33 アルに会いたい
「本当にお二人だけの行動で大丈夫ですか?」
ゼルウェンさんが不安げに言った。ナレシル少将が笑ってわたしの肩に手を置く。
「大丈夫ですよ。ゼルウェンは私の魔法の腕を知っているでしょう? それに、近接戦で武力が必要ならスカーレットがいる。なんといっても、生きた剣の使い手です。私たち二人なら、たとえ魔女オルリッサに遭遇してもなんとかなる。ね、クライン補佐官……いや、スカーレット?」
敢えて親し気に言われる。ナレシル少将は二人きりになる不安を払拭してくれようとているのだろう。
「はい。善処します」
「ほらね。ですからゼルウェン、何も気にせず君たちはジルドール大佐の班に合流してください。石化魔法は時間との勝負です」
わたしたち後方支援班が緊急出動要請を受けて合流したのは、ナレシル少将の班だった。
けれど、その直後にジルドール大佐の班からも緊急事態だと連絡が入ったのだ。
なんと魔女オルリッサに遭遇し、石化されてしまった隊員が出たという。
「了解しました。あと……ヴァレンディル少将の班が消息を絶ったそうですがそちらに関してはどうしましょうか?」
ゼルウェンさんが気遣わしげにわたしを見た。
全身が凍り付く。ヴァレンディル少将の班が消息を絶った?
「そっちを私が引き受けよう。もはや最初の作戦通りにはいかない。隠し砦を探すより仲間を捜すことを優先しなくては。そうでしょう、スカーレット?」
「えっ、はい、もちろん」
「そういうことで、私たちはヴァレンディル少将の班を捜します。何かあれば互いに連絡しましょう」
ゼルウェンさんたち――リオニス中佐班とナレシル少将の班員たちはジルドール大佐班を援護するために移動していった。
「さて。私たちも行きましょうか」
「はい。あの……」
「どうしました?」
「ヴァレンディル少将の班が消息を絶ったって、どういうことですか? 何かあったのでしょうか?」
ナレシル少将が柔らかい笑みを浮かべたまま目を細める。
「連絡が付かないというのは、まあそういうことでしょうね。何があったのかはわかりませんが。それを今から我々で確かめるのです」
「……了解しました」
歩き出したナレシル少将の背を追いかける。
足場が悪いため一歩一歩確認しながらだが、ナレシル少将は長身に似合わない身軽さでひらりと移動し、確実に安全な足場を選んでくれる。後に続くわたしは足場の心配をすることなく、おかげで余計な思考ができてしまう。
ヴァレンディル少将の班に、何があったのだろう。
あの班は、ミリアさんをはじめとした獣人が多く機動力が高い。魔法の巧みなエルフが数人、そして何よりヴァレンディル少将自身が魔法も武術も最高レベルの軍人だ。何かあったとして簡単に撃破されるとは思えない。
「アルたちも石化されてたら最悪ですね」
前を歩くナレシル少将が突然言った。思考を見透かされた気がしてどきりとした。
「まあアルがいるのでそれはないと思いますが。アルは水魔法を得意とするので、石化解除にも対応できます。ああでも……アル自身が石化されていたら無理か」
心臓が張り裂けるかと思う痛みに襲われた。
ヴァレンディル少将が石化? まさか。そんなこと。
有り得ない。――あってほしくない。
「嘘……」
思わず言葉がこぼれてハッとする。ナレシル少将が振り返った。柔らかい笑みを湛えたまま。
「心配?」
「そ、それは」
「君は『番にはなれない』と言ってアルを突き放したのに、それでも心配なのですか?」
あのやりとりを見られていたんだ。カッと顔が熱くなった。
「どうして?」
「え……」
「アルは最高の竜人です。見目麗しく精悍で、勇猛果敢で真っすぐで。彼の欠点は生粋の軍人で世間知らずなところぐらいでしょう。二百年一緒にいる私が言うのだから間違いない。彼ぐらい魅力的な存在は世界にそうはいない」
わたしは何も言えなかった。ナレシル少将の言っている事実は疑いようのないことで、二百年生きていないわたしには世界規模の評価はわからない。
わかっているのは、確かなのは。
ヴァレンディル少将の身に何か起きたかもしれないとわかった今、どうしようもなく落ち着かないということ。
「それなのに、なぜ君は彼を拒むのです? 命を賭して二度も君を救い、毎日君に細やかな気遣いをする彼を。公私混同と取られかねない君の昇進だって、ただ彼が『番』の君を傍に置きたかったからじゃない。軍人としての君を評価し、周囲にも君の実力を評価させて君を軍人として引きあげようとしたからだ。それらに対するアルのメリットは、正直ゼロに等しい。『番』だからという本能だとしても、アルが君を想い君のためにすべてを捧げていることに変わりはないのに」
「それは……」
やはり言葉が出ない。うまく説明する言葉を紡げない。
だって本当はわかっていた。
ナレシル少将が言ったことはすべて、わたしにもわかっていたのだ。
わたしは怖かったんだ。
ヴァレンディル少将と一緒にいると心が安らいた。楽しいと思えた。そんなことは初めてだった。だから……裏切られるのが怖かった。
でも、本当にそれだけ? それだけでこんなにも心がざわつく?
