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25 尊い番だから


 額の傷のことが、どうしても気になった。


 傷に触れると伝わってくる感情の波のようなもの――悲しみや憎悪などの黒い感情が胸を突いた。最初は気のせいかと思ったが、さっき額に口付けたときに確信した。



 気のせいなどではない。あの傷はただの傷ではない。



 スカーレットがあんな感情と共に抱えている傷。

 そんな傷を付けた誰かを許せないという強い衝動が沸き上がり、つい聞いてしまっていた。


 普通なら、女性に顔の傷について聞くなど失礼だ。もっと深い関係ならまだしも、俺とスカーレットは出会って日も浅い。

 普通に理性が利いていたら普通にわかることが視えなくなってしまっているのだ。


 それはスカーレットが俺の番だから。俺が竜人だから。


 制御できない番への執着ゆえに、スカーレットに辛い過去を語らせてしまった。



「ほんとうに、すまない」

「ヴァレンディル少将が悪いわけではありません。上司として部下に傷跡のことを聞くのは部下を把握する上で大事だと思います」

「しかし」

「昼間、叱責を受けたときも思いました。ヴァレンディル少将はさすがだと。軍人として尊敬します」



 俺は面食らった。彼女は大まじめだ。



「わたしはヴァレンディル少将の番らしいですが、そんな存在にも軍人ならば軍規に反する行動は戒めるべきです。でも、それをできる人は少ないと思います。恋愛が絡むと、公私混同しがちになる。でもヴァレンディル少将はわたしをきちんと叱ってくださいました」

「スカーレット……」



 俺はあの時、心を鬼にしていた。番に対してこんなに怒鳴りつけたくないと思う自分を必死に抑え、軍人としての職務に徹していた。

 それを、他ならぬスカーレットがわかってくれていたことに胸が熱くなる。



「それに、わたしの過去のこと話せてよかったです」

「よかった……?」

「はい。あのことを、わたしは誰かに話す必要があったんだと思います。もちろん憎しみは消えないし、復讐したいという決意もそのままです。でも、さっきまでとは違う、なんていうか堂々と復讐してやるという心持になりました」


 スカーレットは俺にハンカチを差し出した。少しはにかんだように笑んだ紫色の瞳を思わず見つめる。


「少なくとも、こっそりと勝手に任務を復讐のために利用しようなんていう姑息なマネは、もうしないと思います」


――この子は。

 なんという強さと優しさだろう。


 まだ幼いときに負った辛く悲しい運命を一人で抱えて戦って、声に出して語ってなお、復讐をより昇華した形で成そうとしている。

 誰かのために怒り復讐したいと思うのは、裏を返せばその者が弱く、そして優しいからだ。



 彼女は優しく、弱い。

 けれどその弱さを乗り越えて戦い、軍で生き残り続けた。

 たった一人で。



「……竜人という厄介な生き物から勝手に番と言われ、さぞ迷惑だと思う」


 スカーレットのハンカチで俺は自分の頬をサッと拭った。泣き顔を見られてしまったのが恥ずかしく、また彼女のさりげない気遣いがうれしい。


「できるものなら君を解放してやりたい。君の傍にいたいと想うあまり、君から離れることができない自分が嫌になってくる。本当に竜人なんてやめてしまいたいくらいだ」

「それは……竜人としての性なのですから仕方ないのではないでしょうか。わたしには正直、竜人の番という概念がわかりません。それでも、劣等種族のわたしでも、ヴァレンディル少将がわたしを気にかけてくださっているのは理解できます。だからそんなふうに御自分を責めないでください」


 スカーレットの眼差しはどこまでも真っすぐで澄んでいる。その双眸に吸い込まれそうになって胸が高鳴る。



 そうか。そういうことか。



 これまで、いろんな種族のいろんな美しい女性に会った。皆が俺に好意や情熱を抱いてくれたが、俺にとって彼女たちは美しい景色の一部にすぎなかった。番は恋愛とはまた違うものだと歳を重ねた竜人たちが言うのも聞いていた。恋愛のことなどきっと一生わからないのだろうと思っていた。



