みつけた(2)
観客がどよめき、悲鳴と歓声が混じる音が背中から聞こえる。
振り返らず走った。
会場を飛び出して、走った。逃げるように。
帽子はどこかで落としたらしい。髪が乱れて、視界が揺れる。
どうして、わかったの?
どうして、私を見つけられたの?
逃げて、逃げて、逃げて。
会場の敷地を抜け、隣の公園にたどり着いて、誰もいない広場の木の陰にしゃがみ込んだ。眼鏡も邪魔になってむしり取る。
胸が苦しい。息ができない。
今日で終わりにしようと思ってたのに。
彼がステージに立ってるのを見て、笑ってるのを見て、それで終わりのはずだったのに。
ずっと蓋をしてた想いが、あの視線だけで、全部あふれてしまった。
必死に涙を堪えたけど、無理だった。涙で視界がぼやける。
もう、抑えられなかった。
「……っ…智士……くんっ……」
涙が止まらない。
溢れて、溢れて、止めようとしても、溢れて。
好き。
大好き。
今でも、ずっと。
ごめんね。
ありがとう。
幸せに、なって。
言いたい言葉が多すぎて。爆発しそうな想いが身体中を駆け巡る。でもそれを口には出せなくて。代わりに嗚咽が漏れる。
——そんなときだった。
「みつけた」
どこまでも心地よく響く声が聞こえた。
振り返る間もなく、後ろからぎゅっと抱きしめられる。
身体がびくんと震えた。
その腕の優しさも、温もりも、匂いも、全部知ってる。
「あんな変装で、俺の目、誤魔化せると思う?」
荒い息。走ってきたんだ。私を、探して。
「智士…くん……。ダメだよ……離して」
「ヤダ」
きっぱりと言われたその言葉に、胸が締めつけられる。
「まだ、公演中でしょ……お願い……私なんかのために、声、止めないで……」
「俺の声は、菜緒さんがいないと出ない」
「……私の存在が、あなたの足枷になるなら、私はもう——いらないよぉ……」
最後の声はもうかすれていた。
そのとき、抱きしめる腕の力が一層、強くなった。
「……っ、ふざけんなよ」
聞いたことのない低い声。
「なんだよ、“いらない”って。勝手に決めて、勝手にいなくなって……俺の気持ちは、どうすればいいんだよ!」
「俺、そんなに頼りない? 頼れって、言っただろ……!」
「どうして“いなくなること”で、俺を守ろうとするんだよ……」
微かに声が震えてる。泣いてるの?
今まで私に対して言葉を荒げたことなんてなかった彼が、激昂していた。彼の叫びが、痛いくらい胸を突いた。
彼の隣にいたい、と身体が叫んでいる。
もう離れたくない、と心が求めている。
「……ごめん…ね……。ごめんな…さい……」
涙が、止まらなかった。
絞り出すような声で、でもはっきりと、彼は続けた。
「俺は、菜緒さんが好き。菜緒さんがいないと、俺は、羊にもなれない。あなたがいるから、俺は、俺でいられる」
「こんな、みっともない俺で申し訳ないけど、それでも……俺は、菜緒さんの手を離したくない」
「菜緒さんは? もう俺のこと、嫌いになった? 俺のそばには……いたくない?」
そんなの、答えは決まってる。でも言葉が出なくて、首を横に振るのが精一杯だった。
どこか、ほっとしたような声で、智士くんは言った。
「菜緒さん……顔、見せてよ。菜緒さんの顔、見られないの……ほんと、しんどかった」
「……今、顔ぐしゃぐしゃだから……」
視線を上げられずにいると、彼が回り込んで、正面にきた。
そっと私の頬に触れると——キスをくれた。
やさしくて、あたたかくて、泣きたくなるほどのキスだった。
「……やっと顔、見れた」
そう言うと彼はふわっと笑って、涙まみれの私を抱きしめてくれた。
「もう、どこにも行かせないから」
その腕の中で、私は初めて”戻ってきてもいいんだ”って思えた。そして私からも彼の背に腕を回して、強く、強く彼を抱きしめた。
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