第1話 爆誕☆魔法少女エトワール!DV男をやっつけろ!
泥に汚れたドレスの裾を引きずりながら、私は王都の通りを歩いていた。
突き飛ばされた拍子に痛めた手首が、ずきずきと痛む。
付き添いの侍女はいない。我が家には、私専属の侍女を置く余裕などなかった。
「悔しい……」
気づけば、涙がこぼれていた。
行く当てもなく歩き続けているうちに、私は王都の教会の前に立っていた。
白い石造りの教会は、昼の光を受けて淡く輝いている。
重い扉を押して中へ入ると、礼拝堂には誰の姿もなかった。
奥の祭壇には、柔らかな微笑みを浮かべた女神像が立っている。
幼い頃から、困った時は女神様に祈りなさいと教えられてきた。けれど、今日ほど本気でその教えにすがったことはない。
私は祭壇の前まで進み、ぬかるみに汚れたスカートのまま膝をついた。
「女神様……聞いてくださいませ」
胸の前で手を組むと、痛めた手首がずきりと痛んだ。
「婚約者のギルベルト様が……ほかの令嬢の肩を抱いて寄り添っているところを目撃したのです……」
口にした途端、また涙がこぼれた。
「どなたですの、と尋ねただけなのに……自分の立場をわきまえろと言って、わたくしを突き飛ばしたのですよ……」
思い出すほど、悲しみよりも腹立たしさが込み上げてくる。
「わたくしという婚約者がありながら、ほかの令嬢と睦まじくしていたのはあちらですのに……それなのに、まるでわたくしが悪いかのように……」
静かな礼拝堂に、私の声だけが響いた。
「わたくしだって、何か言い返したかったのです。けれど、怖くて……何も言えませんでした」
ギルベルト様は騎士だ。
私よりもはるかに大きく、力も強い。突き飛ばされたあとは、震えながら逃げることしかできなかった。
「悔しいです……。けれど、わたくしの家の立場が弱いのも事実なのです」
エルヴィス男爵家は、歴史だけは古い、貧しい家だった。
舞踏会に着ていくドレスは、いつも母のお下がりを仕立て直したもの。宝石は祖母の代から伝わるものを磨き直し、食卓に並ぶ料理も、以前に比べてずいぶん質素になっていた。
それでも父は、私の前ではいつも笑っていた。
「ルシェラ……お前のおかげだ。ラングハイム伯爵家との縁を通じて、領地にも商会にも道が開け始めた」
そう言って、夜遅くまで書類に向かっていた父の背中を、私は何度も見ている。
だからこそ、この婚約は、私一人の感情で投げ出せるものではなかった。
婚約を解消すれば、ギルベルト様の生家であるラングハイム伯爵家を敵に回すにとになる。
父が頭を下げて進めてきた商談も、ようやく繋がりかけた取引も、すべて白紙になるだろう。
違約金など、とても払えない。
「女神様……わたくしは、どうすればよろしいのでしょう」
私は痛みをこらえ、組んだ手にそっと力を込めた。
「悔しい。悔しいです、女神様」
声が震えた。
「わたくしは何もできないのでしょうか。あの方に傷つけられても、黙って嫁ぐしかないのでしょうか」
涙が落ち、祭壇の白い石にぽたりと染みた。
「どうか……どうか、わたくしにお知恵をお貸しください」
その瞬間だった。
祭壇の奥から、ぱあっと光があふれた。
「えっ」
顔を上げたが、眩しくて思わず手で光を遮った。
まばゆい光の中に、人影が浮かび上がる。
私は息を呑んだ。
「あなたの祈り、確かに受け止めました」
「め、女神様……?」
女神様は、柔らかく微笑んだ。
「さあ、受け取りなさい」
女神様が両手を広げると、天井から星のような光が降り注いだ。
それは私の体を包み、胸の奥へ染み込んでいく。
温かいものが、身体中を伝っていくような感覚があった。
やがて光が落ち着いた。
「……?」
私は自分の手を見下ろした。
何が起きたのだろう。
なんとなく、身体に力がみなぎるような気はする。
そう思っていた時、祭壇脇に置かれた銀の燭台が目に入る。磨き上げられた表面に、自分の姿が映っていた。
「……ふぁっ!?」
そこに映っていた私は、先ほどの泥で汚れた私ではなかった。
淡い桃色の短いスカートに、ふわふわと広がる袖、大きなリボンのついた胸元。
そして手には、星の飾りがついた杖が握られていた。
足元には、なぜか膝まである白い靴。
髪は高い位置で二つに結われ、きらきら光る星飾りまでついていた。
