♦第四話
なんだよ! なんだよ!
なんで俺が悪者みたいになってるわけ?
順平と佐久間の姿が見えたから近づいてみると中学の時の同級生と話していた。
一応挨拶だけでもしておこうと思って近づいた時、浴衣の女子にぶつかってその子が転びそうになったから腕を掴んでそれを阻止してやった。
ぶつかったことに対してもちゃんと謝ったのに、まるでいやなものを見るかのような目で睨まれた。
それに気づいて間に入ってくれたのが順平で。
どうも俺がぶつかった女子は順平のクラスメイトらしく、まるで逃げるように順平の背後に回ってこっちの様子を伺っていた。
この時さっさと立ち去ればよかったのかもしれない。
話が大事になりそうだから、と少し広いスペースの方に促された。
一緒に来ていた友達の譲とその連れの女、そしてうちの隣に住んでいる樹里もくっついてくる。そうしたらあっという間に順平のクラスメイトらしきやつらに周りをぐるっと囲まれた。
小声で「突き飛ばされた」だのなんだの言ってるのが聞こえてきて腹が立つ。わざとやったわけじゃないのに。
説明しようとして口を開いた時、順平が俺に近づいてきた。
「杳子もいる。あまり事を荒立てるとまずい」
耳元でそう告げられ、ぐっと息を飲む。
杳子の名前を出されると何も言えない。
もし俺のせいで杳子がクラスメイトとうまくいかなくなったりしたら。そう考えたらこの場を早く立ち去るのが一番いいと思った。だけどこの憤りをどうすることもできず、捨て台詞を吐いてしまっていた。
さっさとここから抜け出そうとした時、心配そうな顔で俺達のやりとりを見ている杳子に気づいた。
今にも俺に声をかけようとしているのがわかる。
いつもなら薬用リップくらいしか塗っていないだろうふっくらした血色のいい唇が今日は少しだけピンクに彩られツヤツヤしていた。
なぜかその姿を見て腹が立った。
なんでその姿を俺より先に順平に見せてんの?
完全にただの嫉妬だった。
それより俺と杳子が知り合いだということは隠しておいたほうがいいという思いが強かった。
杳子に声をかけられたくなかった。みっともない姿を見られたのも恥ずかしかったから。
だからなにも言わず、俺は杳子に背中を向けていた。
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「なんで言い返さなかったの?」
「まあまあ、樹里ちゃん。優輝にもいろいろあるんだよ、な」
知ったような口振りで譲が俺の肩を抱き、首に腕を巻き付けるようにしてきた。苦しいっての。
「言い合いにならなかっただけよかったじゃん。よく堪えたよ」
「別に堪えた訳じゃ……」
「あれ、優輝?」
境内のほうからこっちに向かってきた細身の男に名前を呼ばれた。
地元だからよく知り合いに会うなと思いきや、杳子の弟の拓哉だった。その後ろには友達らしき男女が数名いる。
「ヨウ、デートか」
「クラスメイト。そういう優輝こそ」
俺の肩を抱いている譲や連れに拓哉が会釈した。
こんなことできるようになったんだ。成長したな。
「彼女?」
「違うし」
「えっ、そうなの?」
拓哉が気まずそうに視線を泳がす。
「なんで?」
「いや……なんかさ、姉ちゃんが……いや、いいや」
言いにくそうにするからますます怪しい。
屋台の間を親指で示し「あっちで」と言うと上目遣いで俺を見る。
拓哉は友達に「後で合流する」と携帯を耳元にあてるようなジェスチャーをしてみせ、俺に促されるままついてきてくれた。
譲達もそうしてくれればいいものの、ご丁寧について来るもんだから「少し外してろ」と言ってやると唇を尖らせてブーイング。子供みてえ。
とりあえず三人から離れた雑木林の下で拓哉とふたりになる。
蚊がいそうだったけどしょうがない。とにかくふたりで話がしたかった。
「杳子がなんだって?」
