狼側なら死んでもまだ目が消えたわけではないが、村側にとってはそうではないのだ。
「ひとまず霊は潜伏希望ってことね。それじゃ占い先は」
「灰のさやかちゃんがなんで仕切らはるんか僕にはようわからんけどなあ」
吾妻がにへらにへらと腰を折る。
(そういうとこやぞお前)
菊地は思わず関西弁で突っ込みかけてやめた。吾妻はプロ棋士には「先生、先生」と追従するくせ、女流棋士に対しては相手がほぼ年下ということを差し引いても「下の名前+ちゃん付け」を通している。どれだけ嫌な奴だろうと、20年近く将棋ライターをやってきた吾妻に、弱い立場の彼女たちが表立って抵抗するのは困難だ。
「じゃあ吾妻さんは誰が仕切ったらいいと思うんですか?共有者も聖痕者もいないんですけど」
目の前にあったそば茶をぐっと一口飲んで吾妻が答える。
「いやあ、初日やからしゃあないけども、そんだけ動かれると、ほら、『状況は人狼が作る』って言うやん?そんなんがちらーっと浮かんでもうてさあ」
「答えになっていません。誰が仕切ればいいのか、という話ですよ」
「俺はさやかちゃんが良いと思うよ」
いささか場違いとも思えるのんびりした口調で佐久間が発言した。
「あ、ありがとうございます」
「だって詳しそうだし」
同じ「ちゃん付け」でも佐久間が言うと田舎の叔父さんが姪っ子を労っているように聞こえるから不思議だ。無論そこには普段の人間関係も介在するが、原則的にはその人物のキャラクターとして許されるライン、というものがあるのだろう。
「あの……僕も、今は吉脇先生に場を回していただきたいです」
まさかの川本。ただ、経験者と言ってはいたか。どの程度なのかがわからないので、菊地は若干苛々したが、まさかここで酒を寄越せ、と言うわけにもいかない。0時32分。さすがにこの時間にシラフでいるなんて、対局中を除いてここ数年覚えがない。
「俺も異議なし」
山井が畳みかけると、場の空気はもはや動かしようがなかった。ただ、悪くない。吉脇が人狼だろうと村側だろうと、初日は議論が活発化したほうが良い。経験者と未経験者が半々である以上、吉脇のようにバランス感覚に優れた人間なら灰全員に目線を送ってくれるだろう。つまり、寡黙や不慣れの村人がドボンする危険性が多少薄くなる。
「それでは」
吉脇が一息入れて続ける。
「まず、もうあと8分しかないので、それぞれ怪しいと思う人がいたら教えてください。吊りがあるので」
これは難題だ。詰将棋ならぶつかってぶつかってぶつかり続ければどこかで活路は開けるのだが、人狼ゲームでは疑いはすなわち疑い返しとなりかねない。
誰も答えないのを見て、吉脇が指名する。
「佐久間先生。菊地先生とは同門ですけど、今の様子をご覧になって如何ですか?何か普段と変わったところとか」
「うーん」
水落も細身ではあるが、中背の彼と比べ、180センチ55キロの我が兄弟子は鶏ガラ体型と言って差し支えない。いつも何を考えているのかわからないが、名前の通り優しい人だということはわかる。15歳違うので、兄貴分にしては離れているし、親代わりというのも若干無理がある。菊地が奨励会に入会する前から既にバリバリのプロで、難関と呼ばれる棋戦のリーグ入りも果たしていた。だから、直接教えてもらったことはほとんどない。
(いやー、フミくんは弱い!だが筋が良い!)
誉田師匠のいがらっぽい声が聞こえてくる。
千葉県の柏にある将棋センター。東京生まれで、都内のそれなりに名の知れた道場は網羅したと思っていた少年時代の菊地にとって、いわばこんな地方に平日の昼間からゆうに100人に迫るような将棋ファンが集まる場所があるなどとは想像もしていなかった。そして、レベルも文字通り段違いで、都内の某道場で三段格で指していた自分がここでは1級に手もなくひねられた。
(いくつ?おっ、3年生!それはそれは楽しみですねえ)
(おーいマサル!ちょ、ちょっとおいで!この子ね3年生。フミくん。緩めなくていいからね。ちょいと叩いてやっておくれよ。筋良しなのにどっかハチャメチャな面白れぇ将棋指すんだよぉ)
プロ四段の佐久間相手に何枚落ちだったかは不思議と覚えていない。奨励会時代を含めほとんどの棋譜はそらんじられるのに。ただ、佐久間のスッと伸びた背筋、「お願いします」と言ってからなかなか上がらない頭の印象だけがある。こんなに礼儀正しい人でも遅刻、不戦敗の常習犯なのか、と、後日弟弟子になってから何か逆に新鮮に感じた。
1筋の攻防にかかりきりになっているうち、堂々と中央を突破されてもはや菊地の王様は逃げ場がなくなった。
(うーん)
佐久間はところどころで長い指で頭を掻いていたが、あれは今思うと何かしらのヒントだったのだろう。
(負けました)
ボロ負け、と言って差し支えない結果だった。
(いやあ、こいつぁ面白い!フミくんは居飛車党の業を集めたみたいな将棋だ。そんでさ、ここね)
師匠はサッサッと盤面を終盤の入り口まで戻していく。
(ここ、銀打ちでも良かったんじゃない?ん?駄目ですか?)
