第十四話『布と修行風景』
「………三日三晩不眠不休で百ちょっとか。やっぱりちょっと無謀だったか?」
少し離れた場所でモンスターに囲まれ、延々と戦い続けるアルシャを見て、少しだけそう思う。
あの後、再び試した冥王族の種子は難無く彼女の体に吸収され、種子自体使われていない事が分かった。種子を見せても反応が無かったため予想は付いていたが、弱体化の原因の一つはそういった強化手順の失伝もあるだろう。
最終的に彼女に使わせた種子は二つ。アルタベガルで最もレアな種子であり、知人友人にいなければ億単位の金が飛び交っても不思議ではない初期種族の種子だ。
その中でも、ハズレと名高い組み合わせである冥王族と天王族の組み合わせ。ステータスが軒並み低い。軽鎧までしか装備できなくなる。冥霊族と比べて約一・五倍の経験値が必要になる。etc。etc。
正直に言えば、俺がこの組み合わせを取っていたのは、キャラクターが気に入っていた事とたまには縛りゲーもいいかという気まぐれに過ぎなかった。当然知り合った他のプレイヤーには正気かと疑われた事もあるし、成長速度やステータスから滅多にパーティなど組めなかった。今でもソロなのはその名残でもある。
俺や仲間内以外に始祖がいないのは、他の強力な純粋種の種族種子を二つ使うと似たような事になるためだ。そういった事実から、おそらくゲームバランスを取る為だろう、と、プレイヤー達は勝手に納得していたのだ。結果的に間違っていた訳だが、仲間の話を総合すると、おそらく純粋種二つの種子を使用するのが始祖へ至る第一段階と考えていい。
その後、俺が仙人になって一歩以上抜きん出ると一時後を追おうとする者達も出たのだが、その結果としてトッププレイヤーが独走、さらに追いつくのが困難な事態となって泣く泣く諦めたらしい。中にはそのまま頑張り続けた者もいるのだが、最後まで始祖になれたという話は聞かなかった。
実際、初期からそれを選択しても仲間に恵まれなければ底辺を這う以外無いような仕様だ。自分で言うのも何だが、仲間に恵まれただけでなく、才能もあったんだろうな、とも思っている。
「ま、筋も悪くないし、大丈夫だろ。………にしても、疲労も回復できたのはビックリしたな」
この世界で実際に使用して分かった事なのだが、回復魔法でHPを大きく余剰すると、疲労まで回復できてしまう。しかも、脳の疲労まで回復してしまうので、こまめに上位の回復魔法を掛ければ不眠不休で活動できる。といっても、最上位種族の莫大なMPと高いIntが無ければ、途中で枯渇するかあまり効果が無くジワジワと蓄積が溜まるかだろう。
それでも、王族や大商人などは大きな案件を片付ける際に専属で人を雇って使用するみたいだが。
そんな事もあって、現在アルシャは百レベルを越し、延々と一人で戦い続けた事から剣筋も実戦で洗練された物になりつつある。基礎がきちんと出来ていたというのも幸いだった。細かく指導する事ができなくとも、今ではまともに攻撃を喰らう事も無く、たまに掠る程度になっている。
周囲が見渡せる草原のど真ん中、オリハルコン製の檻に《魔寄せの香壺》という名前の小さな壺が入れられている。その壺から放たれる匂いは使用者のレベル+五~十のモンスターを引き寄せるため、延々とレベル上げを続けるには丁度良いのだ。
ただし、俺みたいな最上位種族のレベル千以上が使うと神原域クラスの奴らがワラワラと湧き出てきて、使用した者を集中攻撃して消えていく。今も似たような感じだが、どこからとも無く湧いてくるくせに死体が残って血臭が酷いのは何故なのか。地属性魔法で埋めたり燃やしたりしているが、割と面倒だ。
ちなみに、アルシャは逃げられないように魔法で檻と繋いであり、一定以上離れられないようになっている。鬼、悪魔等と言われたが、俺は始祖だと返しておいた。
「おー、やってるわね」
「ミーナか。何かあったのか?」
「とりあえず、どれくらいの期間が掛かるか分かったから、一度も帰って来ない馬鹿に教えにね。鼻が曲がりそうで後悔したけど。一体どれだけ殺したのよ」
地面からひょいと出てきて、ミーナは心底呆れたとでもいうように言って来た。軽く使っているが、目印を使用しない転移は各属性でも最上位の魔法だ。しかも、アルタベガルですら使い手が二桁だけというレアな魔法である。
そんな代物を使用しての用事が、誰かに手紙か伝言でも頼めば済む事だというのだから、こいつも感覚が狂っていると思う。ちなみに、俺は上位の街や村への転移までしか保有していない。
「目算が立ったんだったら、ギリギリまで鍛えられるな。つか、そこまで殺ってないぞ。せいぜい千から二千ってとこだろ。昔、エンドレスの湧き場で半日足止めされた時の方が殺してるだろ」
「ゲームじゃ血臭は無かったじゃない。ていうか、あれと一緒にするのは間違ってるわよ。広域殲滅何発もぶち込んで殲滅しても、一秒待たずに同数が再湧出とか、あからさまに欠陥イベントだったじゃない。その証拠に、運営にコールしたらすぐ消えたでしょ」
