“ふさわしい”の影(2)
【Side;菜緒】
病院からの帰り道。人気のないビルの影から、1人の男が現れた。
「こんばんは、月平菜緒さん」
——また、この人だ。
黒いスーツ、無表情、整えられた前髪に冷たい眼差し。
あの日、駅前で一方的に忠告をしてきた、Asteria Visionの人。
「……今度は、何の用ですか」
「羊さんも、GG4の皆さんも大変そうですね。動画、荒れてますよね。あなたも、気づいていらっしゃるでしょう?」
淡々と話す抑揚のない言い方。
その言葉に、背筋が凍る。
「“我々”はただ、彼にとってふさわしい環境を整えたいだけです。才能のある方には、それに見合った立場が必要でしょう」
「“我々”って、あなた以外にも誰かいるの? それに、まさか、あのコメント荒らし……あなたたちが?」
「……断定はしません。しかし——それが止むかどうかは、あなた次第だと言っておきましょう」
口調は穏やかで、内容は残酷だった。
「あなたが彼のもとを去るなら、全ては終息します」
男は冷たい声で続けた。
「大丈夫。これからは“ふさわしい”方が彼を支えますから。彼の側で、彼の才能を、正しく導く存在が。あなたでは——少々、力不足でしょう」
その“ふさわしい”という強調された言葉が私の胸をえぐった。
誰かが、私では彼の隣に立てないと、そう烙印を押している。勝手に。
吐き気がした。
気がつけば、叫んでいた。
「……っ、ふざけないで! 私たちは、今までたくさんの言葉を、思いを、日々を、積み重ねてきた。私たちのこれまでを、あなたたちに踏みにじられる覚えはありません!」
言葉が震える。
「真剣に、情熱をかけて配信している人たちの思いを、それを楽しんでくれている人たちの気持ちを、あなたたちの勝手な思惑で壊さないで!」
この感情が、怒りなのか、恐怖なのか、自分でもわからなかった。
「……私がこのことを、世間に暴露すると考えなかったんですか?」
私がにらみつけながら口にすると、彼は皮肉めいた微笑を浮かべた。
「面白い発想ですね。しかし——大企業の幹部と、一般市民。果たして、どちらの言葉を世間は信じるでしょうか?」
喉の奥がきゅっと締まった。
「それに……そんなことをすれば、一番傷つくのは誰ですか? あなた? 私? ——違います。日辻さんと、GG4の皆さんです。今以上に、バッシングと好奇の目と、悪意に晒されるでしょうね」
冷たく言い放たれたその言葉に、呼吸が浅くなる。
彼は表情ひとつ変えずに言った。
「もう一度言います。全ては、あなた次第です。あなたが日辻さんの元を去ってくれれば、この騒動は何事もなかったかのように、静かに終わる。それだけのことです」
「でも私は…、私を選んでくれた彼を信じています。彼も、私を信じてくれて……!」
「ならば、それが彼にとって“本当に良いことか”を、改めて考えてみてください」
そして最後に冷たい一言を言い放って男は再び、夜の闇に消えた。
「このままでは、GG4にAsteriaの称号がつくことを、納得しない人たちも、出てくるでしょうね……」
私はその場に立ち尽くしていた。
いつも間にか涙が溢れている。
Asteriaの称号が付くことに喜んでいた、あの日のGG4メンバーとのチャットと、そして智士くんの顔が浮かんでくる。
「智士くん……ごめんね……」
声にならない嗚咽が、喉の奥で熱くなる。
涙が、静かに頬を伝った。
冷たい風が吹き抜け、その跡を冷やしていく。心の奥の痛みがさらに強まるようだった。
私の存在が、彼を苦しめるなら。
私が、彼を守れないのなら——
けれどその想いに答えを出すには、まだ、覚悟を決められなった。
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