(あ……一目銀だと思ったけど、金の方が……きれいな気がして)
(はぁぁぁなるほどねええ!でも相手の駒台見てみなさいな)
菊地少年は合駒を全く読み切れていなかったわけだが、そこはかとない美学のようなものだけはその頃から持っていたようだ。
「うーん」
ふたたび佐久間がうなった。
「フミくんはねえ、わかんないんだなあ」
場の注目が彼に集まる。
「だって彼、いまシラフだから」
吉脇は「はぁぁぁ?」という言葉を呑み込み、豊満な胸の前で手を組む。
「じゃあ、菊地先生から見て佐久間先生は?っていうか、ちょっと先生呼び疲れるのでこのゲームの間だけ無礼講にさせてください。はいフミくん」
「そうだなあ」
菊地は指をポキッと鳴らした。正直、酒が飲みたくて仕方がない。
「まず、さやかとマサルさんは普段通りって感じがするんだよ。でも残念ながら人外引いてても一緒だろうなっていう気もする。ちょっと場に乗れてないぞっていうのが何人かいるけど、未経験で立場的に喋りづらそうなあの…鬼生田、だっけ?の話を聞いてみたい」
「なるほどね」
鬼生田のもとに視線が集まる。確かこいつは「並の三段」で、大体リーグでは7勝11敗か8勝10敗くらいの中位が指定席だったはずだ。
「はい、鬼生田です……ええと、占い師の出方なんですけど」
そっちか。
「僕あんまりまだよくわかってないけど……少なくともヤグは真でも偽でもこんな感じで自信満々に出ると思うんです。で、浮田先生も未経験っておっしゃってましたけど、普通狼なら出ないんじゃないかなと。あの、狂人がもし使えない人で、うっかり3-1とか2-2になっちゃったら怖いですし、それなら全潜伏で狩人を探すほうがまだマシだし……ええと、なので占いは真と狂人だと思います」
「狼にとってリスクとリターンが釣り合わねえってことだよな」
「私も何となくそんな気がします」
山井が同意し、水落が頷いて続ける。
「あと、一応、この編成だと真狂は定跡みたいなものかと。盲信するわけじゃないですけど」
水落に向かって来島が律儀に挙手をする。
「しかし小生思うに、定跡だからといって真狼の線を切るのは些か悪手ではないだろうか。もっともその場合、狂人は明日霊を騙るのか、潜伏するのか、いずれにせよ占い内訳に手をつけるのはそれからでもよろしいのではと愚考する。なお、万が一村騙りなどであった場合、小生のトゥール・ハンマーが火を噴くとだけ付記させていただく」
何となく卑猥だが、占い師候補はガキとおじいちゃんだけどな……。菊地はこめかみを揉む。ただ、とりあえず喋ってくれる分にはありがたい。
「ええと、それじゃあ愛奈ちゃんはどう?怪しい人とかいた?」
男性棋士は皆それなりに発言できそうなのを確認して、吉脇は指名作戦の矛先を変えたようだ。
「そう……ですね……」
将棋界における定型の前置詞である。堤も気のせいか「将棋指し」の顔になっていた。小ぶりな卵型の顔、細いが切れ長の目が黒髪とよく似合っている。物静かなのと成績がアレなので対局エピソードには乏しいが、プロになったときのアンケートで趣味が黒鯛釣りと書いてあったのが意外で、いまだに覚えている。
「正直、うちは先生方のことそこまで存じ上げないですし、もっといえば矢口さんと鬼生田さんは初対面ですし、川本さんも連盟でご挨拶するくらいで……吾妻さんは」
そこで一度言葉を切った。
「嫌いですけど」
ドッ、と一座が沸いた。吾妻を除いて。
「いいぞいいぞ堤ちゃん!最高だ!もっと言え!もっと言ってやれ!」
山井が笑いすぎて半泣きになりながらバシバシテーブルを叩く。水落はさすがに悪いと思うのか笑いを噛み殺そうとしているがその肩は明らかにプルプル震えている。
「まあねえ。吾妻くんは嫌われるあたりが吾妻くんたる所以、みたいなところがあるからねえ」
佐久間はよくわからない納得の仕方をした。
「ちょ、ちょっと、それ、ひどない?ひどない?」
吾妻はにへらにへら笑いながらも、本音か冗談か判じかねているようだ。兄弟子の発言に勝手に自分なりに補足すると、吾妻という男は、自分が嫌われているなどと露ほども思っていない。否、正確に言うなら、「こんなに将棋界のことが好きな自分」を少なくとも将棋関係者が嫌っているはずがない、と一方的に思い込んでいる、といった感じか。こいつもなかなか業が深い。
