第五節
部屋は質素な感じだった。ベッドと小さいテーブルに椅子、ベッドの脇にサイドテーブル、クローゼットっぽく見える家具は収納スペースか。
ベッドは思ったよりもふかふかだ。と思ったらかなり沈み込んでかえってびっくりしてしまう。カサカサと音がするのだが、材料はなんだろうか。
ベッドの布は清潔そうでとりあえず安心した。
部屋には一カ所、雨戸のような作りをした部分がある。あれこれ触って調べてみると、どうやら窓のようだった。部屋に入り向かって左側が金具で取り付けられていて、右側は金具でつっかえるようにして鍵をかけるというか扉が勝手に開かないようにするというか、そんな感じの作りだった。
試しに金具を動かして窓を開いてみる。どうやらこの窓は東向きのようだ。赤く染まった街は見えるが、夕日は見えない。いや、この世界の天体が地球と同じとは限らないのか。
イスに腰かけ、テーブルの上に銅貨を並べ数え始める。おばさんがちょろまかしているとかは思いたくないが、念のためだ。他にすること思いつかないし。
数が多いから二十枚重ねては次へと繰り返し、最後に積み重なった銅貨の数と残りの枚数で計算することにする。
ちまちま作業をしていて思うが、このストルオス銅貨や銀貨はそこそこ小さい。日本円で一円玉くらいだろうか。
確か、こういう貴金属なんかを貨幣として使う場合、その大きさとか純度とか、要は「金属としての価値」が重要だったような。ちゃんと勉強しているわけではないから完全ににわか知識だが。
そう考えるとこのストルオス貨幣は価値が低い類のものなのかもしれない。この大量の銅貨を両替とかできるのだろうか。
そんなことを思っていると、ゴーンと鐘の音が聞こえてきた。鐘は五回鳴ったと思うとぴたりと止む。意外と重い音だった。日本のお寺の鐘に比べれば高い音だけど。回数には意味があるのかな?
あ、銅貨の数はおつりや使った枚数から計算して、問題無かった。その数四百二十二枚。多いわ。
銅貨を数え終わり、袋に仕舞っているとドアをノックされる。ノックの文化はあるんだな。
返事をしつつドアを開けると小さい男の子が立っていた。手にはお湯の入った木桶を抱えている。これを届けに来てくれたのだろう。木桶の淵には布が下がっているから、間違いなく俺宛てだ。
木桶は中の水ごと部屋に置いていていいそうだ。後で取りに来るとか。
礼を言って受け取ると、男の子は一階へと駆けて行った。チップとかは要らない世界か。やりやすくて助かる。
ドアに閂をかけてから、服を脱いで体を拭く。
え? サービスシーン? 男の裸なんて見て何が楽しいんだよ。
今の俺は(【固有札】を信じるなら、いや神の加護とかで真実なんだろうけど)十五歳。日本人的に考えるなら中学三年生か高校一年生。男の子とは言えない年齢だが大人とも言い辛い。
需要なんかないだろ? な?
なんて馬鹿なことを考えながら体を拭いていると、風呂が恋しくなってくる。
いや、分かっている。こういう異世界ものの基本だ。風呂は貴重とか、お貴族様しか~とか、そんな感じなのだろう。
また変な思考が。俺は自分の体について考えようとしたのだ。
黒髪に黒い瞳で白い肌、これはありなんだろうか?
洋画とか見てると黒っぽい髪で白い肌の人は見るけど、俺の髪は完全に真っ黒なんだよなぁ。
ここまである程度の数はこの世界の人を見てきたが、多いのは茶髪で焦げ茶や薄茶など色々だった。次は金髪かな。あとはピンク色とか青い髪の人とかもいた。アニメかと。
あ、獣耳の人もいたな。男性だったから耐えられたが、あれが美女だったりしたら色々危なかった。犯罪者一直線一歩手前とかあり得た。何言ってんだろうね。
体の色素の話なんてまともに聞いたこともなければ勉強したこともないから考えても分からないんだけどね。まあ、この世界ではこういうものだと思っておこう。
ただ、個人的に「剣と魔法の異世界だから仕方がないよね」で済ませたくない部分がある。
服はいい。今の服は着心地は悪いし質素過ぎるし正直若干寒いが、寒さや外見は新しいのを買えばなんとかなるだろう。着心地はどうなるか知らん。というか正直そこまで気にするほどでもない。
食事もいい。別に食糧不足で飢えてるわけじゃないし。異国情緒溢れる食事は楽しい。
住居もいい。今は宿住まい状態だが、見た感じこの宿は高級宿ってわけでもないはずだ。その一室、それもこんな服を着た十五歳に用意する部屋が普通に住める程度なのだから問題ない(あれ、なんか悲しくなってきた)。
娯楽もいい。俺からすれば【特典】使って魔物を狩るのタノシーみたいになるかもしれないし、魔法の(魔術の)研究するだけでも全然イケる。
衣食住に娯楽もあるのに何が不満なのか。
それは、トイレだ。
信じられない、室内だと壺に用を足すんだぜ!?
