ただいま、おかえり
【Side;菜緒】
「……あの、智士くん?」
「んー?」
「そろそろ……そろそろ離してほしいなぁ、なんて……」
「ダメ」
即答だった。
智士くんの部屋。今、私は座ったまま彼に後ろからぎゅうっと抱きしめられている。
ちょっとでもそこから動こうものならさらに力が強まる。完全に逃がす気ゼロ。
「な、なんでダメなの……」
「菜緒さんいなくなるから」
「もういなくならないってば……」
「それでもダメ。菜緒さん、いきなりいなくなって、あんなメッセージだけ残して。……心臓止まるかと思った。いや、ちょっと止まってたよ、絶対」
耳元にぽそりと落ちてくる低い声は、どこか拗ねたようで、それでも真剣だった。
「……それは……ほんとに、ごめんね。不安にさせて」
小さく謝ると、彼の腕の力がほんの少しだけ緩んだ。
「うん、それは許す。でも今日は菜緒さん充電日なので」
「なにその日……」
「大事な日。すれ違ってた日々、ちゃんと埋め合わせしたいし」
そう言って耳元で囁かれると、ちょっと身体がゾクッとしてしまうから、困る。そしてたぶん彼は、それをわかっててやってる。
今だって、彼の体温が背中越しにぴったり伝わってきて、それだけでドキドキしてるのに。
また耳元でそっと囁かれる。
「……じゃあ、さ。菜緒さんから、キスしてくれない?」
「ふぇっ!?」
思わず間の抜けた声が出る。顔が一気に熱くなった。
「あの夜さ、菜緒さんからキスしてもらったじゃん。すっごく嬉しかったのに……その後、あんなことになったからさ……俺、けっこうトラウマなんだけど」
しゅんとした声で言う彼。
ずるいよ。そんな声で言われたら。
私は小さく息を吸って、彼の腕の中でくるりと振り返った。
顔を上げて、そっと彼の頬に手を添える。
「……もう」
そう呟いてから、私はそっと、彼の唇に、自分の唇を重ねた。
一瞬触れるだけの、軽いキス——だったはずなのに。
「……っ」
離れようとしたその瞬間、彼の手が私の頭をそっと押さえた。
そしてそのまま、深く、唇を重ねられた。
唇が吸い寄せられ、舌が触れ合い、絡み合い……
熱と熱がじんわりと混ざり合っていく。呼吸の仕方を忘れたみたいに、身体の感覚がすべてがその一瞬に集中する。
「んっ……」
喉の奥が、きゅっと鳴って吐息が漏れる。
そのまま彼の温度に溺れていくと、ふっと唇が離れた。
そっと目を開けると——とろん、とした自分の表情が、彼の瞳に映っていた。
「……ごめん、限界だわ」
耳元で、息を含んだ囁き。
それに身体が反応する間もなく、押し倒された。
「っ……智士く……」
それ以上、言葉を続けさせてくれなかった。
唇で、体温で、肌と肌で。
彼の愛情が、まっすぐすぎるくらい、注ぎ込まれてくる。
寂しかった時間も、たくさん泣いた夜も、孤独で震えたあの日々も――
今、ここにある重なる身体の温もりで、全部、消えていった。
ほわほわした頭でぼんやりしていると、智士くんにそっと手を取られた。
開いた私の手の上に乗せられたのは……白いふわふわの羊のキーホルダー。そしてその先に付いているのは、銀色の鍵。
「これ……?」
彼を見上げると、目を細めて笑顔で言った。
「俺の部屋の合鍵。菜緒さんにあげる」
「寂しかったり、不安になったりしたら、いつでも来ていいから」
そう言って、照れくさそうに笑う。
「……ってか、そうじゃなくても来て。むしろ、来て。」
その言葉に思わず笑ってしまった。
「ありがとう……じゃあ、たまに使わせてもらおうかな」
「“たまに”じゃなくて、“しょっちゅう”でいいよ」
そう言って、彼が髪を撫でてくれた。
ああもう、ほんとにずるいな、この人。私が幸せを感じるツボ、正確に押してくる。
嬉しくて、また彼に手を伸ばした。
そのとき。
ブーッ、ブーッ、ブーッ……
スマホが震えた。
「……あー」
智士くんが低くうめいた。
「GG4のみんなかな……?」
「……あいつら、マジ空気読め」
と言いながら、スマホには手を伸ばさず、代わりに私を抱きしめ直す。
「返信しなくていいの?」
「今は、菜緒さんとの時間優先」
そう言って、また軽くキスを落とされた。
「ずるいよ、ほんと」
「ずるくていい。もう離さないから」
抱きしめる力が強くなる。2人の距離がゼロになって、心音が重なる。
「菜緒さんがいてくれれば、俺はどこででも、ちゃんと声を届けられる」
その言葉が、胸の奥にぽたりと落ちて。私はそっと、彼を抱きしめ返した。
どんなことがあっても、この手だけは、もう二度と離さない。
きっとこれからも、いろんなことがある。だけど、もう逃げない。
だって、私の居場所は、ここにある。あなたの隣で、私は生きていく。
そして何度でも声を届ける。
“おかえり”と、“ただいま”を。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
本編はこれにて終了です。
この後、智士と菜緒の日々やGG4結成物語を番外編として少しだけ書こうと思っています。
よろしければ、そちらもお楽しみください。




