琥珀の価値
琥珀博物館展示場に"何も異常はない"とわかる。
不審者はもちろん雨漏りや壁などの剥離。長年警備員をしていると信じ難い窮状に遭遇をしたこともなきにしもあらず。
一回目の定期巡回を終えると詰所に戻り警備帽を脱ぐ。
中央集中監視の前にドカッと座る。録画機能を確かめながらコンピュータ画面をひとつひとつ眺める。
画面上をクリックし各フロア消灯をしていく。
「よし大丈夫だ」
警備員は定時巡回の終わりを決めると詰所のテレビをつける。
時間を確かめナイター中継の時間とわかる。
「(プロ野球の)楽天戦を見ないと落ち着かない。頼むから今夜は勝ってくれ」
テレビ画面に宮城スタジアムが映る。サイドバックから弁当を取りだしお茶をいれる。
警備の長い夜がこれから始まる。
シィ~ンと鎮まりかえる久慈琥珀博物館の展示場。
琥珀や貴金属宝石類もおとなしく夜を迎えている。
学芸員の保管金庫からゴソゴソと微かな音がし始める。暗闇の中であり人の気配はない。
だんだん音は大きく響き出しガタンガタンっ。
物騒な物音が控え部屋いっぱいに鳴り響いていく。金庫のルートキーがカチャカチャと回り始めギィ~っと扉が開き始める。
音のする保管金庫内は丁寧に折り畳まれたハンカチがあった。琥珀を包むハンカチは規則正しく開かれていく。
ハンカチの中から神々しき光りが見え隠れをし点滅し始め徐々に大きさを増していく。そこに青く苔むした塊はなかった。
ハンカチに包まれた琥珀は鈍き光りを放つ。
パチン!
閃光の輝きが一瞬弾けた。
金庫の扉を開け放ち琥珀は花火が破裂するような音を立てていく。
バァ~ン
眩しき閃光が辺り一面に放たれた。すると琥珀からもくもくと和装の美しい女性が現れた。
すらりとした長身で顔色は青かった。現れたのは琥珀に封印された古代人の女性である。
琥珀から生じた女はうっすらと瞳を開ける。展示場のショーケースの鍵をガチャンと念じで開けてしまう。
女はショーウインドを眺めてみる。博物館にある貴金属ケースと壁掛けケース。
装飾宝石として収められた琥珀や貴金属たちにサアッと手を振る。
"皆のもの目覚めよ!"
細い腕が高くあげられると展示場は息吹きが感じられてくる。
「妾は弟橘比売命なるぞよ。汝ら目覚めるがよい」
和装の女の手がサァ~とかざされる。
展示場にバタバタと音が響きわたる。
弟橘比売命と名乗った蒼白き女。
和装の麗人と化し古代人の身分を高らかに告げる。
琥珀博物館はパッと灯りがつく。
ショーウインドに陳列された琥珀。
壁掛け陳列にされていた琥珀や宝石貴金属類はゴソゴソと動き始める。
パッと閃光ととめに燃えあがると紫色の煙りとともに擬人化していく。
「皆の者っ~よきにはからえ。妾は皆に逢えて嬉しゅうぞ」
弟橘比売命の前に(擬人化した)琥珀ら宝石装飾品はザワザワと集まってくるのである。
琥珀に封じ込められていた女は弟橘比売命。
『古事記』に武勇として登場する日本武尊命の正室である。
第12代景行天皇の命を受けた日本武尊の東夷征伐は困難を極める。
夫の武尊のため弟橘比売命は命を落とし身代わりとなり海深く眠ってしまう記述がされている。
(『日本武尊伝』による)
献身的な乙女弟橘媛/乙橘媛ヤマトタケルの后。
弟橘比売命
大橘比売命
橘皇后
『古事記』彼女の事跡は日本書紀の景行紀、および古事記の中巻は常陸国風土記に記されている。
永い目覚めからの弟橘比売命はゆったりとする。どこからともなく臣下が弟橘比売命の身辺を取り囲む。
「姫殿ゆっくりなされたまえよ。長き眠りにてお疲れであろう」
