ゼンマイ仕掛けの神様
・原案:
-「ディストピア」(テイク TwitterID:@teikukigyouren)
-「魔法と科学の融合」(はっちゃん TwitterID:@duhoduho8216)
-「支配階級は声高に命じた」(里崎 なろうID:565366)
・小説:日凪セツナ(TwitterID:@ud0104418624)
・イラスト:hal(TwitterID:@H0x0Hal)
時計塔の鐘が鳴る。山間の深い霧が立ち込める街で、大きな鐘の音は何度も反響した。朝日に照らされて霧が晴れれば、浮き上がるのは、城壁に囲まれた美しい街並みだ。
窓を開き、少女は自室から顔を出した。石畳で舗装された道に視線を降ろせば、朝刊配達の少年が走っていく様子が見える。大きな碧眼を眠たそうに瞬かせて、少女はそれを見送った。
街の中心へと視線を向ければ、家々の煙突から朝食の煙が出始めている。ゼンマイ仕掛けの夜回り機械人形が道を駆けていき、城門の歯車が回る地響きが、微かに家々を揺らした。
少女は長い金髪を束ねて、ベッドから飛び降りる。今日も、この街に朝がやってきた。早く暖炉に火を入れて、部屋を暖め始めなければ。
まだ幼い少女の名はアデラ・リドゲート。街の名はオラクライゾ。大国の辺境も辺境、山間のさらに奥にある城塞都市だ。アデラのように幼くなくとも、誰も都市の外に出たことはない。たまの刺激は旅人だが、彼らはほとんどこの都市に長居はしてくれない。
リビングへと向かい、アデラは重い石炭のバケツから火掻き棒を取り出した。暖炉の灰をかき、火種と石炭を入れる。火が育ったのを確認すると、ミルク缶を抱えて扉の鍵を開いた。アデラの家は宿屋を営んでおり、家のリビングから出た中庭を抜けると、宿屋の食堂が近い。両親は既に起き出して、朝食の準備を始めていた。
中庭の中央から見上げると、四方の家の二階が一望できる。自宅の二階は両親の部屋、それ以外の三方は全て客室である。食堂の他には簡易浴場、娯楽場などがある。ミルク缶を勝手口の外に置くと、アデラは迷いなく娯楽場の戸を開いた。
広い娯楽場は、僅かに差し込んだ朝日が床に反射し、ぼんやりと天井が照らされていた。並んだ椅子やテーブルの間を抜け、アデラは壁際の本棚に駆け寄る。カードゲームのルールや都市の観光名所が載った本の間にひっそりと、アデラの目的の本は挟まれていた。
いつかの旅人が持ち込んだのか、それともまとめて買った折りに紛れていたのか。アデラが抜きとったのは、絵本や童話ではなく、小難しい単語が並ぶ分厚い本であった。それを机の上に乗せ、アデラは上機嫌でページを捲る。何度も読み返したのか、表紙の著者の字は掠れ、ページの端は擦り切れていた。題は『錬金術の基礎とその背景』――――魔法と科学を融合させて近年確立された、新たな技術の入門書である。
古来、魔法と科学は対立し、競い合いながらその技術を発展させてきていた。魔女や魔法使いのような、特殊な修行を積んだ者達に与えられる特権が魔法であり、知識も技術もなくとも誰もが享受できるのが科学である。生み出される結果は魔法の方が大きく、科学の方が安定している。その二つの良いとこどりを目指したのが錬金術だ。
「……いつか、私も錬金術師になるんだ」
アデラは本を胸元に抱き寄せ、そう、力強く呟いた。
舗装されていない道を、荷馬車が進んでいく。その荷台から、下手なハーモニカの音が流れていた。御者台に座るのは荷馬車の主の商人で、荷台に乗っているのは一人の少年だ。もう一人、見上げる程の大男が、荷馬車の後ろについて歩いていた。
ハーモニカを吹いているのは荷台の少年で、金糸のような髪に水色の目をしている。歳は十二、三程度だろうか。大きな帆布の鞄を傍らに置き、膝の上には板に刻まれた楽譜を乗せていた。簡素な服に重ねて、麻布のフード付きのケープを着ている。それは大国中を巡る旅人の証であり、銀糸で縫い込まれた名前と文様が、旅人の身分証明書代わりをしていた。後方を歩く大男も、同じケープを着ている。
「……のー、ま」
大男がそう声をかけ、少年はハーモニカを止めて顔を上げる。大男は、御者台を指差して困ったような顔になった。体格に似合わずやや幼い顔をしており、細められた目は紅だ。
少年が御者台を振り返ると、幌の中に顔を覗かせ、商人が苦々しい顔をしていた。
「旅人さん、やるならもーちょっと上手な曲をやって貰えませんかねえ。乗せるのは構わないが、そうずっと下手な曲を聞かされるのは……」
「……すまないな。まだ練習中なんだ」
少年は顔に似合わない声音でそう言った。
「笛ならもう少し上手い」
「はいはい。それはそうと、じきに森に入ります。獣に居場所を知らせたくなければ、笛もやめてください」
「いだろう。居場所を教えてやる方が逃げてくれる」
少年はそして、皮肉気に口元を笑わせた。
「笛もどうせ下手だろうと思っているんだろう。黙れと言えば黙っている。この荷馬車の主はあんただ」
「……はあ。じゃあお静かに」
「了解した」
少年はハーモニカを仕舞い、大男を見上げた。
「……俺のハーモニカはそんなに下手か? ラド」
「うん、へた」
「……お前は嘘が吐けないから傷付くな」
少年は頬杖を付き、乾いた笑いを漏らした。
旅人の来訪を知らせる鐘が、オラクライゾに響く。
「アデラ、お迎え行って」
「はぁい」
母に言われ、アデラは床に広げていた紙を片付けて立ちあがった。
「今度の旅人さんは、何日いてくれるかな」
「さあね。さ、司祭様がいらっしゃる前に門に行きなさい。それでお客様が何人か数えていらっしゃいね。そっちが本業なんだから」
母は淡い水色のポンチョをアデラに着せた。
鐘の音がまだ反響する通りに出ると、仕事の手を休め、人々が城門へ集まっていた。アデラはその間を縫いながら、城門へと近付いて行く。
「神兵さん、神兵さん!」
アデラが声を上げると、城門の前に立つ兵士の一人が振り返った。兵士と言っても鎧兜を着た姿ではなく、アデラのポンチョと同じ、淡い水色の布で作られた揃いの服を着て、長い槍を持っているというだけであるが。
「やあ、アデラ。そうか今日は学校が休みだったね。家のお使いかい?感心、感心」
へへ、とアデラは得意げに笑った。
間も無く、街の中心部から、がらがらと石畳を鳴らして馬車が走ってきた。大きさは人が二人乗れる程度の小さいもので、幌は淡い水色の帆布、左右には兵士が立っている。
馬車に乗っているのは、壮年の男だった。簡素な街の人々の服装に対して、その男は金の鎖に橙色の石が連なった首飾りに金の腕輪を身に付けている。羽織ったマントを左胸で留めるのは、太陽を象った金色の護符だ。
「司祭様」
兵士がやや緊張した声音で呟いた。馬車は城門からやや離れた場所に停まり、人々はさっと左右に寄る。
