第1話「東の国より、ひかる・イズル?」拾
「な、何だ、これ」
天井よりやや低い高さの、金属で作られた箱の中に設置されたモニターを覗くと、きょとんとした自分の顔が映し出されていた。
箱は来客を喜ぶように、音を立て、かすかに震えている。
「カメラ、かな」
井之頭が、趣味で妙な発明をしているのは、有名な話である。
おおかた、大昔のカメラか何かを再現したのであろう。
それにしても、何だか、情けない自分の表情が、妙に現実に引き戻す。
「呼び出しておいて、何だよ一体。馬鹿らしい」
当たるように機械を叩くと、何かを押した感じがして、同時にモニターに文字が浮かび上がった。
_translation mode start!
「トランス……って、翻訳?モード開始?」
文字が妖しく光る。
明らかに触ってはいけないものに触った。
そんな気がして、思わずカーテンを跳ね除け、そして、部屋の外に出た。
「か、帰ろう」
二・三歩歩き、思い出すように足を止めた。
──帰る所なんて、ない。
向こうの窓から、まっすぐな廊下に夕陽が落ち、白い廊下をオレンジ色に染める。
かすかに交差する部活動の生徒の声。
元気な声たちと、今の自分の気分との格差に、居場所がないように感じた。
家にも、学校にも。
──父さんは、どうしていきなりあんな事を。
当てもなく、放課後の学校を彷徨い、そして、辺り一面ガラス窓で覆われたロビーのベンチに座った。
静かな空間に、自動販売機の音だけが囁く。
窓の外を見上げると、オレンジの空は、冷たそうな鋼色に姿を変えようとしている。
まるで、自分と同じように。
イズルは、黙って眺めていた。不思議な色とシンクロするように。
「いた!イズルちゃん、見つけたの〜!」
突然、その鋼色が一瞬で散らされた。足音だけで、元気一杯と瞭然。
ひかるがイズルを発見して、駆け寄り、幸せ一杯に腕を組んだ。
「イズルちゃあん、一緒に帰ろうなの〜」
「先に帰れよ、僕、先生に呼び出されているんだ」
「いけずぅ〜、なの。ひかる、待っているの〜」
「いいよ、待たなくて」
他の人間にかまっている余裕のなさ。
口調が冷たくなるのを止める事が出来なかった。
「帰れよ」
イズルは、ひかるの手を振り解き、立ち上がった。
「イヤなの〜」
ひかるは、負けじとイズルに抱きつく。
「もう、離せよ」
押し離そうとするイズル。
まるで押し問答だが、ひかるは、嬉しそうにじゃれている。
その時、近くで、ドサッと荷物が落ちる音がして、二人は、音の方を向いた。
「ひひひひひ、ひかるさんッ!そんな奴に近づいてはいけません!」
突然現われた庵野が、どかどかと歩き、イズルから、ひかるを引き離そうとしている。
「イヤなの〜、ひかる、イズルちゃんと帰るの〜」
「駄目です、ひかるさんッ!」
「痛ッ、ひかる、引っ張るな!」
ざわめきの増加は、そのままイズルの苛立ちの増加に繋がった。
「皆さん、もう下校時間はとっくに過ぎているわ、何をしていらっしゃるの!?」
華やかな声が、ざわめきを切り裂くように、突き抜ける。
歯切れ良い足音で、三人のもとに歩み寄って来たのは、生徒会長の結花乃だった。
「ひかるさん、この女、あなたを獲って食いますよ!僕が守りますッ」
「何ですって?ア・ン・ノ・ジョぉぉぉ」
結花乃は、庵野の足を密かに踏みつけながら言った。
「いっ、ぎぎぎ……すみませんッ!嘘です」
庵野があっさり白旗を上げると、結花乃はひかるを、ゆっくり、鋭く見据えた。
「あら、あなた、朝の一年生ね。人のイヤがる事は、おやめになってはいかが?」
そう言ってイズルの手を取り、ひかるから引き剥がした。
「イヤがってないの〜」
ひかるも負けじと、イズルを引き寄せる。
「イヤがっていますわ!」
取り戻す結花乃。
「イヤがってないの〜!」
更に取り戻すひかる。
「イヤがってますわ!」
「イヤがってないの!」
「ますわ!」
「ないの!」
「ますわ!」
「ないの!」
女子二人に繰り広げられる、イズルのキャッチボール。
「むぅぅぅ〜」
「むぅぅぅ〜、なの〜」
仕舞いに二人が、イズルの左右の手を、引っ張りあう。
「ちょっと、ひかる、会長、痛い!」
「宝路君が痛がっているじゃないの!一年生、離しなさい!」
「離さないの〜!」
「ぐわあッ!だから、痛い、痛いって!」
「ひかるさぁん!そんな奴の手を触らないでぇぇぇエエエエ!」
庵野が、ひかるの手を掴み、参戦すると、イズルと結花乃の手が離れ、勢いよく、イズル、ひかる、庵野は倒れこんだ。
うなだれる三人。
唐突な出来事に閉口する結花乃。
「いいかげんにしろよ!」
イズルは、立ち上がり一喝すると、走り出し、
「イズルちゃん!」
「宝路君!」
「ひかるさんッ!」
三人は、すぐさま後を追った。




