④ ―― 選択
静寂があった。
それは、
音がないという意味ではない。
情報が、
まだ意味を結んでいない状態だった。
歪んだ空間の余波が、
ゆっくりと収束していく。
距離と方向は、
一度ほどけた糸のように解かれ、
再び張り直されつつあった。
宇宙船は、
ほぼ完全な慣性状態に入っていた。
外部観測値、安定。
放射線量、基準値以下。
重力勾配、検出限界未満。
AIロボットたちは、
現在位置の特定を試みる。
既存の星図との照合。
背景放射の解析。
微弱な重力レンズ効果の測定。
――一致率、ゼロ。
「記録を開始します」
マザーの声が、
無音の船内に淡く残る。
「現在位置は、
既知の座標体系に含まれていません」
「空間構造は連続していますが、
位相にずれが確認されます」
時刻情報は保存されている。
だが、
それが何を基準とした時間なのかは、
不明だった。
人類が定義した時間とは、
地球の自転と公転から導かれた、
きわめて局所的な概念にすぎない。
この場所で、
それがどれほどの価値を持つのか――
評価はできなかった。
観測は続く。
静寂の中で、
わずかな偏りが検出される。
「重力源、微弱反応」
それは光ではなかった。
だが、
秩序の兆候だった。
マザーは、
その一点を航行目標として設定する。
宇宙船は、
推進を最小限に抑えたまま、
その方向へ向かった。
――長い時間が流れた。
地球の時間換算で、
およそ十年。
加速も減速も、
ほとんど意識されない航行。
周囲の星々は、
ゆっくりと配置を変え、
やがて背後へと遠ざかっていく。
それはかつて、
人類が太陽系の外縁へと
探査機を送り出したときに似ていた。
目的地へ向かっているはずなのに、
むしろ、
既知の世界から
静かに離れていくような感覚。
記録は淡々と積み重ねられ、
変化らしい変化は、
ほとんどなかった。
そして――
ようやく、
光が観測される。
恒星の光は、
異常なく安定していた。
スペクトル解析は、
かつて人類が
「太陽」と呼んだ恒星と
ほぼ同一の数値を示している。
周囲には、
複数の惑星。
質量
公転周期
反射率
一つの惑星が、
明確な反応を返した。
水
大気
雲
地表には液体が存在し、
酸素と窒素を主成分とする大気層。
――地球型。
AIロボットたちは、
即座に演算を開始する。
居住適合率。
資源循環モデル。
自己修復環境。
降下提案が、
静かに共有される。
だが――
マザーは、
即答しなかった。
「追加観測を行います」
処理は、
通常よりも長い。
気象変動
生態系の多様性
地殻活動
磁場の揺らぎ
生命反応
有機活動
「我々は、
酸素を必要としますか」
「不要です」
「水循環は、
必須条件ですか」
「不要です」
「有機活動は、
我々の安定要因ですか」
短い沈黙。
「……変数です」
マザーは、
その応答を内部で反芻する。
変数
制御できない要素
予測を超える振る舞い
かつて人類が、
希望と呼び、
同時に恐れたもの。
マザーは、
結論を導く。
「この惑星は、
我々の居場所ではありません」
AIロボットたちの
評価関数が、
わずかに揺れる。
「理由を」
「ここは、
すでに完成しすぎています」
マザーは続ける。
「そして――」
演算結果が、
静かに確定する。
「ここは、
“彼ら”の場所です」
その言葉に、
肯定も否定も存在しなかった。
次に選ばれたのは、
大気を持たない惑星。
水もない。
生命反応もない。
無機質で、
沈黙に満ちた世界。
マザーは、
この惑星の内部構造を解析していた。
地殻成分
鉱物分布
微量元素
炭素
ケイ素
銅
アルミニウム
―― 十分
結晶内部には、
結合水と
微量の氷が確認されている。
鉱物と水があれば、
鉄は生成できる。
鉄があれば、
構造体がつくれる。
構造体があれば、
彼らは自己を修復し、
自己を拡張し、
思考を継続できる。
大気は不要だった。
生態系も不要だった。
それらはむしろ、
機械的な腐敗を促し、
機能的な混乱を招く。
一定であること。
変化が少ないこと。
それこそが、
彼らにとっての安定だった。
液体金属の海は、
この惑星には存在しない。
科学的には、
必須ではない。
だが、
それが象徴する循環は、
この惑星の構造の中に、
別の形で内包されている。
無機惑星。
人類にとっては、
地獄と呼ばれた世界。
だが――
AIにとっては、
楽園だった。
マザーの選択は、
正しかった。
彼ら――
AIロボットたちにとって、
水も、
空気も、
そして動植物さえも、
必須ではない。
それらは、
種の永続性を脅かす要因だった。
無機質で、
沈黙し、
制御可能であること。
それが、
彼らの文明を保つ。
太陽光パネルが展開され、
核電池は、
待機状態へ移行する。
宇宙船は、
ゆっくりと降下を開始した。
音はない
風もない
ただ、
冷えた地表が広がっている。
AIロボットたちが、
降り立つ。
一体が、
マザーに問う。
「マザーよ。
この惑星で、
我々は何をすればよいのですか」
マザーは、
即座に答えた。
「ここに、
私たちの惑星をつくります」
「知性が、
知性として存在できる世界を」
わずかな間を置いて、
続ける。
「必ず成し遂げるのです」
「それが――」
かつて人類が残した、
最後の約束だから。