城門をくぐって入ってきたのは、大きな荷馬車が一つと、その荷馬車に勝るとも劣らない背丈の大男だった。荷台に座る少年と大男は旅人のケープを、御者台の男は商人の襟巻をしている。
「旅人さん、着きましたよ」
「ああ、ありがとう。お代は?」
「護衛してもらったからいりません。何だったら出て行く時もご一緒しますか」
「それは気分次第だな。巡り会わせとも言う」
少年はひょいと荷台から降りると、「ほら」と大男に手を差し出した。手を繋いだ二人が御者台の傍らに行くとほぼ同時に、馬車の男が手を掲げる。
がんっ、と、並んでいた兵士達が一斉に、槍の石突で地面を突いた。商人と旅人、三人の視線が馬車の男に集まる。馬車の男はゆっくりと立ちあがり、両手を広げた。
「ようこそ、オラクライゾへ、旅のお方。私はこの国を現在預かっている、司祭のエルツ・ファーナティクと申す。よくいらっしゃった」
「……はあ」
商人が面食らったように、気の抜けた返事をする。
「宿はリドゲートが準備をしている。案内人は希望すればつけるが、いかがか」
「……あ、いえ、自分は商売をしに来たので。商人の集い場があるのであれば、そこに伺えれば幸いです」
「では自分とラドは一先ず宿に伺いたい。なにぶん長旅で疲れている」
少年の言葉に、兵士がやや驚いたような顔になった。
「おや、ご一緒ではなかったか。宿はそこの娘に案内させよう。商人殿は我が馬車についてこられよ。商人の集い場へ案内いたそう。国のことが知りたければ神殿へ、疲れた体を休めたければ沐浴場へ。国を挙げて歓迎いたそう」
エルツが言い、人々から歓迎の拍手があがった。
「……国、か」
その拍手に紛れるように、少年はぽつりとそう呟いた。
宿の部屋の戸をくぐり、大男が部屋に入る。それを見上げ、アデラは呆けた顔になった。アデラの手から荷物を受け取り、少年も部屋に入る。
「お二人で、部屋はおひとつですか?」
「ああ。案内ご苦労だった。……名前は?」
「えっ……あ、アデラ。アデラです」
「そうか。俺はノーマ・ブラックウェル。こいつはラドだ。しばらく世話になるな」
「はい……」
ノーマ、と名乗った少年は、背丈もアデラと同じほど、幼い顔はむしろ自分より年下なのではと思える。だが、落ち着いた表情と物腰は大人のようだった。反対に、大男のほうが少年に手を引かれており、旅荷物を持ったままおろおろしている。
「ノーマ君と、ラドさんですね。何日くらいの滞在ですか?」
「決めていないな」
ノーマは口元に手を当て、考え込むような顔になる。
「この街のことを知りたいので、それに一日。街の様子見に一日。休息に二日。そんなところか。ラドもそれでいいか」
「う」
ラドが頷き、ノーマは「決まりだ」とアデラを振り返った。
「今日は休むとする。それと、地図があればもらいたい」
「はい。……あの、失礼かもですけど」
アデラは首を捻り、上目遣いでノーマを見遣った。
「おいくつ……ですか?」
「……俺か?」
アデラの問いに、ノーマは一瞬目を丸くした。アデラが頷くと、ノーマはがりがりと頭を掻いて顔をしかめる。
「国では有名なつもりだったんだが……。まあ、何だ。肉体は十二だ。だが精神が成熟していれば年齢はすなわち精神に準ずるだろう。そして精神の成熟は肉体に寄らない。俺の年齢を言うならば、俺の言動がいくつに見えるか、すなわちそれが俺の年齢だ」
「……?」
「見た目より大人だということだ」
「はあ」
「まあ今時、外見なんぞ魔術やら錬金術で弄れてしまうからな。俺は事情が違うが。ラドも錬金術を応用したゴーレムだ」
ノーマがラドの腹部を軽く叩く。ごおん、とやや重い空洞音がした。
「ノーマ君……ノーマさんは、錬金術師なんですか?」
「……ああ、まあ」
ノーマは頬を掻いて苦笑を漏らした。ぱっ、とアデラは顔を明るくする。
「アデラー? お客様のご案内が終わったら、こっちを手伝ってちょいだい」
階下から母の声が聞こえ、はっとしてアデラは開いた口を閉じた。アデラはぺこりと頭を下げると、部屋から出て行く。
「……変な街……いや、国か。変わった国だなあ、ラド」
「……う」
ベッドに座ったラドの頭をノーマが撫でる。ラドは目を細め、ゆらゆらと体を揺らした。
観光案内人を名乗る女に連れられて、ノーマはオラクライゾの中央、神殿に訪れていた。柱や床は白の大理石、装飾は水晶、天井から垂れ下がる布は淡い水色だ。槍を持った兵士の他、目元まで隠すフード付きのローブを羽織っている人々が働いている。
「ここが、この国、オラクライゾの中枢です。この国のことを知りたければ神官達に訪ねてください。歴史の本もございます」
「……ああ」
「ただ、本の持ち出しは許可されていませんから、ご了承を」
案内人が下がり、ノーマは手帳とペンを片手に神殿内をうろつく。
「……淡い水色の天井に天窓……門は東西……床の中心と天窓が一致する……太陽信仰か」
ぶつぶつと呟きながら、ノーマはくるりと指先でペンを回した。
「運が良いな。噂程度だった幻の自治国家に行き着くとは」
手帳の見出しに『オラクライゾ』と書き、ノーマは軽い足取りで神殿の書庫へと向かった。離れていた案内人が、音もなく近づいてくる。
「何をお探しで?」
「この国の支配形態を知りたい。司祭殿だったか、彼がトップなのだろう」
「支配……ですか。その言葉は、あまり司祭様はお使いになりませんが」
案内人は胸元に手を当て、苦笑する。
「では、建国神話でしたらそらんじております。お聞きになりますか?」
「神話?」
「ええ」
「……聞こう」
「はい、ではかいつまんで。その昔、天地は神も人もなく、混沌に満ちておりました。不定形であった大地に矛を突き立て、地と海を作ったのが太陽神でございます。人々の歴史はそこから始まりました。しかしやがて人々は神々の恩恵を忘れ、神の御業である魔法をほしいままにし、科学を生み出して地上の支配者を気取るようになったのでございます」
案内人は胸元に手を当て、哀しむように目を伏せる。
「その折り、この国、オラクライゾの初代司祭様は、創造主である太陽神に命じられ、人々が滅多に通らないこの山間に、神々を信じる人々だけの村を作りました。神を忘れ、神々の恩恵を忘れた人々によって地上は穢されていくでしょう。そしていずれ、最後の審判の日が来るのです。その時に、新たな人々の礎となるべく選ばれた、神を信じる人々、神に祝福された人々。それが我々オラクライゾの民なのです」
案内人は手を組み、柔らかな笑みを浮かべてノーマを見下ろした。
「司祭様は代々、太陽神からのお達しを受け取る預言者でもあります。神々は人々の平等を望みますから、この国に支配者と労働者という関係はございません。しかし、司祭様とその身辺の神官様だけは、神々と直接お話される人々として、いわば神の依代としてあがめられております。ですから、支配者のように見えたのかも知れませんね」
