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コイバナ・シリーズ

コイバナ: 「お葬式の話」

作者: 成田チカ

 何でここにいるんだろう、と思った。

 ポクポクと単調な木魚の音をベースに、無駄にいい声なお坊さんの読経がお線香の匂いと一緒に流れて行く。

 正面には、ついこの間まで同じベッドに眠っていた人の笑顔の写真が、これまた無駄に大きな大きさに引き伸ばされて菊の花に囲まれている。お兄さんが持っていた数年前の家族旅行の時の写真だとかで、写真の彼は実際よりも随分と若く見えた。


 おととい、彼が事故に遭った。

 会社からの帰り、雨の降る中を残業を終えて家に帰る途中。酔っ払い運転の車が突っ込んできたらしい。それも、アパートまであと少しの距離で。

 もし―。

 不毛な問を繰り返し続ける。

 もし、雨が降っていなかったら。

 もし、彼が残業しなかったら。

 もし、彼がコンビニに寄らないでいたら。

 もし、私が「牛乳買ってきて」なんて言わなかったら…。


 出会って5年。一緒に住んで3年。

 でも、「結婚していない」というだけの理由で、彼から遠く離れた席に座る。

 周りの人たちに「ああ、彼女が…」とヒソヒソ囁かれても、そんなことはどうでもいい。

 泣いて、叫んで、心が死んでしまうかと思った。それでも、彼は戻ってこない。


 それまで繰り返していた「もし」が「もっと」に変わる。

 もっと、一緒に旅行に行ったりすればよかった。

 もっと、色んなことを話しておけばよかった。

 もっと、抱きしめればよかった。


 時間と言うものは、どうやら一定の割合で流れるものではないらしい。

 事故の事を知った時は、まるで全てがスローモーションのように動いたけれど、今はまるで全てが映画の早送りを観ているように流れている。私の中の時間だけ、止まってしまっているけれど。

 周りがバタバタと慌しく動き始めてようやく、読経が全て終わったのだと知った。

 あっという間にガランとした斎場の中で、黒い喪章をつけた葬儀社の人たちが手際よく出棺の準備を始めた。

「ねぇ、大丈夫?」と声を掛けられて顔を上げると、彼のお兄さんのお嫁さんが立っていた。

 呆然としたまま答えられずにいると、彼女はハッとした表情でうろたえながら「あ、ゴメンナサイ。大丈夫なわけ、ないわよね。えっと、その…」と慌て始めた。そこで初めて、私の中の時間が軋みながら動き始めた。

「いえ…。こちらこそ、すみません。気を、遣わせてしまって…」

 泣き叫んだ後、しばらく声を出していなかったせいか、私の声は変に擦れて、知らない誰かの声のようだった。


 出棺まで見届けた後、お兄さん夫婦には火葬場に家族と一緒に同行をしないかと勧められたけれど、断ってアパートに戻ることにした。骨だけになった彼の姿を、見たくなかった。

 アパートにはまだ、彼の痕跡が色濃く残っている。それこそ、今すぐにでも「ただいま」と言いながら帰ってくるんじゃないかと思うくらい。

 部屋の隅々まで、彼の息遣いが残ってる。笑ったり、怒ったりした顔が次々と浮かんでは消える。

 その時の自分の感情も生々しいほどに蘇って、自分の中で色んな感情がぐちゃぐちゃに混ざった。

 全てが無くなってしまったら、どんなに楽になれるだろう。


 葬儀から3日後、彼のお兄さん夫婦と母親が彼の遺品を引き取りにやって来た。

「狭い部屋だね」と2人で笑い合っていたアパートも、彼の荷物がなくなった途端、異様に広く感じて怖くなる。

 全ての荷物が運び出されて彼の母親が車に乗り込んだ後、こっそり兄夫婦に小さな包みを渡された。

「これ、アイツが用意してたみたいで。アイツの鞄の中から、受け取り票が出てきてね。受け取ってきたんだけど…。君への物だと思うから」

 包みの中は、どこからどう見てもジュエリーの箱で、蓋を開けると、中にはシルバーの台座に小さな石が入った指輪が入っていた。

「これ…」

 それ以上は、嗚咽しか出てこなかった。

 死んでからプロポーズされるなんて、思ってもみなかった。だって、ちっともそんな素振りを見せなかったじゃない。

 指輪の内側には、私達のイニシャルが彫られていた。いつから準備していたんだろう。

 指輪は、私の左手の薬指にピッタリと納まった。小さく輝く指輪を、そっと右手で包み込みながら、私は涙でぐちょぐちょになった顔を上げて、日が傾きかけてオレンジに染まり始めた空を見上げた。

 「はい」

 私は微笑んで、そこにいるはずの人に返事をした。

 彼は喜んでくれているだろうか。それとも、「バカだな」と呆れているだろうか。

 今は、どちらでも構わない。

 私はこれから、彼の想いと一緒に生きていける。


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