胸元には、星形のペンダントまで揺れている。
「な、何ですの、何ですの!? この格好は!?」
「あら、丈感ぴったりね」
女神様は、両手を合わせて嬉しそうに微笑んだ。
「短いです! とても短いですわ!」
「動きやすさを重視しました」
「動きやすさ!? わたくしは求めてませんわ!」
「安心してください。女神の加護により、見えてはならないものは絶対に見えません」
「お気遣いの方向が間違っていますわ! 女神様、この姿は何なのですか!?」
「魔法少女ですわ」
「ま……魔法、少女!? わたくしは淑女ですわ!」
「女神から見れば、人は皆、少女のようなものです」
「世間はそこまで寛容ではありませんのよ!?」
「落ち着くのです。ルシェラ。私はあなたの願いを叶えたのです」
「願いを……?」
おかしい。
知恵を頼んだはずなのに、なぜか桃色の短いスカートをはいている。
「神は、人の争いに直接手を下すことはできません。ですが、助けを求めた者に加護を授けることはできます」
女神様は訓練場のある方角を指差した。
「さあ、行きなさい。あなたの婚約者を倒すのです」
「倒すのですか!?」
「はい」
「この姿で!? ギルベルト様を!?」
「もちろんです」
女神様は胸の前で手を組み、清らかな笑みを浮かべた。
「あなたの怒りは正当なものです。あなたの悔しさは、踏みにじられてよいものではありません。ですが、あなたの人生を取り戻すのは、あなた自身です」
たしかに、ギルベルト様に何もできないと言われて悔しかった。
それなのに私は、女神様が代わりにすべて解決してくださることを期待していた。
「……しかし、この装いは」
「大丈夫です。とても似合っています」
「だからそういう問題では……。なぜこのような姿に」
「それは私の趣味……女神の加護を纏わせやすいからですわ」
今、趣味と言わなかった?
「今のあなたなら、婚約者程度には負けません」
「そ、そんなに……?」
ギルベルト様は、騎士団の中でも上位に入る腕前だと聞いている。
それを程度と言い切る女神様は、やはり女神様だった。
「ルシェラ。私は、あなたを見守っています」
女神様の姿は淡い光となり、少しずつ薄れていった。
「さあ、あなたを傷つけた者へ、あなたの怒りを示す時です」
膝はもう震えておらず、手首の痛みも消え、代わりに、胸の奥で小さな火が燃えていた。
「……分かりました」
私は杖を握りしめた。
「行ってまいります」
教会の扉を開け、私は走った。
足はとても軽く、まるで風を切るように、王都の道を駆け抜けていく。
すれ違う人々が振り返るかと思ったが、誰も私を見ていないようだった。
私の姿は人々の目に留まらず、光の影のように通り過ぎていくらしい。
騎士団の訓練場へ着いても、息も切れていなかった。
門番の騎士が私を見て、目をむいた。
「な、何者だ!」
「魔法少女ですわ!」
「魔法少女!? えっ、少女!?」
「そこを拾わないでくださいませ! ギルベルト様はいらっしゃいますか!」
騎士は思わず、訓練場の奥を指差した。
そこではギルベルト様が、他の騎士たちと剣を合わせていた。
先ほどの令嬢も、訓練場の端に立っている。
私は訓練場へ踏み込んだ。
ざわめきが広がる。
「誰だ? しかも、あの格好……」
「聖職者……ではないよな」
「……見て、いいのか?」
全部聞こえている。
やめてほしい。
『安心なさい。女神の加護により、正体はギルベルトにしか分かりません』
頭の中に、女神様の声が響いた。
ギルベルト様が私に気づいた。
最初は目を細め、次に口を開け、そのまま固まった。
「ルシェラ……? 君は、何をしている……」
「違いますわ」
私は杖を構えた。
「わたくしは、魔法少女ですわ」
「いや、ルシェラだろう」
「人違いです」
「そこまでして俺の気を引きたいのか?」
「そこまで、とはどういう意味ですの!?」
『ルシェラ、ここで怯めば正体が皆にばれてしまいますわ』
どうすればよろしいのですか。
『名乗るのです。魔法少女の名を』
名前?
その瞬間、頭の中に、知らないはずの言葉と動きが一気に流れ込んできた。
……待ってくださいませ。
動作付きですの!?
『さあ、恥を捨てるのです!』
捨てるのは恥以外もあるのでは!?