「それはさておき、なんですけど。うちは正直今日誰が怪しいかと言われれば、ギリギリ吉脇さんです」
具体的な名前が出たことで、急に場の空気がキュッと締まる。
「単純にやり慣れているっていうのが大きいと思うんですけど、今のところ場を回す側で、自分の意見を言っていないこととか。これって村利と言い切れないですよね?議論の誘導の可能性もあるし。……でも、そんなに人狼っぽいって思ってるわけじゃなくて、このぶんだと吊りにはかからないでしょうから早めに占いを当てたい、って思います」
菊地は堤のことを少し見直した。ただの将棋タレントというわけでもないらしい。
「なるほどな。それは同感だ。そろそろ占い先の話もしたいんだが、その前に川本の話も聞きたい」
「え、わては?」
「吾妻さんはほっといても喋るからいいよ」
「なんでやねんっ」
「あ、あのう……」
川本も律儀に挙手をする。
「いいよ、言ってみな」
「えっとですね、ここまで皆さんの様子を見ていて思ったんですけど、ええ、まず、菊地先生は対局モードに入ってます。対局前のルーティンを開始前にやってました」
へええ、と吉脇が目を丸くする。確かに隣席でもないと気付かないだろうが、よく見ている。
「水落先生はわりとパッシヴというか、最低限の発言で初日を乗り切ろうという感じ。山井先生はプレッシャー皆無な軽さです。佐久間先生はマイペースなので正直もうちょっと状況が進まないと色が見えてこないと思います。来島先生も同様ですが、ある程度わかりやすく喋ってくださらないと吊り縄に近い位置にいるんじゃないかと」
「心外だ!」
来島が叫ぶが、それを遮って、
「つまり共通言語で喋ってください、ということです。来島先生が村側でも、このままだと吾妻さんとは違った意味でノイズとして吊られてしまう可能性がある。これは推理のゲームでもありますが、最終的には説得のゲームなので」
気がつけば11人が川本の一挙手一投足を注視していた。常と変わらずオーラはないが、しっかり観察しているからか、妙に説得力がある。
「浮田先生は発言がほとんどないですが未経験ということもありますし、占い師候補なので今日は措きます。占い結果が出てからでいいでしょう。吉脇先生は確かに堤先生のおっしゃるとおり早めに色を見たいですが、現状場を活性化させてくださっているのも間違いない。堤先生は初日から具体名を挙げているのが僕的には若干白いです。特に普通のゲームと違って、人間関係がかなり入り組んでいるので、言いづらいですよね。で」
川本はペットボトルの水に口をつける。
「矢口くんもやはり措きます。鬼生田くんはまず灰より占い真贋に目が行ったのが面白いな、と思いますが……ここらへんはニャンとも言えません」
ふふふ、と女性ふたりが小さく笑った。将棋中継ではお馴染みの表現だ。川本、意外と余裕があるのか。
「最後に吾妻さんですが、僕は潜伏狂人の可能性もあると考えています」
「ふぁっ!?」
吾妻が飲みかけていたそば茶を噴いた。汚い。
「いやいやいや、川本くん。さっき占いはほぼ真狂やって話やったん聞いてた?そもそもなんでわてが潜伏せなあかんの?わてが狂人やったらズドーンと騙ってご主人様には潜伏していただくがな」
川本は取り替えのきく飾り付けのような顔のまま、それでも毅然として答える。
「僕が気になったのは、吉脇先生に吾妻さんが突っかかって、そのままあっさり引いたところなんです。吾妻さんが村人なら、お互い灰同士なんだからゴリ押しで場の主導権を握ろうとしてもおかしくない。それに『状況は人狼が作る』って軽く塗ってましたよね?まだ想像……いえ妄想の域を出ませんけど、人狼にちょっとしたサインを送ったんじゃないかと思いました」
「……」
珍しく吾妻が黙った。ハンカチで額を拭いている。ふと南風原会長の方を見ると、扇子を鳴らしながらニコニコ頷いている。僕楽しい!全く、悪趣味なゲームだ。
「けどなあ」
佐久間が釘を刺す。
「川本くん説によると占いは真狼だろう?吾妻くんが狂人なら遅くとも矢口くんが出た直後に自分もCOしそうなものだけどな」
「あ」
菊地と水落は期せずして同時にある可能性に思い至り、目を合わせた。
「1-2を狙ってたってことか」
「それが狼の浮田先生がルールをよく把握してなくて、うっかり占いに出ちゃったという」
