第二十三節
その光景を。
人の死の瞬間を目の当たりにした俺は。
吐いた。
「ぐっ、うぼぉええぇぇぇ」
どうしようもない嫌悪感。
隠れなければ、と思うものの、止められない。
男が殺された、その瞬間の光景が脳裏に蘇る。
歪む頭蓋、飛び散る脳漿、その寸前の、男の表情。
全て見てしまった。
怖気がする。
これは、恐怖か?
俺は今まで、何度も魔物を狩ってきた。
頭を吹き飛ばしたことだってある。
なのに。
人が死ぬのを見て。
人の頭が潰れるのを見て。
俺は、恐怖していた。
いつか俺も、ああなるのか?
吐き気と共に押し込めても湧き上がってくる疑問。
もし、俺がすぐに助けようとすれば、助かったんじゃないか?
あの男が転ぶ前に、魔術でオークを攻撃すれば助けられたんじゃないか?
つまり、俺は、あの男をミゴロシニ……
「がっ、げぇっ」
再度湧き上がる嘔吐感。
駄目だ。
考えたら駄目だ。
意識したら駄目だ。
敵を殺したオークの喝采も、仲間を殺された男の絶叫も、俺の頭には届かない。
離れた場所で、必死に落ち着こうとしながらも地面に手をつき嘔吐く俺。
そんな俺を、オークの一匹が見た。
目が合う。
興奮に滾った目が、俺を見据える。
バレた。
「ブビィイイイイイイイ!」
オークの咆哮。
それは、獲物を見つけた歓喜の雄叫びか。
俺を見つけたオークが俺に向かって突進してくる。
その手には、血に塗れた斧が握られている。
男を殺したオークだ。
「う、うわあああぁぁぁ!」
叫ぶ。
意味もなく声が出る。
感じる命の危機。
襲い来る暴力。
俺は咄嗟に、普段と比べかなりの魔力を込めて使い慣れた石の弾丸の魔術を放つ。
相手の体が大きいのと、冷静さを欠いていたため適当に体の中心を狙った。
オークは石の弾丸に反応し回避しようとしたようだが、避け切れず右胸に着弾。
ゴブリンの時のように風穴を開けるなり完全に吹き飛ばすようなことにはならなかったが、着弾点は大きく抉れている。
その衝撃と苦痛によるものか、オークは足を滑らせたかのように上半身を後ろに傾けながら転んだ。
その後、何度か体を痙攣させると完全に動きを止める。
倒した。
倒せた。
勝利の実感。
殺意の化身にも感じられた相手を、殺した。
時間が止まったようだった。
二匹のオークは、目の前の光景に固まっている。
逃げていた男もそうだ。
連中がいつ俺に気付いたのかは分からないが、あれだけ大声を上げながら走ったオークの先に居るのだ。今は茂みに隠れているとも言い難い。
数瞬の硬直。
オークを倒せたこともあって、俺は幾分冷静になれた。
こうなったら、全部狩ってやる!
俺がさっきのオークを倒したのと同程度の魔力を用いて石の弾丸を行使し、発射しようとした時には、片方のオークが動き出していた。
しかし、遅い。
放たれた弾丸は先に走り出したオークへと飛び、これを防御しようとした腕に当たる。
肉が弾け、骨が砕ける音がしたが、オークはまだ立っていた。
防がれた!?
動揺する。
倒すつもりで放った魔術を防がれ、あまつさえ耐えられたのは初めてだった。
だが、ダメージはあったようだ。
苦痛に顔が歪んでいる…ように見える。豚面のオークの表情は上手く読めない。
とりあえず、石の弾丸を防いだ腕は悲惨なことになっていたのでダメージはあったはずだ。
オークは逃げていた男を放置し、俺に向かって来る。
手負いが居るとはいえ、二対一になるのは拙い。
まずは確実に数を減らすべきか。
俺は普段使う程度の威力で石の弾丸を行使し、傷付いているオークを狙う。
避けようとはしたようだが、それよりも早く頭部に命中。
がくり、と聞こえてきそうに膝を折り、そのままくずおれる。
最後に残ったオークは、未だ呆然としているようだ。
この隙に倒し切れるか。
そう思った俺は更なる威力の石弾を行使した。
確実に倒すためだ。
防がれたことはあったが、避けられたことはなかった。
なら、もっと威力を上げる。
イメージは大砲。
質量が速度を得て破壊力と化すイメージだ。
かなりの魔力を込め、魔術を成す。魔石を作り出した時と同じように多少意識して魔力を制御する必要があったが問題はない。
形成された石のそれは、正しく砲弾と呼べる大きさだ。
銃弾のように高速で回転する石の砲弾を、オーク目掛けて解き放つ。
ごうっ、という風切り音というよりは空気を押しのけ進むような音がした。
オークは防ぐことを諦めたのか回避しようとするが、当たる場所を中心軸から少しずらせたくらいで終わる。
派手な着弾音。
オークの腹に風穴が、いや、オークの体が上下に分かれた。
ビチャッ! と、倒れる音というにはあまりにも生々しい響きと共に最後のオークが死体と化した。
とっさに周囲を確認する。
