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30 エリスの叫び


 アルの――ヴァレンディル少将の手を振り払うのがこんなにも苦しいことだなんて思わなかった。


 きっと、わたしはまだ信じていたいんだ。ヴァレンディル少将の優しさや、温かさや、わたしに向けてくれた笑顔を。

 すべてが『番』という概念の思い違いからきたものだと、信じたい。



 でも、現実は違う。事実は残酷だ。



 わたしの信じたい気持ちはただの希望的観測だが、盗聴に使われたカタツムリの魔法石は実際にあった。今もわたしの制服のポケットに入っている。


 その現実がわたしの心臓を握りつぶす。息をするのも苦しい。



「それが噂の剣ですか。確かに、素晴らしいですね」

 振り返ると、リオニス中佐――ゼルウェンさんがわたしの背の剣を見て感心した。

「その剣を持つスカーレットがいてくれたら、もし山中に駆り出されることがあっても心強いですね」


 ここは後方支援班の待機場所。軍営本部の最奥にあるドーム型の広い空間には、軍事的に重要な場所への移動用魔法陣がいくつも並んでいる。

 わたしたち後方支援班は山中へ入る部隊が移動した後、ここへ待機場所を設営した。万が一、出動要請があった場合にすぐ対応するためだ。


「生きた波動を感じる剣ですね」

「ナレシル少将にも同じことを言われました」



 ちら、と横を見る。設営用のテーブルで資料を整理しているエリスが目に入る。この距離なら今のわたしの声は聞こえるはずなのに、ナレシル少将の話に食いついてこないエリスは珍しい。



「エリス」

 声をかけると、エリスは肩をびくりと上げた。


「どうかした? 顔色が悪いけど……」

「う、ううん、だいじょうぶ。なんでもないよ」


 エリスの笑みは弱々しい。周囲の視線を感じて、ああそうか、と思う。


 エリスも聞いたのだろう。盗聴され、捻じ曲げられた噂を。

 あの話をエリスも信じたのかと思うと、つきりと胸が痛んだ。



「あの話、エリスは信じてないと思いますよ」

 後ろから、そっとゼルウェンさんが言った。



「もちろん僕も信じていませんが」

「……ありがとうございます」

「でもあの話、半分は本当なんじゃないですか?」

「どうして、そう思うんですか」

「スカーレットが七年前の山賊襲撃事件の被害者だと考えると、いろいろが納得できるからです。その剣も、故郷の大切な品なんじゃないですか? その辺の武器屋で売っている物じゃない」


 答えないわたしの肩をゼルウェンが軽く叩いた。



「なんにせよ、スカーレットとその剣は我が後方支援班の心強い味方です。それだけは確実ですからね」

「ありがとうございます」


 鼻の奥がツンとして、あわててうつむく。どうしたんだろうわたしは。最近は涙腺がどうかしている。泣くことなんて滅多になかったので、涙が出そうになると動揺する。どうしていいかわからないから。



「でも、妙ですよね。こんな噂をばら撒いたのは誰なんでしょう。しかも何故、このタイミングで……?」


 ゼルウェンが首を傾げる。それはわたしも思ったことだ。


 ヴァレンディル少将は、どうしてこのタイミングで、しかもわたしから聞いた話を捻じ曲げてばら撒いたのか。

 盗聴魔法を仕掛けてあったのだから、わたしを軍にいられないように貶めるつもりなら他のネタをもっと前に広めることもできたはず。例えば夕食会とか。わたしの私生活がそんなに面白いものとも思えないが、どうせ捻じ曲げるのだからネタは取れたはずだ。



 なぜ、このタイミングだったのか?



 他の班員からは明らかに煙たがられているので、わたしは邪魔にならないように隅の席で資料を読むフリをしながらぼんやりと考えてる。



「スカーレット」


 ふと顔を上げると、エリスが立っていた。周囲に目を走らせ、そわそわしている。


「今、話せる?」

「いいけど、どうしたの?」


 思わず聞いてしまうほどエリスの様子は尋常じゃない。顔色も悪く、うっすら額に汗をかいている。


「あたし、あたし……ごめんなさい!」

 エリスは両手で顔をおおった。


「な……どうしたの、落ち着いてエリス」

「あたし、こんなことになるなんて思わなくて、あたし――」


 エリスの言葉をかき消すようにサイレンが轟いた。緊急を知らせる合図だ。



「リオニス班、ただちに作戦展開先の移動魔法陣へ集合!」


 ゼルウェンさんの緊張した声。軍靴が騒然と走る音。その中でエリスはガタガタと震え続ける。


「エリス! しっかりして! 出動指令が出てる!」

「ダメ! スカーレット行っちゃダメだよ!」


 悲鳴のような声で返されてわたしは唖然とする。エリスは何を言っているの?



「エリス事務官! 君は残れ!」

 ゼルウェンさんとは思えない厳しい声が叱責した。



「体勢を整えて追いつくように! クライン補佐官、君は配置へ付け!」

「はい!」


 軍人としての条件反射。命令には即反応、ただちに配置へ向かう。



「お願いっ、行かないでスカーレット、行っちゃダメ……!」

 移動用の魔法陣内に入ってからもエリスの悲痛な叫びが耳から離れなかった。



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