「でもさ王子、そんな狩抜きゲーみたいなことあるか?」
「……王子はやめてください。でも霊ロラになれば2縄くぐり抜ければいい。その狼像だと……」
ネット人狼と違って、このゲームでは人狼同士の相談の時間がない。つまり、経験者から未経験者への赤窓アドヴァイスが使えない以上、個々の生存能力が問われる。そう考えると怪しいのは吉脇だ。もっとも、特段の黒要素があるわけではなく、自信がありそうというだけの話ではあるが。
「あの、いいスか?」
矢口が手を挙げる。どうやら挙手制が定着してきたようだ。
「自分は吉脇先生が怪しいと思います。理由は大体ここまで出たのと一緒で、今日占いたいッス」
「占いは統一でいいんですよね?」
水落が吉脇と占い師候補たちを見やる。
「いや……本来なら統一で灰狭めは定跡ッスけど、今回に関しては確白って何にも美味しくないじゃないスか?」
ジャケットの袖を撫でながら矢口。
そうか。確かに、明日もし霊能者が確定してしまったら、高い確率で確白が噛まれる。通常の人狼ゲームならお弁当にも存在意義があるが、このレギュレーションではあまりに酷だ。つまり統一占いだと、どんな結果が出ようと二重の意味で「死んでくれ」という宣告になってしまう。
「なので自分は自由占いを希望するッス。もちろん、吉脇先生って名前出しましたけど、ブラフかもしれないのでそのあたりは鑑みてくださいね」
「もう時間がないので、自由占いに反対の人、いる?」
吉脇が久々に発言した。村側としては統一の上で明日確霊でもすればわかりやすい局面で助かるのだが、生存者のみが救済されるというルールでは強く反対はできない。やはり香一本くらいのハンデはあるな、と菊地は思った。
「じゃあ、占い先は浮田先生と矢口くんにお任せします。それで投票だけど」
もう残り時間は2分を切っている。
「せーの、で指を差すのでお願いします。ないと思うけど回避COは各自に委ねます」
……?
ないと思うけど、というのが少し引っかかったが、言葉の綾なのか。ポロッと視点漏れだったのか。それとも圧か。
「もう投票かよぉ」
山井が髪の毛をガシガシ掻きむしる。
「ちょっとまだ俺全然わかんねえよ。怪しいとか怪しくないとかさ」
確かに、占い先であればそれなりに各自の意見も煮えていそうだが、いくら顔見知り同士とは言えいきなりの初手吊りというのは難しい。故に通常はダミー(初日死者役)が配置されていたり、占い師が占い結果をひとつ持ってからスタートするのだ。
生存救済もそうだが、そもそも重大な事実として、今回のゲームにおいては「初日にかぎり」人狼はお互いを認識できていない。カードを確認してそのまま昼のターンがスタートしている。つまり、占い師にしても一斉に出す方式を取っていれば事故が起こっても何らおかしくなかったのだ。……もし説明の途中で矢口がスッと出てこなかったら?吉脇が最初に一斉COを提唱していたら?ところどころいびつなレギュレーション。会長がこの変則ルールを選んだ理由は奈辺にあるというのか。……菊地はそこで一度止めた。今思いを馳せるべきは、今日の投票対象だ。
結局、ここまでの議論をまとめると、特段黒いと思われている者はいない、ということだ。初日だから当たり前といえばそれまでだが、吉脇が場を仕切っているのと吾妻の悪目立ちが多少印象として濃い程度で、あとは川本が想像以上によく観察しているのが意外だった。しかし、よく考えれば連盟職員は棋士をもっとも近い場所から見ている存在なのだから、その日頃の蓄積がここへ来て発揮されたのかもしれない。
いずれにせよ、今日の投票は残酷な儀式になる。運良く人狼に当たれば良心の呵責もなく済むが、万が一村人だった場合、ゲームの結果を待たずにそのプレイヤーはサヨウナラ、だ。そこでモノを言うのは普段の人間関係、つまりこの「将棋ムラ」内部における評価。極端な話、この場に現名人がいて彼がたとえどれだけ黒くても、さすがに指差す勇気は菊地にはない。というより、ここにいる全員が同じだろう。……そこまで考えて菊地は愕然とした。このルール、おそらく、仕組まれている。
「それでは皆さん、右手の人差し指を立てて上げてください」
「左手やったらあかんの?」
吾妻が茶化したが、吉脇の鋭い一瞥を食らって黙った。
「ではいきます……せーのっ」