「いや、実は母さんが優輝のこと、あんまりよく思ってなくて」
「ああ、まあそうだろうな。この頭だし」
最近俺を見るおばさんの目が冷ややかな感じはしていた。
挨拶をしても微妙にうなずいて逃げるように去って行かれたこと数回。そうじゃないかとは思っていた。
拓哉は俺の問いに曖昧に首を傾げるが、明らかに肯定だろう。
「で、姉ちゃんがやたら庇うのよ」
「何を?」
無言の拓哉が俺を指した。
「俺?」
「うん、あれは絶対に優輝のことって思ったけど、微妙にはぐらかすし。あ、僕がこんなこと言ったって姉ちゃんには内緒にしてよ」
「……わかってる」
頼むよ、と言い残して拓哉は友達の元へ戻って行った。
俺も譲達と合流した後、無言でいろいろ考えていた。
杳子が俺を庇っている。
昔からおばさんの言うことをよく聞いて、刃向かっている姿なんて見たことなかった。
――それなのに。
「わーん! ママぁー」
人混みの下の方で子供の泣き声がする。
それでふと我に返ったのと同時に足もとにどん、となにかがぶつかってきて、見ると泣いている男の子だった。
その子は俺を見上げて目を丸くしながらもひくっひくっと泣きしゃっくりを上げ続けている。
「ヨウ、どうした」
「ひぐっ、ママぁー!」
火がついたように泣き出しはじめた。
まるで俺が泣かしたみたいじゃんか。困ったぞ。
人混みの中、邪魔になるのはわかっていたけどしゃがみ込んでその子供と目線の高さを合わせる。
「おまえ名前は?」
「うえーん!」
「名前も言えねえのかよ」
頭をわしゃわしゃと撫でてやるけど、一向に泣きやまない。
子供の扱い方なんて知らないし、樹里に任せようと思いきやあいつら金魚すくいなんかはじめてた。離れてろって言ってる時ついてきてこういう時にいないってどういうことだ。
「ったく、しゃーねえなあ」
小さい身体を持ち上げて肩車してやると、ぴたりと泣きやんだ。
そして「わあー!」とうれしそうな声を上げる。躊躇わずに掴んだのは俺の髪。
「毛、むしるなよ」
「すごいたかーい!」
「そりゃよかった。てか、母ちゃん捜せよ。見えんだろ? 暴れんなって」
今にもぴょんぴょん跳ねそうで危ない身体を固定させるため、両足をしっかりと掴む。
「どの辺ではぐれたんだよ」
「……あっち」
指が示したのは神社の境内の方だった。
境内前のあの大きい階段をひとりで下りてきたとは思えない。近くまで行けばもしかしたら母親に遭遇できるかも。
「あれ? どうしたの、その子」
ようやく戻ってきた樹里が子供を見て大きな声を上げた。
譲の手には掬った金魚が入った袋がぶら下げられている。
「遅ぇよおまえら。迷子だよ」
「えー迷子? こんなところで?」
とりあえず全員で境内の方へ向かうことにした。
子供がこんなにも重たいと思わなかった。人混みの間を通るのがやっとでなるべく振り返ったりして視点を変えてやりたいけどなかなかできなかった。樹里達がしきりに声をかけてやってくれているのは助かる。
「あのね、これかこうとしてたの」
「短冊じゃん、これ」
「と、いうことは笹辺りってことだよー」
まじかよ。やっぱり階段上るのか。
だけど乗りかかった船を降りるわけにはいかない。
「っしゃ! 行くぞ」
「おう!」
妙な気合いが入り、全員で声を上げた。
「おい、おまえ無駄に動くなよ」
「うん!」
俺はゆっくりと階段を上りはじめた。
後ろから子供のお尻を押さえるようにして重みを分散させてくれているのがわかる。それがすごく助かった。
子供ひとり担ぎ上げるのにこんなに必死になってる自分はひどく情けなかった。世の中の母親は普通に抱き上げているだろうに。母は強しってほんとだな。
ようやく階段を上りきった時。
「ユウタ!」
「ママ!」
人混みあふれている神社の横に立てられた巨大笹の方から顔をぐしゃぐしゃにした女の人が走ってきた。