第二十二節
そして作戦決行の朝。
俺は手早く用意を済ませて街を出る。
朝食は量が多かった固パンをいくつか適当に水で流し込んだ。
いざ、森へ。
浅い場所は既に慣れている。
全力で隠れながら進んでいれば、油断しない限りこの辺りの魔物に見つかることはない。
少なくとも今まではミスしない限り見つからなかった。
途中でゴブリンやビッグラビットなどを見つけたが、今回はスルーだ。
あまり魔力を使いたくない。
剣の試し切りも考えたが、止めておいた。
どう考えても血の匂いが付くし。余計な疲れを残しそうだ。
今の俺にとって森の奥は未知であり危険な場所である。実際に戦闘する気は(今回は)ないが、それでも一応は用心しなきゃね。
ある程度奥まで来た、と思うのだが、ゲームのように「第一層」とか「第二層」みたいに明確な区切りがあるわけじゃないから現在地がどの辺なのかは感覚だ。
細かい経過時間は分からないが、太陽の位置から考えるにまだ昼前後だろう。
森とは言っても鬱蒼としているような感じではないため、場所によっては空が見えるから何とか太陽が確認できる。
太陽の位置から大体の方角と時間を推測する方法は知識では知っていたが、この世界に来るまではわざわざ方角や時間の計算なんてしたことはなかった。
しかし、こっちでは必須技術とすら言える。
時間に関しては感覚や明るさで何とかなるが、方角はそうはいかない。
この森はさほど大きくない森だと先輩冒険者が言っていたが、それでも木の根や茂みなどによる歩き難さと似たような景色が続くことから、十分に迷う可能性がある。
方向感覚を狂わされて、真っ直ぐ歩いているつもりがいつの間にか見当違いの方向に歩いていた、なんてことが十分にあり得るからだ。
きちんとした道順を覚えるのは難しいため、森と街もしくは街道の位置関係くらいは把握しておかないと帰れなくなる。
冒険者の知恵の一つ、だそうだ。
木の一本でも切り倒せれば年輪からほぼ完全に方角を把握できる気もするが…魔物蠢く森の中でそんなことをするだけの価値があるかと言われたら、まあ無いよな。
しかし、方位磁石とかないのだろうか。あれば一発な気がする。
常に周囲を警戒し、茂み、木陰などを意識して常に身を隠しながら進む。
その先に、何かが居た。
見つからないよう、注意しながら少しずつ近付く。
茂みの隙間から除く先には、猪が居た。
俺は日本の山で、猪を見たことがある。
親子で歩いていたり、一匹だけだったりと何度か見たが、今俺の目に映っている猪はそれより一回りくらい大きい。
いや、一回りでは足りないか。あの猪はバイクくらいの大きさがあるようだ。
体付きは完全に普通の猪だ。体毛、皮は濃い茶色で俺の見てきた、イメージしている猪そのままだ。
ただ、二つ。
まず露出している牙がある。
日本で見た猪には、漫画やゲームに出てくる猪のような牙はなかった。
が、あいつにはある。あまり大きくはないが、先の尖った牙が生えている。
そして、頭部。
額や鼻先に至るまでの部分だけ、違う。
毛は生えておらず、色は灰色。遠目だが表面は光沢すら感じられそうなほどに滑らかに見える。
おそらく、あれがハードボアだろう。
硬い皮膚、とりわけ頭の部分は様々な用途に使われるため価値が高く、肉も美味いらしいが、今回は狩らない。
今日の目標は狩りではないからだ。
が、どうにも好奇心が抑えられない。
俺は「奴が進行方向から消えるまで」と自分に言い聞かせ、ハードボアを少し観察し始めた。
ハードボアは、何やら地面の匂いを嗅いでいるようだ。
鼻先を押し付け、ひくひくと動かしている。近付くことができれば鼻息の音も聞こえるだろう。
その様は、なんというかトリュフを探す豚を彷彿とさせた。
いや、俺がそれくらいしかこんな光景を知らないからだろうが(それだってテレビで見ただけだ)。