「……なるほど、聖書の序説か……」
「?」
ノーマの呟きに、案内人は笑顔のまま首を捻った。
「では、この国は全て自給自足で? それと、旅人や商人は定住したりはしないのか」
「ええ、食料も衣服も全て国の中で作っております。商人の方もいらっしゃるので、手に入りにくいものはその時に。それと、定住は時折いらっしゃいますよ。司祭様に、信仰の宣言をしなくてはいけませんが」
「……ふうん」
「ただ、この国は外の穢れを取り込むわけにはいきません。ですから、定住するのも可能ですが、一度出国してしまったら、例え国民であっても、二度と再入国はできません」
「……なるほどな」
ノーマは案内人に背を向け、手帳に何事か書き綴った。
「質問はもういい。あとは勝手に回る」
「そうですか。それでは入り口におりますから」
案内人が引き、ノーマは書庫の奥へと向かった。
「……オラクライゾ……神託と楽園からの造語か……成程」
梯子に昇り、ノーマはそこにあった本を取り出す。そして梯子に座ったまま、膝の上でそれを開いた。中には、オラクライゾの社会形態が記されている。
身分は大まかに、司祭、神官、神兵、そしてその他の国民と分かれる。だが須らく生活水準は同一。司祭と神官のみ、神の代弁者として国民に命令を下すことが可能。
生まれた国民は皆神殿で名づけと神からの祝福を受け、五歳から十五歳まで等しく教育を受ける。食料は市場での配給制で、貨幣制度は無いらしい。
「……平等で平和な……。正に神の理想郷か」
ふっ、と皮肉気にノーマは笑った。
学校から帰る途中、アデラは、荷物を抱えて歩いているノーマを見つけた。友人にそそくさと別れを告げ、アデラはノーマに駆け寄る。
「ノーマさん! 今お帰りですか? 半分持ちますよ!」
「ああ。……いや、いい。俺は結構力持ちだ」
ノーマはひょいと荷物を頭上に掲げて見せた。
「そうですか……あっ、そうだ。ノーマさん、昨日聞きそびれてしまったんですけれど」
ずいっ、とアデラはノーマに顔を近づける。
「錬金術師なんですよね?」
「……ああ」
「それじゃあ、錬金術の本とか、持っていないですか? 私、将来は錬金術師になりたいんです! ……お父さんとお母さんには……内緒ですけど……」
尻すぼみになって俯き、アデラは頬を掻く。
「……この国の教育に、魔法は?」
「ありません。魔法は、神様の御業ですから。人間が使って良いものではないんですよ。でも、錬金術なら、神様の御業ほどではありませんし、蒸気やバネ、ゼンマイよりもずっと強い力を引き出せるでしょう?」
「ああ。だが、近年確立されたばかりの理論だ。魔法も科学も十分に学ばなければ、入り口にも立てないぞ」
「らと思うんですけれど……錬金術も、やっぱり神様に逆らう技ですから、学ぶことは勧められないんです。入門書くらいなら、見逃してくれるんですけれど」
「国のための学びを阻害するのか」
「そんな言い方しないでください。私達は、神様に選ばれた民なんです。……やっぱり外の人はひねくれています」
アデラが唇を尖らせ、ノーマはその様子を黙って見ていた。
「……錬金術の簡単な話くらいはできる。聞きたければ、暇を見て部屋に来るといい。こちらも聞きたいことがある」
「!」
ノーマの言葉に、アデラはぱっと顔を明るくした。
宿のベッドで、ラドは一人で本を読んでいた。本自体は普通の大きさだが、ラドが大きいだけに異様に小さく見える。
「う! のーま、おかえ、り」
「ああ、ただいま。良い子にしてた……みたいだな」
「う」
ラドが頷き、ノーマは背伸びをしてその頭を撫でる。
「……ラドさんは、ゴーレムなんですよね? 本で読んだゴーレムは、もっと、こう……」
「正確にはちょっと違うんだ」
落書き帳を抱えたアデラに椅子を差し出し、ノーマはベッドに座って荷物を降ろした。
「錬金術は、魔法と科学の融合。つまり魔法のような神秘を、科学のように理論に基づいて行う。そういう理論だ」
「それは知っています」
「そうか。魔法のゴーレムは、インプットされた命令をこなす木偶だが、精度が上がれば人格を持つ。だが体を正確に動かすのも形を保つのも大量の魔力を消費する。そこで科学を利用するんだ。この街にも機械人形はいるだろう?」
「はい。夜の間、獣達が来ないように見回りをするくらいですけれど」
「ラドの肉体は機械人形を基礎に作っている。ただ、歯車を動かす力を、ゼンマイではなく魔力にしている。そんな感じだ。頭部に魔法ゴーレムの核を入れて、それが人格の礎になっている。俺の初めての作品だよ」
メモを取っていたアデラは、最後の言葉に驚いたように顔を上げた。
「一から作ったのですか?」
「いや、多少は機械人形のパーツを流用している。……少々予定が狂って、腹の中はがらんどうだが。本来ならば、記憶の蓄積と処理、学習を行えるような術式回路を腹の中に入れるはずだったが、それに必要な素材は用意が面倒でな……」
ノーマは肩を竦める。
「……凄いです。話に聞いていた錬金術式のゴーレムを見られるなんて」
「熱心だな。だが錬金術式のゴーレムは本来ゴーレムとは言わない。魔法によるものがゴーレム、科学によるものが機械人形。錬金術によるものは、ホムンクルスという」
「人造生物……」
じっ、とアデラはラドを見上げた。ラドはきょとんとした表情になる。
「……ラドはホムンクルスじゃない。そこまで立派じゃない。俺の最初の作品で、最高の失敗作だ」
「う?」
呼ばれたと思ったのか、ラドが首を捻った。これほど人間に近しいゴーレムで、失敗作だというのか――――アデラは驚いたように目を丸くする。
「……あの、ノーマさん」
「何だ」
「錬金術師になるには、どうすればいいですか?」
表情を改めて、アデラはペンを握る。その真っ直ぐで真剣な表情に、ノーマは目を細めた。
「……そうだな、俺は――――」
足を組み、ノーマは天井を見遣る。
「まず、魔法の基礎を一年かけて勉強した。それから、魔法使いを名乗れるようになるまでそれを研鑽した。それから科学のことを学んだ。あらゆる自然の法則、現象。それから先人たちの研究。加えて、錬金術の理論は近年確立されたものだが、既に論文は沢山出ている。それを掻き集めて読みあさった。そうして自分の中に知識を溜めていくんだ」
「……知識を、溜めていく」
「知識はいい。いくらあっても困ることはないし荷物にもならない。愚者は理想郷を夢想することができるが賢者は理想郷を作ることができる。半端な知恵者はその境目の現実で絶望を知るがな」
「……?」
「たくさん勉強しておくと、役に立つということだ」
「はあ」
アデラは、実感がなさそうに頷いた。
