幕間その五『アルシャとクマ』
コツ。コツ。コツ。
師であるリンセイルから借り受けた《茜衣》という防具というか、服を着て転生の祠を歩いていた。
歩く。
……歩く。
…………歩く。
…………………まだ歩く。
「いくらなんでも長過ぎでしょう………」
歩いているのは不死の祠に至る道であり、最初こそ前回の教訓から一定距離を歩く毎に剣で地面や壁を刺し、トラップに掛からないよう厳重な注意を持って進んでいたのだが、五時間以上も罠無しの分岐点すらない道を歩き続ければ、そういった緊張感よりもうんざりとした気分の方が勝ってしまう。
油断している、という訳ではないが、事前に師より聞いたような不死属性のモンスターも出て来なければ、不死を象徴するようなトラップも無い。
敢えて言うならば、この延々と続く道こそが不死を象徴しているという感じだろうか。
道は僅かに曲がり、また僅かに下がっているから、同じ場所を進んでいるという訳では無いと頭でこそ理解できているけれども、ここまで同じ景色が続き、歩くという単調な行為を続けているのは、無限に湧き出るモンスターと戦い続ける事を強要されたアルシャであっても辛い。いや、むしろ、死が間近で何かを気にする余裕がなかった修行の日々の方が楽だったかもしれない。
同じ行動を延々と繰り返させるという拷問があるらしいが、今のアルシャがいる環境は、それに近い物があるだろう。たとえ下に少しずつ降りていっているという自覚があっても、終わりが見えない道は歩いた距離以上に続いているような錯覚をもたらす。
もうすぐ終わる。きっと、そうなのだろう。
無限に続く道などありはしないと思っても、一人でいる事が、見守ってくれる人のいない事実が不安を煽っている事は確かで、アルシャは頭を振って弱音を否定する。
「あとちょっと。きっと、あとちょっとですから」
「………永久の螺旋……人の業……思考のオリ…檻…澱」
「………」
気が付くと隣に立っていたフリルだらけの黒い少女に、幻覚を疑って足を止める。だが、それを気に留めるような様子も見せる事無く少女は言葉を紡ぐ。
「…………………道は三つ……五つ………八つ………一つ………二つ……」
「この意味不明さは師匠から聞いていた通りですね。スクルド様、お話を聞いていただけますか?」
「………最も過酷な道……不死に至る道………ふふふ………頑張ってね」
敬意を持って尋ねるアルシャに、クスクスと笑いながら意図のわからない事を告げるスクルド。
話が通じず、会話ができない事に歯噛みするが、アルシャには無理矢理に会話を成立させる方法も力も無く、また、スクルドのような天上の相手にそのような行為へ出るには、まだリンセイルからの影響は少ない。
もっとも、選択肢の一つとして思い浮かべる程度には影響を受けているが。
そんな事を考えていると、スクルドが抱いていたクマのぬいぐるみを放り投げた。投げられたクマは見事な縦三回転半に捻りを加えてきれいに着地すると、誰も賞賛していないにも関わらず周囲へお礼をするように頭を下げる。
クスクスと笑うスクルドも加わり、カオスな様相を成してきた状況に思わず眉間をトントンと叩くアルシャ。
「クマー」
「お願いですからぬいぐるみが鳴かないでください。これ以上混沌とした状況になると私一人では裁ききれませんから」
「クマクマクマ!」
「何を言ってるのか全く分かりませんから。ぬいぐるみ語なんて取得していません。せめて人間の言葉を話してください」
「わいの方に自分と合わせろとはいい度胸やねこのアバズレは。耳の穴手ェ突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたろか、あぁ?」
「………これはスクルド様の人形だから斬っちゃ駄目ですよね。ええ、斬っちゃ駄目ですよね。どんなに斬りたくても駄目ですよね。でもやっぱり斬りたいです。斬ったらきっとスッキリしますよね。このウザイ綿の塊を細切れにしてやりたいです」
「なんやブツブツ気持ち悪いなおい。どうせエロい事しか考えてないんやろ? ほれ言いてみぃ。ド変態には蔑まれるんも快感なんやぁぶなぁあ!」
「よし斬りましょう」
「言う前に斬るなボケェ!」
キレたアルシャの抜き打ちを間一髪で避けたクマが喚くが、斬ると決めた時点で耳を貸す気がないから意味が無い。
袈裟斬りは仰け反るように避けられ、突けば躱され、首を刈ろうと薙げばしゃがんで回避する。
怒りのまま猛攻を仕掛けるアルシャだが、クマも必至に回避し続けていて負けていない。そうなると体力勝負となってアルシャが不利になるようにも思えるが、延々と昼夜問わず戦闘をさせられたアルシャに常識的な体力など期待できるはずも無く、おおよそ一時間経っても終わりが見えない。
このまま戦いが続けば、少なくとも三日三晩は続けられるだろう。
それを止めたのは、意外な事に――といっても一人しかいないが――スクルドだった。
さすがにスクルドが間に入って来てしまってはアルシャも止まらざるを得なく、クマは目の前に現れた救世主に、ひしっ、と抱きついてアルシャに対する盾とした。というか、上位者の所有物を目の前で叩き斬ろうとするのも盾にするのも同じくらい無礼な所業という事を一人と一体は理解しているのかどうか。
スクルドは双方が止まった事を確認して一つ頷くと、くまをひょいと持ち上げて上に放り――
ズドンッ――!