久慈の琥珀は臣下の言葉に頭を下げた。
眼前にいる神々しき姫はどんなに尊き身分であるかわかる。
ワアッと館内に驚きがわきあがる。
姫であらせるか。神々の姫ぎみであらせまするか。
汝は神々しきかな弟橘比売命様であらせられるものなのか。
臣下の命を受けると蒼白き女の弟橘比売命の顔に喜びが現れた。
「倭にはしばしの眠り。たいしたこともない。今はのんびりと羽根を伸ばしたきものよ」
臣下はオオッ~と叫喚をあげると頭を深くさげた。
翌朝の博物館である。
開館の前に館長が従業員に朝礼挨拶をする。管理職として普段と変わらぬ朝の光景である。
「館長おはようございます。お耳に入れておきたいことでございます」
朝礼が済むと売り場担当の主任(女性)が館長に駆け寄ってくる。
"何かね"
普段冷静なベテラン主任の君が血相を変えるとは
定時に琥珀博物館は開館する。
正面玄関を開けると待ちかねたお客様が一斉になだれこんでくる。
まずは時間の迫る開館をしてから館長に話そうと思う。
主任としては摩可不思議な顔である。なにか狐に憑かれたかのような顔をしてしまう。
「話とは何かね」
館長から主任に。主任はええっと話を促され決意する。
「館長さん。私には理解ができないことなんですよ」
理解不可能と言う主任はあきらめ顔である。
「博物館の展示場でございます。琥珀売り場のショーケースを朝一番に改めてみたのです」
主任はため息をひとつつく。
「展示をされている琥珀が売り箱ケースと中身がそっくり変わっているんです。それがなんと申しましょうか」
一度や二度ではない。
「いえね私は最初誰か店員の単純なミスではないか。パッケージ箱の見間違いかなと思っておりました」
ところがうっかりをしそうな店員に度々注意を促しても一向に収まらない。
さらには主任や他の店員も気をつけて箱からの梱包をして厳重なチェック体制を敷いた。
「博物館に恨みを持つ者がいて悪質なイタズラをしているのではないか。私は思っておりました」
イタズラならば犯人を捕まえたい。開館している間は大丈夫だろうから深夜に犯人は現れる。
主任は警備員と館内に張り込んでみたこともあった。
「ですが不審者などいません。悪趣味な犯人はとんとわかりません。閉店に確認をしたパッケージに収まる琥珀が朝に異なっているのです。ハイッ今朝もでございます」
主任はどうしたらよいのでしょうかとお手上げ(オーバーなジェスチャー)。
館長は報告を聞きなるほどと頷く。
「ケースの中身をそっくり変える?なぜそんなイタズラをしでかすのでしょうか」
イタズラにしたらその意味がわからない。
「琥珀や宝石類はひとつも盗まれていないのですね。琥珀はよく見たら偽物に取り換えられていたとか」
主任はなにも無くなってはいないと強調をする。
「そうですか。盗難はないわけですか。単にケースが違っているだけのことですか」
盗みでない。ショーケースの中身の場所が移動しているだけ。
主任はイタズラ説を強調する。この奇妙な現象事件が度々発生する。中央監視カメラは24時間体制で琥珀のショーケースを撮影している。
「防犯カメラに誰か映りましたか」
人為的なものならば不審者がいるはず。防犯カメラが捉えていなくてはならない。
警備員からの話は何ら異常はないといつもである。
「盗難がなければ。被害がなければでございますが。警察に届け出ることもないですね」
館長と主任は互いに首をかしげる。
盗難がないとやれやれとした矢先に。
出勤をした学芸員は保管金庫を開けて驚きである。
たっ大変だぁ!
