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第7話 今日は鶏鍋だ

 吹奏楽部の体験2日目は、結局部活の終了時間まで青雲寮に居続けた。


「バッカナール」の合奏練習は通しでの練習の後、指揮をする富浦先輩の指示で部分ごとに細かな確認やパートごとの指示内容確認などが行われていた。


 富浦先輩、チャラいなんて言ってごめんなさい。

 指揮者としての富浦先輩はとんでもなく真面目でかっこいいです。


 隣にいた内山田君が

「藤華高校の吹奏楽部ってさ、生徒だけの自主運営なのにコンクールは地区大会で上位入賞してて結構レベルが高いみたいだよ」

 って教えてくれた。


「今日は入部前なのに遅くまでお疲れさま。よかったら明日も遊びにきてね!」

 帰りがけに秋山先輩ほかパーカッションの先輩方がにこやかに見送ってくれた。


「星山さんは家どこなの?」

 と内山田君が尋ねる。

「うちは隣の藤北市なんだ。電車で来てるの」

 私が答えると内山田君の顔がぱあっと明るくなった。

「そうなんだ!俺の家は藤北の手前、堂内なんだ。電車で一緒に帰れるね!」

 暗くなっても一緒に帰れる人がいるのは心強いな。


「知華」


 私が内山田君に返事をするより早く、鷹能先輩が階段を下りながら私を呼んだ。


「夕食を食べていかないか?今日は鶏鍋の予定なんだが」


 鷹能先輩の言動はいつも突然すぎる。

 友達の家に遊びに行ったときのお母さんの台詞ですよ、それ。


「鶏鍋って、ここで作るんですか?」

 私が尋ねると、鷹能先輩は当然だという顔でうなずいた。

「当たり前だ。他のどこで作るというのだ」


 内山田君はこのやりとりを飲み込めずにきょとんとした顔で私と鷹能先輩を交互に見やっている。


 部室でそんなもの作って食べるんですか。

 しかも地味に美味しそうだ。


「お誘いはありがたいですけど、母が夕食を用意していると思うので」

 ものすごく興味はあったけど丁重にお断りした。

「そうか」と鷹能先輩は残念そうに言った。


「では俺が知華を駅まで送っていこう」

 そう言って先輩は下駄箱から自分の靴を取り出した。


「えっ!どーしてそうなるんですか?」

「何がだ」

「だって、先輩これから鶏鍋作るんでしょう?

 それに、ここに住んでるのにわざわざ駅まで行く必要ないじゃないですか」


「えっ?住んでるって…」内山田君がますます混乱している。


「俺が送りたいから送るのだ。

 それではだめなのか」

「だめってことでは…」


「あのう…ワタシも堂内なので、一緒に帰ってもいいですか?」


 私と鷹能先輩のやりとりの中に、突然鼻にかかった甘い声が割って入った。

 見ると、チューバの角田あゆむちゃんがテコテコと階段から降りてきたところだった。


「あっ!角田、もう入部してたの!?

 ちっこいから気がつかなかったよ」

 内山田君が親しげに笑いかけた。

「知り合いなの?」

 私が尋ねると、「中学の同級生なんだ」って内山田君が言った。


「では君たち二人で帰ればいい。

 知華、行こう」

「待ってください!」

 靴を履きかけた先輩に内山田君が声をかけた。


「俺ら3人で帰ります。

 新入部員同士でいろいろな話もしたいし。

 ね?星山さん」


 鷹能先輩に睨まれたからって、そこで私に振るのか、内山田君。

 先輩といろいろ話してみたい気もするけれど、また内山田君に余計な心配をさせてしまいそうだ。

 それに、先輩だってわざわざ駅まで行くことになるし。


「そうだね。3人で帰ろっか。

 先輩、ありがたいですけど今日は大丈夫です」

 私がそう言うと、鷹能先輩は「そうか」と言って残念そうに靴を下駄箱に戻した。

「まあ、3人ならばいい。3人なら…」とぼそっとつぶやきながら。


「じゃ、先輩。また明日」

 青雲寮を出る私たちを見送る先輩に、私は微笑んで会釈した。


 ”明日も青雲寮に来ますね”


「また明日」に込めた意味に気づいた先輩がやわらかく微笑む。

 そのギリシャ彫刻らしからぬ温かい笑顔に胸がきゅんとした。


 学校から最寄り駅の藤華学園前駅までは徒歩5分くらい。

 街灯の明かりがアスファルトを白く照らす中を内山田君とあゆむちゃんと三人で歩く。


「さっきの話なんだけど…紫藤しどう先輩、部室で夕食作って食べてるの?

 しかも住んでるってどういうこと?」

 内山田君が聞いてきた。

「私も実際はよくわからないんだけど…」

「そういえばボーン部屋にカセットコンロとか鍋とかあったよね。

 あれで作るのかなぁ。

 なんで部室で料理なんかしているんだろう」

 常識的な内山田君には、部室で自炊する非常識な先輩がいるということが信じられないらしい。


「しかもなんで部室に住んでるの?

 紫藤先輩の親はどうしてるんだろう?