(あれ、単純にミーナのクレームに心が折れただけの気がするんだけどなぁ)
「まあ、臭いのは認めるが、そこまででも無いだろ。あの真っ只中ならともかく、こっちは風上だし、ちょっと臭う程度だと思うんだが」
「獣人のスペック舐めちゃ駄目よ。人がちょっと汗臭いって感じるレベルでも、鼻が曲がるくらいにきついんだから。嗅覚操作のスキルが無かったらすでに百回気絶してるわ」
はっきりと断言されて俺は黙り込む。ゲームでは、本来人間とそう変わらない嗅覚を強化し、匂いでモンスターの追跡や罠の察知をするための獣人専用スキル。その一つが嗅覚操作だ。それを真逆の方向に使用しなくてはならない時点で、獣人の嗅覚がどれほど鋭敏なのか分かる。
「そんなに深刻な顔をしなくてもいいわよ。我慢できないほどじゃないし、獣人が、というより獣人の純血種が特別敏感なんだろうしね。狼系の獣人じゃなくて助かった、ってところよ」
「確かに、狼系の獣人だったらやばいかもな。魔獣だって、狼系の奴は臭いに敏感だし」
「こんな事になるんだったら、嗅覚遮断のスキルを取っておくんだったわ。臭いを感じなくなるし、聴覚が強化されるから、他の人達は結構取ってたのよね」
「あー、経験と事前情報があれば聴覚の強化なんていらないからな。そもそも、嗅覚を無くしたら、臭いで判別できる罠が分からなくなるし、本来は縛り用なんだよな。グランドファームのボスは発する臭いで攻撃パターンが変わるし、五感をフルに使えないと上位フィールドはやってけないし」
そもそも、アルタベガルも他のアクション系ゲームの例に漏れず、ある程度のモンスターまでならパターン化された行動ルーチンが設定されている。データベース上で神格位・準神格位・上位・中位・下位と五段階分けされた内、上から人間と変わらないレベルの思考能力を持ったAI・決められたルーチンに関してのみ高度学習機能を持つAI・基本ルーチンから大きく離れない程度の学習能力を持つAI・基本ルーチンを逸脱しない範囲で学習するAI・基本ルーチンのみのプログラム体となっている。
その中で、目に見えない等の行動時の音を聞き、空気の動きを肌で感じて対処しなければならないモンスターはそこまで居ない。居るのも、最高で中位のモンスターまでだ。ここまでなら、些細な音すら拾えるようになる嗅覚遮断のスキルは有効だろう。
が、逆に臭いで危険を察知出来る事態は最上位のフィールドまで存在している。臭いが攻撃パターンに直結していたり、ダンジョン内で致死性トラップがある付近では血臭がする等がその一例だ。意外と無用だと思われがちだが、嗅覚はアルタベガルで上に行くためには重要なファクターの一つと言える。
「ていうか、実際あのスキルって聴覚上げて盗み聞きするくらいしかないわよね。数ある無駄スキルの内の一つよ。バーバリとかの叫び声なんて、聴覚上げてたら拷問でしょ」
「いや、滅多に出ないレアモンスターを例に上げられてもな。それより、本を調べる期間はどうなったんだ? そっちが本題だろ」
「あー、そっち。そっちね」
元々その話で来たのだろうに、できれば話題にしたくないような様子に首を傾げる。怪訝そうに見つめると、ミーナは盛大にため息を吐き出して答えた。
「最低一ヶ月、最大で半年よ。あのクソ馬鹿ども、貴重な資料や本を整理もせずに適当に突っ込んでてね。今はいくつか条件の良い部屋と中庭を強制的に空けさせて虫干しと点検整理修繕の毎日よ。数が多いからそれだけでもかなり時間がかかるし、調査を含めると時間が掛かるわ。………全く。本を一体何だと思ってるのかしら」
「それは大変そうだな。まあ、俺達が帰るにも必要な事だ。頑張ってくれ」
「言われなくてもそうするわ。というか、あの本全部持ってけないかしら。あんな碌な保管もできない愚図どもに所有されるなんて本が可哀想だわ。著者への侮辱よ。私の物になれば、全力でお世話してあげるのに勿体無い」
頬を膨らませて可愛らしく言うが、ここでもし同意でもすれば、十中八九あらゆる手段を持って城の本を奪い取るだろう。しかも、その場合ぎりぎりグレーゾーンの手法まで使うから性質が悪い。本が関わる事に関してだけは、どこぞの腹黒政治家も真っ青な策略謀略を繰り広げるのがミーナという女だ。
「とりあえず、手に入れようなんて考えるなよ。そんなに心配なら、司書にでも管理方法を叩き込んでおけばいいだろ」
「それはもうしてるわよ。書物を駄目にする人間は人生も駄目にするわ。きっちり調きょ……ゴホン。教育してあげるから何の問題も無いわ」
「今調教って言いかけただろ。お前の手にかかると、本に人生捧げる人間が出来上がりそうで怖いな」
「何言ってるの? 本に全てを捧げて生きられるなんて最高の幸せじゃない。人としてそれに勝る幸せなんてそうそう無いわよ。………ところで、一ついいかしら?」
「? 何だ、いきなり?」
幸せそうな顔から一転、真剣な顔を見せるミーナに眉根を寄せる。そんな俺に対し、ミーナはあるものを指差しながら言った。
「………あの娘、普通に死に掛けてるけど大丈夫なの?」
「あ………」