いいえ――もっともっと自分の心の内側に踏み込む。
これまでだって、いろんな人に裏切られてきた。戦場で、ささやかな信頼を育もうとして何度も踏みにじられ、小さな絶望と共に己だけ頼って生きる術を身に着けてきた。
今さら本当の気持ちに気付く。裏切られることが怖かったんじゃない。
わたしはヴァレンディル少将に――《《アルに裏切られるのが怖かったんだ》》。
アルの笑う姿や拗ねた顔、あわてた顔、慈雨のような優しい眼差し、そしてわたしを包みこむ熱い腕や、アルのいろんなことが一気に押し寄せてきて――わたしの中で何かが氷解した。
自分が傷ついて、これ以上傷つくのが怖くてアルを撥ねつけたことを深く後悔した。懺悔のように、言葉がこぼれてくる。
「わたしは愚かでした。会いたい……アルに」
「勝手ですね、君は。でも人間とは勝手な生き物らしいですから仕方がないのかもしれませんね」
そう言ってナレシル少将は立ち止まった。わたしを背に庇うように手を広げる。
「おやおや、こんなところで逢ってしまうとは」
鈴のような声で言ったのは、いつの間にか目の前に立っていた少女だ。
信じられないくらい可愛らしい美少女だった。
金色の長い艶やかな巻き髪にエメラルドグリーンの大きな瞳。仕立ての良いローブにエナメルの靴。皇国貴族の令嬢だろう。しかし、なぜこんな山奥に。
「……下がってください、スカーレット。オルリッサです」
「え?!」
わたしは反射的に背の剣に手をやった。しかしそれをナレシル少将の手が制する。
「ダメです、スカーレット」
美少女――魔女オルリッサは天使のように微笑んだままわたしたちを見ている。
ナレシル少将はオルリッサから目を逸らさず対峙したまま、わたしに言った。
「剣を」
「え?」
「剣を持ったままでは危険です。私に渡してください。ここは魔法で対処します」
「でも」
「帯剣の条件を覚えていますか?」
覚えている。ナレシル少将に帯剣許可をもらった際、現場の上司の判断で剣を扱うと約束した。
「私は大丈夫ですから。剣を渡してください、早く」
「――了解しました」
本能が発する危険信号を必死に抑え、わたしは軍人としての行動を取る。剣をベルトごと外し、ナレシル少将に渡した。
ナレシル少将はゆっくりと剣を受け取り、わたしを背後に庇う。オルリッサが近付いてきた。わたしのような魔力も魔法も使えない者でも感じるくらい、オルリッサの全身からは圧倒される何かがピンク色の光芒となって取り巻いている。
近付いてきたオルリッサは、ナレシル少将を見上げて微笑んだ。背中に汗がどっと噴き出る。わたしはどうするべきか。上司命令に従い動かずにいるべきか、手の届く位置にいる敵を押さえるべきか。しかし相手は古語魔法の使い手でわたしの物理攻撃が届く前にナレシル少将が――。
「ご苦労だった、ルカン=ナレシル」
「ま、約束ですから」
目の前で、ナレシル少将がわたしの剣をオルリッサに渡した。




