第二十四話『卒業試験』
申し訳ありません。多大に遅れました。
王都リーズライロから西に馬車で二時間程。
そんな比較的近距離にある西の谷《竜渓谷》は、緑豊かで動物も多くいるにも関わらず、近隣含めてモンスターがほとんどいない、ある意味ではとても平和な場所だ。
しかしそれが、人間が住むに易いという事とイコールで繋がる訳ではない。
この谷に住まう火竜達が生物の魔力を食らって生きる性質を持っているからで、魔力の低い動物にとっては住みやすく安全であり、逆に魔力が比較的多い人間やモンスターは襲われて死んでしまう。
そんな竜達だが、だからといって餌となるモンスターや人間がいなければ死んでしまうという訳ではなく、空気中のマナを食らう事ができるため、ただ生きるだけならばなんら問題は無い。人やモンスターを襲うのは、器に収められた濃い魔力の方が美味に感じるからだろう。
そんな場所を、青を基調として赤い装飾で飾り付けられた服の少女が歩いていた。
スカートを風に揺らしながら歩く少女の腰には純白の剣が下げられており、ミスマッチながらもどこか幻想的な感慨を見た者に与える事だろう。
だが、見た目まるでコスプレのような格好でも、《フェアリーピース》という羽竜の装備よりも数段上の強力な装備であり、青と赤は水と火に強い耐性を持っている事を示している。
さらに、腰に下げている剣は《氷華剣》という細剣に分類される魔法剣であり、刀身、鞘も含めて氷のように薄く透き通る金属から造られた花のような意匠の剣で、ちょっと振り回せば壊れてしまいそうな見た目とは裏腹に、その刃は下位の竜程度なら軽く撫で斬りにできる程度には鋭く硬い。
「いきなり装備を渡して卒業試験とか、師匠は本当に突発的過ぎます」
はぁ、と深いため息を吐いて、ひょいと一歩横にずれて横合いから出てきた狼の攻撃を避ける。
同時に抜き打ちで首を切り落として、血飛沫が飛ぶ前に素早く死体から離れた。
これが約一月前にはたった十五レベルだったと言っても誰も信じる事は無いだろう程に、洗練されており、その歩みも芯がぶれる事が無く安定している。
元々才能はあり、基礎となる技術を十年以上も磨いてきたのだ。
リンセイルによる苛烈なレベル上げによる濃縮された経験は、アルシャがこれまでに積んできた研鑽を花開かせるには十分過ぎる物で、今の世界の基準から見れば、十分一流と言えるだけの佇まいを与えている。
まあまあ上々。自分自身強くなったという自覚が出て来たアルシャに対して、リンセイルが放った評価だ。
鬼の森程度の敵では相手にならなくなったというのにそう言われて、アルシャもさすがに反発した。その結果唐突に言い出されたのが今回の試験であり、内容は『ちょっと竜渓谷で火竜を一匹狩って来い』という無茶臭い物で、しかし引っ込みの付かなかったアルシャは、勢いのまま請け負うしか無かった。
「どうせ、失敗した所を笑うつもりでしょうが、きちんと成し遂げて逆に笑って見せます」
グッ、と拳を握って決意表明しているが、実際の所、火竜相手に今の装備ならば苦戦はしても油断が無ければ負ける事も無いという、これまでの無茶振りから考えれば至極真っ当な試練だ。
もっとも、リンセイルやミーナからすれば、決してやりはしないが火竜程度なら裸一貫に鉄のナイフ一本で解体できるような相手であり、アルシャも仙人になって少しレベルを上げれば、それこそただの革鎧にちょっと上等な剣でも用意すれば勝てるような相手へと成り下がるだろう。
リンセイル達が決してやらせないが、装備次第では絶滅させる事も難しい話ではない。
そうやって、ルンルン気分とは言わないまでも、特に然したる障害に当たる事も無く、襲い来る獣を斬って捨てては先へと進んでいくのだが、森も終わって渓谷へと入る手前で、パタリ、とその歩みを止めて首を傾げる。
「狼、熊、虎、ついでに小型の最弱な魔物が少し。普通だったらここに来るまでに火竜と会っていても全くおかしくないはずですけど、その素振りすらないっていうのは異常、ですよね」