 でも、今わかった。

 俺はこの子に、恋している。



「ヴァレンディル少将?」

 覗きこんできた顔を見た瞬間、勝手に身体が動いていた。



 抱きしめずにはいられなかった。



 スカーレットは抵抗しない。むしろ、受け入れてくれる温かさを感じた。今までも何度かなりゆきで抱きしめたことがあったが、いつも彼女は緊張して身体をこわばらせていたのに。



「俺が君にこうして触れることを、許してくれるのか?」

「劣等種族のわたしでよければ」

「劣等種族なんて言い方はやめてくれ。そもそも、種族に優劣など無い。君がなんの種族であろうと、君は誰よりも強く優しい、俺の尊い番だから」



 彼女が息を呑んだのが伝わってくる。やがて、細い腕がそっと、俺の背中に回された。

 俺はいっそう力をこめて、でも彼女を傷付けないように抱き寄せた。



 彼女の紅い髪をそっとなでる。

 俺に身を任せている彼女とずっとこうしていたい。

 が、そう思った瞬間、軍人の俺が顔を出す。

 明日はまた国境の山に入るのだ。



 玄関まで送ってくれた彼女の手を、名残惜しくてつい握ってしまう。

 俺が彼女に触れるたびに訝し気な顔をしたり緊張したりしていたのが、今は俺の手をそっと握り返してくれることに無上の喜びを感じる。

 なんだろうこの走り出したくなるうれしさと幸福感は。


 そんな気持ちをなんとかいなし、俺はスカーレットに言った。


「明日は謹慎が解けるが、緊急事態でないかぎり君はゼルウェンの班にいることになる」

「地図にまだない砦を予測するためですね」

「ああ。もちろんゼルウェンたち後方支援班も砦の予想は立てているのだが、見落としている場所があるかもしれない。なにより、オルリッサを捕縛するためには今日いた砦からどこへ移ったかを考え、的を絞る必要がある。そのためには付近の地形に実際足を踏み入れた君の意見が重要だ」

「了解です、ヴァレンディル少将」


 答えた彼女をまじまじと見る。ああどうしよう。また番への執着が止まらなくなっている。


「どうしたんですか?」

「た、頼みがあるのだが」

「なんでしょうか」


 真面目な顔で小首を傾げられると恥ずかしくなる。俺はスカーレットから目を逸らして軽く咳払いした。



「勤務外では、名前で呼んでくれないか?」



 言ってしまった!!!


 スカーレットはきょとんとした顔をしている。


 まずいっ、まだ早かったか?!



「いやべつに無理強いをするつもりは――」

「アルサリオン」



 どきりとした。彼女の小さな唇が再びアルサリオン、と呟く。



「うーん、やっぱりちょっと長いですね。長いと呼びにくいかと――」

「アルでいい! アルと呼んでくれ!」



 食い気味な俺に少し引きながらも、スカーレットは笑った。



「わかりました、アル」



 う、でもそこは敬語なのか。

 まだまだ、先は長いな。



 それでも急速に縮まったように感じるスカーレットとの距離感がうれしくて、アパートメントに向かう足どりは軽かった。







 スカーレットはキッチンでティーセットを洗っていた。

 傍らで、屋敷妖精がポットやカップを丁寧に磨いて、食器棚に戻している。

 水を流す音に混じって、鼻歌が聞こえる。スカーレットが鼻歌を歌うことなど、故郷の村にいたとき以来だろう。


――だから。


 いつもと違ういろんな音にかき消され、《《その音》》にスカーレットも屋敷妖精も気付かなかった。


 居間の観葉植物の葉の裏で、あの小さなカタツムリがゆっくりと這っている。その緩慢な動きが止まると、小さな塊はきい、と鳴いた。

 その鳴き声は、やがて複数の人間の声が糸のようにからまった音になる。



 その音が止まると、カタツムリは黄色く光り明滅を繰り返した。



 スカーレットの鼻歌と屋敷妖精との会話、陶器が触れあう小気味よい音。

 その音が届く居間の片隅で、カタツムリはまるで何かに何かの信号を送るように点滅し続けた。






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