そういえば、冒険者から聞く魔物の話は「見た目」や「強さ」、「商品価値」のものばかりだ。
その性質、その生態。
そういうものは聞いたことがない。
研究とかは…しないと言うよりできないのかな。
ここ数日狩りに出ていて思ったのだが、魔物は何故か妙に好戦的だ。
しかも、地味にしつこい。
俺の常識で考えるなら、兎ってのは臆病な草食動物のはずだ。
しかしビッグラビットは俺を見ると食事中だろうとそれを中断して襲って来る。
ゴブリンやリーフクロウにしても同様だ。
また、いつだったか俺がビッグラビットの皮と肉を袋に入れて担ぎ街へ戻ろうとしている時、一匹のゴブリンに見つかったことがある。いやぁ油断してたよ。
魔力は残っていたが、もう森を抜けるくらいの位置だったので逃げてみたのだ。今考えると余裕こいて調子に乗ってるよな。
一応、すぐに追いつかれるようなことはなく、俺は森を抜けて草原に出たのだが、未だゴブリンは俺を追いかけていると後ろを振り向くまでもなく分かった。
あれは【探知】が無くても気付く。ギャイギャイ吠えてたし茂みを掻き分けたりして足音どころじゃないくらい音を立ててたからな。
少し進んで振り向くと、ゴブリンは森から出て俺を追いかけていた。
森から出てくることがあるのか!? と、その時俺は少し動揺したのだが、ある程度距離があったため魔術一発で安全に倒したのだ。
心のどこかで「草原まで出れば安全」と考えていた俺は、その時強い衝撃を受けたものだ。
魔物は、人を追いかけて自身の生活圏(?)から出ることもある。
というか、人を見つけたらどこまででも追いかけてくるんじゃないかとすら感じた。
その、異様な執念のようなものに、俺は寒気すら覚えたのだ。
これは俺の予想だが、魔物は「人を襲うもの」なのだろう。
理由は分からない。食べるためなのか、殺すことが楽しいのか。それとも俺が見てきたここの魔物がたまたまそうなのか。
だが、俺はそれ以降魔物は「人を襲うもの」として見た。
魔物は危険だ、魔物に殺されることなど外では良くあると、話を聞いてはいたし頭では分かっていたつもりだった。
しかし甘かった。魔物は人を積極的に襲うのだ。
戦うことができるならまだしも、そうでなければ見つかった時点でほぼ終わり。
そう考えると悪質極まりない。
そんな、今はどうでもいいような思考に流されていると、ハードボアは移動を開始した。
俺から見て左方向に歩いて行く。
俺はその後ろ姿を確認し、見えなくなった時点でハードボアが居た地点を中心に右から迂回するようにして前に、森の奥に進んだ。
どれくらいまで来たのだろうか。
警戒に警戒を重ねているため速度はかなり遅いはずだが、森の奥に入ったと実感する変化があった。
植生が異なるようなのだ。
森の浅い場所では見なかった植物がいくつかある。
曲がりなりにも茂みに隠れたりしながら狩りをしていたのだ、それがどんなものなのかという知識こそないが、見覚えの有る無しくらいは分かる(つもりだ)。
しかし、ここに来て全く見覚えのない植物が生えていた。
日本では植物に興味を持っていたわけでもないため、日本にもある植物なのか他の国にはあるような植物なのか、もしくは普通(?)の植物なのかファンタジーな植物なのかも分からない。
いや、解析すれば一発なのかもしれないが、今は余計な魔力を使いたくない。
今後、ここで狩りができると確認できて、多少の余裕があったら解析してみよう。
さて、そこそこ森の奥に来れたと実感できたので作戦の内容を確認する。
作戦はこうだ。
見物として森の奥に入ってみたら、偶然変異種の魔物に見つかり逃亡する。
しかし逃げ切れず足止めのために魔術で落とし穴を作って落とし、上がって来れないように生き埋めにするつもりで魔術を連打していたらいつの間にか倒していた。