当然トイレットペーパーなんてない。じゃあ布か? とか思う? 違う。葉っぱだ。普通の木の葉っぱだったり、そこらへんの雑草っぽいのの葉っぱだったり。布は有用だからね、仕方ないね。
加えて、と言うか、そもそもトイレというものがない。
トイレという個室がないのだ。
実はこの部屋にも壺がある。上に木の板が蓋としておいてある壺だ。これに用を足せと言うのだろう。側に葉っぱを積んだ小箱があるし。
これはキツイ。耐えられるかどうか分からない。
現代日本人は世界的に見れば病的に綺麗好きとかどこかで聞いた気がする。俺自身、自分が綺麗好きとしての自覚なんて皆無だったし、どちらかと言うと掃除はサボりまくる性質だったから話半分だった。
まさか自分が綺麗好きだと思う日が来るとは。
いや、逆に考えよう。実利の面で理論武装だ。
これ、病気とか大丈夫なのだろうか。
壺に溜めたモノをどう処理するのか俺はまだ知らないが、その方法によっては感染症とか普通に起こりそうだ。
知ってる? ハイヒールってお洒落目的で作られたんじゃないんだよ? 汚物塗れの道を歩くときにスカートの裾が汚れないように上げ底して対応したんだ。雑学な。
ちなみに理由は汚物を道に捨てるのが一般的な時代だったから。香水とかが発展したものそういう理由らしいよ。関連性は察してくれ。
定期的に病気が流行る街。嫌だ駄目だ考えられない。
この現実を突き付けられた時、俺は初めてこの世界に降り立った(という表現が正しいのかは知らないが)時と遜色ないほどに混乱した。いや、困惑した。
自分では綺麗好きだと思っていない男でこれだ、仮に綺麗好きの日本人女性がこの世界に来たらどうなるんだ?
阿鼻叫喚の地獄絵図。言い過ぎじゃない気がするのが怖い。
そうだ、魔法がある世界なんだから病気も魔法で一発だ。そうだきっとそうだそうと信じよう。
少なくとも門から入ってこの宿屋に至るまでの道に悪臭を放つモノは見当たらなかった。この街は大丈夫だ。そう信じよう。
必死に自分を誤魔化しながら、体を拭き終わった手拭いを木桶のお湯で洗って適当に干し、服を着てベッドへ。
もっと建設的なことを考えよう。じゃないと心が折れそうだ。
冒険者、魔法、魔物。よし、なんとかテンション上がってきた。
カウンターのおばさんの【能力】や【技能】を見る限り、俺のステータスは低めだと思われる。もしかしたらおばさんも昔冒険者やってたとかそういうことかもしれないけど、それにしたって俺のステータスは低い。
今の俺はゲームスタートしてキャラメイキングした直後、そう考えよう。弱いのは当たり前だ。
なら強くなればいい。でもどうやって?
レベルアップ。魔物を倒さないと経験点は入らない。経験点がないと【能力】も【技能】も強化できない。悪循環。
装備。お金ない。
戦術。まともに喧嘩もしたことのないインドア派。てか短期的なものは作戦じゃなかったっけ。どうでもいいな。
どうしよう。解決手段はあるけどどうしよう。
とりあえず思いつく方法は三つだ。
一つ、【勇者の加護】を取る。
この時点で【能力】だけならおばさんを上回る。【技能】を考えるとまだ不安だが、弱い魔物だけを狙えばなんとかなるんじゃないかと思う。
デメリットがデカ過ぎるが。
二つ、【特典】から武器や防具を得る。
単純に強い装備で強化。ゲームの基本の一つではある。
デメリットはどれくらい強化されるか分からないこと。強い武器でも当たらなきゃ意味ないだろうし、強い防具でも俺の体力が低かったら下手すりゃ焼け石に水だ。
何よりも、狙われるのが怖い。これは魔物に、ではなく人に、である。高価で強力そうな武器と防具を装備したどう見ても素人。絶好のカモですね。
三つ、【特典】から経験点を得る。
解析を併用しつつ自己強化すればミスって弱キャラはないだろう。レベルアップ制限とかあっても【限界突破】で無効化されてるだろうし、経験点があれば純粋にそれだけ強くなれるはずだ。
デメリットとしては、経験点一万点や二万点でどこまで強化できるのか分からないことだ。なんでレベルアップに必要な数値が分からないんだよクソゲーか。
しかしこれは【解析】で解決できるだろう。素晴らしきはチート。ただ、魔力の量が少ないため解析を乱発できないのが欠点だ。【解析】の必要ポイントが1ポイントなのはこの制限のおかげか?
あれ、纏めてみると安全で手っ取り早い方法なんて一つしかない。
このまま冒険者になって、弱い魔物を【魔術】で一日一匹狩れたとしても、それで稼げる経験点なんてたかが知れている。ましてやまともな金銭収入にはならないだろう。
起きたら成長に必要な経験点回りを主に解析することにして、俺は異世界の夜の下眠りに落ちた。