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27 胸騒ぎ sideスカーレット


 階下でガラスの割れる音がしたのは、ちょうど身支度を終えたときだった。



 反射的に剣を手にしていた。耳を澄ませる。続く破砕音。



 何かが投げ込まれている。爆発物じゃない。



 そうッと素早く剣を背に佩き、足音を忍ばせて廊下へ出た。



 階段の途中で足を止め再び耳を澄ませる。音はしない。階下はしん、としている。聞こえるのは、崩れ残ったガラスの欠片が落ちる音だけ。




 家の中へ侵入したのでないのなら――。




 わたしは素早く二階へ戻り、家の裏手を見下ろす窓を覗く。

 白い軍服姿が走っていくのが見えた。特徴のある後ろ姿は見間違えるはずもない。躊躇わず、わたしは窓から飛び降りた。



「止まってください! あなたがやったことはわかっています!!」

 追いつけないとわかっているので大声を上げてみる。ダメ元だったのだが。



「ひっ……あんた、どうして」

 意外にも立ち止まってくれた。動揺して動けなくなったと言うべきか。制服の白いズボンの上でふさふさの白い尻尾が硬直している。



「それはこちらのセリフです。どうして窓ガラスを割ったんですか。ミリアさん」



 ミリアさんの双眸がたちまち真っ赤に熟れたラズベリーのようになった。ウサギ獣人は激しく怒ると目が真っ赤になるらしいが、実際に見たのは初めてだ。



「どうしてですって?! 許せないからよ!!」


 ミリアさんは牙を剥いてわたしを睨みつけた。


「おかしいと思ってたわ! なんであんたみたいな劣等種族がいきなり参謀部に配属されたのかって。思った通りだった。お涙ちょうだい話でヴァレンディル少将の気を引いていたのね!」

「お涙ちょうだい話? なんのことですか?」


 さっぱりわけがわからなくて思わず聞き返したのがよくなかった。火に油を注いだようだ。ミリアさんは更に目をぎらつかせて喚いた。


「とぼけないでよっ!! 竜人はつがいの要求をすべて受けれるってわかってて、有名な事件にこじつけて剣がどうとかあんな作り話をでっち上げるなんて!!」


 雷に打たれたらこんな衝撃が身体中を巡るのかもしれない。

 頭が痺れた。手が震える。有名な事件、剣……作り話?

 何のことを言われているのかすぐにわかるし、わかるからこそ信じられず言葉が出ない。

 ミリアさんは畳みかけるように喚き続ける。


「あたしは間違ってないわ!! 間違ってないんだから!! 参謀部のみんなだってきっとそう思ってる! あんなお涙ちょうだいの作り話でヴァレンディル少将を騙すなんて許されていいことじゃないって――」

「作り話じゃありません!!」



 弾丸みたいにしゃべっていたミリアさんは口が、開いたまま止まった。



「わたしの過去は作り話じゃない。無惨に死んでいった人たちを、わたしの故郷を侮辱しないでください」


 我ながらわたしの声は底冷えしていた。腹の底から出ているので大声じゃなくても迫る重力がある。



「な、なによ! 調子に乗るんじゃないわよ!」



 脱兎のごとく、という言い方があったと思うがその勢いでミリアさんは踵を返し、けれど最後に振り返って怒鳴った。


「誰もあんたなんかと仕事しないっ! 組みたがらないんだから! あんたは一人で任務を遂行するのよっ! そして今日もリザードにでも遭遇するといいわっ!!」



 わたしは動けなかった。

 遠ざかっていくウサギ獣人の俊足に驚いていたわけじゃない。


「《《剣がどうとかあんな作り話をでっち上げるなんて》》」とミリアさんは言った。



 わたしは故郷の話をこれまで誰にもしたことがない。

 昨日の夜、ここでヴァレンディル少将に話したのが初めてだ。



 考えられる可能性はひとつ。



 確かめなくては。でも確かめたくない。でも。

 わたしは手を三回叩く。屋敷妖精を呼ぶときの合図だ。



「お呼びでしょうか」


 美しい羽虫の羽のような虹色に透けた妖精が現れる。



「この家の中の会話を盗聴できるような魔法が仕掛けられているか、調べてくれますか?」

「かしこまりました」



 屋敷妖精は恭しく頭を垂れて消える。


 彼女は従順で、決してでしゃばらない。主人に頼まれたことしかしない。

 だから盗聴魔法がこの家のどこかに掛かっていたとしても、《《自分からは言わない》》。主人から頼まれない限りは。



 ものの10分もたたないうちに、屋敷妖精が戻ってきた。

「見つけました」


 屋敷妖精が誘うままに階下へ降り、居間の観葉植物の前に立つ。


「こちらです」


 屋敷妖精がめくった観葉植物の葉の裏に、小さなカタツムリがいた。

 七色に透ける手がそのカタツムリを葉からつまみ上げると、カタツムリは激しく身体をよじった。

 黄色く点滅するその様子は生き物のカタツムリじゃない証拠だ。



 やがてカタツムリは、小さな石になった。道具屋などでもよく売られ、どこにでも手に入るタイプの魔法石だ。



 わたしの家の会話は、盗聴されていた。

 その事実に立ち尽くす。



 割れた窓から風が入ってくる。どこか生温かい風は湿気を含んでいる。今日は雨になるのだろうか。山での任務があるのに。ああそうだ、わたしは後方支援班に入れられたのだった。山に行くことはない。でも。床に転がった大きな石を見る。


 足元からぞわぞわと何かが這い上がってくるような気がする。胸騒ぎがする。


 わたしは山に行くべきでないのか? ミリアさんの声が耳の奥で反芻する。誰もわたしと組みたがらない。わたしはまたリザードにでも遭遇するべきだと。遭遇して――今度こそ死ねばいい。そういうことだろう。




 とりとめもない思考を打ち切るように頭を振る。カタツムリの付いていた観葉植物の葉をもう一度裏返す。



 誰がやったのか?



 深く考えなくとも、さまざまな事実が最も信じたくない選択肢を突きつけた。



 この家を紹介し、わたしの行動を監視する必要があり、わたし以外でこの家に頻繁に出入りしている人。

 ヴァレンディル少将だ。


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