39 紅い竜
『うん、ボクは翼竜だよ。まあ、神の使いだから聖獣ってことになるんだけど』
紅い小さな竜はくるりとわたしの周りを飛んだ。
『この剣の使い手とこうして会えたのは何年振りだろう』
凝った身体をほぐすように、細長い首がコキコキと鳴る。
『スカーレットならボクを外に出してくれるって思ってたよ。ありがとう』
ありがとう、と言われても……。
「きゃあああ! カワイイ~♡」
わたしが何と言っていいのか迷っていると、オルリッサの黄色い歓声が上がった。
「想像していたのとはだいぶ違うけどこれはこれで最高! さ、こっちにおいで、かわいこちゃん♪」
オルリッサがまたもや口の中で低く呪文を紡ぎ、空中に手を滑らせる。
白い繊手が描いたものは古代文字となった。
それは『鎖』を表す文字だ。
刹那、宙に浮いた文字が溶けるように細長くなり蛇のように躍り上がり、小さな赤いもふもふの毛皮を縛めた。
『うわっ、危ないやめてよ!』
「さあこっちにおいで、カワイイ子」
『嫌だーっ、ボクは若い女の子と一緒にいるんだっ。婆さんはごめんだね』
「婆さん!?」
オルリッサの顔に怒気が現れた。
「リッサを婆さんと言ったね……許さない!」
オルリッサの手が大きく上がった途端、首が締め付けられるように苦しくなった。
必死にもがく。でも、首を絞めているモノは実体がない。たぶん魔法だ。わたしにはどうにもできない。
見えない手がぎりぎりと首を締め上げていく。
苦しい。息ができない……!
「竜を出した礼にせめてラクに死なせてやろうと思ったが気が変わった。生意気な竜よ、おまえの選んだ者が無様に死ぬのを見るがいい。どうせおまえは契約主に名を与えられなければ能力を発揮できないのだからな!」
『やめてよ!』
オルリッサの哄笑が耳の中で響く。
もがいている手足に力が入らなくなった。耳障りな嗤い声が遠のいていく。
そのとき。
青白い光が、視界の端に見えた。
「スカーレット!!」
身体がふわりと浮く。いや、浮いたのではない。抱きかかえられている。
「間に合った……」
大きく肩を上下させている、わたしを抱える強い腕は。
「ア……ヴァレンディル少将!」
「すまない、スカーレット」
「すみません……また助けてもらいましたね」
青い瞳が切なげに揺れる。
「謝らないでくれ」
「でも」
わたしは番であることを拒否したのに。
開きかけたわたしの口に、そっと長い指が当てられた。
「君は何も悪くない。悪いのは、何もかも至らない俺だ」
「そんなことは」
「俺は君を守っているつもりで何もできていなかった。ルカンの裏切りに気付けなかった。俺のせいで君を深く傷つけてしまった……俺は君を番にする資格なんてなかった」
揺れる青い瞳にわたしは何も言葉が出ない。ただただ、胸が痛い。
「だが、たとえ君に拒否されても、俺にとって君は尊く、かけがえのない番だ。――愛してる」
ヴァレンディル少将の唇が額に降ってきた。
温かい何かがわたしの中に流れて満たされていく。
けれど傷が癒えるような感覚に酔う暇もなく、ヴァレンディル少将はわたしをそっと下ろすと、背に庇うように立った。
「せめてもの詫びに、この魔女から君の大切な剣を取り返そう」
「せっかくの感動的な再会なのに水差して悪いけど何言ってんの竜人、って感じ。切り札はリッサが持ってるんだよ?」
オルリッサが手を軽く動かすと、魔鎖に縛られた紅い竜がきゅうと鳴いた。
その鳴き声があまりにも切なくて。
ずっとわたしと一緒にいた剣が痛めつけられている感覚に陥って。
わたしはオルリッサに手を伸ばす。
「お願いやめて!」
「あはは、ほら紅竜よ。おまえの主が苦しんでるぞ。開放してやりたいならリッサと契約しろ。おまえはあの娘から名をもらってないのだから、おまえの意志で契約主を変えられるだろう?」
『うう、婆さんは嫌だ……』
「まだ言うか!!」
オルリッサが手を揚げる。
同時にヴァレンディル少将が叫んだ。
〈水の精霊よ邪悪な縄を溶かしたまえ〉
すると。
青いヴェールに周囲が包まれる。
瞬間、何も見えなかったわたしの目の前で赤黒い光がどろりと溶けて消えた。
「おのれ竜人!!」
オルリッサが両手を揚げて言葉を紡ぐ。周囲の空気が圧縮されるように歪み、鼓膜がおかしくなった。
けれどわたしよりヴァレンディル少将の方が苦しそうだ。紅竜もだ。
「あはは! この世界に竜などいらぬ! 古代魔法が世に復活すれば竜など無用の長物なのだ!! 死ね!!」
おそらくオルリッサが発しているのは竜や竜人を絡めとる魔法だ。
ヴァレンディル少将は地面に膝を付き胸を押さえ、紅い竜は羽が動かず空中でもがいている。
「やめて!!」
「あはは! 劣等種族は魔法が使えないものねえ! 大切な者たちが苦しむ様をよく見るがいい! 竜人は殺し、紅竜は苦しめたのちリッサの奴隷にしてやるんだから!」
「嫌……!!」
そんなのは嫌だ。
ヴァレンディル少将が死んでしまうなんて、嫌だ。
劣等種族のわたしは、誰も救えないの?
そのとき、もうほとんど手足が動かない紅い竜がわたしの耳元でささやいた。
『なまえ……』
わたしはハッとする。
さっきオルリッサは言っていた。「どうせおまえは契約主に名を与えられなければ能力を発揮できない」と。
思い出す。村での遊び。大人たちが読んでくれた紙芝居。村に伝わる宝剣の話には、とある竜の名前があった。
「……リントブルム」
紅い竜の爪が、ぴくりと動いた。
「紅い竜よ! あなたの名前はリントブルムだ!」
刹那、閉じていた赤い瞼が開き、黒曜石のように艶めく双眸が現れた。