「お客様から預かった琥珀がない!青苔の琥珀がなくなっている」
館長と主任は慌てて金庫を覗き込む。
「私は確かにお客様から預かってます。琥珀でございます。かなりの大きさの琥珀でございます」
間違いはありません。金庫に鍵を掛け納品しています。鍵を掛け忘れたなどは誓ってもございません。
館長は警察に盗難届けを出した。被害は琥珀であり掛けがえのない品物である。
通報を受け岩手県警はやってきた。多数の捜査員を導入し丹念に金庫や博物館内を鑑識する。
物盗りなどは簡単に足がつくはずの犯罪である。県警は状況証拠からまず調査をしてみる。
ところがである。犯罪捜査のベテランを配していたが何も出てこなかった。
博物館への侵入経路も金庫から採取の指紋もなにも。
盗難にしては鮮やかな手口である。"犯人"は褒められたいくらいのものだった。
「犯人の侵入した形跡がない」
館長は"なんでまたっ"と怪訝なる顔になってしまう。
「ちょっと売り場の主任を呼んでくれたまえ。警察に例の話をしてもらいたい」
このところ頻繁にある怪奇な現象を知らせてみる。
さらに盗難などお客様に知られたくないのが博物館である。
学芸員の機転からすぐに別の琥珀を用意し急場はこれで凌ぐことにする。
「お客様を騙すことはいけないことではあるんですが」
悪評判が広がることを考えたら善処ではないか。
数日後お客様は琥珀を取りにやってくる。
「お待ちしておりました。装飾された琥珀はこちらでございます」
取りに来た母親に学芸員はなに食わぬ顔で代用の琥珀を手渡した。
青い苔の琥珀は偽物であろうがわかりはしない。
「ありがとうございます。当博物館の加工技術でかように仕上げてあります。どうぞ琥珀をお収めくださいませ」
会計レジで金額を支払う母親は足許が震えてしまう。
女の目から見てかなり高価な装飾琥珀であることは想像がつく。
ほんのりと鈍き光りを放つ琥珀を受け取る母親は頭の中で値踏みである。
その様子を柱の片隅で学芸員と売り場主任は固唾を呑んで見守っていた。
「嘘も方便でございますよ。お預かりした琥珀が見つかるまで黙っていましょう」
学芸員に青く苔むした大型な琥珀が目に焼きついていた。
母親は喜び勇んで帰宅する。さっそく娘たちに加工された装飾品の琥珀を見せた。
「あの琥珀がこんなに立派な装飾となりました」
娘たちも宝石が好きなのは母親譲りである。
「わあっ~綺麗ね。これが苔に埋もれたあの塊なの」
娘たちは目をドングリにし装飾された琥珀に魅入る。
「お母さんが琥珀を身につけて街を歩けばみんな振り向くわ」
30台後半の母親が和装をしてハンドバッグに琥珀をつける。
純和風な外形は娘だけでなく衆人の認めるところである。
「私がそんな。あなたたちが拾ってくれたからなのよ」
母親は娘たちのその労を労いたいが現実は違っていた。
父親が帰るとさっそく琥珀の値踏みを始める。
「琥珀博物館にある展示場の琥珀を見てきたの。このくらいのサイズは500万円の値札があったの。もっと探せば高値がついているかもしれないわ」
ギクッ!
「エッ!5…ヒャクマン…もっと高値がある!」
例え500万円の金額があれば建て売りもクルマのローンもすっきり消えてしまう。
「おいおい。驚かせてくれるなよ」
向こう数年は小遣いも我慢をしてチビチビとローン返済のために働く父親である。
「インターネットで調べてもみたの」
サイトにある琥珀の相場はどうやら高値は同じ。あわよくば1千万も越えるかもしれなかった。
「そんな値札がつくものなのか。道理であの浜辺でみんな血眼になって琥珀探しをしたわけか」
父親は改めて装飾された琥珀を眺める。さして感動をするような代物には見えなかった。