その後は魔石だけ回収して脇目も振らず街に帰って来た。
というシナリオの下、ばれないように服を汚したり憔悴した演技をしたりして「運良く三級の魔石を入手した」ように見せる。
現に「森の奥に行く」と「事前に言ってある」上で「門を出て森に向かった」後「魔石を持って帰っている」のだから、疑う余地はないはずだ。
粗はあるだろうが、何を聞かれても「必死だったから覚えてない」で押し通せるはず。
唯一の問題は「何の魔物の変異種」かと聞かれて答えられないことだと思う。
だからマスターから聞いた話だけじゃなくて、事前に奥にいる魔物を一度見ておく必要があると考えている。
実際に森の奥まで来ているのはそれが理由だ。
とりあえず、オークが見つかれば「マスターに注意されるくらい森の奥に来た」と確信を持てる。
だからまずはオークを探すことにする。
もちろん、ひたすら隠れて眺めるだけだ。
見た目を聞かれても答えられるくらいの情報が必要なだけだからな。
そう思っていたのだが。
「うわあああぁぁぁぁぁ!」
という野太い悲鳴が聞こえてきた。
魔物のもの…ではないと思う。人の声に聞こえた。
こういうのは黄色い悲鳴なのが基本じゃないか? いや何の基本なのかとは言わないが。
聞こえてきた声は距離による減衰か大声という感じでもなかったが、確実に切羽詰まっていると分かる恐怖を孕んでいた。
方角は森の奥からだ。
念のため剣を抜いておく。
これはどうするべきだろう。
正直見に行きたい。
好奇心は「行くべきだ」と俺を唆す。
だが、計画の実行にとってはイレギュラーだ。
声がした場所には高確率で魔物が居るだろうが、悲鳴が聞こえている以上人も居るだろう。
いや、もしかしたら既にやられているかもしれない。
気になる、が余計なことだとも理解している。
茂みに隠れたまま悩んでいると、悲鳴が聞こえてきた方向から様々な音が聞こえて…近づいて来る。
細かい悲鳴、興奮しているらしい魔物の怒声、がさがさと乱雑に茂みを掻き分ける音に風切り音。
荒い呼吸や足音が聞こえてくるより早く、その姿を視認した。
革鎧を着た戦士風の冒険者らしき男が二人、こちらに必死の形相を浮かべながら走っている。
どちらもその手には得物が無く、まさに全てを投げ打ってでも逃げ延びるという意思を感じた。
その後ろからは緑の巨漢が三匹、血走った眼をぎらぎらと輝かせ、豚面の特徴的な鼻を鳴らし、暴力と破壊を体現するように手にした片手斧を振り回しながら男たちを追っている。
間違いない、オークだ。
逃げる二人は慌てているせいか走りが覚束ないため、このままでは追いつかれるだろう。
そうなれば、あの二人はどうなるのか。
決まっている。
助けるべきか。
二人は、それを追うオークはほとんど真っ直ぐこちらに向かっている。
俺の横を通り抜けるような進路だが、このままだといずれバレるだろう。
それなら、今すぐ奇襲をしかけた方が確実に先手を取れる。
それとも、見捨てるべきか。
ここで彼らを助ける必要性はない。
慎重に連中からの死角に潜みつつ離れれば、見つからずに逃げられるかもしれない。
そもそも俺に人を助けるような余裕も、見覚えのない彼らを助ける義理もないのだから。
俺が逡巡している間にも状況は変化した。
逃げる男の片方が、転んだのだ。
俺は、その瞬間の、男の表情を見てしまった。
疑問。
把握。
絶望。
その変化を、まるでスローモーションのように感じた。
男が地面に倒れ伏すまでの間にあったそれは、実際には一瞬だったはずだ。
走りながらも振り返る男と。
立ち上がろうとしながらも救いを求めて手を伸ばす男。
当然、背後に迫る追跡者がその隙を見逃すはずもなく。
倒れた男はオークに追いつかれ、頭を斧で砕かれた。




