第13話 彼女に決めた
昨日、私は正式に吹奏楽部への入部届を提出した。
チューバのあゆむちゃんと内山田君も入部届を提出したようだ。
青雲寮には私たち以外の1年生もちらほらと見学に来ているけれど、だいたいは中学からの経験者のようだった。
まあ、こんな校庭の隅の古屋敷で活動してて、しかもヤバいという噂のある部活には楽器経験者かよっぽどの物好きじゃなければ入ってこないだろうね、内山田君。
あ、私もか。
そういえば、内山田君はパーカッションの先輩たちから”うっちー”と呼ばれるようになっていた。
なので私も彼を”うっちー”と呼ぶことにした。
「うっちー、私今日は用事があるんだ。あゆむちゃんと先に帰っててくれるかな?」
「うん。わかった…けど、一つ聞いてもいい?」
「ん?なぁに?」
うっちーがパーカス部屋の隅を指さす。
「この竹刀…。知華ちゃんが持ってきたんだよね?
どうするの?これ」
今朝さっそく鷹能先輩と使った竹刀だ。
「あっ、うん。ちょっと素振りがしたくなってね。
家じゃ狭いから、青雲寮の横の空き地でやろうかなって持ってきたの」
「ふぅん…」
うっちーは訝し気な顔をしながら相槌を打った。
――――――
今朝はおにぎりを食べる前に先輩とその空き地で朝稽古をした。
去年の夏に大会で負けて引退してから竹刀に触ってなかった。
久しぶりの素振りは朝の澄んだ空気のせいかとても気持ちよくて、体を動かすのはやっぱりいいな、なんて思った。
先輩は実際には剣道ではなく剣術を習っているそうで、構え方や素振りの仕方が剣道とは少し違う。
(だから不良10人を相手に木刀一本で立ち回れたらしい)
けれども私から見ても素振りの形はめちゃくちゃ綺麗で無駄がなく、相当な手練れだということが感じられた。
「では最後に手合わせといこうか」
似合わないTシャツ姿の鷹能先輩が爽やかに微笑んだ。
「でも、防具つけてないですよ?」
「大丈夫だ。掛かり稽古だと思えばいい。俺からは打ち込まないし、君の剣はかわしてみせるから」
自信たっぷりに微笑む先輩。
その不敵な笑みに、ちょっと鼻を明かしてみたくなった。
「お願いします」
お互いに竹刀を構える。
隙を見せない先輩の構えに、どう打ち込もうかとじりじりと間合いをはかる。
剣先をすり合わせた後、先輩の剣先を払い「めぇぇーん!!」と打ち込んでみたけれど鮮やかに捌かれる。
「やはり手に力が入りすぎてるな」
私は体勢を整えて再び構える。
先輩が挑発するように竹刀を上段に構えた。
先輩より身長の低い私が狙いやすい胴をわざと空けてくる。
ほほー。そこを狙ってこいと。
了解。
剣先を先輩に向けてタイミングを図る。
数度竹刀を打ち合わせた後。
先輩の手元が少し上がったところで
「どおっ!」
先輩の胴に右から素早く打ち下ろす。
が、やはりこれも先輩の竹刀に打ち落とされた。
上段に構えていたはずなのに速すぎる!
「動きはなかなか良いが、やはり右手に力が入っているな」
私は息が切れているのに、先輩が涼やかな顔をしているのが癪だ。
「もう一本お願いしますっ」
「初日から根を詰めることもないだろう。スティックが握れなくなるぞ」
先輩に言われて自分の掌を見た。
たしかに、久しぶりの素振りで掌がこすれて赤くなっている。
「さて、腹が減ったな。おにぎりをいただくことにしよう」
竹刀を片手に青雲寮のドアをギイイと開ける先輩の背中を見つめる。
ふっ。
先輩。
先輩が今日の朝稽古で煽ったのは、恋心じゃなくて闘争心ですよ。
明日は先輩をぎゃふんと言わせてみせる…!
――――――
部活が終わり、私が明日の朝稽古のイメージトレーニングをしている間に、パーカス部屋には誰もいなくなっていた。
ガラッ!
「わっ!びっくりした!」
いきなりパーカス部屋の扉を開けたのは鷹能先輩だった。
「もー。ノックしてくださいよ」
「さっきノックしたが、返事がないから開けたのだ」
イメージトレーニングに夢中になってて気づかなかった。
「そろそろ武本が来る頃だ。外に出られるか」
「わかりました」
先輩に誘われて青雲寮の横の小さな空き地へ出た。
空き地の隅にはすぐ外の道路に通じる小さな門扉がある。
一応ここも学校の敷地内なんだよね。
今日朝練でこの空き地を使うまで、こんな門があるの気がつかなかった。
先輩と二人でその門の脇に立っていると、車通りの少ない道路の向こうから白く光るヘッドライトが近づいてきた。
門の前で車が止まる。
黒塗りの外車の両側のドアから二人の男が降りてきた。
「鷹能さま。お待たせいたしました」
少し離れた街灯の明かりにぼんやりと照らされた男はナイスミドルといった感じのスーツ姿の男性だった。
「うむ」
鷹能先輩、それ、歳の離れたおじさまに対する返事じゃないですよー。
ていうか、あちらのおじさまの態度も、一介の高校生に対する態度じゃない。
そう、まるで…お坊ちゃまと執事って感じ?