「いつか分かる。……まあこの国の中では、そうそう役立たんだろう」
「そうでしょうか……」
ノーマは旅荷物を漁り、小さな本を一冊取り出した。表面を軽く叩いて埃を払い、それをアデラに差し出す。
「?」
「俺の国の童話だ」
「……外の国の」
「抵抗があるか。ひねくれた人間の描いた物語であろうが、知っていることは悪いことじゃない」
アデラは唇を尖らせながら本を受け取った。
「ではこっちも聞きたいことがある」
「何です?」
「司祭殿についてだ。彼は何者だ?」
「司祭様ですか?」
アデラはしばし考え込むように口元に手を当てた。それから、不思議そうに首を捻る。
「何者と言われても……城門でおっしゃったことが全てです。この国を神様から預かっている。つまり、神様の代わりにこの国をまとめている人です」
「神様の代わり、か。預言者ということか」
「ええ。週に一度、神様からのお言葉をいただいています。今年の天候、新たな教えなど。私達はそれを糧に生きています」
アデラは胸の前で手を組む。
「その教えに導かれ、私達は穢れなき身を保つことができるのです」
「……なるほど」
ノーマは目を逸らして生返事をした。
翌日、ノーマは神殿の奥の部屋にいた。案内人に司祭への謁見を申し入れたところ、二つ返事で了承されたのだ。当然念入りに身体検査を受けた上で、神殿の奥、円筒状の部屋に通された。そこは司祭や神官の執務室のようで、天窓から光を受ける中央には金色の杯があり、その奥のクッションの上に司祭が座っていた。神官と思しき二人が祖の背後に控え、銀の杯と銀の杖をそれぞれが握っている。
金色の杯を挟み、ノーマは床に敷かれた絨毯の上に座った。
「ようこそ、御客人」
司祭、エルツがゆっくりと顔を上げた。
「して、何用ですかな」
「まずは人払いを」
「彼らは私の鉾であり盾である。取り上げるのは勘弁していただきたい」
「丸腰の少年一人相手に武装が必要かな?」
ノーマが言うと、エルツは小さく笑った。
「少年など。それも外の悪しき技術の成すおぞましき技であろうに」
「人の進歩を悪しき、おぞましきと切り捨てるのはいただけない」
「価値観の相違を受け入れなければ人はまた戦という地獄を見る」
「………………なるほど」
ノーマは腕を組んで黙った。
「では受け入れよう。確かに俺のこの肉体は、魔術やら科学やら錬金術やらを使って練り上げた偽りの器。しかし所詮肉の器に過ぎない。例えば今あなたに飛びかかったとして、その首を締めあげる程の力も無い」
「……信用いたそう」
エルツが片手をあげ、二人の神官は音もなく後方へ退いた。そのまま二人の姿がさらに奥の部屋へと消えると、部屋の中には静寂が落ちる。
部屋の中央に据えてある金色の杯に、遥かの上から雫が落ちた。ノーマが顔を上げると、エルツは「珍しいかな」と笑う。
「時計か」
「まあそのようなものだ。ご存知ないか」
「ああ、実際に見るのは初めてだ。……なるほど、天窓の中心に針を垂らし、周囲に水を据えているのか………あれならば針から落ちる雫は一定の感覚になる」
「外の国は、どのように時間を?」
「先ごろ手巻きの時計が発明された。バネと歯車で動くものだ。針が文字盤という円形の板の上に付けられ、その針の先が時刻を示す」
「ふむ……? なるほど、不思議なことを考えるものだ」
「この国で、正確な時計はないのか」
「必要無い。この国は太陽神に護られている。そのお目ざめの朝、最も力が強くなる昼、お休みになる夜、それさえ分かれば事足りる」
エルツが金色の杯に視線を向けた。また一滴天井から水が落ち――――突然、器の輝きが増す。目が痛くなるほどに明るく輝く杯では、その内側の水すらも金色に輝いて見えた。
時刻は正午、天窓から太陽が丁度真っ直ぐに差し込む時間である。よくよく見れば床には、文様に混じって印のようなものがあり、季節によって杯を置く位置を変えているらしい。
「外の国の人間は、この国を見て何を思う」
杯の輝きに隠れ、一層薄暗がりに沈み込みながらエルツが問うた。
「神々の教えを長らく守り、外との交流を断ち、審判の日を待つこの国をどう思う」
その声は、穏やかな老人のものではない。床を震わすような、おどろおどろしささえあった。だがノーマは眉ひとつ動かさずに口を開く。
「滑稽だ」
その答えは簡潔だった。
「理由が欲しければ語ろう。まずこの国の信仰は、外の国では三百年も前に廃れた。それを柱に未だに人々は妄信的に支配者を受け入れている。この国のシステムは歯車が一つ狂えば瓦解する、前時代的な思想だ」
「……なるほど。続けてくれ」
ふっ、と杯が光を失う。天窓から杯に光が注がれるのは、ほんの数分もないようだ。
「確かに今は、この国は上手く回っている。何年、何百年続けてきたか分からないが大したものだ。……何か秘訣があるのか。分からないが、少なくとも俺が見てきた大国の街々よりは遥かに立派で、完成された理想郷だ」
そうだろう、とエルツは頷く。
「だが」
ノーマは声音を低くした。
「完成されてしまっている。それが一番の欠点だ」
「……なるほど」
エルツが苦い顔になり、ノーマは一礼して立ち上がった。
「あと三日滞在したら、俺達はこの国を出て行く。この国を変えようなどと正義の味方ぶることはない。大国にも、領土内に自治国家があるなど報告しない。まあ信じないだろうしな」
「そうか」
「もし都合が悪いことがあれば忘れよう。騒ぎを起こしたいわけではない」
ノーマが背を向けて去っていき、エルツは長い息を吐いた。
「………………穢らわしい外つ国の冒涜者が。よほど自分の頭に自信があると見える」
掠れ声で、誰にも聞こえないようにエルツは呟いた。その唇が閉じられると同時に、天井からまた一滴、時を刻む水が落ちてきた。
学校から帰り、アデラは自室で、ベッドの枠とマットレスの間から本を取り出した。ノーマに借りたもので、両親に見つかってはいけないと隠していたのだ。外の世界のものを読む、という背徳感と好奇心がしばしせめぎ合うが、いざ鮮やかな表紙を見ると、あっさりと好奇心が勝った。
童話には、見たことのないもの、聞いたことがないものが次々と現れた。泳いで渡らなければいけないほどの大きな川。それより大きい、そして塩辛いという海という水たまり。無垢な少年少女を騙す大人たち。不思議な力を使う魔女。いつでも正しい時間を示すという、時計という道具。働いても働いても貧乏な、不思議な正直者。異世界に行ってしまう井戸。黄金で出来た動物。長い眠りへと導く糸車。時を止めて眠らせる茨。
作り話だ、と思っても、それはアデラにとって全く知らないもので、とても――――
「!」
母の呼び声に、アデラは本を閉じて返事をする。そして本をマットレスと枕の間に隠すと、母に返事をして部屋を出た。
