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36 古語魔法が発動するとき


 魔法陣を通るときの、空気がたわむような感触によろめく。


「ここは……」


 開けた場所だった。生き物の気配の絶えた場所。むき出しの黒く焦げた岩、炭のようになった木が杭のようにところどころ突き出ている。


「止まるんじゃねえっ、早く歩け!」


 虎獣人の怒鳴り声と同時に身体に力を入れる。蹴られる衝撃をなるべく小さくするためだ。

 それでも獣人の怪力は凄まじく、太ももを蹴られたわたしは思わず地面に片膝をついてしまった。


「この劣等種族がっ、立てぇっ!」


 虎獣人がわたしの髪をつかんだ。顔が上向いた。暮れなずむ藍色の空に輝く星が見える。



「……あ……」


 見覚えがある。この空の色、あの星の位置。


 この景色をわたしは見たことがある。

 宵の一番星が見える場所。よく見れば、崩れて煤けた石柱の塊が点在する。


「聖堂だった場所……!」


 村の宝だったあの剣を収めていた小さな聖堂。この景色はその前の広場から見えた景色とまったく同じだ。



「あ、気が付いちゃった? ここ、君の故郷の村ね」


 わたしの思考を見透かしたように、オルリッサが金色のカールを揺らしてのぞきこんできた。


「でもって、ここはリッサのカワイイ子を召還する場所でもあるんだよ♪」

「な……まさかまたベヒモスを召還するすもり?!」

「やだなあ、君ちゃんと話聞いてたぁ? あのブサイクはテストだって言ったでしょ。この剣の中に封印された麗しい竜を召還するんだよ!」


 オルリッサは幼女の華奢な手に似合わない大剣を持って突き出してくる。


「それはこの村の……ロート村の守り神が宿る剣。村人たちが大事に守ってきたものだ。紅い竜なんて関係ない! 剣を返して!」



 身を乗り出したわたしを虎獣人が思いきり殴った。

 奥歯をかみしめたが遅かった。口の中が大きく切れて鉄の味が口に広がる。



「あーあ、もう、あんまり乱暴に扱わないでって言ったでしょ。無事に儀式が終わるまでは紅い竜を召還するために必要な道具なんだからね」

「へえ、すんません。つい力が入っちまって。加減が難しいんですよ」


 バラ色の頬をぷうとふくらませたオルリッサに、虎獣人はわざとらしくニヤニヤとへつらった。


 わたしは血の唾を吐き出した。ふざけるな、加減なんかまったくしなかったくせに。


「でもまあ、いっか。手間が省けたし」


 小さな指がわたしの口の端を丁寧に拭って、掬い取った血を掲げた。


「これを、こうして」


 まるで鬼ごっこのルールを説明するようにオルリッサは無邪気にしゃがみ、かつて聖堂の礎だった柱の残骸に塗りつけた。



「じゃあはじめるよ♪」



 オルリッサが両手を広げ、口の中で何事かを呟いた。

 そのまま小さな口がすぼまり、獣の呻き声にも似た音が低く長く吐き出される。



「まさか……これが古語魔法……?」

 オルリッサは古語魔法の使い手だ。そして古語魔法は、主に詠唱で紡がれるものだという。



 オルリッサが息を吐ききると、小さな光の粒が、ぽ、とオルリッサの口から飛び出した。


 それは空中で見る間に膨らみ、やがて一つの文字となる。



「オルガ文字だ」



 今は使われない、聖堂の中でしか見たことのない文字だが、毎日のように礼拝に通っていたスカーレットはオルガ文字を読めるし、意味も知っている。


 形作られた文字の意味は。

「巨人、大いなるもの……本気で赤い竜とやらを召還するつもりなのか」


 赤い竜がどのような存在なのかは知らないが、竜とは大きく強く魔力も高い最強の魔獣だ。そんなものを古語魔法の使い手に渡しては危険すぎる。



「やめろーっ! オルリッサ!!」


 ありったけの声で絶望の淵から叫ぶ。味方の助けもなく、囚われの身で戦えない、惨めが自分だけれど叫ばずにはいられないかった。

 そんなスカーレットを嘲笑うように、オルリッサが微笑んだ。


 刹那。


 文字が強い光を放った。

 その光芒は夜に沈んでいこうとする山中を凄まじい速さで走っていった。






「始まりましたね」


 足元に描いた魔法陣に光が走っていくのを見て、ルカンは笑んだ。


 光りの発信源はここから谷を下った場所。元ロート村の跡地だ。


「スカーレットも最後に故郷に戻れて本望だったでしょう」



 赤い竜を召還し、契約主をスカーレットからオルリッサに変えることができればスカーレットは用済みだ。


 スカーレットのことが嫌いなわけではないし、番を失ったアルがどうなってしまうかを想像すれば胸が痛む。

 しかしそれよりも、嫉妬の業火に焼かれる苦しみと大義の方が勝ってしまった。

 だからこそ、オルリッサと手を組んだのだ。


「この戦争は終わらせるべきです。それが世界の正義だ」


 ルカンは自分に言い聞かせるように言って歩き出す。


 今は大型の魔法陣が作動しているから、移動用のような小さな魔法陣を近くで使うのは危ない。それでなくとも元ロート村の跡地はここから近い。谷へとくだっていけばすぐだ。





 魔法陣を抜けると、そこは闇だった。

 そりゃ当然だ。もう陽が暮れている。


 たった今、軍営でエリスに聞いた話に打ちのめされていた。


「まさか……オルリッサと通じているって……どういうことだルカン。なぜだ!!」



 誰もいない闇に怒鳴る。

 ルカンは何らかの目的のためにオルリッサと通じているようだ――エリスはそう言った。



『最初は知らなかったんです。指示されたことは全部、スカーレットのためだって言われて、だからやりました。スカーレットの荷物を調べたり、お部屋の観葉植物に盗聴用の魔法石を仕掛けたり……でも、極秘作戦が始まる前に盗聴した話を捻じ曲げて広げろと言われて……それもスカーレットのためだって言われたけど、スカーレットを取り巻く憎悪を見てあたし、怖くなったんです。これじゃあ任務中にスカーレットは絶対孤立しちゃうって。そう言ったら、ルカン様は言ったんです。オルリッサは世界のためにスカーレットを必要としているから、邪魔してはいけない、って……』



 世界のためってなんだよルカン。

 俺たちが軍で成そうとしていた国の未来より、得たいの知れない魔女の描く世界の方が大切なのか。


 俺たちが一緒に戦ってきたこの戦争は、友情は、そんなに軽いものだったのかよ。

 しかも、俺の番を巻きこむ形で裏切るなんて。



「くそっ……」


 やり場のない気持ちを蹴とばすように、地面を強く蹴りつけた――ときだった。



 ずん、と磁場が歪むような衝撃に、一瞬身体が動かなくなった。


「なんだ、あれは……」



 山が光っている。


 光っている方角から途方もない魔力を感じる。光は風のように山の中を走っていく。まさか。これはオルリッサが魔法陣を発動したのか。そして。


「スカーレット!!」



 その気配を感知した俺は、光の発信源へ向かって無意識に翔んでいた。



 オルリッサが放つ強烈な魔力と同じくらい、いやそれ以上に俺を貫く衝撃。

 スカーレット――俺の番は、あそこにいる。


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