いやいや、まさかね。漫画じゃあるまいし、今どき執事って。
「よっ!タカちゃん久しぶりっ!」
「なんだ、海斗も来たのか。元気にしていたか?」
助手席から降りてきた若い男はずいぶんフレンドリーだ。
背が私より低くって、愛嬌があって可愛らしい感じ。
中学生くらいかな?
左耳に5つのシルバーピアスが連なって光っている。
「そちらのお嬢様は…」
ナイスミドルがちらりと私を見る。
少年は遠慮もなく値踏みするようにじろじろ見てくる。
うう、なんか緊張。
「ああ。彼女は星山知華という。吹奏楽部の新入生だ」
私の緊張を解きほぐすように、鷹能先輩が優しく私に微笑んだ。
「知華。紹介しよう。
俺の世話をしてくれている武本だ。こちらは彼の息子で俺と同い年の幼馴染み、海斗だ」
「はっ、初めまして。よろしくお願いしますっ!」
慌ててぺこりとお辞儀した。
何がよろしくなのか自分でもよくわからないけど、緊張で口走ってしまった。
けれども私の”よろしく”に二人からは何の反応もない。
「鷹能さま。私どもにこの方を引き合わせたということは…」
「うむ。彼女に決めた」
「…さようでございますか」
え?
何を決めたって?
「知華さま、とおっしゃいましたね?」
武本さんが紳士的な物腰で私と対面する。
「私ども武本家は先祖代々紫藤家にお仕えしており、鷹能さまのご出生の折よりお力添えをしてまいりました。
鷹能さまが成人の儀を目前にして貴女様を生涯の伴侶として選ばれたということでしたら、私どももお二人を全力でお支えいたしますのでご安心ください」
……。
なんて言いました?
脳内処理しきれない情報が多すぎます。
「俺は反対だ」
ちょっ!少年!…じゃなかった、青年!
今ややこしいこと言わないでっ!
「だってさぁ、この子なんかより志桜里さんの方が断然美人でおしとやかで聡明でスタイルもいいじゃん。
タカちゃんが無理に嫁選びする必要ないでしょ」
また情報入った!
しかもなんかイヤな感じのやつ!
私が状況を飲み込めない中で3人の会話は続く。
「これ、海斗!鷹能さまのお決めになったことに口出しするんじゃない!」
「だって、タカちゃんは俺の幼馴染みだよ?幼馴染みのよしみでアドバイスしてるんじゃない」
「海斗。何度も言っているが俺は志桜里と婚約するつもりはないのだ」
「なんでだよ!?志桜里さんはタカちゃんの嫁になるために生きてきたようなもんなんだぞ?それを捨てたら可哀想じゃないか!」
「だからこそだ。そんな人形のような女と結婚するつもりはない」
私がほったらかしになっていることに、ようやく鷹能先輩が気づいた。
「知華。すまない。詳しい事情は後で説明する」
私はこくりとうなずくことしかできなかった。
「とにかく、近いうちに彼女を家に連れて行くのでよろしく頼む。
今日は冬物衣類をまとめておいたので持ち帰ってくれないか」
「承知いたしました。こちらからも、当面の衣類とお父上からお預かりした生活費をお持ちしましたのでお渡しいたします」
鷹能先輩と武本さんが大きな紙袋をやりとりする光景を呆然と見つめる。
先輩に説明してもらわなきゃ、何も考えられないよ。
ただ…。
やっぱり先輩に踏み込むと面倒なことに巻き込まれる。
それが予感から確信に変わっている。
「タカちゃん!せっかく俺も会いにきたんだし、この後親父と3人でメシでもどう?」
「いや。俺は知華を駅まで送っていく。だいぶ遅くなってしまったのでな」
「ふぅん。残念」
海斗とかいう人は私をじろりと睨むように見ると、さっさと車に乗り込んだ。
「では、鷹能さま。知華さま。これにて失礼いたします」
「ありがとう。両親によろしく伝えてくれ」
私も慌てて一礼する。
再びヘッドライトを光らせ、黒塗りの車は走り去った。
「さて。海斗のせいで余計なことまで説明せねばならなくなった。
何から話せばよいかな…」
さすがの先輩も困った様子で頭をかいた。