 学校の先生たちはそれ知ってるのかな。問題にならないの?」

 きわめて常識的な疑問を連発する内山田君。

 私は謎すぎてそんな疑問すらわかなかったよ。


「ワタシ、中学の先輩から、藤華高の吹奏楽部ブラバンには部室に住んでるヤバい人がいるって聞いてました。

 それが紫藤先輩っていうことですよね」

 あゆむちゃんはその噂を前から知っていたらしい。

「紫藤先輩にはいろいろな事情がありそうです。

 紫藤先輩のあの雰囲気、何か背負っているものがありそうですし…」

 あゆむちゃんの意味深な言葉に、私と内山田君は深くうなずいた。


 背負っているもの、かぁ…。

 たしかに、鷹能先輩は普通の人とは何かが違う。

 部室に住んでるとか、上級生を木刀で殴ったとか、そういう”ヤバい”噂とは違う次元で。


 端正すぎるルックスもあってか、無表情なときは人を寄せつけない冷たさがある。

 あのはっきりとした低い声で話す古風な言葉には重々しさを感じる。

 そうかと思えば、微笑んでくれるときはすごく温かかったり、子どもっぽくて無邪気だったり。

 そのギャップが私の心に先輩の姿をくっきり焼きつけてしまうんだ。


「そういえばさ、星山さんはなんであの先輩にあんなに気に入られてるの?」

 内山田君の質問に動揺する。

「えっ?気に入られてるのかな、私」

「そんなの一目瞭然だよ。なあ、角田」

「確かに、紫藤先輩は星山さんにだけ態度が違うと思います」

「さあ…。心当たりはないけど…」


 先輩は私を去年の夏の剣道の大会で見かけたって言ってた。

 昨日私を見かけて嬉しかったって言ってた。

 私のことをずっと知ってて、心に留めてくれていたってこと?


 胸がきゅうんって締めつけられて、顔が熱くなった。


「じゃあ、紫藤先輩が一方的に付きまとってるってことだよね。

 星山さん気をつけた方がいいよ。

 ヤバい人に関わると星山さんにも害が及ぶかもしれないし」

 内山田君が心配してくれたけど、私は「わかった」って言えなかった。


 だって、先輩のことが気になりすぎる。

 関わらないなんてことはもうできない気がする。

 どんなところが”ヤバい”のか気にはなるけれど、たとえそれを聞いたとしても私はもう鷹能先輩を嫌いにはなれない気がする。


「あっ、そういえば今1年生って何人ぐらい入部希望者いるのかな?

 今日見学に来てた人も1年生だよね?」

 内山田君からさっきの返事を求められないように、私は慌てて話題を変えた。


長内おさうち君ですね。彼は私と同じ1-Aです。

 藤南中でテナーサックスやってたそうです」

 あゆむちゃん、情報が早い。

「ワタシ、あの人ちょっと苦手です。

 ちょっと自意識過剰というか、自分に自信がありすぎる感じが…」

「あ、なんかわかる気がする。彼、ナルシストっぽいよね」

「出たよ、女子の辛口トーク!

 頼むから俺のいないとこで俺の話は出さないでよね」

 電車で二人と別れるまで、それっきり鷹能先輩の話題は出なかった。


 ――――――


「ただいま」

 家の玄関を開けると夕食のいい匂いが漂ってくる。

「おかえりー」とキッチンから母の声がした。


 部屋に荷物を置いて着替えてリビングへ降りると、2つ年下の中学2年生の妹も帰ってきていた。

「おねえちゃん遅かったね。帰宅部にするんじゃなかったの?」

 妹の知景ちかげがテレビを観ながら、言葉だけを私に向ける。

「そのつもりだったんだけどね…。いろいろあって、吹奏楽部に入ることにした」

「ふぅーん。剣道部じゃないんだ」

「…まあね」


 剣道はもうやらないって決めたんだもん。


「ご飯できてるわよー。今日はお鍋にしたからね」

 母がダイニングテーブルに置かれたカセットコンロに火をつけた。

 すでに火が通された土鍋はほどなくしてクツクツと音をたて始めた。

「わぁーおいしそー」

 知景がいそいそと椅子に座る。


 お鍋を見て、今日は鶏鍋だと言っていた鷹能先輩を思い出した。

 今ごろ先輩は誰もいなくなった青雲寮で一人で鍋をつついてるんだろうか?

 なんだかそれはとても切ない気がする。


「ねえ、お母さん。今ちょっと気になってることがあるんだけど」

 鍋から小皿に具材を取り分けながら母に話しかけた。

「吹奏楽部の先輩に部室に住んでるっていう人がいるの。

 どういう事情でそこに住んでるのかわからなくてさ。

 3年生の先輩で、紫藤さんっていうんだけど…」

 母が「紫藤ねぇ…」と反応した。


「この辺で紫藤っていう苗字なら、”あの”紫藤一族の人なんじゃないかしら。

 どうして高校生の男の子が一人で部室になんか住み込んでるのかしらねぇ」

「紫藤一族って…?」

「うちは隣の藤北市だからあなたは知らないだろうけど、藤華高校のある藤華市一体は紫藤家っていう小藩のお殿様だった家の領地だったのよ。

 だから今でも紫藤一族は市長や地元企業の社長、代議士や病院の院長っていうふうに地元の権力者として幅を利かせているの。

 その先輩も同じ苗字ならその一族じゃないかと思ったんだけど…」


 もし先輩がそのお殿様の家柄だったなら、あの時代劇みたいな言い回しもなんかわかる気がする。

 でも、どうして部室住まいなのかな?

 お金持ちなんじゃないのかな?


「一人でそんなところに住んでるなんて、親がいないとか見捨てられたか、とにかく深い事情がありそうねえ」

 面倒見の良い性格の母がため息をついた。

「知華。詳しい家庭の事情は直接先輩には聞けないだろうけど、できるだけ親切にしてあげなさいね」

「うん。わかった…」


 なんだか胸がざわざわしてきた。

 鷹能先輩、なんだかすごく複雑な事情をかかえて部室に住んでるのかな。


「お母さん、明日の朝に炊くご飯、量を増やしてもらってもいい?」

 私がお願いすると、母はにっこり笑ってうなずいた。



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