屍の迷走
◇ ◇ ◇
「タマキちゃん、あの薬の分析結果が出たそうだよ、帰り僕の家に寄ってね」
敬吾にはすっかり下の名前で呼ばれるようになっていた。
教室で彼に話掛けられると女子達から羨望とも嫉妬ともつかない痛い視線を投げかけられる。
「本当?それで……お金はいくらかかったの
」
「何水くさい事言ってるんだよ、用事のついでに済ませたと言うし、父さんは子供からお金を取ったりしないよ」
何か楽しい事でも有ったかのように、ボーイソプラノの笑い声が響く。
その声を聞いてまた女子達の視線が私を射る。
もはや、羨望でも嫉妬でも無い。
殺意だ。
視線に殺傷力があるとしたら、私はとっくに惨殺死体になっていただろう。
高柳医院はいつ行っても患者が居ない。
こんな貧しい街では病院に来る人もいないのだろう。と、思ったら
「診療は3時までなんだ、病院が有る筈の隣街からも患者さんが来て結構評判がいいんだよ」
なる程。
丁度、私達が学校から帰る頃になると高柳医師の手が空くと言う事だ。
要らぬ心配をした自分を恥じていると、玄関から件の高柳医師が顔を出した。
「タマキちゃん、いらっしゃい、さあ早く中に入って!」
何かとても急いでいる。
応接室に通されると、高柳医師は何やら紙を私に見せて説明をし始めた。
例の薬の分析結果らしいが、彼の言ってる事は難しい専門用語ばかりだし、紙にはアルファベットや数字や記号ばかり書かれていて何が何やらさっぱり解らない。
まるで“暗号”だ。
「つまり」
高柳医師は一通り紙に書かれてある“暗号”の解読を終えると改めて私に向き直り、こう言った。
「これは、もの凄く強い“化膿止め”の薬だよ」
化膿止め……?
何で私はそんなものを毎日飲まされていたんだろう?
「この薬を飲んでいるのは、酷い怪我をした人か大きな手術をした人だけだよ。誰か周りにそんな人がいるのかな?」
「いえ……」
薬の分析結果がどう出ようと、冷静を装う気だった。
しかし、頭がうまく回らない。
私は何処も怪我していない。
手術もした事がない。
でも、あの薬を飲まないと具合が悪くなるのは事実だ。
それは、放っておくと私の体が“化膿”するから?
私は一体何なの?
「この薬は……拾ったんです。そう、街で……大変、落とした人困ってますよね……」
言葉がしどろもどろなのが自分でも解った。
嘘を言ってる事はきっと見え見えだ。
「タマキちゃん」
高柳医師と敬吾がほぼ同時に私の名を呼んだ。
「本当の事を言って」
高柳医師が強い口調で言う。
優しそうな顔はまるで不動明王のように厳しくなっている。
薬の事だけではなく、彼には父の事で何か思い当たるふしがあるのだろう。
父を悪者にしたくない。
たった一人の肉親だもの。
真実を語れば父は悪者になってしまう。
何故かそう確信した。
迷ったが、私は真実を話した。
勿論“自分の知る限りの”だが。
父は絶対に正しい筈だ。
心の中でそう思っていた。
……否、
そう思いたかった。
私の話を聞き終わると、高柳医師は小刻みに震えていた。
「まさか……東雲の奴、まさか……」
それは怒りと言うより恐怖におののいている様な震えだ。
やがて、彼はその恐怖の正体を話出した。
それは誰に聞かせる訳でなく、ただ自分の記憶の整理の為に口に出して確認している様でもあった。