28 捻じ曲げられた噂
七年前に軍に入って以来、わたしには信用できる存在がいなかった。
愛と温かさと信頼に溢れていた故郷は消滅した。
軍はそれとは正反対の場所だった。
劣等種族のわたしにとって、軍生活は常に喰われないように警戒し、すべてを疑ってかからなくてはならない場所だった。
そんな場所でたった一人、 わたしが過去の話を初めてしたのがアルだ。
たぶん、わたしは彼を信用したから。
それは好意と言ってもいいものかもしれない。
アルも同じ気持ち――わたしはどこかでそう思いこんでいた。
けれど、それは思い違いだったのかもしれない。
竜人の『番』という概念は、それとは異なるものなのかもしれない。
アルにとって『番』のわたしとは、家に盗聴器を仕掛けて監視する対象なのかもしれない。
そんな「かもしれない」ことがぐるぐる頭を巡る。ミリアさんの牙を剥きだした表情や周囲の冷たい視線や侮蔑の囁きから身を守るように、視線は配られた資料に落としたまま。
『オビ山脈一帯の襲撃事件、あの話をアレンジしたらしいよ』
『あれは酷い事件だったもんな。あの事件の被害者だって言ったら誰だって憐れをもよおすよな』
『しかも番の言うことだもの。竜人は番の言うことは無条件に受け入れるでしょう』
『そこを利用してぶっ飛び昇進かよ。劣等種族はえげつないな』
昨日の夜、わたしの話に耳を傾け、涙を流してくれたアルは何を思っていたのだろうか。こういう状況を望んでいたのだろうか。
否。
盗聴をした情報をばら撒き、わたしを陥れることが目的とは思えない。思いたくない。
抱きしめてくれた温もりが、偽りだったと思いたくない。
『正直、軍から抜けてほしいよな。番だったらヴァレンディル少将の屋敷で悠々自適に暮らせばいいんだからさ』
悪意あるその囁きにわたしはハッとした。
最初に出会ったとき、アルはわたしを屋敷に引き取りたいと言った。
それを拒否したら、あの官舎を紹介してくれたのだ。
そうか、と思う。
トン、と誰かの手がわたしを奈落の底へ突き落とした。
官舎は、《《わたしに自ら籠に入らせるための罠だった》》。
そう考えれば辻褄が合う。盗聴器を仕掛けたことにも納得がいく。
この状況を、アルは望んでいたのだ。
資料の文字がぼんやりと滲んだとき、ナレシル少将とジルドール大佐、アル――ヴァレンディル少将が会議室へ入ってきた。わたしは慌てて目を瞬いた。
さざめきが止み、室内がしんとする。さっきまで室内に渦巻いていた憎悪や嫌悪が急な静寂と混ざり、室内に異様な空気を作っている。
それを気にするふうでもなくナレシル少将はいつもどおり穏やかな笑みのまま着席した。
対して、ジルドール大佐は一瞬室内を見回し、思案気に長い指を眼鏡にあてる。
ヴァレンディル少将がゆっくりと全体を見て、言った。
「何か問題があったのか」
隊員たちはチラと顔を見合わせる。「何も問題はありません」と誰かが言った。
「そうか……?」
「アル、速やかに会議を終えて山へ入る班を送り出そう。時間がない。こうしている間にもオルリッサはまた新たな地点に移動するかもしれない」
「ああ、そうだな」
どこか腑に落ちない表情ながらもヴァレンディル少将は手元の資料を開いた。ナレシル少将が手を上げると投映魔法が発動し、正面のホワイトボードに地図の画像が浮かび上がる。
「後方支援班は今、新しい地図と資料を作っていますので先に始めます」
確かに、エリスやゼルウェンさん、数人の席が空いている。
「さて、昨日のクライン補佐官の無謀且つ有益な行動のおかげで、魔女オルリッサはこの地点の隠し砦にいたことがわかりました」
地図上で指示され、赤いマークが付いているのはわたしが昨日、リザードと遭遇した隠し砦だ。その周囲の山中の様子が地図画像に重なるように投映される。
「見ての通り、周囲は見通しの悪い岩だらけの山中で、多勢での攻撃が不利だ。戦闘は近接戦を推奨。魔女オルリッサには相当数の強兵が付いているらしいことから、魔法中心の戦闘方法を推奨。クライン補佐官、理解しましたか?」
はい、と答えるとナレシル少将はにっこりと頷いた。
「まあクライン補佐官は今日はリオニス中佐の後方支援班へ回ってもらうのでご安心を」
ナレシル少将は軽く手を振った。わたしの緊張を解くためなのか、室内の異様な空気を慮ってのことなのか。
「山中へ入ってもらう班にはこれまでに配った砦はもちろん、今からクライン補佐官が予想する隠し砦の場所を中心にオルリッサを捜索してもらいます」
一声に室内の視線がわたしに向く。氷の刃が一気に襲ってくるような鋭さに、思わずわたしは身を硬くする。
「クライン補佐官、そう緊張しなくてもいいですから。昨日の隠し砦を一人で予想したあなたなら、魔女オルリッサは次にどこへ移動すると思いますか?」
「……確実とは言えませんが」
わたしは昨日のうちに予想をしていたいくつかの砦の位置を伝えた。いずれも、昨日の砦よりも北側、足場が悪すぎるのとアンガスティグ皇国に近過ぎるのが理由で諜報隊が足を踏み入れずにいる区域だ。
谷あいのこの区域の足場が悪いのは、七年前の山賊襲撃事件で焦土になった場所が多いからだ。
わたしの故郷ロート村も、この区域に含まれている。
「なるほど。北側ですね。ここは諜報隊が足踏みしている区域です。ここに魔女オルリッサがいるならば、諜報隊にまったく気付かれずに作戦を遂行できますね」
ナレシル少将はどこか満足げに頷く。隊員たちはわたしに冷ややかな視線を向けつつも地図の隠し砦の位置を確認している。
「クライン補佐官の指摘を入れた地図を各班の長に配ります。全員、しっかり頭に入れて紙は破棄するように。では、散開」
ナレシル少将の微笑みは、どこかで見た戦女神のようだ。
その隣で、ヴァレンディル少将が立ち上がった。真っすぐわたしに向かってくる。
わたしは急いで立ち上がった。
早く会議室から出たい。けれど、前にいる人たちを押しのけて出ていくわけにはいかない。
ヴァレンディル少将と顔を合わせる前にここから出たい。
そうでないとわたしは。
グッと唇をかみしめる。目の奥が熱くなって鼻がつんとしている自分に驚き、怒る。耐えろ。こんなところで惨めな姿をさらすな。
初めて信じた人に裏切られた、惨めな姿を。
けれど神は残酷だ。わたしの願いは届かない。
「スカーレット?」
追いついてきた端麗な竜人が、心配そうにわたしをのぞきこむ。




