第三節
人がいる。そう思うと居ても立っても居られなくなり、街へと速足で向かった。
街に近づくにつれて、その様子が見えてくる。
石垣のようだと思ったそれは、街の外壁なのだろう。その石壁はほとんどの建物の屋根よりは高いようだ。
道の先には門が見える。門は開いているようだ。
壁の外側には畑らしきものも見える。
観察しながら歩いていて気が付いたことが一つ。
俺、名前がない。
こうして言葉にするとシュールだが、事実だ。適当に偽名を名乗っても大丈夫なら問題ないんだが、【固有札】がある時点で無理だ。
今の内に自分の名前を決める必要があるな。どうしよう。
この世界の人名を確認してからでも大丈夫か? カタカナな名前が一般的な中で和名とかキツイからな。
とりあえず和名でもよさそうなら和名で、カタカナならネットなんかで良く使うハンドルネームを使えばいいだろう。
と思っていたのだが。
現在、俺は門番の衛兵に連れられ衛兵詰所に来ている。門番の人がそう言っていた。
ことは門に辿り着いたところから始まる。
金属鎧に身を包み槍を手にした門番さんは人がいないためか暇そうにしていたが、俺が来たことで多少面倒そうにしながらも普通に対応してくれた。
「【固有札】を見せろ」
訂正、多少高圧的に対応してくれた。まあ、門番なんだから仕方がない、のだろう。
そしてやはり身分証明みたいな使い方をするんだな【固有札】。
指示通り【固有札】を出して門番に渡す。
俺の【固有札】を確認した門番は、疑問に顔を歪め槍を持っている手に力を込める。
な、何か問題でもあったのだろうか?
問題がありそうな各【特殊】は隠したが、他は全部オープンなんだが。
「お前、なぜ名前を隠している?」
「え?」
門番は俺を睨んでいる。
そう、俺は「名前がない」状態のため「名前が表示されない」のだ。そして、それは恐らく「名前を隠している」状態と同じなのだろう。
そこからは正に必死。
定番の記憶喪失と説明し、なぜ名前がないのかも分からない。自分の名前も思い出せないと必死に説明する。
が、そんな説明で門番が納得するはずもなく…と思ったが、詰所の方で詳しく話を聞くことになったのだ。ちなみに詰所は外壁の内側、門から入ってすぐ側にあった。
「衛兵部隊副隊長のダインだ」
案内された部屋にいた、装飾の入った金属鎧を装備している厳つい男性が口を開く。
部屋には窓などなく、足と板を合わせたような簡素な机と椅子がある。出入り口は一つで、俺が中に入った後ろから衛兵さんが二人ほど入ってきて通せんぼしていた。
これ、取調室か何かか?
お茶は出なかったが水は出してくれたし、閉鎖的な空間だがダインさんや二人の衛兵からの敵対的な雰囲気は弱い。
その後は異世界やら【特典】に関することを除いて全て素直に話した。
と言っても、何故か草原にいて、道らしきものが見えたのでそれを辿って歩いたと話ただけだが。
自分でもかなり突拍子もないことを言っている自覚があるのだが、ここの人たちは真面目に俺の話の内容を吟味しているようだ。
俺が訝しんでいるのが分かったのだろう。
ダインさんは丁寧にも説明してくれた。
俺の存在はどう考えても異質だが、状況証拠はいくつかあるということだった。
一つ、外から来たのに旅装も何もない。普通一般人が街の外に出るなら水筒やら食糧やらを持っているはずだ。徒歩で街から街へ移動するのには数日はかかるのだから。それどころか文字通り何も持たず、金も全く持っていない。明らかに異常だ、と。
二つ、服も質が悪いものだというのに、薄汚れた感じがまるでない。貧民なら質の悪い服だろうと綺麗な新品を着ているとは思えない。汚れや擦り切れがほとんどないなんて有り得ない。ましてやそんな服を着ていながら旅装一つないなんておかしい、と。
三つ、【固有札】の隠し方がおかしい。名前を隠す理由の多くは、地位のある者がそれを隠すためか、犯罪者がそうと気付かせないためだ。そして、そういう連中は自身の【能力】や【技能】も隠すそうだ。まあ、どんなところから個人特定されるか分からないといった感じか。まあ、普通はそういう不審な輩は外門を通れないのだが、「追記」の内容によっては通れるそうだ。
とまあ、おかしいところだらけなため、こうして話を聞いているということらしい。
「それで、中には入れて貰えるのでしょうか?」
俺としては生活基盤を手に入れたい。というより食べ物がないと命の危機だ。水は魔術で出せても食べ物は…試してないな、とはいえ多分難しいだろう。