そもそも、千九百五十八レベルというカンスト手前までなっているアルシャに対して、ただの肉食動物程度が襲い掛かってきた事自体がおかしいのだが、この年になるまで城で過保護に育てられ、リンセイルに師事してからはレベル上げの戦いばかりで常識を学ぶ機会が無かったせいで気付いていない。
アルシャの場合、魔物や肉食動物は人を襲うものとして認識されている。
「………とりあえず、渓谷の入り口まで行きましょう。そこで様子を見てから行動を決めても遅くないはずです」
もしこの渓谷で起きている異変が王都まで影響するようなものならば、最悪国を挙げて対処に当たらなければならないだろう。
そんな事を思い、この先にあるだろう未知の危険に唇を強く引き結ぶ。
一週間ほど前に片手間で教えられた隠密スキルも使って歩を進めるが、やはり熟練の冒険者のように気配を消す事は出来ず、その分は息を殺し、背を低くして持ってきた迷彩柄のマントを被る、アルタベガルにおけるプレイヤー用語で《リアルスキル》と呼ばれる技術でカバーする。
迷彩柄のマントはリンセイル所持の品で、隠密の補正が掛かる仕様のために、拙いアルシャの技量でも動物から襲われなくなる程度の恩恵はある。
この辺りはプレイヤー独自の技術であり、この世界ではスキルという便利な物があるために発展して来なかった特殊な技術となっていて、知っているのは極々一部の賢者や隠者、後は最上位の冒険者が経験則的に、という所だろう。
ある意味理不尽の塊とも言えるリンセイルに鍛えられたアルシャはそんな事も知らずに渓谷の入り口へと到達する。
そして、漂ってくる臭いに顔を歪ませた。
「何、この臭い。吐き気がする……」
アルシャの嗅覚を襲ったのは、生き物を焼いた時特有の焼け焦げた臭いと、強烈なで濃厚な腐臭だ。
鼻を押さえ、臭いを放っている原因を知るために少しずつ這うように前へ進んでいくと、アルシャにとって最悪とも言える光景が視界に飛び込んできた。
「……何…あれ………」
緑豊かで赤き竜の飛び回る幻想的な渓谷。
アルシャが本と師からの話でそう聞いていた場所は、その姿を大きく変えていた。
渓谷に生えていた木々は焼け落ちて炭と化し、あちらこちらで広範囲に渡って崩落が起き川をせき止めるどころか、異常な熱気が川の水を干上がらせている。
その異変の中心は、遠目であってもはっきりと分かった。
渓谷のおおよそ中央の地点が悉く溶解してすり鉢上に固まっており、その中心に巨大という言葉で表現するにはあまりにも大き過ぎる真紅の鳥が羽を休めていたのだ。
その近くには、ボロボロの火竜が八体だけひれ伏している。
どれもアルシャにとっては信じられない光景であり、それを成しただろう大鳥の悠然とした姿を視界に入れてしまい、言い知れぬ恐怖が心を蝕んでいく。
だがそれも、ぽん、と頭に大きな手を置かれるまでだ。
「あれは《紅鷹》だな。ずっと南の火山帯に生息している鷹だ。中の上ってとこか」
「……師匠?」
いつの間にか、いささか陳腐ではあるがそんな表現がぴったり来るくらい突然横に現れた己の師に、驚いてまともに反応を返せないアルシャ。そのアルシャを挟んだ位置に、もう二人―――水の大精霊スイと獣人族の始祖ミーナが並ぶ。
三人の顔には、それが当然という風に余裕で満ちている。
「どうしてここに、という顔をしてますね。リンが何の安全策も無しに仮にも王女を送り出したりする訳がないでしょう。私達もずっと後ろを追って見ていました。さすがに、あれの相手はまだ早いので、こうして姿を見せた次第です」
「スイ、説明ありがとな。ま、そういう訳だ。仕方ないからお前はここで見ておけ。対処法が分かりやすいように倒してやる」
「はぁ。焼き鳥相手に手加減とか、ちょっと面倒……」
火竜を従え、渓谷の姿を大きく変えた大鳥を前にして変わらぬ三人に、アルシャは深い安心を覚え、同時にその強さへの認識を改めながら戦場へ向かう背を見送った。
その顔に、もはや先ほどまでの恐怖はない。