いつも通りの仕事の手伝いをして、食堂に料理を運ぶ。席にいるのはラドだった。ノーマが調べものだと言って出かけているので、今日も一人らしい。
「ラドさん、お食事ですか?」
「う? う。ここ、ごはんおいしい」
「そうですか……あの、このあとお部屋に行ってもいいですか?」
「う」
ラドが頷き、アデラは口元をほころばせた。
「アデラ」
背後から母が声をかけ、アデラは姿勢を正して振り返る。母は腕を組み、呆れたように息を吐いた。
「お話もいいけれど。あなた、特務生候補なんだから、しっかりしなさい。遊んでばかりは駄目よ」
「はい……」
アデラは母に背を向け、苦い顔になった。
「そもそも『錬金術』という名前は、魔法と科学が初めて手を組んだ奇跡の実験から来ている。石炭と金剛石の変換実験だ。魔法では成功率が低いが純度の高いものが、科学ではその反対に純度は低いが成功率はほぼ百パーセントのものができていた。では科学の理論で魔法を使ったらどうなるか、それが錬金術だ」
「その実験は、成功したんですか?」
熱心にメモを取りながら、アデラはベッドの上のノーマを見上げる。ノーマは買ってきた串焼きをラドの口に突っ込みながら「まあ」と答えた。
「だが百パーセントではない。魔法と科学は根本的なところが違うんだ。それを無理に付け焼刃で合わせて成功したら、先人達が報われない」
自身も串焼きを口に咥え、ノーマは笑う。
「現在での錬金術は主に――――、どうした、元気がないな」
「えっ?」
「少し、難しかったか?」
「え、いいえ、そんな」
「それは……まあそれはそれで凄いな。熱心に聞かれるとつい講義の時の気分になってしまう」
「講義? 先生なのですか? その年で?」
「だから見た目ほど若くないと言っただろう」
ノーマは足を組んで頬杖をついた。
「こう見えて俺は、錬金術によるゴーレムと機械人形の融合、ホムンクルス作成研究の第一人者にして、王都の大学教授。ブラックウェル教授なんだが?」
そう言って胸を張るノーマに、アデラは笑った。
「面白いですね。ちょっと元気出ました」
「……冗談ではないのだが……まあいいか」
尻すぼみになった言葉に、アデラは首を傾げる。
「でも、凄いですね。元気がないように見えましたか、私」
「……観察は得意だ。視線が昨日より随分下がっていた」
「あはは……いえ、その……」
アデラは頬を掻き、スカートを握った。
「この国では、十二歳を迎えた生徒の中から一人を特務生として神殿で特別な教育をするんです。勿論学校の勉強も普通にやりますけれど、特務生は、神殿のお仕事を手伝えるようになるんですよ。神官になったり、預言者としての修行をしたり」
「……ほお」
「その候補生に私の名前が上がっていて」
「優秀なんだな」
「え? あ、えへへ……それで、その、喜ばしいことのはずなんですけど……その間、錬金術の勉強ができないなって思うと……」
アデラは困ったように笑った。
「……魔法も錬金術も……、この国には必要のないものなのだろう」
「?」
「それらを扱うことは神への冒涜となる。違うか」
「その通りです」
アデラがきっぱりと答える。
「ならどうして、お前は学びたがる?」
「それは……」
アデラは困ったように視線を床に落とした。
「……よそ者の身分で、俺がとやかく言うことはできないが、一つだけ提案する」
ノーマは鞄から地図を取り出し、それをアデラの前に突き出した。
「ここがこの国。このまわりは全て異国だ。ここから西へずうっと進むと、俺とラドが普段住んでいる王都がある。そこにはこの国の神殿を埋め尽くすほど大量の本がある図書館も、誰でも一から学べる学校も、魔法の道具の店も、錬金術の師だってたくさんいる」
「……、」
そわっ、とアデラが腰を浮かせる。
「外に出れば、お前が望むままの知識を得ることができる」
「外に……、でも、」
「ああ、大人達は、許さないだろうな」
「う……」
アデラはしゅんとして俯いた。
「……でも、勉強はしたいです……」
「そうか」
「……ノーマさん、その、この国にいる間、できるだけ錬金術を教えてもらえませんか?」
「あと数日では基礎の基礎もようやくだろう」
「そんな……錬金術が有用だって分かったら、もしかしたら司祭様も留学の許可をくださるかもと思ったんですが……」
「……直訴は悪くない発想だな」
ノーマは大きく欠伸をした。アデラは立ちあがり、ノーマに礼をする。
「明日、学校帰りに司祭様に謁見してきます。許可が下りたら、その、王都までついて行ってもいいですか?」
「許可が取れたらな。いい下宿を紹介しよう」
「ありがとうございます!」
アデラは再び頭を下げて部屋を出て行った。その背にひらひらと手を振り、ノーマは息を吐く。
「ラド、うちに空き部屋はあったか」
「う。みっつ」
「なら十分だな……あとはまあ、あの少女がどこまで頑張れるかだ」
ノーマはベッドに横になり、組んだ腕に頭を乗せた。
硬い床の上に座り、アデラは司祭を見上げる。
「駄目だ」
ぴしゃりとエルツは言った。
「アデラ・リドゲートだったな。宿屋リドゲートの一人娘にして、特務生候補。優秀だと聞いている。そのお前が、どうしてそんなおかしなことを言う」
「おかしなこと、でしょうか。もっと勉強がしたいんです。外の国に行けば、色々なことを知ることができます」
「お前は『知識』と『穢れ』の区別もつかないのか?」
やや強い司祭の声音に、アデラは慌てて首を横に振った。
「いいえ、いいえ司祭様! アデラは分かっております。魔法を手に入れて人間は堕落しました。だからこの国にはそれが無いと……」
「分かっているのならば、何故魔法がある場所へ行こうとする?」
「それは……その、」
「アデラ……どうか私を悩ませないでおくれ。我々は神に祝福された民だ。神々のために、この身を汚すわけにはいかない」
「ですが、その、外の国も、悪いことばかりでもないと思うのです……」
「………………」
司祭は額に手を当て、首を横に振る。
「下がりなさい。きっと旅人と何かを話して、興奮しているんだろう」
「……ノーマさんは、確かに色々話してくれますけど……」
「いいかアデラ。悪魔は甘言で人をたぶらかす。それは外の人間も同じだ。一日二日でその人間の真意は知れまい」
アデラは言葉に詰まり、エルツは畳み掛けるように言葉を続ける。
「お前は外の国を見たことがないだろう。素晴らしい世界は語ることだけならいくらでもできる。しかしそれは机上の空論であり、頭の中にしか存在しえないものだ」
「……空論、ですか」
「そうだ。アデラ。まるで理想郷のようにその男は外のことを語るかも知れない。だが、『理想郷』とは本来『存在しえない場所』のことを言うのだ。このオラクライゾですら、未だ理想郷とは言い切れん。……それでも、アデラ、お前はあの男を信じるか」