そして当然、人として文明的な生活を送るためにも街の中には入りたい。原始人生活はごめんだからな。
しかし副隊長さんの顔色は悪い。
「中に入れる分には問題ないとは思うのだが、税は払えるのか?」
「税?」
「ああ、基本的に街の出入りには税がかかるのだ」
副隊長さんによると、通行税と言うらしい。
街への出入りが激しい一部の人は別に納めるため免除されるそうだが、生憎俺の扱いは一般人。当然免除などされず。
ちなみに通行税はストルオス銅貨十枚らしい。なるほど分からん。
「それに、中に入れたとしても身一つでは大変だろう?」
確かに、問題点は山積みなのだ。
まず俺には常識がない。原因はここが異世界だからなのだが、状況としては同じことだ。
次に金がない。加えて稼ぐ方法もない。現代知識で大儲けとかもできそうだが、貨幣価値すら知らない今はどうしようもないだろう。
これが現実か。ゲームとは違う、と自分では思っていても楽観していたのだろう。
しかしどうしよう。
「そこで提案なのだが」
と思っていたら副隊長さんが切り出した。
「今回は異常事態の前兆かもしれない情報の提供、ということで多少の報奨金を出せる。通行税は報奨金から引くということで大丈夫だし、当座の生活費は何とかなるだろう」
これは素晴らしい提案だった。報奨金とやらの額がどれくらいかの言及はない(そもそも言われても分からない)が、しばらくは生活費の心配がないくらいはあるようだ。
「君は【魔術】技能を持っているようだ。堅実な職に就くも良し、冒険者になるも良し」
冒険者! 素晴らしい! やはり剣と魔法の異世界ときたら冒険者だよな!
「しばらくこの街で暮らして、記憶が戻るのを待つなり、新しい人生を歩むために色々学ぶなりすると良いだろう。いかがかな?」
とてもいい話だ。しかしそれ故に妙だ。彼らへのメリットは?
本当に情報提供分だけなら「提案」とは言わないだろう。これは交渉の類と見るべきだ。
ここはそれっぽく聞いてみよう。
「それで、私は何をすればいいんです?」
一度言ってみたかった。
副隊長さんは一度したり顔で頷き、提案の続きを口にする。
「なに、今ここで自分の名前を決めて欲しいのだ」
ああ、言われてみればそこそこ妥当な意見だ。完全に(文字通りの意味で)無名の人物を街の中に入れる訳にはいかないだろう。
俺のような黒髪黒目はまず見ないため、名前が分からなくてもいざと言う時はすぐ分かるが、なんて言っていた。
怖いな。というか俺、目も黒かったのか。その点はそのままなんだな。
どの道、人として生きるために名前は必要なのだ。今ここで決めることにデメリットはない。
ここでの人名はカタカナな感じだと分かったし、どうやらファミリーネームはなくても良さそうだと思う。
なら、候補は上がっている以上即決だ。とはいえ変に怪しまれないようにちょっと悩むフリをしておく。
「分かりました。そうですね…ではクーヴィルで」
決定と同時に自分の【固有札】から名前を確認すると、確かに「名前」の項目には「クーヴィル」と書かれていた。
その後【固有札】を出し、副隊長さんにも確認してもらう。
念のためか、副隊長さんは俺の後ろに控えていた衛兵二人にも【固有札】を見せ、俺に返してきた。
「確認させてもらった。報奨金は通行税を引いてストルオス銀貨二枚とする。ようこそグノーズへ」
と、ここまで来てこの街の名前を聞いていないことに気が付いた。この町はグノーズっていうのか。
じゃあストルオスっていうのは何だろう。他の街の名前か、はたまた国名か。
後ろに居た衛兵さんの片方が部屋の外に出て行った。多分銀貨を取りに行ったのだろう。
なら、このまま情報収集させてもらおう。
その後、銀貨二枚を受け取ってからも副隊長さんに色々質問した。
まず、場所。ここはストルオス王国のグノーズという街で、他の国との間にある交易の街だそうだ。隣国はラスティア王国とガデナ帝国。ラスティア王国からは食料品を、ガデナ帝国からは鉱石を主に輸入しているらしい。
ストルオス王国は海に面した商業の国で、塩の輸出が盛んだとか。まあ、海があるのは二つ隣の街だそうだが。
次に貨幣価値。今回貰ったストルオス銀貨二枚だが、宿屋に泊って食事を買う生活を二か月は送れる計算らしい。とはいえ実際には色々入用になるだろうから一月持つかどうかと言われた。
ストルオス銀貨一枚と、神聖銅貨五枚がおよそ同価値。神聖銅貨一枚とストルオス銅貨百枚がおよそ同価値だという。
神聖貨幣は神の加護の下にある貨幣で、滅多なことでは傷付かず、錆びることもないという。コーティングでもしてるのかな?