もう、やけだった。
私は杖を高く掲げる。
「聖なる星に導かれ、乙女の心を守るため!」
なぜか身体が勝手に動いた。
杖を胸の前でくるりと回し、私は叫ぶ。
「魔法少女エトワール! 女神に遣わされ、ここに参上ですわ!」
訓練場にいた全員が、凍りついた。
ギルベルト様も。
彼に寄り添っていた令嬢も。
門番も。
見物していた騎士たちも。
私自身も、内心では凍りついていた。
何を言っているのだ、私は。
けれど、もう止められない。
「婚約者がいる身でありながら、浮気だけでなく、ルシェラ嬢を傷つけた不届き者、ギルベルト殿!」
私は杖をギルベルト様へ向ける。
「彼女に代わって、成敗いたします!」
「……は?」
ギルベルト様は、口を開けたまま固まっていた。
ざわり、と周囲が揺れる。
「ルシェラ嬢?」
「ギルベルト殿の婚約者の?」
「浮気……?」
ギルベルト様は、はっと息を呑んだ。
「黙れ!」
ギルベルト様は、周囲の騎士たちを怒鳴りつけた。
「君は……何を考えている!? ふざけた格好で、あることないことを!」
「女神の遣い、魔法少女は嘘をつきませんわ!
罪を認め、ルシェラ嬢に謝罪しなさい!」
ギルベルト様は奥歯をぎりりと噛みしめてから、荒く息を吐いた。
「……そんなに魔法少女でいたいなら、そう扱ってやる。不審者め」
ギルベルト様は、吐き捨てるように言った。
「女神だの魔法少女だの、ふざけた格好で騎士団に入り込み、騎士の名誉を貶める危険人物だ。私が制圧する」
「ギルベルト殿は、言い訳も、ずいぶんお上手ですのね」
「その口を閉じさせてやる」
剣が抜かれ、白刃が昼の光を弾いた。
訓練場の空気が変わり、ざわめいていた騎士たちが、一斉に息を呑む。
「ギルベルト殿、本気か」
「相手は武装していないぞ」
「いや、杖を持っている」
「だが……」
誰も、止めに入れない。
伯爵家の嫡男であり、将来を嘱望される騎士。
その肩書きが、彼らの足を止めていた。
ギルベルト様は、剣先を私へ向けた。
「最後に警告してやる。ひざまずいて謝罪しろ。そうすれば、今日のことは見逃してやる」
「謝罪するのは、あなたのほうですわ!」
「貴様!」
ギルベルト様が地面を蹴った。
速い!
一気に距離を詰め、剣が振り下ろされた。
しかし――。
「なっ……!」
ギルベルト様の目が見開かれる。
私は紙一重でそれをよけ、杖を振り回した。
「えい!」
ギルベルト様の体が、見事に宙を舞った。
「ぐあああああっ!」
ギルベルト様は美しい放物線を描き、訓練場の端まで飛んでいった。
そして、ぬかるみの上に背中から落ち、びしゃん、と嫌な音がした。
「す……すごいですわ!」
軽く振っただけなのに。
『エトワール! 魔法少女なのですよ! 魔法を使ってくださいませ!』
女神様の声が、頭の中で文句を言っている。
「ギルベルトが、あんな綺麗に吹っ飛ばされるなんて……」
「魔法少女とは何者だ!?」
「……本当に少女か?」
「おい……言ってやるな」
ギルベルト様は泥まみれになりながらも、起き上がろうとした。
「くそっ……!」
彼が片手を掲げる。
その手のひらに、小さな炎が灯った。
騎士たちが一斉に声を上げた。
「ギルベルト!」
「訓練場で攻撃魔法はまずい!」
しかし、ギルベルト様は止まらなかった。
「黙れ! こんな茶番で私が負けるわけがない!」
炎が私へ向かって放たれる。
『防御技です、エトワール』
頭の中に呪文が流れ込んでくる。
これを言わなければいけないのですか!?