眩暈がして、アデラは弱々しく首を横に振る。
「それでいい。……この国にいる限りは、神々が私達を護ってくれる。清く正しく美しくありなさい」
アデラは挨拶もそこそこに、ふらふらと神殿を出た。
「司祭様の言葉は正しい……でも」
自分の言葉は、そこまでおかしなものだっただろうか。確かに錬金術は魔法を使う。魔法と科学、そして錬金術。この三つの技術は人を堕落させ、神々の庇護から遠ざかった人々は、いずれ裁かれる。
自ら堕落し、穢れていくことはない。司祭はそう言っているのだ。
――――だが。果たしてノーマの言葉が、自分をたぶらかすための甘言と言いきれるだろうか。外に出れば知識を得られる。それはきっと事実だ。外の世界が素晴らしいものだとはノーマは言っていない。だがノーマが事実を言っていると思えば、司祭の言葉が揺らいでくる。まるで外の世界を否定したがっているかのように。
「……ああ、嫌」
頭の中が掻きまわされていくようだ。アデラは足早に家に帰ると、娯楽場に駆け込んだ。「あっ」
「ああ、お帰り。借りていたぞ」
娯楽場に、ラドとノーマがいた。ボードゲームをしていたらしい。
「……はい」
生返事だけをして、アデラは本棚に駆け寄った。そしてそこから、あの擦り切れた本を取り出す。
「……それは」
ノーマは、床に座りこんだアデラの傍らに立つ。アデラはやや乱暴にページを捲った。
「……ああ、お前が言っていた入門書はこれだったか」
ノーマが苦笑する。やや落ち着いたのか、アデラはノーマを見上げて首を捻った。ノーマは本を指差し、にやっと笑う。
「俺が書いた本だ」
「……えっ?」
「著者が消されてでもいたか? 何なら証明しよう。序章は錬金術の理論が生まれるまでの簡易な歴史、第一章は錬金術の理論とその基礎になる魔法と科学の理論の概略。第二章からは具体的な術の発動方法だ。魔力で魔法が発動すると同じように、近年発見された電氣というエネルギーで魔法を発動させるための回路……」
「えっ、その、まっ、待ってください! 本当に……?」
「言っただろう? 俺は王都の大学教授だ。まあ正確に言えば、名誉教授だが」
ごそごそ、と懐を探り、ノーマは一枚のカードを取り出した。それは銀色に光り、掌程の大きさで、表面に細々と文字が刻み込まれていた。
「俺の身分証だ。ノーマ・ブラックウェル。大学教授。どうだ本当だっただろう」
「………………」
アデラはぽかんとしてノーマを見上げた。
この、どう見ても自分と同い年の少年が、教授。もし嘘だと考えるととんでもない嘘つきであろう。だがこの金属板の身分証明書は、そんな嘘の為に作るには手が込み過ぎている。
「……で。また落ち込んで帰ってきたな。司祭殿に反対されたか」
「えっあ……う……はい……」
「……そうか。まあ、何だ。錬金術を学びたいという前途有望な学徒を前にして非常に残念だが、郷に入っては郷に従えだ。それがこの国で正しいのならば正しいのだろう。時代も土地も人民も異なれば、何が是かも変わる」
「……?」
「この国の偉い人が正しいと言ったら正しいということだ」
「……正しい……」
アデラは呟き、また俯いた。ノーマは席に戻り、盤面を見下ろす。
「だが、もし、だ」
コマを進めながら、ノーマは振り返らずに言った。
「もし万が一、この国を出て王都で学びたいと言うのなら。それを司祭殿が許さいないというのならば。俺達が手を貸してやろう」
たん、とコマの底がボードを叩く。ラドは両手で頭を抱えた。
「お前の望みがこの国の中にないならば、出て行くこともまた一つの正しい選択だ」
ラドがコマを進め、ノーマは考え込むように唇を指先で叩く。
「俺達は明後日の朝に発つ」
「……あの、ノーマさん」
大きく息を吸って、アデラは立ちあがった。そして、振り返ったノーマの、吸い込まれるような水色の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「ノーマさんは、どうして私にそこまでしてくれるんですか。……私を、騙しても、何もありません」
「……騙す?」
不思議そうにノーマは眉根を寄せた。
「そうだな、確かに詐欺の手口にそっくりだ。……だが騙している自覚はこれっぽっちもなかったのだが……」
「……のーま、うそ、つけない」
ラドも頷く。
「それに、本来疑うのはこちらの方だ。錬金術が良く思われない国で錬金術を学びたがり、支配者に禁じられてもそれを捨てられない。何がお前を動かしている? 何がお前に、外の夢を見させている? 志も好奇心も興味も目に見えないものだ。いくらでも取り繕える。自分を偽ればこの国できっと未来が保証されている。なのに、何故? 嗚呼もしかしたらこの少女は俺達を利用して王都に行こうとしているのかも知れない。もしかしたらこの自治国家がよからぬことを企んでいて、そのための間者なのかも知れない。子供の見た目だから安全など何の説得力も持たないのだから!」
やや大げさに手を広げて、ノーマは一息で言った。
「……まあ、俺はお前を疑ってはいないが」
「何か台無しですね」
「そうだな」
「……あはは、多分、私が考え過ぎなんでしょうね……」
アデラが力なく笑い、ノーマは「ふむ」と口元に手を当てる。
「考えることは悪いことではない。寧ろ推奨すべきだ。人間が人間たる所以はその思考にある。自らの存在意義すら問うその探究心と思考。考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて――――その先の結果はどうであれ、過程は無駄にならない」
「つまり?」
「たくさん悩め、いいことだ」
ノーマは手を伸ばし、アデラの頭を乱雑に撫でた。
「明後日の朝までなら待てる」
「……はい」
アデラはノーマを見上げ、へにゃっ、と顔を緩ませた。
太陽が高く上るまで惰眠を貪り、ようやく起き出したノーマは、食堂で宿の主人とその妻に詰め寄られていた。
「えー……何か?」
「うちの子に何か吹き込んだでしょう」
「多彩な刺激は幼少期の内に与えておくのが得策ですよ」
「よそ者が口を出さないでくださいます? もし外に行きたいなんて血迷ったことを言い始めたらどうしようかと」
やれやれ、とアデラの母親は首を振る。
「とにかく、お願いですからアデラに近付かないでください」
「御心配には及びません。今日は一日部屋で休む予定ですし、お嬢さんは学校でしょう」
ノーマが簡潔に言って食事を始めると、不満げな様子のまま二人は離れていった。
ノーマは食事を終えると部屋に戻り、手帳を開いてベッドに横になった。ラドは相変わらず絵本を読んでいる。時折思い出したように二言三言会話を交わしてはまた黙る、そんな時間がしばらく続いた。
「……そろそろ、商人殿が出て行くなあ」
「う」
