第十八話『布と転生の洞窟②』
洞窟の一角を丸々生物化していたらしく、結構な距離を走ってようやく凍っていない場所まで辿り着いた。
「さすがに内部で完結している訳じゃなかったのは幸運だったな」
「そうですね。そうなっていたら、二人で寂しく餓死するしかありませんでしたから。良かったです」
「何を言ってるんだ? その時は壁でも床でもぶち抜くに決まってるだろ。わざわざ貫通特化の大技を使わなくて運が良かったって話だぞ。下手に撃って社を粉砕したら困るからな」
「……本当に道が続いていて良かったです」
まさか俺がそこまでできるとは思っていなかったのだろう。心の底から安堵の息を吐き出すアルシャに、俺は肩を竦めて見せる。
「まあ、使ってせいぜい中位くらいだ。ああ、そこ気を付けろよ。床がスイッチになってる」
「え? スイッチ〈ガコン〉ですか?」
「………」
「………」
言ったそばからしっかり踏みつけてくれたアルシャと無言で見つめ合う。もちろん、恋人同士の甘い見つめ合いではなく、冷たい視線で射抜く俺と、冷や汗がダラダラと出ていそうなアルシャという図だ。
「何かいう事は?」
「……申し訳ありません。踏んでしまいました」
「………次は気をつけるようにな」
言って、周囲を見回すのだが、何の変化も無い通路に眉を寄せた。アルシャが踏んだ罠は、他に罠が並んでいる訳ではないから、ダミーのトラップでは有り得ない。しかし、ならば変化が訪れないのはおかしいだろう。
そう怪訝に思った瞬間、それに気付いた。
「なっ、壁に目!? 百々目鬼か!」
壁中、いや、天井にも床にも、俺とアルシャが立つ場所を除いて、一面にびっしりと目が開き、俺は百々目鬼だと反射的に思う。アルタベガルには百々目鬼などというモンスターも存在せず、また、このようなトラップも無かった。それでも、百々目鬼だと思い、そう判断してしまった。
それ故に気付くのが遅れ、そして、それはあまりにも、そう、あまりにも致命的な遅れだった。
〈くぱあぁあ〉
そう音を立てて開いたのは、口。
通路の目、一組に対して一つ開いたそれに気付いた時には、すでにそれを止める手段も無く、防ぐ手立てを思いつく暇すらも無かった。
『『『『『『『『『『きぃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!』』』』』』』』』』
響く、絶叫。
口を開いた時にそれが来る事は予測が出来たといっても、回避も防御もできなかったそれが鼓膜を直撃し、ぶち抜き破り飛ばすような衝撃が脳髄に響く。数百とも見えるそれから放たれた音響爆撃と言っても過言ではない口撃に、意識がシャットダウン一歩手前まで追い込まれる。
耐えられたのは、弟子の前で無様はさらせないという意地があったからだ。
それでも若干ふらつく体を無理矢理押さえてアルシャを見れば、今にも気絶してしまいそうな体だったが、なんとか意識を失わずに堪えられたらしい姿が確認できた。
しかし、罠はこれだけでは終わらない。終わるはずが無い。
―――グチュリ。
数多在る口から突き出された…………………………手。
小さな、赤子のような二つの手が唇を鷲掴みにし、おぞましい音を立てて横へと広げる。そうして自らを引っ張り上げて生まれたのは、三頭身の体を持つ赤子だった。
その背筋を凍らせるような悪寒を伴う異形に目を瞑れば、だが。
引き上げられた赤子は、形だけ見れば腕二、足二、頭一の普通の人型だ。しかし、腕に開く小さな目の群れが、腹に大きく開いた口が、胸の上で空気を吸い、吐き出す鼻が、そして、眦の下がった目を見開き、口を裂くかのように笑みを作った大人のような顔が、多大な恐怖を、強大な拒絶を、絶大な嫌悪を抱かせる。
想像して欲しい。そんな赤子が辺り一帯を埋め尽くし、こちらへと視線を向ける様を。そんな赤子に足元まで埋め尽くされる状況を。
全く同じ姿形のおぞましい異形に囲まれて、平然としていられるなら、それはきっと人間として当たり前に持つ何かが壊れてしまっているのだろう。全く同じ顔、同じ姿の人間が複数人並んでいるだけでも恐ろしいと感じるのに、それ全てが異形なのだ。
気持ち悪いを通り越して、圧倒的に怖い。生理的に受け付けない。そんな容貌のバケモノ達が一斉に俺とアルシャへと向き直り、
嗤った。
ケラケラ、ケタケタ、嗤い、哂って、笑う。
あまりにもおぞましいバケモノに囲まれて、狂ってしまいそうになるのをギリギリの淵で押し留めて己を落ち着ける。ただ気持ち悪いだけで、このダンジョンの難易度上、俺にはダメージも通らないのだから。
だが、ここには俺以外にもいるという事を忘れていた。
「ひっ」
「っ!」
小さく悲鳴を漏らし、体を縮めて竦み上がる。連中が襲い掛かるにはそれだけの合図で十分だった。
一斉に、悲鳴を漏らしたアルシャと、ついでのように俺へと襲い掛かってくる。
「落ち着け馬鹿弟子! こんなのは見掛け倒しの雑魚だ!」
叫ぶと同時に、自らの周囲にいた連中を肉塊に変える。《絶対斬撃領域》を持つ天刀は使えない。あれは固有のパッシブスキルなので、この世界の住人でパーティの組めないアルシャがいる場所では、味方殺しになるので決して抜けない。
だが、伊達や酔狂で俺はカンストレベルの始祖までやりこんでいない。今振るっているのは何のスキルも付与していないオリハルコン製の刀だが、それでも数秒でアルシャのいた場所まで辿り着く。
「アルシャ、無事か!?」
「ヒグッ、アグゥ……し………しょう……?」
「邪魔だ! 消えろ雑魚共!」
全身をバケモノに噛み付かれて、所々噛み千切られたアルシャを見て、俺は即座にそいつらを切り裂いた。
特に、グチュ、ブチ、クチャクチャ、と噛み千切ったアルシャの肉を租借しながらもケラケラ嗤っている奴らは、他よりも念入りに、塵とするような勢いで細切れにして殺す。
それから俺は、アクティブスキルの《敵性威圧》を使い、連中をこれ以上近付けなくした上で最上級魔法回復薬の《エリクス神水》を取り出した。それから、痛みで意識も朦朧としているアルシャを抱き起こして小さな壜の縁を口元へつける。
ゆっくりと傾けて口の中へと注ぎ込むが、気絶寸前のせいか、口の端から液のほとんどが零れ落ちる。
「……チッ。躊躇してる暇は無いか。聞こえていないとは思うが一応言っておく。すまない」
これからする事への謝罪を耳元で囁き、もう一度エリクス神水を取り出すが、今度はアルシャの口へは直接入れず、自らの口内へと中身を全て出す。それからアルシャの顔を上向け、
躊躇無く、唇を重ねた。
エリクス神水をアルシャへ口移しで飲ませ、嚥下するまで吐き出さないように口を塞ぐ。錆びきった血の味が舌に広がるが、口を離す訳にもいかないので嚥下して自身の呼吸も確保した。
そうこうしている内にアルシャはエリクス神水を飲み込み、その効果でまるでマンガかアニメのように肉体が蠢き、跡一つ残さずに全ての傷が塞がった。
それを確認してから、ゆっくりとアルシャの体を横たえて、バケモノどもへと向き直る。
「……一匹残らず殺す」
蹂躙は、僅か一分足らずで終わった。