「きらきら☆守護障壁!」
桃色の光が、私の前に広がった。
炎は光の膜に触れた瞬間、花びらのように散って消えた。
「これも駄目だと……!?」
ギルベルト様は、もう一度片手を掲げた。
「これならどうだ!」
今度は、彼の手のひらの上に白い冷気が渦巻いた。
空気中の水分が凍りつき、鋭く尖った氷の刃がいくつも形作られていく。
「ギルベルト、氷魔法まで使う気か!?」
「やめろ! 殺傷力が高すぎる!」
騎士たちの制止にも耳を貸さず、ギルベルト様は腕を振り下ろした。
「貫け!」
氷の刃が、甲高い音を立てながら一斉に飛んでくる。
「きらきら☆守護障壁!」
私の前に残っていた桃色の光が、氷の刃に反応してひときわ強く輝いた。
氷の刃が光の膜へ突き刺さる。
――かと思った、次の瞬間。
「えっ」
氷の刃は桃色の光に弾かれ、飛んできた時とまったく同じ勢いでギルベルト様へ跳ね返っていった。
「なにっ――!」
ギルベルト様が慌てて身をかがめる。
ほとんどの氷は彼の頭上を通り過ぎ、背後の地面へ突き刺さった。
けれど、一本だけ避けきれなかった。
ひゅん、と鋭い音を立て、氷の刃がギルベルト様の頭の中央を、額から後頭部へ向かって通り抜ける。
金色の髪が、ぱらぱらと宙を舞った。
「…………」
訓練場が静まり返った。
ギルベルト様は、ゆっくりと自分の頭へ手を伸ばした。
左右の髪は残っている。
「ぎ、ギルベルト様の……」
手入れの行き届いた金色の髪が、額から後頭部にかけて、見事なまでに一直線に刈り取られていた。
「髪が……」
「頭に道が……」
「言うな!」
ギルベルト様が頭を押さえて叫んだ。
『……ぐふっ』
女神様が笑いをこらえる声が、頭の中に響く。
やめてください。
人の不幸を笑ってはいけません。
私は必死に唇を引き結んだ。
けれど――。
「ぶふっ」
耐えきれなかった。
「貴様ぁぁぁ!」
ギルベルト様の顔が真っ赤に染まった。
その時、守護障壁を彩っていた光の花びらが、ふわりと舞い上がった。
花びらは、そのままギルベルト様へ降り注ぐ。
体に張りついた花びらが、次々と光のリボンへ変わった。
「何だ、これは!」
光のリボンは腕から胴、足へと絡みつき、ギルベルト様の全身を瞬く間にぐるぐる巻きにした。
「っ――ほどけ! ほどけ!」
ギルベルト様は地面の上で転がり、じたばたしている。
「まだ続けますか?」
「この……!」
杖を向けた瞬間、ギルベルト様の動きがぴたりと止まった。
『次は、きゅんきゅん断罪流星群です! 使いましょう!』
女神様、少し黙っていてください。
そのとき、訓練場の端にいた令嬢が、その場に膝をついた。
「あ、あの!」
彼女の声は震えていた。
「ご、ごめんなさい! 申し訳ございませんでした!」
そして、地面に額をつけた。
「私は、ギルベルト様に婚約者がいらっしゃると知っておりました! ですが、彼が、ルシェラ様とは愛のない婚約で、ただ家同士の都合で結ばれただけだとおっしゃるので……!」
「余計なことを言うな!」
光のリボンに巻かれたギルベルト様が叫ぶ。
令嬢はびくりと肩を震わせたが、顔を上げなかった。
「申し訳ございません! 私は身を引きます! ルシェラ様にも必ず謝罪いたします! 慰謝料についても、父に相談して……!」
「その言葉、皆様もお聞きになりましたね」
私は周囲の騎士たちを見回した。
騎士たちは互いに顔を見合わせたあと、気まずそうに頷いた。
「ああ、聞いた」
「ギルベルトが攻撃魔法を使ったのも見た」
「婚約者へ暴力を振るった件も、調査すべきだな」
ギルベルト様の顔から、さっと血の気が引いていく。
「違う! これは違う! 私は、はめられたんだ!」
「誰にだ」
低い声が、訓練場に落ちた。
その場にいた騎士たちの背筋が、一斉に伸びる。
門のほうから歩いてきたのは、銀灰色の髪に黒い騎士服をまとい、胸元に騎士団長の徽章をつけた男性だった。
王都騎士団長、アレクシス様だ。
「団長……」
ギルベルト様の声が、明らかに引きつった。
アレクシス様は、ぬかるみの上で光のリボンに巻かれ、頭の中央だけを刈り取られたギルベルト様を一瞥した。
一瞬、視線がその頭頂部で止まったような気がしたけれど、何も言わなかった。
それから、訓練場の端で地面に額をつけている令嬢を見る。
最後に、私へ視線を向けた。
「訓練場内で、許可なく攻撃魔法を使用した。しかも相手は、少なくとも騎士団に所属していない者だ」
「団長、それは……!」
「さらに、婚約者がいる身で、ほかの令嬢と密会していた」
「密会ではありません!」
「ならば、そこの令嬢の発言は何だ」
アレクシス様に視線を向けられ、令嬢はびくりと肩を跳ねさせた。
「この件は、騎士団長預かりとする。ギルベルトの身柄を拘束しろ」
