第3幕
その日の放課後、私はいち早く学校を出て阿武高校前駅へと向かった。入学早々から補習の常連となった私だったが、この日は補習もなく、いつもより早く学校が終わるという気分高まる日だった。この時はそんな気分でもなかった。
早く着いたはいいが、それから1時間以上の時間が経過した。次第に嫌な予感のようなものが湧いてきた。何かの罠? だとしたら既に狙われているのか? 不安が募って溜まり出してきたが、それは一掃された。
阿武高校の生徒たちが、集中的に駅の方へ流れてきたのである。よく見れば胸元に特有のバッジをつけている。特進コースの生徒たちの下校だ。それがわかった途端に、頭の中のモヤモヤがとれた。と、ほぼ同時のタイミングで彼女が現れた。
大急ぎで走ってきたのか、ぜぇぜぇとひどい息切れをしているようであった。本物の魔女であるなら、瞬間移動などいとも簡単に出来そうな気がするが……。
「大丈夫?」
「ご、ごれんあばいっ……下校時間が同じものだと思ってさ……」
「うん。まぁ。とりあえず落ち着こうよ。ほら、そこにでも座ってさ」
私たちは、ひとまず駅内のベンチに腰掛けることにした。その前に、私から2人分のジュースを購入したりした。最初は「いいよ。遠慮するよ」と拒んでいた彼女だったが、私が「遠慮しないで」と念を押すと「あ、あざっす……」とお礼をしてくれた。わざわざ走ってここまで来たことといい、どうやら人柄が悪くない謙虚な人間のようだ。
「あなた、本当に魔女なの?」
「うん」
「じゃあ、何か魔法を使ってみてよ!」
「わかった」
そう言うと彼女は小さなピンク色の小道具を取り出して、そっと何かをなぞるように動かした。すると私のカバンのチャックが、不自然かつ自動的に動き出した。
「わぁぁぁ!?」
「しっ! 駅員さんに見つかっちゃうよ!」
彼女の一言で私は息を止めた。どうやら、本当にごく普通の一般人などではない。それをわかってはいるのだが、それまで非現実的なことを信じていなかった私にとって、彼女は何か異常に不気味だった。悪くない人柄を承知していても、そこだけは譲れないものがあった。そんなことをあれこれ考え始めると息が詰まる。微妙な空気になりかけた時、私の目の前に例の小道具が飛び出した。
「!?」
「静かに。これから魔法を使うよ?」
「なっ! 何をするつもりなの?」
「記憶を飛ばすだけ。今まで目にした妙な出来事全て忘れさせてあげる」
「ど……どういうこと? 私はどうしたらいいのよ?」
目の前に迫った位置にあるペンのような道具は、どうやら彼女が使用するアイテムのようだ。この間チンピラ男子を唸らせた、言わば彼女の武器である。
「冷静に。今から起こすフラッシュを見ることで、貴方はこないだの不良退治も、さっきの鞄のチャックが空いたことも、私が関係していること全てを記憶の中から消すことができる。きっと貴方にとってそれが1番いいことなのだろうけど……」
「ど、どういうことだってば? 私、記憶喪失になるの?」
「違う。あなたの記憶からなくなるのは“私の存在”よ」
「あなた?」
「そう。簡単に言えば私を忘れて、あなたが普通の日常に戻れるという事」
「そんな……急に言われてもワケわかんないよ!」
「わかってるよ。でも私からのお願いを聞くのなら、この術は使わない」
「あなたからのお願い……?」
「う、うん……」
「?」
「私と友達になってくれる?」
私は小道具を持った彼女の腕を掴んでゆっくり下ろさせた。
「いくらでもなってあげるよ」
「へ?」
「そんなのいくらでもなってあげるって……」
「ええ!?」
「まったく。そんなことイチイチ聞きますか?」
「だ……だってだってだって! 私のこと怖がってたじゃん!」
「今はこれっぽっちも怖くない。それより今からでも出掛ける?」
「え? どこに?」
「美容院!」
それから美容院に行ってボサボサの髪を綺麗にさせてあげた……というのが私たちの出会い。その後一緒に街に出掛けて、洋服の買い物や食事に行くなどして親睦を深めていった。親しくなればなるほど茜という人物がごく普通の女子に思えて仕方がなかったが……彼女は魔女だ。