事態の飲み込めないクマに、目で捉えることすらできない一撃を叩き込んだ。
突然の行動に付いていけず呆然とするアルシャへ振り向くと、コクリ、と一つ頷いて一言だけ。
「………それじゃ…………また……」
と一言だけ告げて消え失せた。
後に残されたアルシャは、全く何一つ理解できずに目を白黒させてスクルドのいた場所を見続ける。
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「で、不眠不休で挑み三日目に試練をクリア、と。そういう事か」
「いくらなんでも、いきなり現れて何の説明も無しにあれが試練だなんて分かる訳無いじゃないですか。初めから分かってたら、私だってもっと早く突破してましたよ」
「初めから全て教えられてたら試練の意味が無いだろ。内容が変わってる可能性もあったしな。それに、スクルドの出すぬいぐるみは挑戦者の能力の一段上に自動的に調整されるから、事前情報なんて意味が無い。ステータスだけじゃなくて、技量も含めて一段上だからな。知っていても一定時間内に一撃を入れるのはかなり困難だ。その程度の情報を持っていても無駄だし、ゼロから自力で考えた方がいい経験になったはずだ」
二日目の昼頃から待っていたリンセイルに祠の入り口で迎えられ、緊張から開放されて気絶するように眠ってしまったアルシャは、その翌々日の昼過ぎに起きて、リンセイルと転生前に行われた“試練”について話していた。
祠に向かう時にはそんな話は聞いておらず、しかしその事について言及しても「言ってないからな」と開き直るように言われて追求はできず、試練内容についても上記の通り平然と返されてしまった。
試練の存在について何も言われなかった事はともかく、後者は正論ゆえに黙るしかなく、仕方が無く別の気になった事を聞く。
「癖とかも全て知られた上で、そこも含めた一回り強い相手に一撃でも入れるのはほとんど不可能ですよね。どんな種族になるのにも、あんな理不尽な試練を受ける必要があるんですか?」
「全てが同じ試練という訳でもない。少なくとも、アルシャが受けた試練は仙人専用で、他にも、強力な種族になるための試練は総じて難易度が高くなっている。逆に、魔人や超人のような、ありふれた種族は試練も簡単になる。あと、不死の祠が最も厳しく、生の祠が最も易しい。つまり、試練は難しければ難しいほどに強力な種族に転生できて、簡単であればあるほどに弱い種族にしかなれない、という事だな」
「ええと、不死の祠の最も難しい試練で転生すると一番強い種族になれて、生の祠の最も簡単な試練で転生すると一番弱い種族にしかなれない、という事ですか?」
「ああ。本来なら、最初に祠を選び、祠で試練の難易度を選び、クリア後に転生したい種族を選ぶんだが、元々満たしている種族の種類が一種類しかない場合、祠を選んだ時点で残りの二つが決定するから、選択を飛ばして勝手に始まるんだよ。最初はバグ、何かの手違いかと思って調べたから間違いない。ああ、試練内容の説明が無いのは元々の仕様だから諦めろ。というか、あいつらが説明なんて難しい事をできる訳が無い」
最後のかなり不敬なはずの言葉に、実際に二柱と会っているアルシャは思わず納得してしまう。
そんな彼女にリンセイルは目を細めて笑い、ポンポンと頭を軽く撫で付けて言った。
「言い忘れていたが、初の転生おめでとう、アルシャ」
突然頭を撫でられて驚いたアルシャだったが、師からの褒め言葉を受け、その口は自然と笑みを作っていた。