貨幣にも色々あるそうだが、とりあえず保留。今は上記三種類覚えておけば何とかなるそうだ。
そのまま流れで暦について。一月は三十日、一年は十二ヶ月で三百六十日。だそうだ。一日何時間とか、週は何日とかは説明になかった。この世界には存在しないのだろうか。週は制度として存在しないのかもしれないが、時間は正確に計れないからか?
最後に冒険者について。冒険者とは、公には冒険者組合に所属している者を指すそうだ。冒険者組合に所属している冒険者は通行税が免除されるが、組合の方に別の形で支払うらしい。
そして冒険者の仕事の内容だが、主に街の外に出て魔物の出る場所まで行き魔物を狩って素材を取ったり薬草やキノコなどを採取したり、と正に想像通りだった。他に行商人や輸送隊の護衛、魔物の出る地域の調査などもするという。
また、厳密には仕事ではないが賞金首を狩って賞金を稼ぐ者や迷宮を探して一攫千金を狙う者などもいるという。
魔物! 迷宮! と思ったがその場では聞かずに話を聞く。
まとめると戦闘能力が求められる仕事、ということだ。兵士や傭兵と違うところは、極めて自由だが自己責任、日常的に命を懸けるが安定しない収入だそうだ。その代り実力があれば高収入だし一発当たればデカいとか。
魔物については良く分かっていないらしい。種類は様々だが、どこにでもいてどこかから現れる。なぜか人を優先的に襲う。凶暴かつ危険。といった程度とか。
ただ、魔物を倒せば経験点を得ることができ、魔物の肉やら毛皮やらには需要がある。つまり資源としての側面もある。
迷宮については更に良く分かっていないらしい。いつの間にか出現しているもので、中には魔物や財宝が存在し、最奥には魔法具が安置されている。一番奥にある魔法具を取ると迷宮は消失する。迷宮の深さや中にいる魔物の強さもまちまちで中に入れば危険だが、迷宮内の魔物が外に出てくることはなく、基本的には無害だと。
分かったような分からんような感じだが、またも気になる単語が出てきた。質問は止まらない。
魔法具とは魔力や魔法を内包、もしくは体現する道具で、魔力が弱かったり魔術が使えない者でも一定の魔法を行使できるものだそうだ。基本的には武具の類で、他では手に入れられないような強力なものが多く、必然としてその価値は高い。中には日常生活に便利な品もあるそうだが、こちらもかなり値が張りほとんどは貴族や王族に買われるとか。
やっぱり貴族とか王族とか居るのか。まあ、王国って言ってたしな。
とまあ、色々話を聞いていたら衛兵さんの方からストップがかかった。もう日が落ち始めているらしい。
俺は副隊長さんにお礼を言ったあと、詰所を後にする。
話は通っているのか、衛兵さんから「門の外に出ろ」とは言われなかった。
一応今までも壁の内側にはいたのだが、これで正式に「街に入れた」のだ。
※注意※
表現し忘れていた部分があったため、追加修正させて頂きました。
副隊長さんとのやりとりで以下の文章を追加。
俺のような黒髪黒目はまず見ないため、名前が分からなくてもいざと言う時はすぐ分かるが、なんて言っていた。
怖いな。というか俺、目も黒かったのか。その点はそのままなんだな。
ご指摘、ありがとうございました。