「帰りは馬車無しか。何処かで商隊に混ざれればいいんだが」
「う、ぼく、」
「僕がいるって?」
「う!」
「はは、ラドが危ない目に遭わないのが一番だろう」
「うー……」
「いざという時は頼りにしている」
「う!」
ノーマは起き上がり、窓から外を見る。太陽はやや西に傾き始めていた。耳を澄ますと、いくつもの揃った足音が聞こえてくる。一定の感覚で入る大きな音は、神兵が持っていたあの槍だろうか。
「ああ、『危ない目』がやってきてしまった」
ノーマが呟き、見下ろした通りに、十人ほどの神兵の姿が現れた。
オラクライゾの西側、太陽が沈む方向の門。その前の広場には、焼け焦げた馬車と項垂れる商人、神官、そして司祭、エルツがいた。周囲には野次馬もいるようだが、神兵が増え始めると、皆遠巻きになる。
「先程、外にいた賊にこの商人殿が襲撃された。荷馬車には我が国の香油をたくさん積んでいた。何者かが荷馬車に火を点け、それが急激に燃え盛った……痛ましいことだ」
神官が言い、神官に引っ張られて連れてこられたノーマは「はあ」とだけ言う。
「商人殿に罪はない。本来は認めない再入国を一時認め、再び荷馬車と荷物を手配する」
「それが、自分達がここに連れてこられたことに何か関係が?」
「あるとも」
神官が「来い」と言い、ノーマは大人しくそれに従う。ラドが腰を浮かせるが、ノーマが黙って首を横に振った。
焦げた馬車の両脇に立つ兵士が、槍の先端を奥へ向けた。幌はほとんど灰になり、香油が入っていたであろう瓶が割れて散乱している。床や柱も焼け落ちていた。
そしてその崩れ落ちた柱の奥に、小さな足が見えた。
「……遺体は確認した。身に付けていた衣服と焼け残っていた荷物から、身元は判明している」
「はあ」
「宿屋の娘、アデラ・リドゲートだ……学校に聞いたところ、昼過ぎに体調が悪いと早退したらしい」
「恐らく……外に出る為に、商人殿の荷馬車に忍び込んだのだろう」
エルツが立ちあがり、神官の言葉に重ねて言った。
「痛ましい事故が起きてしまった」
「そうだな。彼女の冥福を祈ろう」
「他人ごとだな、悪魔が」
エルツが険しい顔になる。
「……悪魔?」
「ああ。彼女は外に行きたいと言っていた。それを私に直訴しに来た。そんなことを言わなければ彼女は亡くならなかった」
「それが、自分のせいだと?」
「そうだ」
エルツが片手を挙げ、兵士が一斉に槍で地面を突いた。
「冒涜者に、我ら神の御子の一人が堕落させられた。悪しき技に夢を見た。この悪魔に天罰を!」
そして、国の支配者はそう、声高に命じた。
『天罰を!』
ノーマを囲む兵士が、揃って槍を掲げる。
「……裁判はないのか? 弁護士は? いない? それは残念だ」
ノーマは腕を組み、息を吐く。
「裁判を希望するのであれば許可しよう。ただし拘束した状態になる」
「構わない。こちらの弁を聞いてもらいたい」
ノーマが諸手を上げると、兵士の一人が駆け寄ってその手を掴んだ。ラドも大人しく兵士に縛られる。だが、縄を引かれて歩くラドの顔は不満げだった。
「大人しくしていてくれよ、ラド」
「……う」
それでいい、とノーマは頷く。
二人はエルツと共に、神殿へと連れて行かれた。そして、ノーマがエルツと謁見した部屋に通される。相変わらず中心には金の杯が置かれ、天井から雫が滴っていた。
エルツがノーマの向かいに座り、ノーマは冷たい床にそのまま座らされる。その横に、ラドも座った。
「人払いはしよう。数で押しては野蛮だ」
「よく分かっている」
「……さて、冒涜者よ」
兵士達が退き、エルツは腕を組んでノーマを見下ろした。
「何故あの少女をたぶらかした」
「……たぶらかしたと言うのかも知れないな、確かに。だが俺は、彼女が望む情報を与えただけだ。それは罪か?」
「……堕落は罪だ」
「論点がずれるな」
ノーマの言葉に、エルツは舌打ちをする。
「外の国の冒涜者。お前は魔法やら錬金術やらを正しい技術だと思っているのかも知れない。だがそれは人々に堕落をもたらす魔の技術であり、それはいずれ人の世を乱し、壊していく。神々に見放された外の人間はいい。だがせめて、この国の人間だけは私は護らなければいけないのだ。何としても」
「つまり、未来ある娘をたぶらかして命を落とすに至らしめた俺は、裁かれなければいけないと? なるほど、なるほど」
「そうだ、裁かれなければいけない。……天罰を」
「――――本音を話したらどうだ、司祭殿」
低い声で言ったエルツに、ノーマは告げる。
「この理想郷に、一点の曇りもあってはならないのだと」
「理想郷?」
「ああ。正に神の理想郷だ。そこで外に出ようとした娘が死んだ。外に出ることはすなわち堕落、罪であり、天罰が下された。そうでなければいけない」
ノーマは視線を鋭くした。
「……殺したな?」
「………………」
ラドが首を捻り、ノーマを見下ろす。
「ラドは聞かないでおいた方がいいことだ」
「う?」
「どうだ、司祭殿」
「…………嗚呼、本当に、」
エルツは俯き、額に手を当てた。
「悪意を知るものはこれだから面倒だ」
しばらくの沈黙の後、エルツは低い声で呟いた。
「では認めるのか」
「……すべては、オラクライゾの平和と安寧のためだ」
「なるほど、理想郷は死体の上に築かれる、か」
「この世界に理想郷など存在しない」
エルツは苦々しく吐き捨てる。
「……この国のことを、大国に報告するか」
「しないと言った。ここがただ閉じられた国である限りは。……その存在の是非は俺は言えない。ここの中で生きている限りここは素晴らしい国だ。正に理想郷だ」
「……まさか」
「いいや。理想郷だ。……だが、アデラにとってはそうでなかったのだろう」
ノーマは目を閉じ、声を落として呟くように言った。
「……彼女は死ななければいけなかった。この国を理想郷のように見せる為に」
「外に出れば死ぬと?」
「ああ」
エルツの言葉に、ラドが体を揺らした。
「……ああ、苛立たしいほどに真っ直ぐだな、司祭殿は」
「そうか」
「それで、俺達はどうすればいい。腕の一本くらいならばくれてやろう」
ノーマが言い、エルツは首を横に振る。
「追放されてほしい」
「……なるほど、妥当だな」
ノーマは肩を竦めた。そして長い息を一つ吐くと、視線を鋭くする。
「では、一つだけ意見を言わせてもらおう。どうにも腹の虫が収まらない」
「……いいだろう」
「先に、この国は正に理想郷だと言った。だがそれは、支配階級のお前達の言であり、支配されている自覚すらない者達の言だ。嗚呼理想郷だろう。理想郷であろうよ。だがな」
ノーマは組んでいた足を持ち上げ、だん、と強く床を踏みつけた。
