十位優等生の“遠回り”
四月。
掲示板の前は人で詰まっていた。白い紙に黒い数字が縦に並ぶ。息をのむ音、軽い歓声、ため息。
――あった。
藤堂 蓮 筆記70/実技90 合計160 順位:10位
(……うん、十位)
胸の奥が少しだけ冷える。顔には出さない。口角を二、三ミリ上げるのは癖になった。
「出た、十位キープ。実技九十は普通に強いだろ」
横から神谷が覗き込む。声がいつも通り明るい。
「サンキュ。まあ、こんなもん」
「俺、百四十。家だと胴上げ」
「お前んちの採点は優しいな」
「な。――で、狙わないの? 上」
「点は点だろ。必要な場面で負けなきゃいい」
「言うじゃん。じゃ、カツカレー」
食堂は揚げ物の匂いで満ちていた。自動で回る鍋、ざわつく昼。窓際の席に腰を下ろす。
「今月末の遠征、監督候補にお前の名前あったな」
「ある。資料の手伝いも言われた」
「信頼の十位」
「皮肉じゃなくてありがとう」
神谷がカツを割る音が小気味いい。
「でもさ、“王道”でちゃんとやればもっと上いけるって」
「分かってる。王道は正しいし、すごい。……けど俺は、半分自己流で現場を崩さないほうが集中できる」
「評価は?」
「九十で止まる。そこは負けでもいい」
言ってから、水をひと口飲む。
(“教科書どおり”を追いかけると、途中で頭がぼんやりしてくる。先生の言い回しは正しいのに、うまく噛み合わない。聞きに行けばいいのに、足が重い。だから、自分で組み直す。遠回りでも、手が覚えるほうで)
「筆記七十は?」
「前夜に詰め込んで、穴だけ塞いだ。冷や汗」
「外では『こんなもん』って言うやつね」
「そうしないと顔に出る」
神谷が笑う。「じゃ、大盛りいけ。脳に栄養」
三限の終わり。
教壇から先生の声が飛ぶ。
「――藤堂。今の実演、基本の角度で」
「はい。失礼します」
直進、斜行、収束。板書の矢印どおりに運び、最後の一枚だけ衝撃を丸めて落とす。紙片は音を立てずに倒れた。
先生は短く頷く。
「良い。安全側の調整が速い」
「ありがとうございます」
(採点なら**“形が薄い”**で九十点止まりだろう。それでいい。人と道具が近い現場では、いまの丸めのほうが隣を揺らさない。点は負けても、現場で負けなければいい)
休み時間、神谷が机に腰をかける。
「最後、空気柔らかかったな」
「柔らかいほうが助かる場面が多い」
「先生は?」
「“形はもう一歩”って顔」
「だよな。でも俺は今日のほうが好き」
午後、資料室。
薄いインクの匂い。印刷機と裁断機。事務の先輩が段ボールから紙束を出す。
「藤堂くん、港の遠征は初めての一年が多いから、案内板の注意も入れてね」
「承知しました」
テンプレを開く。
乾物、香辛料、油、保存魚。塩分濃度、辛味目安、保存期間。
端に赤い小さな枠――〈案内板の方位は東が上〉。矢印を添える。
紙を流し込み、印刷して、二つ折り、ホチキス。束ねる手は勝手に動く。
(この作業は嫌いじゃない。手を動かしている間は、余計な考えが静かになる)
掲示用の紙も作る。
《遠征資料 配布:明日・昼休み(学生会室前)》。
隣に**《実技講評:該当者は職員室へ》**。小さく自分の名前。
(講評で「形が薄い」と言われたら「はい」とだけ答える。説明は下手だ。でも、やっていることはサボりじゃない。夜の練習室で、指先で風圧の段差を刻む。王道に憧れている。それでも、自分の手で合う形に作り替えるほうが上手くいく)
夕方の廊下は、空調の風が紙をふるわせていた。
一年たちが上位の名前で盛り上がっている。輪には入らない。掲示の端を押しピンで留め直す。
筆記70/実技90 合計160 順位:10位。
数字は、何度見ても同じ顔でそこにいる。
(点は嘘をつかない。
でも、点に出ないものも確かにある。静かな風、ぶつからない角度、手が覚えた加減。)
神谷からメッセージ。
《夜、ゲームやる?》
《資料の最終チェック。ごめん》
《ですよねー。十位は忙しい》
《今度な。カレー奢る》
《了解。大盛りで》
スマホをしまって、束を抱える。
明日、配布所の机の向こうで、たぶんまた十位の笑顔になる。言うことは短く、はっきり。
「方位は東が上。迷ったら矢印を見てください」
赤い枠の小さな矢印が、まだ顔も知らない一年の足取りと、どこかで繋がる気がした。