「団長!?」
ギルベルト様の顔色が変わった。
アレクシス様が視線を向けると、二人の騎士がすぐに動き出した。
「お待ちください! 私は伯爵家の嫡男です! こんなふざけた女の言い分で、私を拘束するつもりですか!」
「ふざけているのは服装だけだ」
そうだけれど。
いざ他人から言われると、胸に刺さる。
アレクシス様は、なおも暴れるギルベルト様を冷たく見下ろした。
「伯爵家の名を盾にする前に、騎士としての規律を思い出せ」
騎士たちが、ギルベルト様の両腕を取った。
「さあ、行くぞ」
「私は悪くない! ルシェラが悪いんだ! あの女が余計なことをしなければ!」
「……魔法少女だろう?」
一人の騎士が、ぼそりと訂正した。
その肩が、わずかに震えている。
「笑うな!」
「笑っていない……ぐっ」
ギルベルト様は、笑いをこらえる騎士たちに抱えられ、そのまま連れていかれた。
令嬢もまた、別の騎士に促され、震えながら立ち上がる。
アレクシス様は、その場に残った私へ向き直った。
「魔法少女殿。助力には感謝する」
「あ……いえ……」
「だが、ひとつ確認したい」
「……何でしょう」
「ギルベルトの婚約者……ルシェラ嬢は、無事なのか」
私は一度目を瞬き、それから小さく微笑んだ。
「……彼女は、大丈夫ですわ」
「そうか」
アレクシス様は、小さく息を吐いた。
「ならば伝えてくれ。今日の件は、騎士団長として責任を持って調査する。彼女が一人で抱える必要はない、と」
胸の奥が、じんと熱くなった。
「……はい。必ず伝えます」
「それと……」
アレクシス様は、私の姿を上から下まで見た。
やめてほしい。
改めて見ないでほしい。
「見事な戦いだった」
「そ、そうですか……?」
「君の動きは、騎士とはまったく違う。だが無駄がない。あれほどの力を、私は見たことがない」
「ありがとう……ございます……」
「ぜひ、騎士団に来てほしい」
「!?」
何をおっしゃっているの、この方は。
「これほどの力を、市井に眠らせておくわけにはいかない」
「い、いえ、その、わたくしは……」
「もちろん、身元を明かせない事情があるなら考慮する。女神の使徒という立場であれば、王宮にも掛け合おう」
アレクシス様は真剣な顔のまま、さらに一歩近づいてきた。
女神様、どうすれば……!?
『こういう時は、決め台詞を残して立ち去るのです』
私は息を吐き、それから、わざとらしく目を見開いた。
「大変ですわ! どこかで乙女が泣いています! 行かなければ!」
私は地面を蹴った。
「待ってくれ!」
アレクシス様が追ってくる。
待てません!
私はさらに速度を上げ、訓練場を後にした。
◆
「はあ……」
教会へ戻った私は、扉を閉めるなり、その場にへたり込んだ。
魔法少女の力のおかげで、身体にはまったく疲れを感じていない。けれど、心はひどく疲れていた。
「女神様……元の姿に戻してくださいませ……」
『まあ。よくお似合いですのに』
「お願いですから、早く……!」
『仕方ありませんわね』
私の身体を包んでいた桃色の光が、ふわりとほどけた。
大きなリボンも、短いスカートも、星のついた杖も消えていく。
やがて私は、元のドレス姿へ戻っていた。
「……あら?」
泥に汚れていたはずの裾が、きれいになっている。
それどころか、色あせていた布地には艶が戻り、ほつれていた刺繍まで美しく繕われ、仕立て上がったばかりの新品のようだ。
痛めていた手首にも、もう痛みはない。
手のひらにあった擦り傷も、跡形もなく消えていた。
「女神様、ありがとうございます――」
胸元で、何かが小さく光った。
「……これは?」
細い銀の鎖の先に、小さな星形のペンダントが揺れている。
『変身のための魔法具ですわ』
「変身……?」
『その星に願えば、いつでも魔法少女エトワールになれます』
「いつでも!?」
私は思わず、ペンダントを握りしめた。
「今日限りではありませんの!?」
『もちろんです。あなたの助けを必要としている乙女は、まだ大勢いるのですから』
「待ってくださいませ。わたくしは、自分の婚約者を懲らしめるために力をお借りしただけで――」
『それでは、これからも励んでくださいませ。魔法少女エトワール』
女神様の声が、少しずつ遠ざかっていく。
「ちょっと、女神様!?」
返事はない。
しんと静まり返った礼拝堂で、胸元の星だけが、楽しげにきらりと光った。
「……また、あの服を着ますの?」
当然、答えは返ってこなかった。
こうして私は、本人の意思とはまったく関係なく、乙女の涙を救う魔法少女に選ばれてしまったのだった。
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