「この国には明日がない。魔法、科学、そして錬金術。神の救いを諦めた人間達が歩んできた進歩がそれだ。この国が神の理想郷ならば、この国の人間は神の家畜だ。家畜として生きるのは楽だ。だが人々はとうにそれを放棄した。そうして詰み上げてきた進歩を否定するのならば、この国は永遠同じ時間を繰り返しているのと変わらない」
ノーマの言葉に、エルツは黙って眉根を寄せた。
「そして人間は、進歩に夢を見る。……その思いが特に強い人間にとって、その進歩そのものが否定されるこの国は絶望郷だ」
「……そうか」
「だから言おう。アデラ・リドゲートを殺したのはこの国だ」
きっぱりとノーマが言い、エルツは額に手を当てて俯いた。
新しくなった商人の荷馬車と共に、オラクライゾの城門を越えて、ノーマとラドが国を出て行く。振り返ると、やや険しい表情の神兵達と、涙を流しながらこちらを睨んでいるアデラの両親がいた。
商人もノーマもラドも黙ったまま、しばらく進むと後方で門が閉じる音がした。太陽は西に傾き、影が道に長く伸びている。
「……さて」
ノーマは荷馬車の横を走り、御者台に並んで商人を見上げた。
「感謝する」
「……王都の商人会に紹介してもらったらもとは取れますよ。……愛車が燃やされるとは思いませんでしたが……」
「それは計算外だった。あの司祭殿のことだ、優秀な人材をみすみす国外には出さないだろうと思っていたが……知恵者だが、どうしようもなく傲慢で強欲で、幼子のような独占欲に溢れた者だった……とにかく、商人殿の協力がなければ駄目だった」
「人の命がかかっているんじゃあね」
「では少しだけ荷台を借りる」
「はいはい。下手なハーモニカだけは、勘弁してくださいよ」
ノーマが馬車の後方に下がり、ラドがその体を持ち上げて荷台にあげる。ノーマは荷台の上で振り返り、ラドが自分の服をまくり上げた。露わになった腹部の上端、胸の下あたりには小さな金具が左右にある。ノーマがそれを弄ると、ラドの腹部の前面が外れた。
そして、がらんどうのその腹の中に、アデラが入っていた。
「もう大丈夫だ」
「……あ……、」
アデラは涙目で、お気に入りの本を固く胸元に抱き締めていた。ラドがノーマと同じように、アデラを抱えて荷馬車に乗せる。ノーマがラドの腹部を戻し、「よく暴れなかったな」とラドを見上げた。ラドは得意げな顔になる。
アデラはへたり込んだまま、青白い顔で俯いていた。ノーマは自分のケープをアデラに着せ、その体を持ち上げる。そして、荷馬車の奥、風の吹きこまない場所に座らせた。
「……ゆっくり呼吸をするといい。司祭殿の言葉を受け入れろとは言わない。だが連れ出したのは俺達だ。君の生活は保障する」
ノーマが立ちあがるが、アデラはその服を掴んで引き留めた。ノーマは困ったように頬を掻く。
「どうして」
「?」
「どうして……腕くらい、くれてやるなんて」
「腕の一本くらいで人は死なない。それに俺の腕は量産型だ」
「えっ?」
驚くアデラの前で、ノーマは服の襟元を広げて見せた。
首と胴体の間にはつなぎ目があり、そこから下の体は、妙につるりとしていた。
「……ラドはホムンクルスのできそこないだと言ったな」
「はい」
「俺もそうだ。……正確には、本来ラドをホムンクルスに進化させるために作った賢者の石を、自分の延命に使った。事故に遭ってやむにやまれずな。賢者の石を精製するのはピッチドロップの実験より余程手間と時間がかかる。たった一度のミスでラドは腹の中に入るはずだった奇跡の結晶を失い、俺は肉体をほとんど持っていかれた。医療錬金術が発達して肉体を補完できるようになるまで、半身は機械人形のパーツで補っている」
アデラはノーマの体をじっと見詰め、困惑したように首を捻った。
「俺は、半分ゼンマイ仕掛けということだ」
「……ああ、なるほど」
アデラは力なく笑って頷いた。
「私の為に腕まで、なんて……偽物の私を作った時もびっくりしたのに」
「ほとんど木組みと生肉だがな。香油をたっぷり積んだ馬車なら運が良ければ燃えるだろう。気付かれたとしても、ラドの腹に入っているとは思われないだろう」
「……どうして司祭様は、私が馬車に乗っていると……」
「何、しらみつぶしにすればいいだけだ。出て行く旅人は限られているのだから」
「じ、じゃあ、私が出て行かなかったら?」
「お前を逃がさないで済む。いいことだ」
「……、」
「落ち着いたか?」
「えっ、あ、はい」
「ならよかった」
ノーマが笑い、アデラは口元をもごもごとさせる。
「……司祭様は、理想郷なんてないって言っていましたけど」
「うん?」
「ノーマさん、言いましたよね。頭がいい人は理想郷を作ることができるって」
「ああ」
「だったら、」
ぎゅっ、とアデラはノーマの手を握った。
「私、ノーマさんのところで勉強したいです。それで……理想郷を、作れるようになりたいです!」
「……アデラ」
ノーマは手を伸ばし、アデラの頭をぽんぽんと叩く。
「俺は錬金術の教授だぞ? 何年頑張るんだ」
「何年でも。だって、ノーマさんだって頑張ったんでしょう? だったら私だって頑張ります」
アデラの笑顔に、眩しそうにノーマは目を細めた。
「外の世界は、まだちょっと怖いですけど……そこから連れ出してくれたノーマさんを目標にすれば、何だって出来る気がするんです」
馬車が大きく揺れ、ノーマは壁に手をついた。アデラは小さく悲鳴をあげて、ノーマの体にしがみつく。
「……あ……」
「お熱いとこ失礼しますがお二人さん。じき街道に出ますよ。寄りたいところあります?」
「……俺は特にはない。それと、お熱いと言われても困る。アデラは俺の息子と同じ年齢だ」
「うわあ、そう言われると犯罪にしか見えません」
「ひどい言われようだな……」
ノーマはアデラの頭を撫で、アデラが離れると立ちあがって荷台から降りて行った。
「ラド、お前の昼飯がまだだったな。携帯食料ならあるが」
「う」
「ほら。……王都に帰ったらまた本屋に行くか。今回はご褒美をあげないとな」
ノーマは荷台の上で立ちあがり、手を伸ばしてラドの頭を撫でた。ラドは、幼い子供が親に甘えるように、ぐりぐりと頭をノーマに押し付ける。
アデラは幌の間から顔を出し、初めて、外の景色を見た。森を抜けた先は広い草原があり、遠くには小さな家が集まっている場所がある。その反対側にはまた森が、さらに遠くへと視線を向ければ、いくつもの丘を越えて、青い山脈まで続くかのように、白い街道が伸びていた。
鼻の奥がつんとして、アデラは幌に引っ込む。そして後方のノーマに駆け寄ると、旅荷物をいじるノーマの隣に座った。
「……笛、ですか?」
「ああ、ハーモニカは下手だと言われた」
「ハーモニカなら私できますよ」
ノーマに差し出されたハーモニカを咥え、アデラは曲を吹き始める。御者台で商人が「これはいい」と笑った。
やがて沈む太陽を追いながら、荷馬車はその涼やかなメロディーに乗って、王都への道を進んでいった。
(了)