敵影なし。
魔物は見当たらない。
気配なし。
何かが居る様子はない。
生き残った。
生き残れた。
倒せた。
そう実感した瞬間、俺は思わず尻餅をついて座り込んだ。
つ、疲れた。
なんていうか、精神的に疲れた。
極限状態に置かれたせいか。
ただ、オークを倒せたのが良かったのだろう、嫌悪感や吐き気こそ残っているが戦闘後の興奮を除けば比較的冷静だ。
なによりも、まずは【固有札】を確認する。
現状の魔力量は「13」。朝に確認した時は「40」だったから、オーク三匹を倒すのに「27」の魔力を使ったことになる。
単純計算で、オーク一体につき「9」の消費。
ということは、今オーク二匹に襲われたら…
それに気付いた時、無意識に立ち上がろうとして中腰になっていた。
早くここを離れなければ。
そう思い移動しようとして、動きを止めたのだ。
理由は今、俺の視線の先にいる男。
彼は今、とても呆けた顔でこちらを見ている。
いつの間にか彼も座り込んでいたようで、若干見上げられているような構図だ。
金髪は汗や血で汚れており、顔は涙と鼻水とわずかな涎でぐちゃぐちゃ。
良く見たら腰には剣の鞘が下がっているが、そこに剣は差さっていない。その手にも握られてはいなかった。
ぽかんと開いた口のせいか、はたまた幼く見える整った顔が酷く汚れているからか、今の光景はあまりにシュールだ。
俺は、迷った。
どうするべきか。
彼は見ただろう。
俺がオークを倒す瞬間を。
それが魔術によるものであることも。
彼は気付いているだろう。
俺が彼らを見殺しにしようとしたことを。
彼の仲間は俺に見殺しにされたことも。
彼は話すだろう。
ここで起こった全てを。
俺が何をしたのかも。
どうするべきだ。
選択肢は三つ、いや二つだ。
手助けして一緒に街に帰るか。
それとも、ここで殺すか。
常識的に考えれば、協力して街まで帰るべきだろう。
いや、協力できなかったとしても一緒に帰るべきなのだろう。
ただし、生きて帰った彼は全て話すだろう。
口止めをすればいい、ということでもないはずだ。そもそも、彼が俺の指示に従ってくれるとは思えない。
俺は、彼の仲間を見殺しにしたのだから。
再び湧き上がる吐き気を堪えつつ、思考に戻る。
人を助ける義務がある、とは思わないし、思えない。
おそらく逆の立場なら、彼らだって俺を見殺しにして逃げたはずだ。
しかし、それは結局のところ言い訳に過ぎない。
あの極限状態で、見殺しにされたと思い至る時点で感情の問題だ。
どれだけ理論的に話しても収まるまい。
俺は街では【魔術】のことを隠してきた。
始めは「冒険者は手の内を隠すもの」みたいな感覚で、特別意味があってそうしていた訳ではない。
が、しばらく冒険者として活動している内に「魔術を使える者はそもそも少ない」のだと気付いてからは、意識して【魔術】のことを隠してきた。
魔術は有用で、強力だ。
だからと、俺をしつこくパーティに誘う冒険者が出てくるかもしれないと思ったのだ。青田買いは基本だしな。
今までに全くパーティに誘われなかった訳じゃないが、どれも先輩冒険者のチュートリアル的な親切心によるものだったので、話だけ聞いてお礼を言うだけでパーティ参加は断ってきた。
もしかしたら、【魔術】技能持ちだとバレると面倒な手合いが増えるかもしれない。
何より、冒険者を「見殺しにした」と悪評が広まったら、この世界に慣れていない俺はどうしようもない。
実際に仲間を見殺しにされた冒険者が居る以上俺の話は聞いて貰えないかもしれないし、噂から逃げるとしても悪評が広まった後じゃ「どんな街がどこにあるのか」などと聞いても答えて貰えないかもしれない。
つまり、信用を失う。
元々有って無いようなものだが、余所者で知識のない俺が街の住人から犯罪者扱いされたら真っ当に生きていける自信がない。
安全策はある。
彼の口を封じればいい。
このまま見なかったことにして、彼を置き去りに街に戻ったとしても、彼が生き延びたら意味がない。
確実な方法は、今ここで、俺が、彼を殺すことだ。
できる訳がない。
人を、殺す。
正当防衛でもなく、それしか救いがないような状況でもなく、ただ自分の都合で、自分の欲を満たすために殺す。
無理だ。
できない。
そんな度胸は無い。
そんな覚悟は、俺には無い。
ならどうすればいい?
時間は、多分ない。
このままここに居続ければ、それだけ魔物に見つかる可能性が上がる。
何せ、ここにはオークの死体が三つに人の死体が一つ、強烈な血の匂いと共に転がっているのだ。
肉食の動物や魔物がすぐに嗅ぎつけて来るだろう。
決断しなければ。
助けるのか。
殺すのか。
俺は非情な二択を前に、選択を迫られた。




